ショーペンハウアーのレビュー一覧
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エッジの効いた言葉が軽快に続いていく。なんならこれでラップできるんじゃないかと思うくらいのディスもあったりして、マインドがラッパーと通じるような新鮮な感覚だった。
その一方で、
「読書は自分で考えることの代わりにしかならない」という言葉は、少し寂しいな とも思う。
物語が読者と繋がり、一つの世界を一緒に創りあげていく面白さや、それが生活の一部となり生きる糧になることも沢山あると思った。
ショーペンハウアーに「頭が空っぽの凡人」と形容されても、凡人が故の楽しみ方もあると思う。凡人がいるからこそ、非凡が生まれて、素晴らしい作品ができるとも思った。
けど、こう思えることもこの本があってからこそ。や -
Posted by ブクログ
読書のすすめみたいなものかと思って読み始めたら「本を読むより自分の頭で考えるべき」といきなり書かれていてズシリときた。「読書していると自分の頭で考える必要がなく、他人に代わりに考えてもらえるから気が休まるのである」というあたりは本当に耳が痛い。
とはいえショーペンハウアーだって本はしっかり読んでいるわけで、読むなら良書だけを読み、書かれた内容をしっかり反芻せよということ。
「著述と文体」という論説では、悪書ばかりが濫造される当時のドイツ文壇の姿勢から、ドイツ人の文章の書き方自体まで、くどいほどにdisりまくっている。(本当にくどいので途中から読まなくてもいい。くどすぎるので★を1つ減らした)
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ショーペンハウアー「 意志と表象としての世界 」
3冊(4巻)は長いが、認識論(主観と客観)に始まり、芸術論(純粋主観)を経て、倫理学(主観と客観の無)に終わる展開は見事。想像をはるかに超える結論(ユートピア)だった。
人生に関する名言格言も多い。西尾幹ニ 氏の訳も良かった
印象に残った論考
*生きんとする意志の否定し自由に転換することと、自殺と生きんとする意志の否定を明確に区別
*個体化原理を乗り換えて、苦しみを与える者と苦しみを受ける者は同一とした
著者が目指す人間像は「世界の超克〜真の認識を開き、生きんとする意志を捨離し、真の自由を得て、寂静たる生活振舞いをする」と捉えた
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ショーペンハウアー「 意志と表象としての世界 」
3巻 天才論と芸術論から 新しい世界秩序を展開。全体像が少し見えてくる。2巻の意志の世界を、生に盲目的であり、自由の代償として孤独を感じる苦悩の世界としている。
イデアは 本質、普遍的な真理、不変の原型、意志が適切に客観化されたもの
イデアは いっさいの現象(表象)の普遍的な形式(客観は主観に対応した存在)をまもっている〜イデアのみが意志(物自体)の適切な客体性といえる
純粋な認識主観はイデアを認識しているだけ
著者の伝えたいことは「目前に存在するのは、自分自身でなく 客観のみであるという幻覚を作り出せれば、あらゆる苦悩から免れる -
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俗な幸福論ではない。
「人は幸福になるために生きている」というのはまやかしだという。
幸福はむしろ人を弱くする側面もあるという。
自分だけをよりどころに自分を育て、孤独に耐え、孤独を愛し、不幸の少ない人生を送れ、との主張を、ときにシニカルな(=現実を見据えた)筆致で綴っている。
女性、人種、ユダヤ人、現代で言う「認知症」などへの考え方が時代錯誤なところはある。しかし、名声、名誉、過度に一般化された国民性、決闘、戦争、保険料、青年期と老年期の役割の違いなどへの言及は今も色あせない鋭さをもっている。
日記が大事だとさらりと書かれている。
巻末の解説が素晴らしく、理性を重視したヘーゲル哲学を乗 -
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直接的に幸福にするのは、因果を逆に捉えがちだが「心根が明るいこと」である。「この特性は何にも代えがたい」とショーペンハウアーは語る(5%辺り)。陽気さにとって富や名声ほど役に立たないものはなく、健康ほど役立つものはない。健康第一というわけだ。
置かれた環境下で幸福感が左右されてしまう外的要因に心惑わされることなく、内的要因に心の平和を見出そうとする考えは成熟社会の日本では一般的と言っていい(常にこれに立ち戻るのは難しいが)。「健康な身体」もそういう意味では状態に左右されてしまうので不健康であっても維持できる強固な心の平和、サンクチュアリを創造したい。
著者によると、幸福の基礎をなすのは動物 -
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「意志と表象としての世界」第3巻と第4巻の一部を掲載したのが本書。ショーペンハウアーの芸術論(第3巻)と世界観(第4巻の一部)で構成されている。
芸術論はイデアの世界観と芸術の世界観をテーマにペシミストたるショーペンハウアーが垣間見せるポジティブな世界観。音楽を最高の芸術と称して芸術はイデアの世界を認識させてくれるという。
そしてこの意志というものは万物を動かすエネルギーみたいなもので、盲目なるエネルギー。こうやって考えるとドーキンスの「盲目の時計職人」を想像させる論理で、人間が制御できないエネルギーだからこそ人間の生は苦悩という次巻の結論につながっていく。