木村榮一のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
『百年の孤独』でガルシア=マルケスのファンになったが、『予告された殺人の記録』で宙ぶらりんになった。『予告された〜』は時系列がややこしいので、面白くなるのは二度目からではないかと勝手に思っている。
本書は期待していた以上にガルシア=マルケスの持ち味が凝縮されていて幸せな読書体験だった。
本作で短編は初めてだが、人を食ったようなクセの強い世界観に、さっきから何を言ってるんだと笑ってしまう。ずっと聴いていたい世界一のホラ話。
ガルシア=マルケスの文章は、迷信が迷信と呼ばれる以前、嘘と本当が科学によって分けられる前の時代に物語が持っていた「魔力」を現代に伝えてくれる。あらゆるものが細かく分類されていく現代において、枠を壊すのでも、はみ出すのでもない、本来のシームレスな関係を取り戻すこの試みは、ますます魔術的な魅力を持ってその輝きを増しているように思う。
本書と同時並行してウェイリー版の『源氏物語』を読んでいるのだが、こちらは実際に魔術が生きている時代の物語であり、祈祷や占星術が生活の一部として機能しながら、高度な学問として扱われている。読んでいて思うのは、昔の人々は呪い(まじない)によって理由のないことに理由を持たせることで、心に溜まる不満を発散していたのだ。星の位置を見て帰る方角を占うことで、安心を得ていたのだと思う。
日常的に占うことのない現代では、理由のないことは心の中で溜まり続けて不安を増長させる。例えば人間関係に答えは無いので現代ではただ我慢するしか無いが、占いがあれば我慢するにせよ悩む必要がなくなる。文明が発展してある程度の生活の安全が保証されれば、余計な不安は精神に悪影響を及ぼすので、生活に占いを用いることは理にかなっているのだ。
なんだか『源氏物語』の感想になってしまったが、本書の語り口は理屈抜きで精神に直接訴えかける力を持っていると思う。あと、マルケスは話が抜群に面白い。魔術抜きで普通に書いても悪魔的に面白い小説を書く人だと思う。めちゃくちゃ笑いました。
本作はちょうど『百年〜』と『族長の秋』の間に制作されたらしいので、次はいよいよ『族長の秋』を読もうと思います。 -
Posted by ブクログ
物語を語っているのは何者なのか?
生きた者なのかそれとも死んだ者の記憶が語っているのだろうか?
物語はピレネーの山にある小さな廃村の話だ。
しかし、はじめのうちは何が書かれているのかを手探りのように読み進めていくことになる。
必然的にじっくりと辛抱強く読むことになるのだが、やがてその内に少しずつその背景が、全貌が明らかになってくる。
村からは人々が消え去り、自らの子どもや妻さえも。そこで、老人はただひとり、唯一の友である雌犬とともに記憶と時間の中をさまよいながら過ごすのだ。
圧倒的な哀しみのテンションで書き綴られ、ラテン文学の特徴なのか、時間が行ったり来たりして迷宮をさまよっているような感覚にもなる。
冬には雪が果てしなく降り積もり、秋にはポプラの雨が降り注ぐ。常に死の予感とともに。
強さと弱さ、深い愛情が自ずと感じ取れる、哀しくも美しい物語だった。
-
Posted by ブクログ
ネタバレたったひとりで、過疎化した村の終わりを見届けた男の話だった。孤独に死に向き合う語りが胸を打つ。
主人公は死ぬまでの果てしなく思える年月を過ごしたあと、死んでからの真に果てしない時をも過ごしている。荒廃した村に流れる時間が、まるで止まっているような錯覚を引き起こし、不思議な体験ができた。
主人公の生まれ育った土地であるし、戦争から息子が帰ってくる、娘の墓があると思えば移住が選択肢に入ってこないのもやむを得ない。生活があったかつての村の姿を知るだけに孤独感は増すと想像できる。サビーナの自死、雌犬の最期は特に深い悲しみが襲ってきた。
現在と過去と未来のすべてが主人公の記憶の中で一体となり、最後はただ安らかに眠りたいという思念が土地に残っているかのよう。まるでゆっくりとした走馬灯。人間は死後もこんなふうに考え続けているのだとしたら、救いがない。 -
