あなたは、”古事記”に興味があるでしょうか?
“712年にまとめられた日本最古の歴史書”とされる「古事記」は、その8年後にまとめられた「日本書紀」と共に、日本の古代史を研究する上では必読書といえるものです。とは言え、それよりも後の時代の「源氏物語」でさえ現代語訳なしでは読めないのと同様に、「古事記」を原文で読むなど夢のまた夢でもあります。”わかりやすい”という枕詞を伴った解説本が多数出版されているのは読みたいけど読めない、そんな思いの中にある人が如何に多いかを物語っているとも言えます。
そして、作家さんの中にも「古事記」に魅せられた方がいらっしゃいます。2008年6月に亡くなられた氷室冴子さんもそのお一人です。”平安時代が大好きなように、古代も大好き”とおっしゃる氷室冴子さん。大傑作の「なんて素敵にジャパネスク」の面白さを”古代”を舞台に見せてくださるとしたら…これは是非とも読みたい思いが募ります。
さてここに、「銀の海 金の大地」という作品があります。隔月刊の小説誌「Cobalt」の、1991年10月号と12月号に掲載されたというこの作品。30年以上も前の作品とは思えない瑞々しさを感じるこの作品。そしてそれは、”この年頃の女の子が好き”とおっしゃる氷室冴子さんが14歳の少女を主人公に描かれた”古代転生ファンタジー”な物語です。
『ま、ま、真若王(まわかおう)。ねえ、これは嵐じゃないの?海の神は怒ってるんじゃないの?』と『がたがた震えながら、きいてみ』るのは主人公の真秀(まほ)。『ばかをいえ。昨日も今日も、海は凪いでくれる』、『お前も息長(おきなが)で育った娘だろう…なさけないな、こんな凪海が恐ろしいのか』と『せせら笑う』真若王を睨みつける真秀は『何度も唾をのみこ』みます。『そうしないと、吐きそうなのだ』という真秀は、『吐き気がどんどん強くなってくる。こんなヒドイ船酔いは、はじめてだ』と思います。『兄さん、兄さん、海に落とされてしまう…』と『心の中で』『必死に叫』ぶ中、『こわくないよ、真秀。それは悪い夢だ。わるい夢をみてるね、起きてごらん』と『きよい玉響のように』真澄(ますみ)の声が響いてきます。そして、『おそるおそる目をあけ』た真秀の『目の前には、心配そうに覗きこんでいる真澄の顔が』ありました。『こわい夢をみたんだね、真秀』、『丹波にくるときの夢よ。ああ、こわかったわ』と心の中の声で会話し合う二人。『あたしは今、丹波にいるんだ』という今を思う真秀ですが、『どうやって海岸から、この河上の邑(むら)にやってきたのか』全く『覚えてい』ません。『ここはウミはウミでも、海べの国なのね、兄さん』と『思わず、声に出してい』う真秀に、真澄は気配を感じ、真秀の唇に指をあてます。『兄の真澄は、真秀の心の声を読むことはできても、ほんとの声は、やっぱり聞こえないのだ』と思う真秀。そんな時、『人がくる気配が』して、『真若王の兄、この、丹波の河上をおさめる美知主(みちのうし)が入ってきました。『ひさしぶりだね、丹波の美知主』と声をかける真秀に『ようやく起きたのか。もう昼すぎだ。おまえが寝ていたせいで、真澄は飯を喰えなかったぞ』と返す美知主は、『本来なら、淡海(おうみ)の息長の一族をひきいる、息長豪族の一番上の王子』にも関わらず『息長を弟の真若王にまかせて、みずからは河上の土着豪族の娘をめとり、首長におさまってい』ます。『噂では、若いころから、ヤマトの大王の将軍役をつとめた一人だという』美知主は、『初めての海旅で、疲れているようだな…焼き湯を用意させたから、湯を使わせてやれ。ついでにおまえも湯を使え、真秀』と語ります。『焼き湯?お湯が使えるの?』