石川結貴のレビュー一覧
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誰か助けて 止まらない児童虐待
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ネタバレサクサク読み進められた。ただ、虐待を巡る事実を生々しく取材を通して描いているのでぐっと苦しくなってしまう方はいるかもしれない。
面白いなぁと感じたのは加害者(虐待した本人)から焦点を当てていくこと。筆者が加害者の裁判から児童虐待について触れていくのが興味深い。(被害者主体の話は1番最後に少しある程度だ)
取材を進めていく様が、私の偏った知識や経験からするとパズルのピースをはめて行くような感覚を覚えた。私や周囲の友人たちは圧倒的に被害者で助けられることなく大人になった。
その視点からだと大人に対する憎しみばかりが先走りがちだ。それを最後に持ってきたことで私は冷静に読み進めることが出来た。
生々しい。
保育所も、学校も、福祉現場も苦労がありそれぞれが助けてくれと思っている。いつ自分(たち)が当事者になるかわからない恐怖と、法や体制がしっかりしてない故自己保身するしかない現状。アメリカの「いい親になる努力をしないと子供と暮らせない」状況を作るのは今の日本でとても大事だと思う。外国の児童虐待の法律についても深めていきたい。 -
誰か助けて 止まらない児童虐待
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2014年、17歳の少年が実の祖父母を殺害する事件が起きた。その後の裁判で、少年は11歳から学校に通ったことがなく、家族でホームレスとなり、居所を転々としていたことが明らかになる。
義務教育であるはずの小中学校で、突然、児童が学校に通わなくなり、住民票の住所からもいなくなってしまう。そんな「居所不明児童」という子どもが存在するのだ。
自らの力で存在を証明できない子どもたちが一番に頼るのは当然、家族。しかし、その家族が頼りにならないとき、学校、教育委員会、児童相談所、市町村、警察などが救いの手を差し伸べるのは当然。しかし、これら組織が連携していないことが最大の問題だ。 -
誰か助けて 止まらない児童虐待
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ネタバレチェック項目14箇所。児童虐待っていったいなんだろう、なぜ子どもたちは無残に殺されつづけ、なぜ救いの手は一向に差し伸べられないのであろうか、我が子を傷つけ、放置し、平然と見殺しにする親の心に、いったい何が起きているのだろうか。ここ数年、児童虐待の急増は大きな社会問題となっている、反面その数が多すぎて、個別のケースは詳細もわからないまま消えてしまう、世間の耳目を集めることもなく、報じられた翌日には忘れられるような児童虐待事件のほうが圧倒的だ、けれどそこには、「子どもが死んだ」という厳然とした事実がある。子どもの命ってそんなものなのか、と思うとやりきれなかった、私は懲役六年でも「軽い」と感じたが、素人の心情と法的解釈にはずいぶんと開きがあったらしい。虐待と聞くとどうしても、殴る、蹴るといった身体的虐待のイメージが強い、だが、衣食住など基本的な子どもの世話を放棄したり、愛情を示さないといったネグレクト事例は急増している、2009年度に全国の児童相談所が対応した児童虐待件数は44211件だが、その内訳を見ると身体的虐待が17371件、ネグレクトは15185件拮抗している。私は今まで、子ども時代に虐待経験を持つ母親を二百人近く取材した、彼女たちの中には、自分の子どもを虐待している人もいたが、まったくしていない人のほうが多かった、そうして自分の過去を必死の思い出断ち切った母親たちは、一様に連鎖の「誤解」に苦しんだ。親との愛着形成が不完全な場合、おとなになってからも欲求不満を持ちつづけ、自分を愛してほしい、かまってほしいと求めやすい、自分の欲求を充足することが第一になってしまい、幼い我が子に対しても、自分を愛して、理解して、癒して、と求めるのです。親として生きるのは無理な人たちだと思うんですが、便利で豊かな現代社会ではなんとか生活できてしまう、子どもにコンビニ弁当を買い与え、紙オムツをつけっぱなしにして、最低限の生命レベルを維持することはできますよね、すると当の母親は、自分には子育ては無理だ、今の生活が無謀だとは気づけない。なんで真衣ばかりがみんなに注目され、大事にされ、お姫様みたいに扱われるのか、と、私のことを見てよ、生んだのは私なんだからこっちに注目してよ、私だって甘えたいのに、そんなくやしさが募る。今まで何人もの園児が、虐待を受けている現実から救われないまま卒園していったという、むろん、担当部署には事あるごとに電話を入れ、視察や児童相談所への通告を頼んできた、しかし、児童相談所に通告してもらえたところで、事態はほとんど変わらない。