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貨幣を経済学の封じこめから解き放ち、人間の根源的なあり方の条件から光をあてて考察する貨幣の社会哲学。貨幣を人間関係の結晶化と見て、自由と秩序をつくりだす媒介者としての重要性を説く。貨幣なき空間は死とカオスと暴力の世界に変貌するからだ。貨幣への新たな視線を獲得することを学ぶための必読の書。
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Posted by ブクログ
去年からずぅ~と気になっていたことが何となくわかりかけてきた。 わたしのお金に対する異常な怨みと恐怖。その謎が解けそうである。 今村さんによれば「貨幣は人間存在の根本条件である死の観念から発生する。」そうだ。この本では詳しい論証がないのであるが、そう言われれば何となく分かるような気がする。わたしが気...続きを読むになっていたのも経済学上の貨幣ではなくて、人間存在の本質に関わる貨幣だったからだ。 貨幣は物の交換における媒介形式(間をとりもつもの)であり、法律や道徳的掟は市民生活の媒介形式である。人間の社会関係は、これらの制度になった媒介形式がなければ円滑には進行しない。もしもそれらを無視したり傷つけたりした時は神話的世界が現出し人間は運命の波に翻弄され、罪を犯し、犠牲を要求される。 わたしたちは一見なんの不思議もないように日々の暮らしをおくっているのだが、こういった制度を引き剥がしたと人間の根本を覗きこむと実はとても恐ろしくおぞましいものがあったりするのかもしれない。 例えば、わたしは暑い日中に歩き疲れてビールが飲みたくなって、目についたコンビニに入る。あまりの暑さに頭がおかしくなっていて貨幣という制度をまったく忘れてしまっている。冷蔵庫をあけてビールを掴み飲もうとする。当然店員さんがそれを止めようとする。金を払えと。ところがわたしは暑さのあまりデモーニッシュな力に取り憑かれているので欲望のまま店員さんを振り切り自己の満足を目指そうとする。そして、力ずくでわたしの行為を阻止しようとした店員さんをたまたま持っていたナイフで刺し殺して、わたしは満足気にビールを飲むのである。 このように法や倫理や貨幣などの媒介形式のない神話的な世界は暴力と死に満ち溢れる結果となる。「なんでもあり。」なんてことはない。もし、そうすれば累々とした屍の山が築かれることになるだろう。 Mahalo
媒介形式としての貨幣、特に「死」(近代以降、文明社会から追放された観念)を制度化するものとしての貨幣について、ジンメルの思想、ゲーテやジッドの小説を例にとりながら、丁寧に分析。そのうえで貨幣のない世界が生み出すカオスを照射する。 ちなみに、ジッドの『贋金づくり』について論じているが、そこで言われて...続きを読むいることは、ジャン=ジョゼフ・グー(『言語の金使いたち』)のまるパクリ。参考文献に掲げてないのはどういうことだろう。
本書は貨幣を経済学とは異なる視座で考えていく。貨幣と人間の関係、また人間存在の条件を考えていき、そこから貨幣とはなにかを考える。本書を読むとわかるが、意外にも古典的な小説のなかにも、貨幣の本質について考えさせてくれる本もあり、貨幣そのものはいかに奥深いかを実感させる。
本書のはじめに、著者は「とりあえずは、論証ぬきで「貨幣は人間存在の根本条件である死の観念から発生する」という命題を前提にして話をすすめる」と述べています。ここでいわれる「死の観念」とは、著者が『排除の構造』(ちくま学芸文庫)で論じた事柄が踏まえられており、本書はその応用編というべき内容になっています...続きを読む。 媒介形式としての貨幣が「死の観念」をうちにかかえ込んでいることを明らかにしたのは、マリノフスキーやモース以降の人類学でした。著者は彼らの議論にもとづいて、贈与されたものを破壊する慣習に、原初的な経済的・宗教的現象にひそむ「死の表象」を見てとります。そのうえで、一見したところ近代の貨幣経済にはこうした「死の観念」は存在しないように思えるものの、やはりそこには「第三項排除」という「死の観念」がひそんでいると考えます。 本書はこうした観点から、貨幣についての社会哲学的考察をおこなったジンメルの議論を読み解き、ゲーテの『親和力』とジッドの『贋金づくり』を「貨幣小説」としてとらえなおします。そのうえで、「死の観念」が刻印された貨幣を、デリダのエクリチュール論になぞらえる試みがおこわれます。プラトンからルソーを経て現代の超越論的純粋主義の哲学的立場にいたるまで、哲学者は媒介のない理想的関係を夢見てきました。これに対してデリダは、生き生きしたパロールではなく「死んでいる」エクリチュールの根源性を説きます。著者は、こうしたデリダのエクリチュール論を媒介一般に拡大することで、貨幣によって動かされる社会秩序を批判的に認識する視座を構築する可能性を見いだそうとしています。 本書にかいま見ることのできる著者の思想は、『交易する人間―贈与と交換の人間学』(講談社学術文庫)でより全面的なしかたで展開されており、著者の思索の道筋のなかで重要な位置を占める著作のひとつではないかと思います。
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