伊勢崎賢治のレビュー一覧
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読み終わった後、暫くの間は考え事が止まずに何を書けば良いか判らなかった。本書テーマとしてはタイトルの通り「戦争はどうすれば終わるか」について、「自衛隊を活かす会」を中心に、それを主催する元官僚の方や国際政治学者、防衛研究所に居たメンバーが、彼らの考え方を述べるものとなっている。小泉政権時代に自衛隊の海外派遣から撤収までを支えたメンバーや、大学で教鞭を執られる方々で会は編成されている。時は丁度、ウクライナとロシアの戦争が開戦から時間も経過し、ウクライナによる大規模抗戦が始まったものの、戦線が膠着し始めた頃に書かれている。そしてイスラエルによるガザ侵攻も開始された。それら近年2つの戦争は2026年
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ネタバレ田原総一朗・井上達夫・伊勢崎賢治
鼎談という形で憲法改正がなぜ必要かを明らかにする。
まず、本書の立場。
ーーー9条は全面的に日本の戦力保持を禁止しており、
そのため自衛隊は軍隊ではないことになっている。
それゆえ、自衛隊が当然備えているべき法的整備がされていない。
自衛隊の戦闘行為を支える法律・自衛隊を正しく律する法律両方が不備であり、国際的に見ると違法な集団である。
現行では、自衛隊の戦力行使は自衛官の自己責任になってしまう。
だから、日本は全然使えない戦力を持つ軍事大国である。
このような、いびつな事態を正すため9条は削除か改正しなくてはいけない。
だいたい こんなところか。正確な記述で -
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政治が分からない…とよく思う。それは政治の本質「決めにくいことを決める」ことに由来するのかもしれない。誰が言っていることも、もっともに聞こえる。真実は1つでも、立ち位置が変われば見えるものも変わる。
安保法案もそう。著者の指摘するとおり、集団的自衛権を認めなくても非常事態への対応はできるのかもしれない。その一方で、安保法案が通ったことで韓国や中国に対して外交的な交渉力が上がったようにも見える(認識が間違っているのかもしれないが)。
判断が難しい問題の中で、著者の指摘がもっともだなと感じた点が2つある。
1つはテロ対策。国家対国家の紛争は個別的自衛権、集団的自衛権、国連的措置という「力」 -
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2015年9月17日。本日まさに安保法案が採決されようとしている。国会議事堂の前では4万5千人もの人がプラカードやペンライトを手に強行採決反対のデモを行なっている。こんなにも国民の理解が得られていないのに、この集団的自衛権行使を含む戦争参加の法案が通ってしまうのだろうか。
著者の伊勢崎氏は国連職員として世界各地の紛争地で、武装解除や紛争処理の任務にあたってきた実務者なので、その主張には説得力がある。
もともと日本は個別的自衛権と国連決議を伴う国連平和維持軍(PKO)参加の権利は持っていて、自国を守るにはそれで充分なのだ。憲法9条に縛られている日本。しかしその9条が日本の盾となり槍にもなっ -
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粛々と忍び寄る相手に、
どう向き合えばいいのか。
みんな、戦いたい?と、聞きたい。
防衛費が嵩めば、
どこかを削らないといけないよ。
武器を作って、
世界中に売って儲けますか。
対テロって名目で。
持てば、使いたくなるよ。
アメリカが原子爆弾を使ったように。
戦争を終わらせるためには
仕方がなかった、という名目で。
武装しないと生きていけないと
思い込み、辛かった。
人間って、そんな愚かな生き物なのかと。
だから、このひとの本を読んで、
少し安心したんだ。
このひとは、傷みを知ってる。
そして、いちばん難しく、いちばん尊い
働きをしようと言ってる。
簡単でないことくらいわかる。
裏切りや憎 -
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ネタバレ紛争、戦争等暴力が存在するということに関して、あまりに理想論に傾いた非暴力の論理を振りかざしがちな日本のマスコミ、教育(の一部)への違和感を、実体験に基づきすっきりと表現してくれる作品。
一方で、そのカウンターパートとしての政治のあり方、説明についても、あまりにその場しのぎの状況についても、苦言を呈している。
この状況にあっては「憲法を現実に近づける作業にどこまで意味があるのか」と筆者は考える。
「現在の政治状況、日本の外交能力、大本営化したジャーナリズムをはじめ日本全体としての『軍の平和利用能力』を観た場合、憲法特に第九条には、愚かな政治判断へのブレーキの機能を期待するしかないのではないか。 -
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この本を読んで得たものとして一番最初に挙げられるのは、"必ずしも平和は正義によってもたらされるのではない"ということである。
僕が平和構築に興味を持った理由のひとつは、紛争によって苦しんでいる一般の人々を、自分とは関係のない遠い国の出来事として関わることを放棄しては、決していけないことなのではないかという考えを持っていることである。これが一種の"正義感"であることは否定しないし、自分自身もそう信じているのだが、将来このような活動を行うとして、一体そこに自分自身の確固たる意思があるのかどうかを、もう一度考えなければならないと感じた。
自分も単に垂れ流し