三浦哲郎のレビュー一覧
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宝石のような短篇を百篇綴り、壮麗なモザイクに組上げる、著者独創の連作シリーズ第一巻。――文庫裏より
大学の授業でこの本を取り上げるというので、授業中に二篇読んだところ、その上手さにしみじみ感動した一冊。
その授業とは、生徒がそれぞれ文章を書いてきて、授業中に読みあうというものである。当然素人の作品が研ぎ澄まされた文章であるはずがなく(でも一人だけ、きらっとしたものを感じる人がいました)、少々「授業だから」と読んでいるようなところがあった。
そのあとにこの本である。比べ物にならない。というか、比べてはならない。そのあまりの実力差に、私はむしろ感動してしまった。
私の感想を書くより、この文庫は文庫裏の紹介文がとても素晴らしいので、そちらを見て興味を持った方は、せひ本を手に取ってみてください――と言いたいところ。
おそらく原稿用紙十枚そこそこであろう短編が収められた作品集。しかしその十枚に描かれる風情が、なんともいい。端正にして丹精。素人とはいわずものがな、最近の並み居る作家の文章と比べても、精度が違う、と思った。しみじみ一篇一篇噛み締めながら読んだ本であった。
中でも最初と最後の二篇は絶妙。
『青函連絡船から海峡へ花束を投じる男に、見知らぬ女の視線がからむ表題作。四十近くなった娘が幻の父と対面する、その一瞬の情愛がせつない川端賞受賞作「じねんじょ」』――と、これも文庫裏からの引用である。
ときどき、この文庫裏の紹介がとても上手い文庫があるけれど、これは一体誰が書いているのだろう? やっぱり作者が書いているのかなぁ。 -
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さて、これを「小説」とカテゴライズしたが、果たしてふさわしかったか。
昨年夏に急逝するまで「群像」に連載されていた、痛風の痛みに悩む老いた夫とその妻のやり取りを書いた表題作(無論未完)と、表題作のヒントにしたと思われるメモ「老いてゆく自分に好奇心を。」、「文学的自叙伝」はその名の通り著者の半生記で、こちらは40年ほど前に書かれたもの、著者が師事した井伏鱒二について書かれた3編「亡き師を偲びつつ」「好悪をこえるもの」「鱒二論語のことなど」(いずれも20年から10年ほど前の、おそらく井伏氏の文庫作品に寄せた解説と思われる)、合計6編が収録されている。
恥ずかしながら三浦氏の本は初めて読んだのだが、最後の私小説家と呼ばれるほど(三浦氏は、その表現を良しとしなかったようだが)、彼の書くものは自伝的要素が多いらしい。
何と表現するのがふさわしいか、自分の語彙の乏しさに哀しくなるが、近頃の新進作家たちとは趣の全く異なる味わい深い文章が何ともいえず心地よく、新鮮な感動を覚えた。
特に「文学的自叙伝」が素晴らしく、全文を書き写したい衝動に駆られたほど。しばらく三浦作品を読み漁ってしまいそうだ。
著者が師事した井伏鱒二、影響を受けたと言われた太宰、上林暁など、ほんの数作しか読んだことがなかったが、これを機に手にしてみよう。
村次郎氏の四行詩もすごく気になる。
ところで「文学的自叙伝」の中で触れられている、大学を中退して郷里で教師をしていた時、教え子が三浦氏の書いた手本作文をそのままコンクールに出して入賞してしまったその作品、もう見つけることは出来ないのでしょうか。
実は三浦氏のデビュー前の作品だったとわかったら、価値が出たに違いないのに。もう氏の新しい作品は読めませんからね。 -
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劇団四季の舞台を見たのは小学生の頃だった。奇しくも本屋で手に取ったのは三浦哲郎氏の追悼記念フェアで、『ユタと不思議な仲間たち』の文字を見て、この作品は彼のだったのかと初めて知った。あの舞台を見て演劇をやりたいと思い、声楽を深めていきたいと思った私にとっては心に残る作品の一つである。
