渡辺京二のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
半七捕物帳の時代の副読本として読む。
本書は江戸後期から明治初期に日本を訪れた外国人による日本訪問の記録を集めて、近代化以前の日本の面影を描写してみようという試みである。
この手の「日本」をテーマにし、良き点を書いた本は、どうしても左翼知識人からはオリエンタリズムに過ぎないと批判され、自国の文化を誇らしいと思いたい右翼に賞賛される。しかし、あくまで近代化によって消滅した文明を描くことで現代の参照にしたいという興味であって、それらの議論には興味がないという宣言をしている。第一章はこの立場表明に費やされている。
この第一章が難関で、今まで何度か断念していた。
あとは読みやすく、興味ある項目から拾い -
Posted by ブクログ
幕末から明治期に訪日した外国人たちの日本に関する記述から当時の日本・日本人を考察する一冊。
私自身は留学経験があり、個人旅行や出張で海外に滞在することも多く、意外とどこでも楽しく過ごせるんだけれど、それって個人の素質・向き不向きがあるんだと思う。どちらが良いとか悪いとかではなくて。慣れている場所以外では楽しめないっていう友達もいるし。
あと、その滞在国に合う合わないもある。ある国の国民全体で似た性質を分け合うなんてあるわけないと昔は思っていたけれど、これまでフランス、ベルギー、オランダ系の企業で働いてきて「国民性」ってあるんだなと実感している。私はラテン系の国のほうがなんとなく肌に合う。
昔 -
Posted by ブクログ
詩の定義とは何だろう。
手元の辞書には、「自然や人事について起こる感動などを圧縮した形で表現した文学。……」新選国語辞典、とある。
そして、よく悩んだのが長恨歌だ。
これは、お話ではないの? と、はじめは悩んだ。詩って、何だろう。まあ、定義にこだわる必要はないんだと思い直しもしたけれど。
それでも「詩的な」という表現は、なにやら、美しいものがあることを想起させられる。
的確で、簡潔でいて、美しく感じる文章、それを「詩」だと思う。
本書の中の、「鑑三に試問されて」を読んでいて、まさに、これは詩ではなかろうか、という思いにとらわれた。
一杯の粥によって始まる朝の穏やかな浄福に浸されるとき、人は -
Posted by ブクログ
渡辺京二さんが、熊本大学で講演されたものが新書となった作品である。
第1話 近代と国民国家――自立的民衆世界が消えた
第2話 西洋化としての近代――岡倉天心は正しかったか
第3話――フランス革命再考――近代の幕はあがったのか
第4話――近代のふたつの呪い――近代とは何だったのか
つけたり
大佛次郎のふたつの魂
私の大佛次郎/『ドレフェス事件』
『ブゥラウンジェ将軍の悲劇』/『パナマ事件』から
『パリ燃ゆ』へ
パリ・コミューン――民衆の共同世界という夢/保守
の情念の目覚め
進歩と伝統が共存する魂/大佛次郎作品の今日的意義
でした。
近代・近代化・フランス革命等々、今ま -
Posted by ブクログ
ネタバレ国民国家の成立以来、つまり近代化以来、
国民は自立性を喪っていっているとする論考など、
現代を見つめるために役立つ、
近代というものを教えてくれる本。
熊本大学での講義を書籍化したもので、
・近代と国民国家
・西洋化としての近代
・フランス革命再考
・近代のふたつの呪い
の4話と、
大佛次郎賞を受賞したときの講演
・大佛次郎のふたつの魂
の五つの章からなる新書です。
民衆と市民の違いとはなにか。
僕はEテレ「100分de名著」という番組の
ハンナ・アーレントの回で
解説の仲正昌樹さんが平易に説明してくれていたことで
その違いを知ったのですが、
本書ではそのあたりももう少し深く、
近代と結び -
Posted by ブクログ
隠者の風のある評論家がその生き様を語ったもの。著者は幼少期から京都、大連、熊本などを点々とし、老いて後、娘夫妻の家に身を寄せるまで借家ぐらしの流転の人生を歩みます。
心情的にどこにも属さない、あるいは故郷なるものを持たないそのマージナルな生きざまは、まさしく知識人の原点に沿ったものといえるでしょう。(サイードが"知識人とは何か"で語る知識人像をこの人が体現しているように思えます)
「成功」「出世」「自己実現」などくだらない、出世とは嫌々するもの、などシニカルな世界観が染みます。
○だいたい部長になるのとヒラのままでいるのと、給料にどれほどの違いがあるというのか。大し -
Posted by ブクログ
熊本大学での講演が中心で、そのため非常に読みやすい。もし講演を実際に聴いていたら、一生懸命メモをとっただろう。実は、まるで学生のように、本に線を引いて、簡単なレジメを作ってしまった。なんというか「お勉強心」が刺激される。
「近代」の両義性についての著者の考えが、かみ砕いて語られている。「近代化とは何か」というテーマは、決して議論されつくしたわけではないとあらためて感じた。自分がいかに無意識に、通説的な歴史観の枠組み内でものを考えているかということを痛感する。
アカデミズムとは距離を置いてきた著者ならではの、射程の長い考察で、もっと突っ込んだ話を聞きたくなる。もう八十歳をこえられたそうだが、 -
Posted by ブクログ
ネタバレおどろおどろしいタイトルではあるが、講演録なので内容は平易である。
近代とはどういう時代であったか?
それは市場経済が世界化することによって始まり、かつてない衣食住の向上(ゆたかさ)を人類にもたらした。
しかし、それが皮肉にも「ふたつの呪い」に転化していく。
一つ目。ゆたかさをインターステイトシステムのなかで維持していくためには、強力な国民国家(民族国家)づくりが必要だった。その結果、民衆世界の自立性は解体され、民衆は教育された「国民」として国家に拘束されていった。
二つ目。急激な経済成長と人間中心主義を前提とする近代科学は、自然を資源として収奪し、自然と切り離された生活世界の人工化=カプセル