渡辺京二のレビュー一覧
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亡くなられた時に、書店に置いてあり購入したが、今まで本棚のすみにしまわれていた。連休に取り出したらページが進み2日で読み終えた。今まで何度か取り出しては読み進めなかったのが不思議だ。
渡辺京二は石牟礼道子の「苦海浄土」の編集者として世に送り出し、「ゆきし世の面影」の作者ですが江戸の昔は決して悪い時代ではなかったと田畑は庭園のように美しかったと書いてます。庶民の暮らしも近所付き合いも温かだった。中学生のころ体罰は受けたが暴力は決してよくないが良き思い出だとしてます。最近のイジメにもちょっと精神が弱いのではないかとも言ってるような。
水俣闘争を戦った人ですが、決して体制に反駁してばかりの人で -
匿名
ネタバレ20年以上に渡り、知る人ぞ知る、というのには異様な存在感を放ち続ける大著。これを完成させた作業量には感嘆するし、著者の考察も鋭くかつ温かみがあり、これを世に出してくれたことには感謝の念があるのは確かだが、江戸期を喪われた文明としてセンチメンタルに解釈するのは、結論に至れなかった人の、放棄とまではいかなくとも他者、後世への委託であるし、オチの無い尻切れ蜻蛉な読後感が強いのは否めない。
江戸期の日本人が持っていた、高い幸福感や自然への同化能力は、メカニズムとして科学する時代になってきており、もはや19世紀の西洋人の記録を含め史料という紙を突き合わせるだけの従来の歴史学は水掛論の温床になるだけである -
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2005年、平凡社ライブラリー。
元は1995年から週刊エコノミストに連載されたもので著者は熊本在住、市井の研究者だという。
幕末明治の外国人による日本見聞記を邦訳、原著も含めて広く渉猟し、当時の日本人、とくに庶民の人と暮らしそして社会を描きだたもの。
良いことばかりではないことを意識しつつ、いかに平穏で美しく豊かな社会であったか。それは一つの文明であったとし、自身もその時代に生きたかったと。テーマに分け14章に描き出す。
章立ては次の通り。第1章ある文明の幻影、第2章陽気な人びと、第3章簡素とゆたかさ、第4章親和と礼節、第5章雑多と充溢、第6章労働と身体、第7章自由と身分、第8章裸体と性、 -
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ネタバレ-2008.06.03記
著者渡辺京二は、幕末から明治にかけ来日した多くの外国人たちが書き残した記録や文書、邦訳されているものだけでも130にも及ぶ夥しい資料を踏査、彼ら異邦人たちなればこそ語り得た、この国の姿、庶民たちの生活実相を、12の章立てで本書を構成、近代日本の夜明け前の風景が一大絵巻の如く眼前にひろがる感がある。
1. ある文明の幻影
-まずは本章の最後に置かれた著者の言を引く。
私の意図するのは古きよき日本の愛惜でもなければ、それへの追慕でもない。私の意図はただ、ひとつの滅んだ文明の諸相を追体験することにある。外国人のあるいは感激や錯覚で歪んでいるかもしれぬ記録を通 -
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幕末から明治末年までの間に日本を訪れた外国人による日本人への眼差し。ディスカバージャパンならぬディスカバージャパニーズ。彼らの見た「幸福な日本人」は我々と同じ民族なのか?違う民族なのか?著者は言います。「文化は滅びないし、ある民族の特性も滅びはしない。それはただ変容するだけだ。滅びるのは文明である。」同じ時期に海を渡った浮世絵やパリ万国博覧会に出品された超絶技巧の伝統工芸品はタイムカプセルのように150年の時を超え里帰り出来るモノとしての文化だけど、本書に記録されているのは二度と戻らないココロとしての文明なのでしょうか?ピサロに滅ぼされたインカ帝国は、実はスペイン人が持ち込んだ感染症によっての
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薄々感じではいたが、明治維新を経て日本は別物になった。日本近代は江戸という文明の滅亡の上に打ち立てられたのである。渡辺はその文明の諸相を追体験するために当時日本を訪れた異邦人の記録に頼った。それを読むと我々現代人も当時の異邦人と同じ視線で当時の日本を見ていることに気づく。
江戸後期の日本は私にとっても憧れの時代である。何より羨ましいのは「この国民は確かに満足しており幸福であるという印象」と言うことだ。西洋思想と産業革命が入って来る前の日本が、どれだけ完成された文明を持っていたか。そこには欧米列強の開国要求や西洋文化、近代思想の流入という避けられないものがあって、なるべくしてなったものである。 -
