福澤諭吉のレビュー一覧

  • 現代語訳 福翁自伝

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    他の出版社の福翁自伝は読みきれなかったが、ちくまの現代語訳は 読みきれた

    この本を読むと福沢諭吉が 近い存在に感じる。学問のすすめの効果を長続きさせるために この本とセットで読んだ方が良さそう

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    2018年04月04日
  • 現代語訳 福翁自伝

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    福翁自伝

    部活の大先輩に勧められた福沢諭吉の自伝。福沢の破天荒な性格は文章にしてもなお面白く、その生きざまはぜひ真似してみたい。なんといっても福沢の因習にも社会にも全くとらわれない本質思考の姿勢と思い切りのよい性格が彼をここまでの人間にしたのではないかと思う。本質思考といえば、彼が初めて横浜に行った時、彼が苦学して会得したオランダ語が全く通じず、英語を学ぼうと決心したとき、彼が最終的に師事したのは長崎から来た子供であった。儒教的精神の色濃く残る幕末で、学びうるものは子供からでも学ぶという、本質思考はとてもすごい。なんといっても金のなかった福沢は何を学ぶにも無形財産(人脈)を頼りに飛び回り、結

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    2017年01月06日
  • 現代語訳 文明論之概略

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    齋藤孝先生の現代語訳。読み易い。
    明治維新という歴史の転換点における時代の捉え方は、現在の時勢を考える上でも参考になる処が多い。
    時代の転換点だからこそ、西洋事情も含めた全体的なところを押さえ、自らの現状認識を正しくし、合理的に物事を判断していく。
    物事の本質を捉える際のプロセスでもある。

    以下引用~
    ・文明とは結局、「人間の知性と徳性の進歩」と言ってよいのである。

    ・目的を定めて文明に進む。それしかない。
    では目的とは何か。内外の区別を明らかにして、わが国の独立を保つことである。そしてこの独立を保つ手段は、文明の他にはないのだ。いまの日本人を文明の道に進めるのは、我が国の独立を保つ、ただ

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    2013年05月25日
  • 現代語訳 福翁自伝

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    「学問のすすめ」に続けて、「福翁自伝」も読んでみた。すべてを見習うことは難しいにしても、自分にもできそうな考え方・心がけは真似してみたい。そう思わせるくらい、人間・福澤諭吉という人は、現代においてもなお、魅力溢れる人物だと思った。

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    2013年10月10日
  • 現代語訳 学問のすすめ

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    生きる上、暮らす上での原理原則、真髄が書かれているので現代で読んでも共感納得する事が多いのでしょう。

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    2025年11月28日
  • 現代語訳 福翁自伝

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    TVで取り上げられたのがきっかけで読んでみました。
    福澤諭吉の良い所は、これを絶対にやり遂げるという変な使命感や気負いがない所だと思いました。
    自分のやれることをやるだけというスタンスを感じました。
    『学問のすすめ』も読んでみたくなりました。

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    2025年09月25日
  • 現代語訳 学問のすすめ

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    心に残ったのはこんな話。
    心だけ高潔で、行動に移さない人は、
    現実を嘆くしかない状態に陥りがち、
    禅の僧侶みたいなことをしてないで、
    失敗を恐れず、色々やってみて初めて、
    自分なりの正解に辿り着くのだ、みたいな話。

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    2025年09月15日
  • 現代語訳 学問のすすめ

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    国のため、だれかのためって
    思いにくい現代なのかもしれないけれど、
    それって周りに回って自分のためにもなるし
    大切な考え方だなって思った。

    半分も理解することは
    できていないかもしれないけれど
    とても読みやすかった!

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    2025年09月04日
  • 現代語訳 文明論之概略

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    たまには名著をということで読んでみた。
    結構分量が多くかつ、文章が硬いので若干読みづらかった。

    かつ結構まどろっこしいと感じる言い方(多分これが福澤節とは思うが)自分的にはそこまで刺さらなかった。

    とはいえ、現代につながる考え方も多く勉強になった。

    # 個人ポイント
    - 近くの原因と、遠くの原因がある
     - 討幕がなったのは、異国の襲来という近因もあるが、そもそも身分制度という枠組みに対する独立心や時代の流れが遠因としてあり進んだもの
    - 智力が大事
    - 一歩目を踏み出す時は二歩目を考えておく
    - 危機感を持とう
    - 自国独立せよ。文明を進めるのが人類の目的。