児童小説によくある不思議なものとの出会い、私は今でもこの類の児童小説が好きだ。しかし、一つ苦手なものがある。どの小説にも必ず別れがあるのだ。あれがどうも好きになれない。しかしながら、この『ユタと不思議な仲間たち』の別れはあっさりと後味が良いものになっている。物語りも小気味良く淡々と進んでいくのがとても印象が良い。
私もいつかは出会うと思っていた、まだ出会ってはいないが、いつかきっと出会うことを信じている。きっと出会えるはずであることを、この物語がまた思い出させてくれた。 -
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私の通った高校の国語には、「課題図書」とよばれる制度があり、3年間の在校中に100冊を読み切るというものがありました。しかも、読んだ本の内容は中間・期末の試験で問題にでるのだから、読まないなんて点数を捨てる無謀な行為だと思われたのです。
そんな強制力の働く読書が楽しかったどうかはべつにしても、100冊の中で出会えてよかったなと呼べる本がありました。この『白夜を旅する人々』が高校時代の中でも一番強烈な印象を残している傑作なのです。
物語は昭和初期の東北。ある一家の兄弟が先天的にかかえる身体的障害から差別に苦しみながらも生きていこうとする著者自身の家族を題材にした魂の告白とも言える物語です。
家族という概念が一人一人のその構成員に与える影響、そして同じ血を分けた兄姉が自らの意志で目の前からいなくなっていく様子(失踪、自殺)が克明に語られていきます。消えていった者の心のありさま、残された側に重くのしかかる罪の意識。そうした人間のこころが引き起こす連鎖的な反応がいたいほどに伝わってきます。
昨今の日本人家族が抱える問題が既にこの昭和初期の東北の片田舎と相通ずるものがあるのは、何も家族内の虐待や対立が時代や社会の変化から生じるのではなく、あくまで人間の弱さや感情を表現することの難しさに求められることを明らかにしてくれます。
本の厚さに驚かれると思いまし、片手で読むにはつらい重さです。その分内容も重たいのですが、読み終わるのは早いと思います。「はまる」本です。 -
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三浦哲郎の『おらんだ帽子』は単行本が昭和52年に新潮社から出ているが、この講談社文芸文庫版(1993年刊)とは収録作が若干異なっている。今回、以前読んだ単行本には収録されていなかった「影」と「かりがね通信」の2作を読んだ。
「影」は幼い娘とふたりでデパートに行く話。こどもが父親を慕う心が、何気ないことばやしぐさに現れる。
「かりがね通信」は九十をすぎて病院で寝起きするようになった母親の話。死期が近づく母は、先立たれた息子や娘のことが夢うつつに浮かんでくるらしい。
二つとも、親子の血のつながりということをじっとかんがえさせるような短篇であった。 -
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「忍ぶ川」は三浦哲郎の出世作であり、1960年に芥川賞を受けた。私小説は形を変容させつつ21世紀の現代も日本の文学界にしぶとく生き残っているが、昭和中期頃まではそれが文学の「主流」とみなされていた。青森県八戸に生まれた三浦も、妻との出会いや兄弟姉妹の不幸な死と失踪を題材に、保守本流の「私小説」で作家デビューを果たしたと言ってよい。
新潮文庫で昭和40年以来現在も版を重ねているこの本は、芥川賞受賞前後の初期作品7作を集めている。後年「短篇の名手」と呼ばれるようになってからは、文庫本にして20ページ前後のコンパクトな作品が増えるが、このころはまだ中編ともいえる長さのものが多い(ただし作家として安定した地位を得てからは長編作品も多く書いている)。
