渡辺京二のレビュー一覧
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読みごたえあり。
全部で600ページ近くあるし、理解するため砕きながら読むには少し難しい。
ただそういう吟味とは別に、江戸時代中後期から明治始めにかけて、日本人の生活や風俗,習俗はどうだったのか、またそれを当時日本に来ていた外国人にはどのように映っていたのかを知るところに焦点を当てれば、理解しやすいし、またとても面白い。
もちろん彼らにとって、長短どちらの面もあるようだが、概して非常に賛美していると感じた。
ただ、どちらかと言えば精神的にナイーブで、西洋人には少し劣った民族と映っていたように感じた。逆にそれが彼らにはとても新鮮で、忘れられた精神上の桃源郷のように思えたのかも知れない。
しかし昭和時代、田舎ではまだそのような風習が残っていた気がする。
もちろんITとテクノロジーが進歩した現在では、見る影もないが。 -
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平凡社新書
渡辺京二 「近代の呪い」
近代を批判的に捉えた講演集。とても面白い見方だった。学校教育では こういう歴史の見方を伝えれば、歴史好きが増えるのに。
近代化=西洋化というシンプルな定義づけにはじまり、近代化により民衆社会の自主性が解体され、知識人が民衆を国民に改造したという論調。明治維新を見ると、その通りだと思う
近代化により、国民国家単位で争うシステム(インターステイトメントシステム)と 世界の人工化(地球は人間の便益のために存在)の呪いが 国民にかけられているとのこと
近代の呪いを解くための、著者の主張は、国家との関係より 他者との生活上の関係を重要とし、経済成長がなければ この世は闇になるという感覚から自由になる道を模索することというもの
民衆社会の自主性
自分たちの生活領域こそ実体であり、下積みの民衆の理念〜自分たちで成り立たせる世界
知識人は、民衆を国民とするために改造する。過去を一切否定して、新しい人間にもとづく新しい社会を作ろうとする知識人の思い上がり
近代 がもたらした衣食住の豊かさが、インターステイトメントシステムと世界の人工化という呪いに転化した
世界経済がグローバル化するにつれて、自分が属する国民国家の地位が自分の生活に直結する〜グローバリズムは 国民国家を強化する
世界の人工化の根底には、地球は人間の便益のために存在するという感覚がある〜世界の人工化とは世界の無意味化でもある
経済成長がなければこの世は闇になるという感覚から自由になる道を模索する〜市場によって生活が振り回されない経済システムを構築する
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ネタバレ江戸時代後期に日本を訪れた外国人による、日本の庶民生活の見聞録。
長くて読みにくいけれど、拾い読みだけでも十分に楽しめた。
決して豊かとは言えないけど、最低限の衣食住に満ち足りた表情をしていた庶民。勤勉さ礼節は浸透しているが、仕事はほどほどに子どもから老人まで楽しんで生活をしている。またよく手入れされた自然と共存している生活の景色は美しい。
この本の中での証言を繋ぎ合わせると、この上ないユートピアに感じる。タイムスリップできるならこの時代に行って見てみたい。
確かに日本の庶民にも格差はあり、決してこのように満ち足りた生活を送れている集落だけではなかったと思う。それに、比較対象としての海外が、近代化に移行中という労働者階級にとって厳しい状況にあったということも当時の日本の生活をいいものとして捉えられた理由の一つだとも思う。
それでも、混乱のイメージがあった幕末にこのような庶民の生活が存在していたことに新鮮な驚きがあるし、「逝」っていまったとは言え、そのような性質をもった民族が祖先だと思うと少し嬉しくもある。
マニアックな本だけど、おすすめしたくなる。
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あるレビューが頭から離れずにいた。
