三浦哲郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレなんともまぁ読むのが大変な小説であった
小説初心者には600ページが長い1日100ページのペースで6日かけて読んだ
内容は21歳の姉である比佐と17歳の弟砂男の姉弟の周りで起きた騒動のまぁなんというか生きるのって難しいよねという人間の話や投資詐欺の話だ
私は最初姉弟の話としていいですよと言われて確かに比佐と砂男は確かにめちゃくちゃ交流あるのだが二人がだいぶ訛りがあったのと文章が固くて読みずらい小説であり1996年の小説のはずだがもっと古い小説のように感じるし平成というより昭和の話と言った方が納得できるなという感じだったのだが作者の三浦哲郎が1936年(昭和6年)生まれと書かれていた事実に納得するしかなかった
そして弟から姉への愛はあるが姉から弟へは姉弟愛しかない感じで姉は他の男とも絡むシーンもあるし弟は弟で従姉妹の鳥子を善意で守っているのにそれで鳥子に恋愛的にアプローチされるのがきついし鳥子の社員からの性的被害もだいぶ私にはきつく最後の最後に砂男が殺人を犯してしまったのはもう逆に楽しくなった。
姉弟が結ばれる運命はこの世界では無理だ。ファンタジーもない現実世界で姉弟がずっと一緒に居られる。
それは砂男が犯した鳥子を守るための殺しによる比佐と砂男の入水自殺だった。
そこでようやく比佐が砂男を選んだ。私が求めていた姉弟の小説としてオチは最高だった
一緒に生きていけないなら死ぬしかない
そこでようやく姉弟の二人だけの世界という私が求めていた世間を全て捨てて二人だけになるというオチにようやく私は600ページを読んだ価値があったと感じた。正直550ページは2人が心中という美しいオチにたどり着くまでの現実はこんなにも辛いという話に過ぎなかった。だから私は読むのが遅かったんだと思う
姉弟の話と聞いていたのに姉弟要素が思った方向性じゃなかったからだ
でもオチで全部許した。この2人にとって死は救済になったのだ
物語で死は救済という感覚私は好きである。リアルの世界だったらなんとも言えないのだが物語ならありだと思う。
暗くて現実は辛くて周りに翻弄されて結局姉弟は2人一緒を選んだ小説であった -
Posted by ブクログ
芥川賞
たまには過去の名作というものを読んでみようと手に取る。
東北の裕福な呉服屋の六人兄弟の末子である作者だが、姉二人は自殺、兄二人は失踪、残された姉は弱視という凄まじい家庭環境。その血に怯える心情を描く私小説を中心とした中短編集。
売れない小説を書いているだけで、働こうともしない夫に文句も言わず、義父の最期も献身的に看取る、遊郭街で育った妻のまっすぐな人柄が驚きだった。
ふだん読み慣れているような現代の小説とはかなり異なった時代設定であり文章。大作家の初期の作品ということだが、文学を読んだという充実感はあるが、正直良さのわからないところもあった。 -
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三浦哲郎 「 白夜を旅する人々 」
どのシーンも「白さ」「静寂さ」が印象に残る。風景の色彩や人物の躍動感を排除することで、生きることの厳しさや人間の内面の悲しみにスポットをあてたいのかもしれない
私小説だけに、著者が小説を書く原点や決意を 綴った本だと思う。小説を書くことで、医者に治せない病気や遺伝への不安、自殺した家族の虚無感を 取り除き、自分や家族の生きる力を取り戻す というメッセージを感じる
タイトル「白夜を旅する」は 「白くて静かな世界〜生と死の境界のない静寂の世界〜を生きていく」ということであり、死んだ家族と一緒に、その世界で生きていく
ということだと思う
著者の芸術観や人生観を示す言葉がセリフに現れている
*平凡なのが、いっとう自然
*人は死ぬときにならないと、自分がしあわせだったか〜わからないものだ
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Posted by ブクログ
ネタバレユタという少年と座敷童子たちの短い日々を語った小説だった。
都会から田舎へと下ってきたユタは村の人々となかなか馴染めずにいる。座敷童子たちは過去にとらわれ今を生きることができず、この時代に馴染めずにいる。この共通点が短いながらも彼らが仲間であるために必要だったことなのだろう。しかしユタは人間であり、変わっていく。座敷童子たちの協力もあり少しずつ村の子どもへと変貌を遂げていくのである。が、座敷童子たちにはそのように変化ができない。それは彼らが人間ではないからだろう。そうして変わっていくユタを見送りながら、馴染めない彼らはきっとこの先も様々な場所を転々としていくことだろう、というところまで考えて少し悲しくなった。成長や変化は人間という生きた者にだけ許されることであり、過去や古い者は淘汰される。それを改めて感じた。しかし、それらは今を生きる者に何かしらを遺すことができる。ユタは座敷童子たちとの短い日々で、きっと多くのことを学んだことだろう。 -
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不倫の話なんだが、読んでて深みにはまっていく当事者たちの気持ちが手に取るようにわかる。
割と男目線なので、わからない部分もあるが、なんともなしに男ってーのはこういて不倫の深みにはまるのか。
と、何気に思う興味深い一冊です。
そして、あんまり登場しないのですが、この不倫した男の妻。
この妻が私的に密かに恐ろしいものがある。と、思わずにはいられません。