私小説の魅力は、ある種のワンパターンと、自己の恥をこっそりと読者に晒すことから生まれる一体感のようなものだと思うが、三浦作品もまたその基本を外さない。「忍ぶ川」続編ともいうべき1961年の「初夜」では、妻である志乃の懐妊までが抒情的に語られるが、その前に二人の合意のもと成された中絶についても赤裸々に告白される。現代の読者はこの夫婦のわがままに違和感を抱かざるを得ない。自分もまたこのことが私小説に名を借りたフィクションであることを願う者だが、どちらにせよこの堕胎とそのあと二人におとずれる「幸福」とのギャップが、この作品の核となる。そのように読むのが妥当だろう。
「恥の譜」では父の死がテーマとなる。ここで描かれる死の風景、リアリズムに徹した看取りの図は、読む者に強い印象と感動を与える。これまで「恥」として感知されていた家族の死が、「私」にとって初めて人間的で尊厳のある「死」として意識される。父の死は作者にとって姉や兄の死と同等の文学的な意味を持っている。
「驢馬」は「忍ぶ川」より先、1957年に初稿が書かれた。この本の収録作中で唯一、家族以外の人間―張永春という戦時中の満州出身の中国人―が主人公となっている。三浦が自身の文学を模索している若い時期に、この作品を書いたことはもっと評価されるべきだ。この文庫の解説を担当した文芸評論家の奥野健男は当時そのことに気づいていない。日本という国家の中で生きる外国人というテーマは、今こそ再読される時だろう。
最後に蛇足だが、「忍ぶ川」は「しのぶかわ」ではなく「しのぶがわ」と読むことを、今回この文庫の奥付を見て初めて知った。志乃が勤める料亭の名前だから、濁って読む方がしっくりくるが、固有名詞としてではなく象徴としての「川」と考えるなら、「かわ」と濁点なしで読むのも間違いではない。おそらく作者はダブルミーニングとしてタイトルを付けたのだろう。 -
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「忍ぶ川」に続いて「初夜」「帰郷」「団欒」「恥の譜」「幻燈畫集」と短編が続き、最後それらとは別の話「驢馬」が収録されている。
この小説は作者の体験に基づいた私小説らしい。料亭で働いていた志乃という女に惚れて結婚した主人公。その馴れ初めから物語は始まる。「初夜」では主人公の兄弟姉妹が自殺や失踪を遂げていことが明かされ、その家族の血を引き継いでしまっていることを悩む主人公は志乃に子供は作りたくないと言う。そこに主人公の父が危篤となり父の死を目の当たりにしてそれをきっかけに子供を作ろうという話。「帰郷」は大学卒業後主人公は作家として活動するもの全く売れず妻が内職でアイスクリーム容器を作りそれで生活している話。妻の収入で生活しなければならないことにプライドが傷つけられるがそれしか生きる道がないことに気づいている主人公の葛藤が描かれている。「団欒」ではサラリーマン夫婦が郊外にアパートを見つけるところから始まる。そのアパートは壁がベニヤ板で音がダダ漏れ状態だがそんな環境でも受け入れないといけない状況。子供の誕生日に銭湯に出かけた時、子供と走っている時主人公が転けてしまい子供に怪我をさせてしまう。その際の主人公を見る妻の目がとても冷淡なのが印象的。「恥の譜」は主人公の父が脳軟化症で危篤となりその父を看病するために故郷へと帰る話。主人公にとって死と死体に間はないもので(姉妹が自殺しているから)父が病気により徐々に死に向かっている様を見て死に対する考えが変わる。「幻燈畫集」は主人公の幼少期の話。姉の死が自殺であったことを家族に秘密にされており、同級生から聞かされるのは辛い。そういうのがあって大人に対して不信を抱いていく主人公が描かれている。「驢馬」は戦時中に満州から日本に留学してきた満人の話。彼は心が綺麗すぎて同級生にいいように扱われており、逆に同じ留学生の戦は校長やその犬、同級生たちの考えを機敏に感じ取り立ち振る舞うことで処世していく対比が面白い。
志乃のような女性ってかっこいいよね。素直だし男性を立てるし誠実だし。