「長い上に読みにくい。訪日外国人の手記を集めて粉々に砕いて部分部分に埋め込んでしまっている」
それでも何とか読み切れたのは他でもない、外国人によるきめ細やかな記録のおかげだ。
彼らの観察眼はとにかく鋭い。着物の色から庶民が発した言葉まで、日本各地を旅した彼らの成果をまとめたら一冊見事なガイドブックが出来上がるのではないか。
当時の物・事を詳しく知りたいのなら第三者の記録をあたるのがやっぱり一番。お辞儀の仕方ですら、時代劇で見るのとは違うことが分かる。
レビューさんの仰る通り、確かに外国人の手記を集めただけのように見えて読みづらい。
ただ彼らの声を追うごとに時代小説を読んでいる時よりも現代の日本とは別世界に思えてきたし、純粋に自分もその世界を旅してみたくなった。
基本的に錠が備え付けられていないという江戸期の家屋に、明け方彼らが堂々と入場してみたら家の者が快く迎えてくれた…というどちらがまともなのかが分からなくなる記述もあったりと、コミカルな一面もあったりする。
「人びとを隔てる心の垣根は低かった」
彼らの記録した日本人はよく笑い、伸び伸びとしていて好奇心も旺盛。当時の感覚では「他藩=外国・海外=別の惑星」だったとどこかで読んだ気がするが幕末に明治維新とピリついた時代だったにも拘らず、みんな心に余裕があって臆さずに(異星人に等しい)外国人をもてなしていた。攘夷だの佐幕だのと騒いでいたのは実質志士達だけだったのでは?とさえ思えてくる。
「エルフ・ランド(妖精の国)」「みんな幸せで満足そうに見える」「この国では、暇なときはみんな子供のように遊んで楽しむのだという」「ここには詩がある」
思わぬ日本人像で実際戸惑った。あの底抜けの優しさにはこちらも心地良くなったが、この頃の人間にはどうしても戻れない。片や現世での生き様も考えものだ。
どんな人間でありたいか。逝きし150年前の人達は考えもしなかっただろうな。 -
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グローバル・ヒストリーが密やかなブームらしいですが、これはその観点から書かれたもの(NHK スペシャル「戦国」でまさにこの時代が放映されました)。
1494年にスペインとポルトガルで結ばれた「トルデシリャス条約」はあまり知られていないのではないでしょうか。大航海時代、勢力を競い合っていた両国が、世界を2分して新領土の分割を取り決めたもの。これによって、日本はポルトガルの対象地域となりました。ローマ教皇は、布教することを前提にこれにお墨付きを与え、(ザビエルはスペイン人ですが)ポルトガル系のイエズス会が日本でも布教を開始。その後、宣教師から「布教をまず進めてから、その国を侵略する」ということを聞いた豊臣秀吉は、バテレン追放令を発布。ただ、その後も布教は続き(スペイン系フランシスコ会が参入してイエズス会と勢力争い)、徳川秀忠・家光の時代になって禁教令・鎖国となって弾圧が行われるまでが詳細に記述されています。
諸外国は、当時の日本の武力にはかなわないと見ていたそうで(家康もそう考えていた)、「侵略」までは考えていなかったのではないでしょうか。逆に、日本は欧州からすれば憧れの地であり、日本で殉教することが誉れであったと書かれています(日本で殉教を目指す宣教師もいた)。これを読むと、当時の状況では、「鎖国」も一つの選択肢であったかと思わされます。
じっくりと腰を落ち着かせて読むべき丹念にして重厚な一冊です。前回の「黒船前夜」に続いて、本書は著者86歳のもの。これだけ精緻に調べて書き上げるというのは大変なことと思いました。
因みに、本書には書かれていませんが、スペイン語が多い南米で、ブラジルだけが唯一ポルトガル語なのは、この「トルデシリャス条約」のため。両国の線引きでブラジルがポルトガル側に入ったためですが、「世界2分」とは凄いことを考えたものだと改めて思いました。 -
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詩の定義とは何だろう。