Posted by ブクログ
①文体★★★★★
②読後余韻★★★★★
こちらは廃墟、廃村が主な舞台となっている小説で、一人の男の死を村の消滅にかさねて描かれています。
語り手はその男による死者の視点。これが不思議な設定で、彼の回想や死に行く過程が語られています。その孤独のなかで生と死の境界が淡くなり、昼と夜の境が無くなっていくのが読んでいて感じます。季節の移り変わりとともに朽ち果てていく家や村、はなれていく人、死に行く人。ポプラの枯葉とともに降りしきる黄色い雨。深い沈黙の中に消えていく記憶。
この何とも退廃的な状況を詩人である著者の透明感溢れる文章で綴られているのがとても印象的でした。そこには死が漂っているのにもかかわらず、なぜか美しさを感じます。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ・文体の美しさ。
・簡素な舞台と、奥深さ。
・不吉さ。
・幽霊。
・雌犬の存在。
・悲しくも優しいまなざし。
・異文化。
出会えてよかった本。
@
以上は、2012年、ヴィレッジブックス単行本初読時の、きれぎれの感想。
以下は、10年経って2022年5月、河出文庫で再読しての感想。
文庫版では短編をふたつ(「遮断機のない踏切」「不滅の小説」)収録。
まずは、初読後10年、本書を思い出すたびに脳裏に描かれていた、カバーイラストの美しさについて。
ニコラ・ド・スタール(露: Сталь, Никола де、仏: Nicolas de Staël、1914年1月5日 - 1955年3月16日)という画家の作品らしい。
ロシアで生まれたがロシア革命を逃れ欧州方々に移り最終的には自殺したんだとか……。
ただ黄色い絵ということではなく、ちゃんとした文脈がありそうだ。
古屋美登里が豊崎由美との対談で類推していわく、訳者である木村榮一が某新潮社や某白水社に持ち込んだにもかかわらず門前払いされたあと、ソニー・マガジンズの海外文学に積極的な編集者に辿り着いた結果、出版にこぎ着けたのだろう、と。
その(想像の中の)編集者に感謝。
このカバーイラストを選んだもその編集者なんじゃないか(と勝手に想像を重ねてしまう)。
また今回は連想を拡げながら読み返せたのもよかった。
・2014年に読んだ、フアン・ルルフォ「ペドロ・パラモ」1955。墓の下からの語り……コマラという町そのものの……と、いつ死んだか判然としない語り手の一人称と、は重なり合っている。生者と死者の境界は曖昧なのだということ。
・幽霊の語りという点で、2017年デヴィッド・ロウリー「A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー」も。
・ビクトル・エリセ「ミツバチのささやき」などの風景。
・やや無理矢理だが、押井守「天使のたまご」の、窓のこちらと向こうという構図も。
・前回読んだときは読後ネットで探すことをしなかったが、今回いろいろ検索してみて、なんと作者自身が(本当に実在した)アイニェーリェの跡を訪れた動画を見つけて……胸塞がる思い。それこそアナ・トレントが成人して「ミツバチのささやき」の舞台を訪れたときの映像に近い。
ポプラの枯れ葉がまるで雨のように。
落ち葉をサクサク踏んだり、戯れに蹴り飛ばしながら歩いたりする季節があるが(いや、銀杏並木だった)、あれは死の上を歩いていたのだった。
死を目前にしたとき……たとえば癌で入院して余命数年というときに……必ず読み返したいと決めた、筆頭作品。 -
Posted by ブクログ
「百年の孤独」で有名なガルシア=マルケスの生涯、作品の紹介とラテンアメリカ文学、歴史を含めて論じたエッセイ。ガルシア=マルケスはノーベル文学賞を授与された作家で、ラテンアメリカの人々を描いた作品は、緻密でオリジナリティーがあり大変人気がある。