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    2025年06月06日
  • 現代語訳 学問のすすめ

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    尊王攘夷によって世間がおかしな方向へと向かっていることに対して、「そんなことしたって異国に勝てねぇよ、勉強してみんなで優秀になろうぜ」的なメッセージを受け取りました。
    個人的に男尊女卑が今以上に強そうな時代に、女性が社会進出することができると述べる姿に先見の名を感じました。本気で誰でも努力すれば、能力を伸ばせると信じていたのだと思います。

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    2024年11月26日
  • 現代語訳 文明論之概略

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    読むタイミングによって気付きポイントがかなり変わりそうな本でした。

    一部の表現や思想などは、現代からすると「うへ、ちょっと…」と思う箇所はありますが、そこはスルーして別の視点で読めると良いのかなと思います。

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    2024年05月02日
  • 現代語訳 福翁自伝

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    タイトル通り福沢諭吉の自伝である。その自伝を著者が抄訳したものであり全編ではない。福沢諭吉とはどんな人物でどのような生涯を辿ったのかが分かるようになっている。自己啓発書というよりは、読み物として読むべき。

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    2021年11月10日
  • 現代語訳 福翁自伝

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    まず福澤氏がひたすら酒好きというのに驚いた。アメリカに初めて渡ったときの、日本人のはしゃぎっぷりも読んでいて笑える。福澤氏といえば「学問のすゝめ」だが、そこでは語られなかった福澤氏の人となりを見ることができた。

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    2021年08月24日
  • 現代語訳 福翁自伝

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    慶應義塾の創設者 福沢諭吉の自伝
    現代語訳版

    中津藩、今の福岡県ぐらいの下級武士出身で封建制度の時代に一生をそこで終わる人生に嫌気が差し、二十歳で蘭学を志して長崎へ出る。その後、大阪で蘭学を学び続け、江戸に出て蘭学塾を開く。渡米、渡欧し見聞を広げる。

    行き当たりばったりだが、芯の通った人生
    全く知らなかった
    現代語訳版だったのでとても読みやすかった
    ありがたい

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    2020年12月27日
  • 13歳からの「学問のすすめ」

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    ネタバレ

    Q、妬みがなぜ生まれてくるのか?
    →A、自由に行動できないから。

    自分に不自由があると、人を妬んでしまう。

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    2019年09月23日
  • 現代語訳 文明論之概略

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    文明とは、国民一人ひとりが作り出す気風、としているので、国民一人ひとりが日本人としての気概を持たなければならない、ということだと理解しました。

    1.この本を一言で表すと?
    ・国家の独立を国民に向け強く訴えた本

    2.よかった点を3〜5つ
    ・いまこの時にあたって、さあ、前に進もうというのか、それとも後ろに退こうというのか。進んで文明の道を歩むのか、退いて野蛮へと変えるのか。ここは進むか退くかの二者択一だ。(p33)
    →強いメッセージ性を感じる。また、当時の日本の状況からの切迫感も感じる。

    ・いまわが国にとって至急求めるべきは智恵でなくてなんだというのか。(p208)
    →現代においても同じこと

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    2018年12月30日
  • 現代語訳 福翁自伝

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    敷居が高いイメージがあったが、読んでみるとそれほどでもなかった。福沢諭吉のイメージも変わった。だけど、志が非常に高いのはイメージ通りだった。

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    2016年08月05日
  • 現代語訳 福翁自伝

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    現代語訳なので、とても読みやすい。若くして長崎、大阪で学んだことが礎になったことがわかるが、理解力が高く、勉強熱心であったことが伝わってくる。さらに、横浜に行ってオランダ語が通じないことを知って英語を学び始めたり、自らアメリカ渡航を志願したり、ウェブストル辞書を買ってくるといった積極的な行動が、その後の活躍につながったのだろうと想像できる。

    1854年、21歳の時、窮屈な中津を出ることを目的に、兄の共で長崎に行き、蘭学を学び始める。翌年、中津に返す計略を受けて江戸を目指すが、大阪の兄の助言で緒方の下で学び始める。23歳の時に兄が死亡したため家を継いだが、母親の許しを得て大阪に戻る。1858年

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    2018年10月31日