手元の辞書には、「自然や人事について起こる感動などを圧縮した形で表現した文学。……」新選国語辞典、とある。
そして、よく悩んだのが長恨歌だ。
これは、お話ではないの? と、はじめは悩んだ。詩って、何だろう。まあ、定義にこだわる必要はないんだと思い直しもしたけれど。
それでも「詩的な」という表現は、なにやら、美しいものがあることを想起させられる。
的確で、簡潔でいて、美しく感じる文章、それを「詩」だと思う。
本書の中の、「鑑三に試問されて」を読んでいて、まさに、これは詩ではなかろうか、という思いにとらわれた。
一杯の粥によって始まる朝の穏やかな浄福に浸されるとき、人は、俗世における野心や利害からつかの間超越しているのだ。欲念や憎悪や孤独からふっと解き放たれているのだ。街角でさして来る斜光を浴びて一瞬世界が変貌したり、空を圧する密雲の切れ目に一筋塗られたコバルトを見出したりするとき、現世を超越していま在るという思いは偽りではない。義しいか義しくないかも最早問題ではない。……以下略
このように表現している渡辺京二の内部には、詩の世界が広がっていなければ、評論を詩にすることはできない。端正な文体は、時に、評論や叙述で在ることを忘れさせ、詩に触れさせる。
丹念な職人の手仕事が、鍛錬されたスポーツマンの競技姿が芸術であるのと同様に、端正な文体もまた、詩という芸術になるのだろう。
山田風太郎の作品のあらすじを述べる中で、作中人物が強姦を働くような描写でも、下品にならないのはさすがだと思った。ただし、氏は女性が好きなんだろうなあ、というのは、全体を通してよく伝わってきたけれども。
さて、詩かどうかは印象の問題と芸術性の問題であって、内容は、明治についての評論集である。
浅学なわたしには、明治という時代が明確でない。通常の学校教育の範囲すら危うい。先年放送されていた「西郷どん」で時代の雰囲気を感じる程度でしかなく、その後の日本の近代化の軌跡となれば、さらに不明瞭だ。
そんなわけで、内容をどうこういえるはずもなく、そうか、とうなずくよりほかないわたしだから、内容とは別に面白いと感じたことを書きたい。
歴史学者の磯田氏は、司馬遼太郎を歴史小説の書き手として高く評価し、そうした書き手が増えていくことを願っている文章を以前読んだが、渡辺氏は、「第三章 旅順の城は落ちずとも」で、司馬遼太郎の歴史認識に大きく疑問を呈している。これまた、司馬遼太郎の多くも未読のわたしには「歴史認識」などという大それたものはないのだから、二人の立場を面白く思うのみだけれども。
歴史というのは、勝者が自由に改ざんできる歴史書と、どの立場か難しいジャーナリズムと、エンターテーメント性の高い小説やドラマ(映画)、今ではマンガなどで、人々の中に作り上げられるイメージの総体が大半だろうと思う。
そうした中で、氏が見つめたいのは、その合間に行き交う人々、夜空であれば、光る星々の間にある黒い隈に隠れた、地球まで光の届かない無数の星々なのだろう。
見えていないけれど、存在する星々は、自ら光り輝かなくとも、詩のような言葉を添えられて、つかの間、わたしたちに姿を垣間見せてくれる。 -
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渡辺京二さんが、熊本大学で講演されたものが新書となった作品である。
第1話 近代と国民国家――自立的民衆世界が消えた
第2話 西洋化としての近代――岡倉天心は正しかったか
第3話――フランス革命再考――近代の幕はあがったのか
第4話――近代のふたつの呪い――近代とは何だったのか
つけたり
大佛次郎のふたつの魂
私の大佛次郎/『ドレフェス事件』
『ブゥラウンジェ将軍の悲劇』/『パナマ事件』から
『パリ燃ゆ』へ
パリ・コミューン――民衆の共同世界という夢/保守
の情念の目覚め
進歩と伝統が共存する魂/大佛次郎作品の今日的意義
でした。
近代・近代化・フランス革命等々、今まで読んできたステレオタイプ的な情報蓄積がいかにスーパフィッシャルなものであったのか痛感させらた。
私の尊敬する佐伯啓思の言う「パースペクティブ」、自分自身の「視角と展望」をますます磨くためにも、先人の残してくれた「情報」をもっともっと深読みしなくてはと思いました。
