森茉莉のレビュー一覧
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森茉莉の世界から抜けられない。抜けたくない。貧乏な、ブリア・サヴァラン。一行目からひきこまれてしまう。食べ物の描写は独特のカタカナ使いもあって、食べたくなること間違いなし。明治大正の日本を体験してみたいと思う。森鴎外が飲んでいたチョコレエト。ロシア・サラダ。トマトをバタアを入れて煮て、ご飯にかけて食べる。トマト好きなので、試してみたい。ご飯にかけず、そのままを白葡萄酒でいただきたい。そう、ワインも葡萄酒と言われた方が、幸せなのでは?と思ってしまう。バラも薔薇の方が素敵。独りよがりな世界と言われればそれまでだけど、どんどん独りよがりになりたいと思う。年表まで作り、森茉莉のいた時代を感じたい今日こ
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家事はまるきり駄目だった茉莉の、ただ一つの例外は料理だった。オムレット、ボルドオ風茸料理、白魚、独活、柱などの清汁・・・江戸っ子の舌とパリジェンヌの舌を持ち贅沢をこよなく愛した茉莉ならではの得意料理。「百円のイングランド製のチョコレートを一日一個買いに行くのを日課」に、食いしん坊茉莉は夢の食卓を思い描く。垂涎の食エッセイ。
こないだEテレでお金が欲しい時に読む本で森茉莉が紹介されていて、若い人にも茉莉さんの素敵な文章が広まればいいなと思ったばかりです。何度読んでも、やっぱりいいな。空腹のときには決して読んではダメですが(笑)彼女の過激だけれど愛にあふれた言葉の数々が私にとってはまぶしくて、豊か -
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ネタバレ筑摩書房から1968年に出版された、エッセイ集。
のちに旺文社文庫、ちくま文庫では1992年2月24日第一刷。この本は、2006年9月5日第13刷版。
自分ではいつ買ったのだろう?忘れてしまった。
3年ほど前に、早川茉莉氏の編で、テーマごとにまとめられた森茉莉のエッセイ集を3冊読んだ。
この本も、同じように、父・森鷗外のこと、巴里のことなどが綴られているが、なぜか、以前読んだ3冊に対するものとは違った印象を受けた。
やはり、“誰かが選んだ”というものは、その人のフィルターがかかるというか、主張のような物が入ってしまうのだろうか?
この本では、直に茉莉に触れた、と感じた。
たった一年の滞在だが -
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とても好き。オモロイ。
日常のどうって事のない出来事が、ひたすら美しく書き尽くされている。自称マリア。生業は文筆業。美味しいものと美しいものに目がない世間知らずの痛い女。自分の行いにチョコチョコ突っ込みを入れている所が可愛いです。殆どコメディ。読んでいる間ずーっとニヤニヤしてしまった。全然貧乏ではない現代の手塚治虫、森鷗外の娘である。マリアごっこしたい。だがしかし、悲しい哉、語彙が無さ過ぎて出来ないわ。流石マリア様ね。
三谷幸喜のしょーもないエッセイを最後まで読める方。若しくは、嶽本野ばらの怒涛の一人称お耽美作品が好きな方にはお勧めします。繁忙期に読むとイライラすること間違いなし!元気な時に -
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長らく気にはなっていたのに、読む機会がなかった作家。
このほど、ようやく、はじめて読む。
サヴァランというと、洋菓子を思い浮かべる。
あのお菓子の由来となったフランスの政治家にして美食家のブリア・サヴァランという人がいるらしい。
「グルメ」の謂いかと思われる。
自由な形式。
一つ一つの文も、長かったり短かったり。
最初読みにくいなあ、と思ったが、あっという間にハマる。
ただ好きな食べ物について語っているだけなのに、人となりが伝わってくる。
食いしん坊で、好き嫌いがはっきりしている。
少し前に流行った「丁寧な生活」なぞとは大きく違う。
こんなふうに、好きなように生きて行っていいんだ。
勝手 -
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酒好きの甘い物好きなので、サヴァランに目がない。ほんの、それだけの理由で電車の乗り継ぎの僅かな時間に手に取ったのがこの本だった。以来、たびたび読み返している。
とにかく徒然と美味しそうな記述が続く。バタ、パン、トマト………瑞々しく脳裏に浮かぶのは、たぶん、本人が好きで好きでたまらない気持ちが文章に溢れているからだろう。食べ物の他に「贅沢」という概念についてもたびたび言及されており、食いしん坊の隙間から独特な人生哲学がちらっと顔をのぞかせるのも面白い。
「森茉莉の食」に焦点をあてた一冊だが、本人のキャラクターにぐんぐん惹き込まれる。気持ちを贅沢に大好きな食卓にのぞむ。こういう感覚を失わずに、豊か -
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森茉莉の著作のなかから、料理にかんする文章をえらんで収録した本です。
わたくし自身は残念な舌の持ち主で、どんなものでもたいていは美味しいといって食べてしまう質なのですが、料理について書かれた文章を読むのが好きで、辻静雄や有元葉子といった料理研究家の本をしばしば手にとります。
「マリアは貧乏な、ブリア・サヴァランである」という文ではじまるエッセイ「貧乏サヴァラン」は、戦後に「贅沢貧乏」をやってみたことで「贅沢貧乏」が好きになったといいます。そんな著者が「お菜を拵らえるのが道楽のようなものである」と述べることからはじまる「私の道楽」というエッセイは、わずか1ページに収まる文章ですが、文章を読む -
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著者がみずからの来歴を振り返ったエッセイで、父の鴎外にかんする思い出や、友人の萩原葉子のこと、また、著者の夫であったフランス文学者の山田珠樹とその友人たちとの交流などが語られています。
夫とともに洋行することになった著者はパリで生活を送るなかで、「日本にいてさえ(用事のない奥さん)だった私はいよいよすることがない」といい、「私は巴里で、はっきり自覚した怠け者になったようだ」と述べます。そんな著者が見いだしたのは、「「欧羅巴」という魔神(女)」でした。「欧羅巴の中にあるもの」と題されたエッセイで、著者は「欧羅巴」に触れた体験を語りだし、「いろいろな時に私は、マルセイユに上陸した時から自分を包み