と『思わず、声をはずませた』真秀に『今夜は大事な祝宴だ。絹を着せてやる。大王の王宮の女儒でさえ、めったに触れない絹だぞ』と言う美知主。それに『絹なんか、いらないわよ。宴になんか出ないから』と言う真秀に『おまえは出るんだ、今夜の祝宴に』と『短く、ひくい声で呟』く美知主。そんな美知主に『あたしがきたのは、あんたが熊の血凝(ちごり)をくれるといったからよ。母さんの御影(みかげ)の病気に、よく効く…』と話すもそれを遮るように『それはあるさ。東国の親しい一族が送ってよこした秘蔵の薬だ…』と語る美知主。『熊は一頭しとめれば、さまざまな稼りをくれ』、『臓腑 ー とりわけ肝は、万病の薬とな』り、『血の足りない女たちには、なによりの薬になる』と言われています。『半年ほど前、息長の邑にやってきた美知主が、気まぐれのように、わずか五粒をくれた』血凝を『おそるおそる母の御影に飲ませてみたら、驚くほどの効きめがあ』りました。『あれ以来』『なんとしても、熊の血凝がほしかった』という真秀は、『近いうちに美知主が主催する宴があり』、『そのときに真秀もくれば、薬をやる』と半月ほど前に伝言を受け、『病気の母親をひとりにするのが心配で、それでも、やっぱり薬がほしくて、こうして兄の真澄と一緒に』丹波にやってきました。『もったいぶってなくないで、早く、ちょうだい』と言う真秀に『今夜の宴にでるのが条件だ。でないと、薬はやらないな』と美知主は『笑いをふくんだ』目をして言います。『嘘つき!あんたはいったわ、丹波にくれば薬をやるって…』と言う真秀に『役たたずの真澄まで、つれてな…真澄を置いてきたら、息長の女たちに手ごめにされるとでも心配したか』、『これだけの美しい男だ。婢女(はしため)たちはおろか、女ヤモメたちも手を出すだろうよ。おまえがいなくなれば、真澄は女たちのいい慰みものだな』と『美知主がいいおわらないうちに』『彼の頬をぴしゃりと平手打ちした』真秀。『たとえ相手が誰であれ、真澄をからかうものを一時たりと、許すつもりは』なかったという真秀。そんな真秀が、母親の御影のために熊の血凝を手に入れるために奮闘する古の物語が描かれていきます。
“舞台は大和王権が成立してまもない古代日本、湖(ウミ)の国・淡海(おうみ)。14歳少女・真秀(まほ)は、複雑な生い立ちゆえ疎外されていたが、病で寝たきりの母と、目も耳も不自由だが不思議な霊力をもつ兄とともに気丈に生きていた。やがて彼女は自身に流れる巫王の一族「佐保」の血のため、時代の争乱に巻き込まれていくのだが ー”と内容紹介にうたわれるこの作品。今から30年以上も前、1991年10月号から1995年4月号にわたって集英社の「Cobalt」に連載されると共に、コバルト文庫から全11巻で刊行された作品です。一方で、私が今回手にしたのは2025年1月に復刊がはじまった集英社オレンジ文庫の一冊になります。刊行当時にも装画を担当された飯田晴子さんが再び装画を手掛けられたこの作品は、正直なところ初出が30年以上も前という情報を聞かなければ、今の世に新作として発表された長編小説と言われても全く違和感がない時代を超えた魅力を持つ作品だと思います。2008年6月に亡くなられた氷室冴子さんの作品をリアルで読んだことのない私ですが、今までに読んできた6冊のどれもが時代を感じさせない普遍の魅力を持ち合わせていることにただただ驚くばかりです。
さて、そんなこの作品は時代設定が極めて特殊であることがひとつの特徴です。この作品は「古事記」を下敷きにした作品のようで、このあたりは嵯峨恵子さんが書かれた〈解説〉にこんな風に記されています。
