アゴタ・クリストフのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ悪童日記では無敵の兄弟を、ふたりの証拠ではその真実の輪郭を、そして今作第三の嘘では残酷な現実を描く。
二作目の時点で一作目が虚構であることはほぼ明かされるのだけど、現実のどうしようもない孤独ややり場のない感情からの逃げ場として作られたことが分かる。「こうありたかった、あれたはずだ」という現実の欠落を埋めるための願望を物語として昇華し落とし込むことで、生きる糧、もしくは命綱としての「僕ら」を作り上げたんじゃないかと想像できる。
また、一作目の徹底して感情を排した文章表現は三部作を読み終えてからだと見え方が一変する。「感情を排す」と言うのは技巧的な選択ではなく、現実で彼が持つ感情が暗く冷ややかなものと肉親への愛憎しかなかったために、そもそも豊かな感情を文章して表す術を持たなかったのではないかなと。そう考えるとあの一作目の文章の裏にある彼自身の極限さや窮地にある想いが垣間見えて非常に苦しい文章に様変わりする。
この三部作は、結局のところ「決別」の物語だったのだと感じる。虚構との決別、祖国との決別、追い求め続け愛憎の果てに拒絶し、拒絶された兄弟との決別。そして現実との決別。
浮かぶ情景は灰色で、終始寂しさが空気を支配する作品だった。 -
Posted by ブクログ
悪童日記から続く物語の最後となる3作目。2作目と異なり、語り口は一人称視点に戻るが、「私」は明確に2人となり、描かれる年齢や時代も悪童日記から大きく変わる。
その変化のせいだろうか、社会の残酷さや生きることの難しさ、悲哀という根底にある空気感は変わらないものの、悪童日記とは異なる読後感であった。
悪童日記の「ぼくら」は戦中・戦後真っ只中を生きており、生々しい戦禍の生活や雰囲気も相まって、癒えていない傷口を直視しているような、グロテスクとさえ思える不気味さを覚えていた。
一方、本作で語られるのは、あくまで悲哀に満ちた「過去」である。悲哀に満ちた、残酷な物語であっても、どこかふさがった傷口の中にある物語のようで、生々しい不気味さは感じなくなった。
代わりに増したのが「諦観」や「郷愁」といったどこか切ない感情の印象である。語られる「過去」の出来事が、現在のあり方を決定づけてしまったことを見せつけられる、それを「私」がどのような形をもって受け入れるのか、それを描いているように思えた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ三部作の最後ということだけれども、先の二作と比べたとき、双子の関係性が一番不幸で、悲しくなった。
一、二作目の『悪童日記』と『二人の証拠』では、リュカとクラウスという双子の兄弟を巡って、全く違った物語が語られつつも、二人の関係は、一心同体のものとして描かれていた。『悪童日記』の二人は、理不尽な生活の中にあって、協力し合いながら、強かに生きていたからこそ、最後、国境を隔てて別れるシーンに感動があった。『二人の証拠』では、双子の二人が、実は同一人物であることが仄めかされて、クラウス=リュカにとって、双子の兄弟の物語は、妄想であるからこそ、理想的な兄弟だった。
だからこそ、二人の関係が、修復しがたい溝として描かれる『第三の嘘』は、とても悲しい。
兄弟のリュカは、戦時中、母親が起こした銃乱射事件によって重症を負い、離れ離れで暮らすことになる。一方、双子の片割れであるクラウスは、その後も母親と共に暮らしながらも、当の母親は、兄弟のリュカを愛しており、クラウスに対して辛くあたる。数十年の時を経て、リュカは、家に帰ってくるが、クラウスは、彼が母親と会うことを拒み、追い返してしまう。
作中クラウスは、自分が書く物語について、「私はすべてを美化し、物事を実際にあったとおりにではなく、こうあってほしかったという自分の思いにしたがって描くのだ」と語っている。『悪童日記』と『二人の証拠』に描かれた双子は、まさしくその通りに理想的なものとして描かれる。しかし、『第三の嘘』は、そうなっていない。もしこれも「こうあってほしかったという自分の思いにしたがって」書かれたのであれば、悲しいように思う。