渡辺京二のレビュー一覧
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「来山は生まれた咎で死ぬる也 それでうらみも何もかもなし」小西来山の辞世の句が紹介されている。
けれど、そう簡単に達観は出来ないだろう。
自己愛がどんどん強まる現代のみなさん。極まった自己愛の裏側には、本当はもうそういうのはやめにしたい、ひっそりしていたい、という気持ちもあるのではないか。ところが社会はとにかく前に出ろ、顕示しろと急きたてる。
著者は集団に対する二つの思いの兼ね合いがあってよいという。所属したい気持ちと離れたい気持ち。極端なナショナリズムを常時持っている必要もない。
決して手を抜けとか逃げろとか、そういう話ではない。もちろん楽しみを放棄するわけではない。
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近代以降の世界において、われわれはインターステートの体系に所属せざるをえない。近代において人権や生活水準の向上が進んだことは事実であって、そのことは絶対的に良い方向なのだが、代わって個人は否応なしにインターステート・システムに取り込まれてしまい、ヒトどうしや自然との交感を喪失し、自分の身近な生活空間を意識することができずに経済成長ばかりを追い求めることとなってしまっている。
講義録であって読みやすいが、内容は、煎じつめると歴史教養の紹介+上記の慨嘆というもの。瞠目する提言があるというのではないが、そういう賢しらげな態度で読むべき本ではないと思う。むしろ心の奥底で渡辺のいうことにいちいちうなずく -
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江戸時代後期から明治時代にかけての日本を訪れた西洋人の日本に関しての著作をもとに、当時の日本がどういう国であったのかを解き明かそうという意図の本。
まず、この本を書くのはほとんど信じられないくらいの労力が必要だったであろうことが分かる。当時の西洋人の日本に関する著作を読み解き、それをカテゴリー別に分類し(本書は14の章だてとなっている。1つは全体のまとめなので、13のカテゴリーに分けて書かれていると読める)、そこから当時の日本の様子を浮かび上がらせる、という構成の本になっている。書けば簡単に思えるかもしれないけれども、とんでもない力業だと思う。
書名が秀逸だ。当時の日本というのは「1回かぎりの -
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本書に含まれる「逆説としての明治十年戦争」についてだけコメントする。
渡辺京二の深い思考と、熱い情熱とを感じさせる読み応えのある論文。
そして、見事な文章。
今時、こうした文章を書ける人はいない。
タイトルにある「逆説」がキー•ワードだ。
「明治十年戦争」とは、西南の役のことだ。
歴史学では、それを、士族たちが自らの特権を守るために起こした「反動的反乱」と断定して怪しまない。
そこには、「逆説」も何もない。
明治十年戦争の「逆説」とは、「反動的反乱」という装いを纏いながらも、維新の「第二革命」であった、という認識を言う。
どう言うことかは、本論をじっくりと読む必要がある。
この見事な、示唆と -
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幕末から明治初期に来日した外国人の視線を通して、江戸時代後期に存在し、失われつつあった文明の姿を描こうという一冊。
欧米由来の「近代化」によって日本の精神世界が変質したこと、特に「ヒューマニズム=人間中心主義」の導入による変化を描く終盤はとりわけ興味深い。たとえば「東海道中膝栗毛」を例にとって、現代社会から見て江戸時代の人々の精神性が異質であることを示す部分など。
そこまで読み進めればかなり興味深いのだが、前半は「外国人が日本で驚いたこと」のまとめサイトみたいな記述が多くて退屈である。
著者は「失われた文明」と、ベースにある文化を区別して論じているというのだが、その区別は私には不分明に見える -
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読みごたえあり。
全部で600ページ近くあるし、理解するため砕きながら読むには少し難しい。
ただそういう吟味とは別に、江戸時代中後期から明治始めにかけて、日本人の生活や風俗,習俗はどうだったのか、またそれを当時日本に来ていた外国人にはどのように映っていたのかを知るところに焦点を当てれば、理解しやすいし、またとても面白い。
もちろん彼らにとって、長短どちらの面もあるようだが、概して非常に賛美していると感じた。
ただ、どちらかと言えば精神的にナイーブで、西洋人には少し劣った民族と映っていたように感じた。逆にそれが彼らにはとても新鮮で、忘れられた精神上の桃源郷のように思えたのかも知れない。
しかし -
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平凡社新書
渡辺京二 「近代の呪い」
近代を批判的に捉えた講演集。とても面白い見方だった。学校教育では こういう歴史の見方を伝えれば、歴史好きが増えるのに。
近代化=西洋化というシンプルな定義づけにはじまり、近代化により民衆社会の自主性が解体され、知識人が民衆を国民に改造したという論調。明治維新を見ると、その通りだと思う
近代化により、国民国家単位で争うシステム(インターステイトメントシステム)と 世界の人工化(地球は人間の便益のために存在)の呪いが 国民にかけられているとのこと
近代の呪いを解くための、著者の主張は、国家との関係より 他者との生活上の関係を重要とし、経済 -
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ネタバレ江戸時代後期に日本を訪れた外国人による、日本の庶民生活の見聞録。
長くて読みにくいけれど、拾い読みだけでも十分に楽しめた。
決して豊かとは言えないけど、最低限の衣食住に満ち足りた表情をしていた庶民。勤勉さ礼節は浸透しているが、仕事はほどほどに子どもから老人まで楽しんで生活をしている。またよく手入れされた自然と共存している生活の景色は美しい。
この本の中での証言を繋ぎ合わせると、この上ないユートピアに感じる。タイムスリップできるならこの時代に行って見てみたい。
確かに日本の庶民にも格差はあり、決してこのように満ち足りた生活を送れている集落だけではなかったと思う。それに、比較対象としての海 -
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あるレビューが頭から離れずにいた。
「長い上に読みにくい。訪日外国人の手記を集めて粉々に砕いて部分部分に埋め込んでしまっている」
それでも何とか読み切れたのは他でもない、外国人によるきめ細やかな記録のおかげだ。
彼らの観察眼はとにかく鋭い。着物の色から庶民が発した言葉まで、日本各地を旅した彼らの成果をまとめたら一冊見事なガイドブックが出来上がるのではないか。
当時の物・事を詳しく知りたいのなら第三者の記録をあたるのがやっぱり一番。お辞儀の仕方ですら、時代劇で見るのとは違うことが分かる。
レビューさんの仰る通り、確かに外国人の手記を集めただけのように見えて読みづらい。
ただ彼らの声を追うごと -
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グローバル・ヒストリーが密やかなブームらしいですが、これはその観点から書かれたもの(NHK スペシャル「戦国」でまさにこの時代が放映されました)。
1494年にスペインとポルトガルで結ばれた「トルデシリャス条約」はあまり知られていないのではないでしょうか。大航海時代、勢力を競い合っていた両国が、世界を2分して新領土の分割を取り決めたもの。これによって、日本はポルトガルの対象地域となりました。ローマ教皇は、布教することを前提にこれにお墨付きを与え、(ザビエルはスペイン人ですが)ポルトガル系のイエズス会が日本でも布教を開始。その後、宣教師から「布教をまず進めてから、その国を侵略する」ということを