いや、別に脅すとか暴れるとか全くない。笑顔であなた。と、言い続け、あなたの生きやすいよあに後ろに控える姿はなんとも慎ましいのだけど、だけど、だけど、ラストに笑顔で、不倫。知ってました。と。。。。。
ね、なんか怖いでしょ。 -
Posted by ブクログ
勇太(ユタ)は父を事故で亡くし、母と二人東北の山間の村に越してきました。
彼は東京もんとしてなかなか受け入れて貰えず、寂しい日々を送っていました。
そんな時仲良しの釜焚きの寅吉爺さんから、座敷童の話を聞き母の働く宿の一室に一人で泊まる事にしました。
すると座敷童のペドロ達が現れ、彼を仲間として受け入れてくれました。彼はそれから度々座敷童達と時間を共にし、彼らがどうして座敷童になったのかを知ります。
座敷童達は皆、村の凶作の時に口減らしとして行われていた「間引き」で命を奪われた子供達だったのです。
彼らは優しく、時に厳しくユタと接し、座敷童達の境遇や想いに触れたユタは次第に自分を鍛え、村の子どもたちに受け入れられて行くのでした。
そんな時にユタと座敷童たちにある事件が・・・・。
ペドロはじめ座敷童の面々は、生きたくても生きられず、成仏したくとも成仏も出来ず、人を恨むでも無くただただ身を寄せ合って暮らしています。いつまで果てるともしれない時間の中を。
言葉の端々に彼らのやるせなさが滲み出ます、俺が人間だったらなあ・・・、母ちゃんただいまって言いたいなあ・・・、お盆にやってくる霊たちにこんな姿見られたくないから隠れてるんだ・・・。
あー駄目だ書いているだけで泣けてきてしまう。
一言だけ言えることは、もっともっと彼らと一緒の時間を過ごしたかったです。3倍くらいのボリュームが有ってもよかったくらいです。これ子供の頃に読みたかったです。結構寂しい子供だった自覚は有るのでこの本読んでいたらきっと座敷童に会いたくて古い家に泊まりに行ってたと思います。 -
Posted by ブクログ
『名作文学に見る「家」』という本を読んでいる。 小説の舞台となる家を記述から想像して絵に描き起こすという内容だ。その中に『ユタと不思議な仲間たち』が紹介されていたので、興味をもった。
夜中の1時から読んで3時には読み終わってしまった。
都会から家庭の事情で田舎に転校してきた小六生の勇太(ユタ)は、友達がなかなかできない。村の爺さんに、じゃあ、座敷わらしとでも仲良くしたらいい、とアドバイスを受け、満月の夜に座敷わらしが出ると言う銀林荘という旅館にひとりで泊まる。
布団の中で眠気をこらえておきていたユタだが、次第にうとうと。夢か現かわからないまま、墨を流したように暗い部屋に白く浮き上がる脚を見た… 座敷わらし?
とっくの昔に忘れ去った子どもの頃のワクワク、ドキドキ感を、こうして小説で読むのは懐かしいというより新鮮だった。「ユタ」なんて単語が題名につくから口寄せ巫女が主人公なのかと思ったら、ただのニックネームだった。もしかしたら、座敷わらしを呼びだせる霊力と実際の「ユタ」を結びつけたのかもしれない。まあ、それはどうでもいい話。
座敷わらしは複数人でてくる。その中の中心人物(妖怪)がペドロだ。このキャラクターがいい。
えばったり、すねたり、やさしくしてみたり、いたずらしたり、はずかしがったり、といろんな表情を見せてくれる。今風に言えば、ちょっと毒を吐くゆるキャラっぽい。かわいい。いつも小便臭いおむつをしているのにタバコを吸う。
ペドロとユタの会話のやりとりを聞いてるだけで面白い。幼い兄弟が大人の真似をして演説をぶっているみたいだ。
ただ、かわいいだけでなく、座敷わらしは、むかし飢饉があった年に間引きされた幼子が起源だから母親の愛情を知らないとか、ちょっとせつない過去を背負っている。だから時々いじける。
大人目線でずっと読んでいるからこんな感想になってしまうが、子どもが読んだらどう感じるか、とても興味がある。設定は今から昭和30年代後半のようだ。でも今の子どもが読んでも面白くて新鮮に感じると思う。小学生時代に読んでみたかった。
さて、なかなか村のこどもと溶け込めなかったユタも、座敷わらしの不思議な能力によって、とうとう仲間として認めてもらうことができたわけだが、その方法は読んでからのお楽しみということで。
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Posted by ブクログ
おろおろ草紙というタイトルが、この作品集全体の内容をとてもよく表している。
何が悪いわけでもなく、誰かのせいでもなく、かといって虚無感に襲われるというのでもなく。ただ、何かがあって、そういう状況の中で右往左往して、それでも、ただ、生きて。
流されているというわけではない。ぼんやり生きているというのとも違う。
状況は壮絶だ。ばたばたと人が倒れていき、「死」がごろごろしている状況だったり、一歩違えば生死の狭間であったり、そして、他人を喰わないと自分が死ぬ状況だったり。
とても日常的とは言えない。むしろ、地獄のような状況だ。しかし、それなのに、人はどこまでも人で、それ以上には決してならない。また、世界が奇跡を起こすこともない。時間の流れも人の能力も、どこまでも変わらないまま、ただ、淡々と季節はめぐり、冬が終われば春が来る。
人は生きる、しかしそれと同じくらい人はどこまでも死ぬ。
そんな状況を静かな筆致で描写するこの本の作者、三浦哲郎さんは、6人兄弟の末っ子だそうだが、この5人の兄・姉たちのうち、なんと4人が自死、あるいは失踪しているそうである。
人は死ぬ、しかしそれと同じくらいどこまでも人は生きる。
少々読み通すのは辛い本だったものの、そんな生い立ちを持つ作者のあとがきが印象的だったので、読む際はぜひあとがきまで。