森茉莉のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
酒好きの甘い物好きなので、サヴァランに目がない。ほんの、それだけの理由で電車の乗り継ぎの僅かな時間に手に取ったのがこの本だった。以来、たびたび読み返している。
とにかく徒然と美味しそうな記述が続く。バタ、パン、トマト………瑞々しく脳裏に浮かぶのは、たぶん、本人が好きで好きでたまらない気持ちが文章に溢れているからだろう。食べ物の他に「贅沢」という概念についてもたびたび言及されており、食いしん坊の隙間から独特な人生哲学がちらっと顔をのぞかせるのも面白い。
「森茉莉の食」に焦点をあてた一冊だが、本人のキャラクターにぐんぐん惹き込まれる。気持ちを贅沢に大好きな食卓にのぞむ。こういう感覚を失わずに、豊かに歳を重ねていきたいと密かに思うのだった。 -
Posted by ブクログ
森茉莉の著作のなかから、料理にかんする文章をえらんで収録した本です。
わたくし自身は残念な舌の持ち主で、どんなものでもたいていは美味しいといって食べてしまう質なのですが、料理について書かれた文章を読むのが好きで、辻静雄や有元葉子といった料理研究家の本をしばしば手にとります。
「マリアは貧乏な、ブリア・サヴァランである」という文ではじまるエッセイ「貧乏サヴァラン」は、戦後に「贅沢貧乏」をやってみたことで「贅沢貧乏」が好きになったといいます。そんな著者が「お菜を拵らえるのが道楽のようなものである」と述べることからはじまる「私の道楽」というエッセイは、わずか1ページに収まる文章ですが、文章を読むことの「贅沢」をあじわえます。そんな文章の締めくくりに、「白石かずこ、矢川澄子、鍈子ちゃんなぞが長く記憶している美味なものである。精神をこめないと駄目である。料理番組のしち面倒臭い料理はすべてばかげている」とあって、料理のうまみに輪郭がつけられるかのように、森茉莉という書き手の個性を読者に印象づけるものになっています。
好きな嗜好品に「チョコレエト」「洋酒」「煙草」の三つをあげる著者は、洋酒と煙草は少量しかたしなむことができず、「いくらでもたべられるのはチョコレエトだけである」といい、チョコレエトは大人の食べ物だと断固として主張しつつも、「もしすきな洋酒がチョコレエトなみにいくらでも飲めるのだったら、私という人間は、ヴェルモットを飲んではホームズを読み、ボルドオの紅を飲んでは小説を書き、また小説は今よりもうまく書けて、いつも酔い果て、朦朧として編集者にあい、どんな好きな映画がかかっても、腰が持ち上がらないかも知れない」と、次々に語り出されるところなど、思わず頬がゆるんできてしまいます。 -
Posted by ブクログ
著者がみずからの来歴を振り返ったエッセイで、父の鴎外にかんする思い出や、友人の萩原葉子のこと、また、著者の夫であったフランス文学者の山田珠樹とその友人たちとの交流などが語られています。
夫とともに洋行することになった著者はパリで生活を送るなかで、「日本にいてさえ(用事のない奥さん)だった私はいよいよすることがない」といい、「私は巴里で、はっきり自覚した怠け者になったようだ」と述べます。そんな著者が見いだしたのは、「「欧羅巴」という魔神(女)」でした。「欧羅巴の中にあるもの」と題されたエッセイで、著者は「欧羅巴」に触れた体験を語りだし、「いろいろな時に私は、マルセイユに上陸した時から自分を包みはじめた、香いのようなもの、どこか恐ろしい陥穽のようなものを、漠とした中で、うけとっていた」といいます。
著者の感じた「欧羅巴」は、フランス文学者である夫の「洋行」にともなってパリで暮らすことになった彼女が、自身の無為を自覚することによって彼女の前に現われてきたものです。それは、近代日本を背負って西洋に向かいあうことを引き受けた父・鴎外を通して幼いころから「欧羅巴」に触れてきた著者だからこそ、こうしたスタンスでそれを受け取ることができたのではなかったかと思わされました。 -
Posted by ブクログ
森鴎外の娘、森茉莉のエッセイ。
鴎外は自分の子供を洋風に名付けた。長男は於菟(おと Otto)でちょっと残念な感じだが、長女の茉莉(Marrie)は良い。深窓の令嬢感が溢れている。
約350ページの中に約120個のエッセイが詰められている。それぞれ2~3ページ程度でさらりと纏められてあり、電車の一駅分の区間でも読めてしまう。
エッセイのテーマとしては、タイトルにある通り、森茉莉の回想録が中心となり、それこそ自身の最も古い記憶から辿り、尋常学校、高等女学校、嫁入り、洋行、父鴎外との死別、帰国、そして離婚を以て締めくくられている。
前半は身辺雑記的なエッセイも多いのだが、嫁入り以降はひたすらに回想を先に進めていく。洋行の前、鴎外との別れのあたりから、登場人物も増え、小説的な面白さが加わってくる。
特にフランスから登場してくる夫の友人の矢田部達郎との関わりと、彼へと向ける茉莉のまなざしの過程は、父鴎外への愛情(『恋愛』、と言い切っている)を隠してはばからないこのエッセイ集の、もう一つの華になっているように思う。
このエッセイを著した頃、すでに矢田部は先立っていたこともあるのだろう。それでも筆者にとってこれを書くことは自分の人生にとっても一つの決断だったのではないか。
一般的に数十年の時間の経過は過去の恋心も何も風化させてしまうものだと思うが、このエッセイは奇跡的に、今そこにあるかのような確かさをもって、響いてくる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ実際に会ったら相当大変な人だろうな、と思われる森茉莉。
その価値観には深く共感してしまう。食べ物への執着やこだわりや、毒舌が他人事と思えない。
森茉莉が現在も生きていたら、30過ぎて自分のことを女子とのたまう人々をばっさり一刀両断であろうな、とにやりとした。
自分のことを森茉莉とかいう変なばあさん、と自称するあたりに美意識を感じる。
作中に、父である鴎外や、室生犀星やその他交流のあった文豪の素顔が描かれていて読み物としてとても面白いのはもちろん、食べ物の描写が素晴らしい。
森鴎外の著作権がきれて、食うのに困って文筆家業を始めたというが、DNAというか才能なんだろうなあ。
食べ物の描写になるとひときわみずみずしく、鮮烈な印象を残す。すごい。 -
Posted by ブクログ
森茉莉さんというと、森鴎外の長女で、若くして結婚してパリに在住し、その文章が三島由紀夫に高く評価され、という華やかな一面がすぐに思い浮かぶ。一方では、(料理を除き)家事全般が苦手で、一人住まいの部屋はゴミ屋敷と化し、親族も手を焼いていたという面も思い出される。
このエッセイでは、森茉莉さんが持っているその両面が顔を出していて興味深く、美しかったパッパ(鴎外)との団子坂での暮らしから、夫とのパリでの生活、そして友達に借金を繰り返す暮らしまでが綴られている。
とくに、このエッセイに収められた「陸軍省の木陰道」は、職場の父親を訪れた記憶を美しく描いています。また、パリの生活なども興味深く読みました。(「巴里のバレ・リュッス」:バレエ・リュスをリアルタイムで見ていたとは。)
なにか、明治の人でありながら、厳めしい感じがなくて、美しさに心を惹かれつつ、生身の自分をさらけ出しているような人でした。