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江戸末期・明治初期の日本を訪れた西洋人が感じた「驚き」が、これでもかと紹介されている。日本人であるはずの自分だが、これを読むと、彼らと同じ目線で一緒に驚くことになってしまった。
「昔の日本ってこんな感じだよね」と漠然と考えているイメージ(たぶん、時代劇とかで作られたやつ)が吹き飛ぶ。当時の日本はこんなに不思議な国だったのだ。
逆にいうと、先祖代々続いていると思っていた「文明」が一度滅んでいたということ(少なくともそう言っていいほど「西洋化」してしまったこと)。そして、ほとんどの人が、そのことに気がついてさえいないこと。なによりも、それに驚く。
日本人ならこれは読むべき。 -
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著書は慎重に、しかし「独自の視点を持つ観察者がいて必ず観察され、その視点から言及することを逃れる術はない」というその言及に当たる事実を忘れることはない。
その目線がいかに親日的、優しいと言われようと、そう言われる土壌が、反応する培地があるはずとしてすくい上げた中に、日本人の持っていた心性と、結びついた生活感覚や生活器具、またそれらを取り巻く価値観とコスモス(エコシステム)があったと見る。
他者からの目を(この場合幕末、明治期に来日し記載を残した、外国人の記録物)、徹底的に事実(言及された本文)として取り上げ、それを多く並べ、培地を探る。その培地から上記のような日本人の心性〜コスモスまでを浮か -
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まず、大著であり読破するのは相当困難であると覚悟してください。あとがき、解説までで594ページ、活字のポイントも小さめで、相当に時間を要します。私はちょうど1週間かかりました。ですが、それだけの時間をかけて読む価値のある書籍であることは間違いないです。特に第一章がやや難解なので、なかなか読み進めないな、と思う方は第二章から読み始めてもよいと思います。具体的でわかりやすいです。
著者は『古き良き日本』を振り返る懐古の書として書かれたのかもしれませんが、これを読んで共感はしても、今さら便利な生活を捨てて江戸や幕末の生活にもどりたいと思う人はいないでしょう。それよりも私が印象的だったのは、ところど -
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読みたかった本ナンバーワンをようやく読むことができた。
10年もの連載なので長いといえば長いけど、
エピローグを読んで得心した。
とりわけ、
「アジア宣教は単に、北方プロテスタンティズムによるカトリック世界の縮小を補償するものではなかった。それは著しく後年の共産主義者の世界革命理念に似ている」
という一文に感動した。
ま、エピローグを読んで初めて全体というか、
渡辺氏の考え方が分かるというのも、
自分の拙さなのだが。
単行本にしたとき(2017年)86歳の渡辺氏。
今は90歳を迎えられたか。
肩の力を抜きつも、聡明な文章が私は好きだ。
文句なく星五つ。 -
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冒頭の章で、本書の資料として外交人の手記を用いることを通して、いわゆる左翼的知識人を批判しつつ、文化人類学の神髄とポストオリエンタリズムを説くあたり冴えている。
いわゆる「厚い」記述が続く。
第7章 自由と身分が面白い。抑圧されていた庶民のイメージが変わる。
第9章 女性の位相も考察が良い。この時代の女性の人間関係のダイナミズムを浮かび上がらせつつ、現代が短期的な地位の平板さに落ち込んでしまっていることに思いがいたった。
第10章 子どもの楽園は驚かされた。男が赤ん坊を抱いていた!とは。
第14章 心の垣根での本書のまとめ方は見事。
著者は時代は変わるということを前提としている。
しか -
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近代史の専門家である渡辺京二氏による、講演を本にまとめたもの。研究が深い。論旨も明確であり、学術的で説得力がある。特に、最初の「近代と国民国家」が参考となった。近代から現代にかけて、人類が何を追い求めてきたのか、国家とは何かを示している。面白い。
「(中国人留学生秋勤しゅうきん)秋勤さんは横浜で日本人兵士が日露戦争に出征する風景を見た。そして大変感激してこう書いているのです。「日本人はかように心を合わせ、軍人をこんなに貴んでいます。だから彼は戦に生命を投げうたずにいられましょうか。だから、みな死を恐れぬ心を持つようになり、自分たちがもし勝てなかったら、国に帰って人々にあわせる顔がないと思って