少年アヤさんのことは、Instagramで知った。
いつも、可愛いレトロな雑貨やおもちゃの写真をUPしている、文章を書く人。という認識で、一年くらい前からフォローしていたけれど、著作を読んだのはこれが初めてだ。
読み始めたら、通勤電車内でも(7分くらいしか乗らないから自転車で行く日が多いのに、これ
...続きを読むが読みたいから敢えて地下鉄に乗った)、乗り換えで歩く間も、隙を見ては一行でも読みたくて、三日ほどで読み終えた。(丸一日休みがあれば多分一日で読んでしまっていたと思う)。
そういう本は、スティーブン・ミルハウザーの「エドウィン・マルハウス」以来。つまり、めちゃくちゃ面白かったのだ。
日記のような、サラサラと読める優しい文章を読んで行くと、たまにグッと胸ぐらを掴まれるような瞬間があり、たまに爆笑したり、憤ったり。
本の中のアヤさんはよくポロポロと涙を流すのだけれど、読んでいる方も何度か泣いた。
「まゆちんは最高だ。そしてかけがえのない、ぼくの親友のひとりだ。しかし、こんなにも最高なまゆちんと、なぜ10年も連絡をとっていなかったというと、それはぼくがぼくであるからだ。そしてゲイだからだ。」
読み始めて13ページ、そこからアヤさんが、
(よい人生、ぼくをくるむ!)
と感じられるまでの物語。
ただ誰かを好きになっていくだけなのに、その道をまっすぐに進むことが難しい世界にいるアヤさん。
「くそマジョリティ」の中に居る、自分も含めた人々。
ただ、ただ、しあわせに生きるということが、こんなにも困難であるという現実のなかにあって、たくさん泣いて傷付いて、ときに自暴自棄にもなりながらも、大好きなひと(パートナーはもちろん、親友や家族。アヤさんも書いていたが、アヤさんの家族、友人はすごくかわいい)に囲まれている。その中でアヤさんは気付いていく。
「恵まれている、という痛みに近い感情」に。
終盤、このあたり読んでいて地下鉄でポロポロ泣いた。
「こうはいかない、おそらく大多数の人生を思わずにいられなかった。」
そう、この視点が端々にあって、そこが胸を痛く打つ。
強くじゃなく、痛く。
子育て中のママ、ひなことみずみのこと。
会社でヒールを履いて脚がぼろぼろになったまゆちんのこと。
自分ごとのように思い、泣くアヤさん。
強さは優しさあってこそなんだよなと、改めて思うけど、そもそも弱いままで良いと、そのままで良いよという世界に生きたいし、そうなるようにしていきたいと思った。