若い頃から苦難の連続だったが、チャンスを捉える能力もあった。 コロンビアは、政治の堕落が激しくて、日本人の感覚では耐えられないような世界だ。著者は、明治維新の頃の日本を例えながら、ガルシアマルケスの置かれた状況を説明する。 彼が生み出した作品群の執筆経緯、時代背景、物語のモチーフとなった事件など様々な考察がされていて、この本を読むとガルシア=マルケスの作品を読んでみたくなる。 ただ大変面白かったけれど、経緯の説明に同じ文章が何度も出てきたり、少々文章が長すぎて読みにくいところもあった。それでもガルシア=マルケスの入門書としては恰好の一冊だと思う。
ちなみに「百年の孤独」を買って読もうとしたことがある。 多くの人物が登場して、途中で人物関係がよくわからなくなって挫折した。 ガルシア=マルケスの他の小説でも、とにかく人物が多く描かれているらしい。 名前も日本人には覚えにくい感じもする。 ラテンアメリカの小説が話題になりにくいのは、文化の違いなども含めてそういう抵抗感があるからかも。 -
Posted by ブクログ
すとん、と、心が落ちていきます。
周囲にひたひたと、孤独が満ちていきます。
黒い闇のようで、でもそれは黄色い雨です。
スペインの山奥の棄てられつつある村で、最後の男はどこから、この世のものでは無くなったのかわかりません。
自分の最期も、こんな風にひとりで、じわじわと彼方側との境がわからなくなるのかな。
とてつもない空気でした。孤独と哀しみは、近いようでそうではない気がします。
後編ふたつの狂気も好きでした。列車の通らなくなった線路で、踏切に遮断機をおろし続ける男。創作に没頭して妄執にかられる男。
小説だけど詩のようでした。
これからも読んでいきたい作家さんです。 -
Posted by ブクログ
何と美しい退廃であろうか、と、読後に本を閉じたまま、暫し呆然としてしまった。
まるで叙情詩のような手触りだったと思う。文章の流麗さということがまず一つ、その要因として挙げられるだろう。
それから、語り手が自らの心象風景を一人称で独白する文体である、ということも効果的だと感じた。読み返して気付いたのだけれど、会話文のカギカッコが一つもない。語り手以外の人物のセリフというものがそもそも一つしかないのだけれど、それも語り手の内言語にいつしかすり替わって、その独白の一部になってしまう。つまり外言語を排除することで語り手の内面に焦点が向くように仕掛けられているのかもしれない。
「彼ら」という言葉の暗喩的な響きや、次第に明かされていく「私」の正体、そして象徴的に繰り返される「黄色い雨」というフレーズが幻想さを強めている。それから段落ごとに一行空けて文頭を一文字上げるという独特なスタイルも、この文字列がただの小説ではないことを物語っているように見える。
また、読中にアンナ・カヴァンの『氷』を思い浮かべた。あれを、私は「ヘロイン中毒患者の死際の幻覚」と解釈したのだけれど、それに似たものがあったように感じる。
語り手である「私」が既に死んでいることは文中で次第に明らかにされるが、実際のところ「私」はまだ死の直後か、あるいはまさに死ぬその瞬間か、彼岸と此岸の境目のところを漂っている状態なのではないだろうか。
死ぬ間際に見る幻覚、もしくは死の直後の意識、彼岸と此岸の境目で見る景色というのはこのようなものなのかもしれない。 -
ガブリエル・ガルシア=マルケス ある人生
- カート
-
試し読み
-
Posted by ブクログ
表題作を読み進めると季節的に今がぴったりだなと思いながら読んでいた。孤独や過去、亡霊と向き合い、側にいる雌犬と黄色い雨が降るこの村で死を待つお話。一人語りが続き、声帯を震わせた言葉は出てこない。静まり返り、朽ちていく村で言葉を発したところで誰かに(読んでいる自分のところにも)届くわけではないのだから。というような感じでずっと地の文が続きます。
終盤では私(父)が語り手だと思っていたのに、急に息子のアンドレスが語り手かのようにふるまう所でかなり混乱した(妻はサビーナってまだ言っているし)。語り手の私の命が尽きようとして全てが混沌としていく中で色んな境界が曖昧になっていき、このような語り口になったのかななんて考えてみたり。あとは訳者あとがきで驚いたのは舞台となるアイニェーリェ村は実在していたこと(すでに廃村)。他に短編が2つあるのだけどどちらも面白かった。