アメリカでは州によって州法や対応システムが異なるが、カリフォルニア州は教師や医師など子どもに関わる職種に対し、虐待の通告義務だけでなく通告を怠った場合の罰則規定がある、「見て見ぬふり」をすると、自分自身が資格停止処分を受けたり、資格をはく奪されることもあるのだ。世間では、「つべこべ言わず、怪しいヤツは一網打尽にしろ」といった風潮が高まっているが、もしそれがすべての「疑い」のケースに適用されたらどうだろう、子どもが激しく夜泣きをしているだけなのに、いきなり児童相談所の職員が「虐待してませんか」と乗り込んでくることにもなりかねない。児童相談所は子どもを虐待する親を指導したり、相談に乗ったりしている、しかしそれは、親が協力的であればこそ可能で、逆に非協力の親、指導や支援を拒否する親に接触するのは容易ではない。何度となく説得を試みても、母親は面会に来なかった、悲しい現実が突きつけられたが、洋介君は、「いつかお母さんに会って一緒に暮らせる日」をあきらめていない、「おとなになったら魚を扱う仕事をして、いっぱいお金を稼いで、お母さんを喜ばせるんだ」、職員には、そんな夢をけなげに語る。
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誰か助けて 止まらない児童虐待
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Posted by ブクログ
目次がいい感じだったので購入したが、予想以上の良書だった。
「はじめに」で一般的な「加害者批判」「児相批判」「公務員批判」を想起させているが、その後の展開でそれを覆していくだけでなく、報道では伝わらない非常に細かい、だけど重要な問題点にも的確に言及している。
特に重要なのは、「虐待の連鎖」という言説について。つまり、虐待によって子どもが大きな影響を受けて、それが巡り巡って次世代への虐待に繋がることはあるかもしれないが、だからといって虐待された過去=子ども虐待リスクではないという、微妙な違い。
また構成の話に戻ると、本来子どもを守らなければならないとされている人々(ここでは、「母親」、「保育園」、「小学校」、「児童相談所」など)へのインタビューを通じて、現場の構造的な問題や、虐待問題に関わる人々の葛藤が浮き彫りにされていく。
この過程で、タイトルの「誰か助けて」が決して子どもだけの声ではないことが少しずつ見えてくる構成は見事。
また、例えば小学校の例で、現場で子どもに接する教師と、管理職とでは、問題に対する認識・態度が違っていて、且つどちらも正しいという葛藤をきちんと両者の目線から明らかにしている点は素晴らしい。
第6章でも、世間から多くのバッシングを受ける児相の抱える問題をきちんと捉え、ただただ強制的介入の必要性を訴える論調を冷静に批判している。
惜しい点としては、
・学術的な論文の引用の仕方が甘いところ
・アメリカの方法論を無条件に肯定的に紹介している点。紹介するのであれば、アメリカ型の虐待対策の限界や、親子分離しても子どもを引き取る里親が多くいるという前提条件も同時に提示するべき(それでも日本の数十倍進んでるけど)。
・児相については、キャリアが長くて児相の問題を客観視できる人だけでなく、その人に批判されているような、急に児相に異動させられて右も左もわからない状態で勤務することになった人の意見も見てみたかった。
ともかく、とても良い本だった。虐待のニュースに触れて「子どもが可哀想!」などと言って、虐待の厳罰化や児相批判に走る人には、賛否は別にして、まずこれを読んで欲しい。
タイトルにある「誰か」とは、この社会に生きる一人ひとりであって、他の誰でもないということを分ってもらいたい。
今度は同じ著者に、虐待防止ネットワークの成功事例や、子どものケア、ペアレンティング・トレーニングや、大人の自己肯定感の醸成の必要性などについても著してもらいたい。 -
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ネタバレ特に印象に残っているのは次のところです。
「…女性も男性も陳列棚に並んだ商品みたいで、製造年月日はいつ、価格はいくらって年齢や年収がシビアに選別される、いくら中身がよくても手に取ってもらえないまま、どんどん古びて売れ残る。」
「親世代は人並みに結婚して子どもを育ててきました。しかも我が子は真面目で優秀、性格もいいし親孝行、そんなふうに自分の子育てへの満足感が高いんです。どう考えてもウチの子は幸せになっていいはずだと思いながらそれが叶わないとなると、期待したぶん落胆も大きい。特に娘さんの場合、四十歳を過ぎると出産がむずかしくなるという現実もあります。孫がほしいとか、娘一家をサポートしたいとか、親自身の望みも叶いそうにない。だったらもうお嫁にいかなくてもいい、手元に置いておこうと方針転換します。それまで散々結婚しろ、もっとがんばれと煽っていたのに、結局は親の都合でハシゴをはずしてしまうんです。」