大佛次郎さんが歳を重ねることにより考え方に変化が生じたと渡辺さんは指摘していたが、ひょいとウィトゲンシュタインの哲学のことを思い出しました(笑)。 -
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ネタバレ国民国家の成立以来、つまり近代化以来、
国民は自立性を喪っていっているとする論考など、
現代を見つめるために役立つ、
近代というものを教えてくれる本。
熊本大学での講義を書籍化したもので、
・近代と国民国家
・西洋化としての近代
・フランス革命再考
・近代のふたつの呪い
の4話と、
大佛次郎賞を受賞したときの講演
・大佛次郎のふたつの魂
の五つの章からなる新書です。
民衆と市民の違いとはなにか。
僕はEテレ「100分de名著」という番組の
ハンナ・アーレントの回で
解説の仲正昌樹さんが平易に説明してくれていたことで
その違いを知ったのですが、
本書ではそのあたりももう少し深く、
近代と結び付けて解説してくれいて、
このトピックについて何か読みたいところだったので、
渡りに船といった体で読むのを楽しみました。
要するに、
民衆とは、国家天下のことはどこ吹く風で、
自分の周囲の出来事にしか関心が無く、
そういった生活圏で楽しんで暮らす人々。
比べて市民とは、その国家の構成員であることを自覚していて、
政治について経済について、
いろいろ勉強したうえでコミットしていく種類の人たちをいいます。
昨今の文化人には「みんな、市民になろうぜ」
っていう種類の言説や思想が多いですよね。
良いか悪いかは、
本書について、その良し悪しについて解説があります。
なるほどなあと思いますよ。
どっちに傾くかにしても、
極端に100%針が振れるようなのは害悪になりますね。
近代の呪いのふたつの面についても、
端的に言ってしまえば、
ナショナリズム化していく構造的な面と、
人間中心主義ゆえに自然を消費するものとしてとらえてしまうがゆえに、
生まれてから死ぬまで人工的世界に浸ってしまう貧しさ、
もっと言えば、それは間違いなんじゃないかと著者は言ってますが、
そういった社会構造や心理の面に疑問を持とうと訴えています。
本書では、近代を考えていくことで、
そういった現代の病巣がみえていくかたちになっています。
フランス革命とはなんだったか、だとか、
近代化といえば人権・平等・自由の獲得だが、
そもそもそれは真実なのか、といった見ていき方があり、
つぶさにみていくことで、
さきほど書いたような、近代の呪いと結びつく。
滋味の感じる語り口の文章です。
それでいて論理的で非常に有機的な近代論になっています。
しっかりしていて興味深く教えられる好著だと思いました。
著者の代表作『逝きし世の面影』は名著として名高いようで、
ツイッターなんかでも、たまに良い評判を読むことがあります。
これはまだ未読なんですが、いつか読んでみたいですね。 -
Posted by ブクログ
隠者の風のある評論家がその生き様を語ったもの。著者は幼少期から京都、大連、熊本などを点々とし、老いて後、娘夫妻の家に身を寄せるまで借家ぐらしの流転の人生を歩みます。
心情的にどこにも属さない、あるいは故郷なるものを持たないそのマージナルな生きざまは、まさしく知識人の原点に沿ったものといえるでしょう。(サイードが"知識人とは何か"で語る知識人像をこの人が体現しているように思えます)
「成功」「出世」「自己実現」などくだらない、出世とは嫌々するもの、などシニカルな世界観が染みます。
○だいたい部長になるのとヒラのままでいるのと、給料にどれほどの違いがあるというのか。大したことはないでしょう。それよりも、組織に身を置く置かないにかかわらず、清潔な生き方を目指したほうがよほどいい。
○しかしながら、人間というのら元々肩書きのない存在だ。サルを見てみろ、サルに肩書きがついているか?職業人として肩書きにふさわしい仕事をすることも大事だけど、その一方で、肩書きのない自分が本当の自分であることを、いつも心の片隅に持っておいて欲しい。