“物語は4世紀半ばから聖徳太子の父・用明天皇の時代までの約250年を描く6部構成として構想され、既刊の「真秀の章」は物語の序章にあたる”。
250年もの時代を描くまさしく大河小説として構想されたことがわかりますが、残念ながら、1995年4月に連載が終わると、そのまま再開されることなく未完に終わってしまったようです。序章ともされるこの”真秀の章”の面白さを考えると、とても残念な結果論ではありますが、一方で、2025年に復刊したという事実が、歴史の中に眠らせるには惜しい作品であることの何よりもの証だと思います。そして、復刊第1作となるこの作品は、こんな時代を背景にした物語になっています。
“4世紀半ば。大和地方の大王を中心に、各地の有力豪族が連合してヤマト王権が作られた時代に生きる少女真秀を主人公にした物語”
私は今までに1,000冊を超える小説ばかりを読んできましたが、その時代設定で一番古いのは、氷室冴子さん「なんて素敵にジャパネスク」の平安時代です。それに対してこの作品の舞台はそこからさらに500年近く遡ります。もちろん、そんな時代にも人の営みがあったことに違いはありませんが、今の世からは1700年という途方もない古の物語は、なかなか想像することも難しいものがあります。では、今の時代とは大きく異なる4世紀半ばのこの時代を描く表現を見てみましょう。まずは、『焼き湯』というものの描写です。
『木をくりぬいた丸木船のような入れ物に、水をいっぱいに汲みいれる。そうして、石をたくさん焼いて、真っ赤に焼きあがった石を、かたっぱしから水の中に投げいれる』。
これはなんでしょうか?『邑のはずれの、麻畑のかげ』に置かれているという『焼き湯』に主人公の『真秀はさきに真澄を入れてやり、縄のきれっぱしを丸めて、ごしごしと、背中や胸をこすりあげ』ます。まさしく今の時代のお風呂なのだと思いますが、
『体のつぎに髪を洗ってやり、真澄の上衣で、髪の水気をとる。どうせ五月の、初夏の陽光だ。すぐに上衣も乾くはずだ』。
そんな風に描写されていく場面は今の世から見ると違和感しかありません。この場面ではその場に三人の女性がやってくる展開が描かれますが、今の世ではやはりあり得ないと思います。次は『春と秋、三上山の中腹の野原で行われる、若い男女の宴』という『歌垣』です。
『男と女が、恋の歌をよみあい、恋心をかわしあい、おたがいの気持ちがあえば夫婦になる。そのまま家族になる男女もいれば、宴の夜だけの、ただ一度の婚(よば)いで終わることもある』。
なるほど。今の世であれば”合コン”といったところでしょうか?なんだか一気に安っぽくなってしまいましたが、いつの世でも出会いの場が欠かせないのは人間の世の恒なのでしょうね。最後にもうひとつ、食事の風景を見ておきましょう。『交易船の帰還をいわう宴』の様子です。
『炙られて、脂をしたたらせる獣肉(けものにく)。封をきったばかりの酒甕から、おしげもなく、瓠(ひさご)で汲みだされる醸酒(かもざけ)。それでも足りずに運ばれる、とろりとした濁り酒…蒸したばかりの、うっすらと尾花色した、つやつやした強飯(こわいい)』。
『獣肉』という言葉の響きに引っ張られてしまいますが、世界の料理のことを思えば恐らく今の私たちの前に出されても珍しく思いながらも普通に食べるでしょうね。いずれにしてこのようにこの時代の人たちの暮らしを垣間見る表現が多々登場するのがこの作品の一番の特徴であり、なかなかに興味深いものがあります。
次にそんな物語の登場人物をご紹介しておきましょう。この作品では冒頭に飯田晴子さんの描かれたイラストとともに、6人の登場人物が紹介されています。
● 6人の登場人物を見てみましょう!