「自分は高学歴で高収入だから相手も同じかそれ以上でないとダメ、そんな条件を変えないまま十年以上婚活してもうまくいくはずがないんです。自分は歳を取り、外見だって若いころとは同じでもなく、それなのにプライドだけは妙に高い。そういう女性と結婚したいという男性はめったにいないでしょう。出産という年齢制限もある中で、ずっと同じ希望を持ちつづけるのではなく、自分の変化に応じたお相手探しをしてほしいんです。」
「売り手と買い手がミスマッチなら自宅は売れません。もっといい買い手が現れるかもしれないと待つのは自由ですけど、そうしているうちに劣化していき、もっと売れなくなる可能性が高いでしょう。本当に自宅を買ってもらいたいなら価格を下げたり、相手の希望に合わせて譲歩したりして、要は自分の思い入れとは違う現実を受け入れることが大事じゃないでしょうか」
…さんも減点法で相手を見ず、自分に足りないところは何か、自分には何ができるか、そんな考えを持っていた。
勘違いの代表格が「ふつうの相手でいい」「高望みしていない」
→ここでいう「普通」は子どもをもうけてマイホームを持ち、子育てや家事もこなせることを意味している(今の時代ではこれを「ふつう」と考えることは傲慢で、ずれた発想)
結婚するもしないもどういう人生を選ぼうが自由。でもどんな人生を選ぶのもよく考えてほしいというのは私も同じです。 -
Posted by ブクログ
著者自ら親同士の代理婚活に臨んだ体験記を皮切りに、婚活中の未婚男女や経験豊富な結婚カウンセラーへの取材や、マッチングアプリや結婚相談所など婚活ビジネスの実態の探究等により、未婚の2人の息子を持つ母親の視点、また、家族問題を取材してきたジャーナリストの視点から、現代日本の「結婚の壁」に向き合うルポタージュ。
自分もマッチングアプリや見合い(親による代理婚活はなかったが)での婚活を経験したので、こんな感じだったなと我が身を振り返りながら、とても面白く、一方でまだ結婚に至っていない当事者や日本の将来にとっては深刻だなと思いつつ、読み進めた。自分は運良く見合いで良縁に出会えたが、多くの選択肢があり、自由な意思決定ができるが故の「結婚の壁」は確かにあるなと感じる。現代日本の婚活事情を理解する上で本書は非常に有用である。 -
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スマホは手軽であること、身体感覚とマッチすること、感覚への刺激が得られやすいことから、依存症になりやすい。
依存症の種類には、①オンラインゲーム依存 ②きずな依存、③コンテンツ依存 ④ギャンブル依存 等の類型がある。
スマホもソシャゲ業者も営利企業であり、顧客を中毒化させ、利益を得たいというインセンティブが否応なしに働く。無防備な子供達が易々とその餌食になってしまうのは、ある種企業側の思惑通りのことである。(なお、依存症になるのは子供に限った話ではなく、成人・高齢者等全世代共通である)
子供にとってスマホはインフラであり、もはやそれを手放すことは困難であるが、適切な距離感を保てるよう、大人が様々なリスクを言語化していくほかない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ毒親を介護している当事者のリアルを忠実に表しながら、心理状態や構造を明確にしている作品。
特に毒親(加害者)が実は前の世代においては被害者であるのが興味深い。
被虐待経験が加虐に転じるのは、
・体罰に対して肯定的
実際に体罰によってしつけられているため、自分がいざ子育てする際しつけるには体罰が必要であると考えてしまう。
・常に思考パターンが被害認知
幼少から被虐に生きたことで、大人になって子育てする側に回っても、「子どもから被害を受ける(生意気に口答えして親をバカにしている、泣いて親を意のままにしようとするなんてずる賢い)」というように認知が被害的に偏ってしまう。
・自分の欲求を満たすことへの執着
幼少に得られなかった、愛や欲を満たすことに対して執着的。子どもがいようが恋愛に依存的であったり、お金を無心してギャンブルにはまりこんだり。理性よりも欲が優先される。
このような要素によって毒親が形成され、それが老いと混ざって子どもを苦める。
なんたる負の連鎖。
毒親への理解のひとつに“コーホート”があり、確かに当然といえば当然なんだが忘れがちの考え方。
親には親の“世代的背景”がある。もっと虐待が虐待として扱われなかった時代背景、精神疾患が精神疾患として扱われなかった時代背景。
親のコーホートが、今とは大きくズレている事実は確かに冷静に思考する必要がありそうだ。
後半はより“介護”的な話であり、
認知症の法則を念頭にいれて介護を進めるといいとされる。
・記憶の欠落が起こりうる
・症状は身近な人にほど強く出る
・自分に不利なことは事実として認識できない(または認識しても“本能的”に隠す)
・まだらに症状が出る
・行動記憶が消えてもその時抱いた感情だけ消えずにいる
・こだわりが生じると頑なになる
・介護者が強く反応するとより強く反応する
