今村仁司のレビュー一覧
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人類学者のモースの思索などを参照しながら、人間の諸活動を「交易」という観点から解き明かす試みがなされています。
従来の社会学や人類学においては、利益を中心とする相互行為が根幹に据えられてきました。たとえばレヴィ=ストロースは、贈与システムを当事者の神話的想像力から切り離し、社会システムの構造を科学的に認識することをめざしました。しかし著者は、こうしたレヴィ=ストロースの見方が、贈与体制の社会における当事者の意識を切り捨ててしまっていると批判します。
交易は、人と人のあいだだけではなく、人間と自然のあいだでもなされています。さらに著者は、感情や信念、表象といったものの相互行為も交易という観点 -
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本書のはじめに、著者は「とりあえずは、論証ぬきで「貨幣は人間存在の根本条件である死の観念から発生する」という命題を前提にして話をすすめる」と述べています。ここでいわれる「死の観念」とは、著者が『排除の構造』(ちくま学芸文庫)で論じた事柄が踏まえられており、本書はその応用編というべき内容になっています。
媒介形式としての貨幣が「死の観念」をうちにかかえ込んでいることを明らかにしたのは、マリノフスキーやモース以降の人類学でした。著者は彼らの議論にもとづいて、贈与されたものを破壊する慣習に、原初的な経済的・宗教的現象にひそむ「死の表象」を見てとります。そのうえで、一見したところ近代の貨幣経済にはこ -
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近代以降「群衆」が思想的な問題となった経緯と理由について論じている本です。
著者は、近代資本主義が市民社会の理念をも飲み込んでいくことで、寄る辺のないまま個人として投げ出されてしまった人びとが「群衆」を形成したという考えを提示しています。そのうえで、マルクスはこうした群衆が「階級的自覚」を獲得することで革命が実現すると考え、ニーチェは群衆への呪詛とともにその「超人思想」を立ち上げたことをとりあげ、近代から現代にいたる思想のなかで「群衆」というテーマが成立したことを明らかにしています。
後半は、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を群衆についての寓話として読み解く試みが示されるととも -
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1968年のパリとプラハで起こった資本主義と社会主義の双方に反対する市民の運動には、象徴的な意味があったと著者は主張します。資本主義と社会主義は対立するイデオロギーと考えられていましたが、世界史的な観点から見ると、両者はともに「近代性」の精神的構造に基づいていると著者はいいます。1968年の事件は、そうした「近代性」への懐疑が噴出した、象徴的な出来事だとみなされることになります。
本書では、「近代性」の精神的構造とその問題が包括的に論じられています。まず、「近代性の根源」とされる近代的時間構造がとりあげられ、円環的時間が支配する近代以前には、人びとは伝統にしたがって日々の営みをおこなっていた -
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マルクスの思想の概説書というよりも、著者自身のマルクス解釈を展開する試みというべき本。アルチュセールの構造主義的マルクス主義の影響のもとで、社会認識批判の試みとしてマルクスの思考様式を読み解いている。
著者は、「自由」と「共同体」についてのマルクスの理解が古代ギリシア的な理解に近いということを明らかにした上で、近代市民社会に対するマルクスの批判を検討している。マルクスは、ルソーの市民社会論の影響を受けながらも、利己的な「私人」と「公的人間」との分裂を解消する具体的な道筋を示していないことに不満を持った。そこでマルクスは、現実の一人ひとりの個人が、抽象的なままにとどまっている公民をみずからのう -
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ネタバレ2006.6.15
かつて一世を風靡したソビエト連邦や国内での学生運動は、得てしてマルクスの影響が多大であるとは一般常識だが、
「そういやマルクスって何したの?」
という単純な疑問から読みはじめたのだけれど。難しい。これ入門じゃない絶対。時代とともに尾ひれがつき歪められていってしまったマルクスの思想の核心を突きたかったみたいだけれど、突いていない。一章ではマルクスの思想を3つの類型に分けているのだけれど、これが本来マルクスが意図した考え方なのか、時代に因って歪められてしまったけれど世間一般が考えているマルクスの考え方なのか、わからない。ていうか論理が二転三転した上にいきなり飛躍するのだから -
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ソ連の崩壊により忘れ去られたマルクス主義、、、しかし、ソ連が実践したのはマルクスが予想した社会ではない。
マルクスは自由を、労働からの解放と自由時間の中に見ている。この考えは、先進的であり、労働時間の短縮よりに、労働からが労苦的から健康のための活動になり得る。この視点で見ると、共産主義の労働共同体がマルクスの精神からかけ離れているかがわかる。また、マルクスは貨幣を誠実を不誠実に、愛を憎しみに、憎しみを愛に、徳を悪徳に、悪徳を徳に、奴隷を主人に、主人を奴隷に、愚鈍を理知に、理知を愚鈍に転倒させる力として批判している。
マルクスの考は、貨幣な支配されている資本主義からの脱却に、繋がる思想なのだとお