・真秀(まほ): 14歳。淡海の国・息長の邑に母と兄の3人で暮らす少女。和邇の首長である日子坐が婢女(はしため)に生ませた娘。
・真澄(ますみ): 26歳。真秀の兄。生まれつき目が見えず、耳も聞こえない”神々の愛児”。不思議な霊力を持ち真秀とは心の声で話すことができる。
・御影(みかげ): 42歳。真秀の母。5歳の童女と同じような知恵とことばしか持たない”神々の愛児”。数年前から業病に侵され寝たきりの生活。
・真若王(まわかおう): 20代半ば、息長豪族の若き首長。真秀とは異母兄妹になる。
・美知主(みちのうし): 40歳近い。真若王の兄で丹波の河上を治める。御影のために熊の血凝をくれる。
・日子坐(ひこいます): 54歳。ヤマト中央の大豪族・和邇族の首長で美知主と真若王の父。真秀と真澄の父でもある。
ふりがながないとそもそも名前が読めない人物も多く、また極めて覚えにくい読みということもあって、それぞれの人物の名前が登場するたびになんだっけ?と引っかかってしまうのが、微妙にストレスを感じます。これから読まれる方には、読み方を書いたメモを手元に置いてサッと見比べるようにして読むのをおすすめします。これだけでも随分と読み味が変わってくる気がしました。
そんな物語は、主人公の真秀が美知主から丹波で行われる宴に来れば、御影の病に効くという『熊の血凝』をやるという申し出に従って、兄の真澄と共に真若王の船に乗って『若狭の海』を渡る場面からスタートします。強気な口調で話す真秀は一方で激しい船酔いに苦しみつつ丹波へと渡ります。そんな場面で読者の前に明らかになることがあります。
『母の御影は、病気で寝たきりだし。
兄の真澄も、目をみひらくほどの美しさを神々から貰うかわりに、目の光も、声も、音もない世界を生きている』。
そんな背景の中にあって、
『御影のいのちも、真澄の生活も、すべて自分ひとりで、守らなければならない』
14歳の肩にのしかかる重圧を感じながら生きる真秀の健気さを感じもしますが、一方で兄の真澄と不思議な方法でコミュニケーションを取っていることが明かされます。
『いつのころからか、兄の真澄は、真秀が心で思っていることを読むようになっていた。そうして、真秀の心に話しかけることもできる』。
『神々からいただいたというにふさわしい、ふしぎな、霊力にみちた技』というそんな力の発露を、作品では( )書きで記していきます。少しだけ見てみましょう。
(真秀。人がくる気配がする)→ 真澄
(人?だれが?)→ 真秀
(海風の匂いがきつくて、よくわからない。いや、この匂いは…美知主だ)→ 真澄
(美知主が…?)→ 真秀
イメージが伝わったでしょうか?一見、真秀と真澄が普通に会話しているように感じますが、実際にはこれは真秀が心の中で思ったことを真澄が読み取り、真秀の心の中に真澄が直接話しかけて会話が成り立っていることになります。なんとも神秘的な設定ですが、この設定だからこそ成り立つ場面も多々あり、とても上手い方法だと思います。そんな真秀は丹波で美知主が主催する宴に参加することになりますが、内容紹介にもある通り、物語では、真秀の出自が明らかになり、そのことに戸惑う真秀の姿を描いていきます。
・『あたしは佐保の血すじなの。佐保というのは、今もある一族なの!?』
・『古いヤマトの血…。ヤマトの土着の一族なの?オオキミがくる前からの?』
上記した通りこの作品は日本の古代史が綴られた「古事記」を下敷きにして創作されたものです。
『ヤマトの大王はいまや二代目にうつり、大和の三輪山のちかくに王宮をきずいている』。
そんな古の世に何が起こり、何が成されたのか、日本の歴史の中でも今ひとつハッキリしないそんな時代の裏側を描く物語は、まさしく歴史ロマンを掻き立ててくれます。当時の人たちの暮らしを描き、当時の人たちの見たもの感じたものを描いていく物語は主人公・真秀が女性としてひとつの階段を上がる中に第1作の結末を迎えます。第2作、第3作…と読んでいきたい思いが募る物語。”古代も大好き”とおっしゃる氷室冴子さんの筆の勢いをとても感じさせてくれた物語の姿がここにありました。
“あのー、今から宣言しちゃいますけど、この銀金、大河ドラマです”。
第1作の〈あとがき〉にそんな思いを記された作者の氷室冴子さん。結果的には未完の作品となったこの作品の第1作には、”古代も大好き”という氷室さんの意欲溢れる物語世界が描かれていました。古代の人々の暮らしに想いを馳せるこの作品。そんな時代にも人間の思いは変わらないことを感じるこの作品。
そこかしこに差し込まれた飯田晴子さんのイラストが物語世界を絶妙に演出もしてくれる作品でした。