・2〜3倍のスピードで老化する -
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ネタバレライターの石川結貴氏による独居の父親の看取りの過程を描くドキュメンタリー。介護拒否、病院拒否、自立心旺盛、そんな父親を遠方の娘がイライラ・ハラハラしながら面倒を見る様子が綴られます。
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作品を語るにおいて、なんというか、内容の良しあしを言うのではなく、石川(筆者)家はこういう家なのだなあ、とそのまま受け止めるべき、と感じました。
高齢者を自宅で看取ったという事例としては非常に貴重であると思います。
まず、石川家のおじいちゃん、非常に独立心旺盛です。88歳にして近くの畑で農作業をしたり、毎日公営温泉に行って地域の人とおしゃべりをしたり。
で、このおじいちゃん、かなり頑固みたいです。
病院が嫌い。専門的な医者ではなく、(多少腕がなくても、否、あるいみヤブでも)地域の医者が良い。介護士が家に上がるのは嫌。心配されるのが嫌。
っていうか、自分と似ている!? 中高年以上の男性は大体こんなんな感じもします…。
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こうしたおじいちゃんを取り巻く環境は、ややネガティブな模様。
例えばセールス。銀行員がいい顔をして寄ってくる。卒寿に手が届きそうなじいさんに外貨建て保険を売るとかを平気でする。筆者は何とかクーリングオフまで持って行ったものの、阿漕な証券会社でもなかなかそこまではしませんよ。
また公営温泉でも、一度転んで救急車で運ばれたおじいちゃんがまた温泉に来ることに、運営者側はいい顔はしない。独居老人?家族は遠方に居るの?何かあったらどうするの?ってこうなりますよね。
さらに介護保険。おじいちゃんが「俺は大丈夫だ、自分でできる!」と独立心をがなり立てて、介護認定が取り消される。
結局、娘さん(筆者)が仕事をセーブしつつ、実家にちょこちょこ顔を出すことで折り合いをつけた模様ですが、その負担たるや想像に難くありません。
増してやフリーランスという立場上、仕事をしないということは収入がないということですから、本人の不安は大きかったはずです。
ちなみにこの石川さんはシングルマザーとのことで、連れ合いは頼れず、ご兄弟も難病のお兄さんが一人とのこと。大変に厳しい状況であったと思います。
最終的におじいさんは、自宅にて腎不全でおだやかに亡くなります。
娘さんは死に化粧から何から一通りを介護士らと共に行ったとのことでした。
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ということで、自宅で看取りを終えた石川氏のドキュメンタリーでした。
突然死ではなく、計画的に自宅で亡くなるというのが実は結構大変であることが良く分かりました。障壁がなんのかのとあるのです。
先の短い老父母のやりたいようにさせるか、介護する世代の都合にあわせるのか、或いは折衷させるのか、ご家庭によってケースバイケースでしょうが、本作では老父にあわせた形です。
親御さんやその他お世話する老年の親族がいらっしゃる場合は参考になる本だと思います。 -
Posted by ブクログ
身につまされて一気に読んだ。こんなに克明に読みやすく書かれた親の介護(最期)の本は読んだことがなかったので、とても勉強になった。
自分の思い通り、娘に見守られながら自宅で最後を迎えられたお父様はお幸せだったと思う。
それとは反対に、完全に矛盾しているのだが、両親が施設に入っていて、思っていたより制約があり(コロナのせいでもある)かわいそう、申し訳ないといつも思っているのだが、それはそれでまあ良かったのではないかとなんとなく思えた。
子供がいる場合は、助けが必要になった時、その親の暮らしはその子供による、と周囲を見ていても思う。
何歳まで生きるのか、どんな病気で死ぬのか、突然に死ぬのか、わからないことが多い。心構え、準備といっても限界がある。その時その時対処していくしかない。 -
Posted by ブクログ
もし親の看取りについて考えている方がいたら、ぜひこの本を読んでみてほしい。
住み慣れた家で最期を迎えることを、理想の死の形として扱われることが多いけれど、
映画や小説の様にそんなに上手くいくものではないだろう。
それなりの財産があり、訪問介護や在宅医療の専門医の豊富な都市部に住み、付き添える家族が身近にいる。
もしそれだけの好条件が揃ったとしても、痛みや苦しさに襲われている大切な人を24時間見守り続けなくてはならない恐怖は相当のものだ。
政府のうたう在宅医療の理想とはかけ離れた現実を前に、ジャーナリストである作者は途方に暮れてしまう。
冷静に現在の介護制度の盲点を指摘しつつも大切な父との別れの悲しみも胸を打つ。
天国に召されたお父様は、こんな娘さんを持って幸せな人生だったろうなと思うのでした。