福澤諭吉のレビュー一覧
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びっくりするくらいあっという間に読み終わった本。
絶対に聞いたことがある本だが読んだことがない本でもあったため、読んでみた。
なぜ、学びを修めなければならないのか。
なぜ、賢くならなければならないのか。
日本国民(にっぽんこくみん)という民族が滅ばずに生きていくためには何が必要か。
闘うとはどういうことか。
このようなことが書かれていた。
本の活字から伝わる福沢先生の「このままじゃ日本はだめになる。どうにかせんといかん。」という熱い気概に圧倒された。
先の見えない時代に置かれていた人々に対する福澤先生の啓蒙は、我々にも当てはまることが多くあった。
勉強しないと。 -
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AI時代に入り、人間とは何か、何を学ぶべきか、果たして学ぶ必要があるのかといったテーマが、我々に迫ってきている。ChatGPTに質問すれば答えてくれるため、学ぶことをChatGPTに任せるべきだという意見もある。ChatGPTをやらないヤツはバカと堀江貴文に言われて、ChatGPTを使うようになって、ChatGPTと生成AIの本を読み始めた。生成AIを駆使する落合陽一の著作を読み、さらにニーチェの『ツァラトゥストラ』を手にすると、永遠回帰というテーマが浮かび上がった。「神は死に、人間は超人となる」と説くニーチェの考えは、落合陽一のワークアズライフ、「好きなことで24時間働け」と共通点があると感じる。また、反復労働については、カミュの『シーシュポスの神話』における幸福を求める姿に感心した。加えて、コロナ禍の最中に途中まで読んでいたカミュの『ペスト』を最後まで読み切り、不条理な世界観を実感した。目に見えない敵と戦うには、五感を駆使して自己防衛に努めるべきである。
そういえば、学ぶことの重要性を強調した福沢諭吉の『学問のすすめ』があるので、まずは齋藤孝の現代語訳を手に取り、読んでみることにした。
『学問のすすめ』は、明治5(1872)年から9(1876)年にかけて、17編の小冊子として出版され、その後、明治13(1880)年に一冊に合本された。各編は約20万部、17編合わせて約400万部販売されたと伝えられ、まさにベストセラーであり、日本人の基盤を築いた作品である。実に150年前の作品だ。
齋藤孝の現代語訳は、わかりやすく読みやすい。福沢諭吉が「天は人のうえに人をつくらず、人の下に人をつくらず」と述べていたと考えがちだが、「と言われている」という注釈が加わることで、その意味合いは大きく変化する。つまり、福沢諭吉自身が言ったわけではないことを知る。
福沢諭吉は貧しい身分にあり、「門閥制度は親の仇である」と語っている。蘭学を学んだものの、江戸に出て外国人と接してもほとんど通じず、オランダ語が無駄であったと反省し、英語を学び始めた。福沢諭吉は、常に新しい知識を取り入れ、アメリカにも三度渡った。その中で、日本の遅れを痛感し、それを解決する策は学びしかないと覚悟する。それが本書に結実している。
福沢諭吉は「人は学ばなければ、智はない。智のない者は愚かな人間である」と述べる。したがって、学ぶことが不可欠であり、その学びは実学でなければならない。ただ難しいことを知り、わかりにくい昔の本を読む漢学者の中には、社会生活に適応できない者が少なくないのである。一生懸命に学ぶべきは、日常生活に役立つ実学である。文字を習い、手紙の書き方や帳簿の付け方、そろばんの練習や天秤の取り扱いなど、学ぶべきことは非常に多い。それぞれの学問では、実際の事実を押さえ、物事の性質を客観的に見極め、物事の道理を把握し、現在の目的を達成すべきである。このようにして、個人の独立が促され、家庭も独立し、国家の独立にもつながる。
廃藩置県によって武士制度が失われ、生まれつきの身分は自由となった。また、外国が日本を植民地にしようとしているときに、福沢諭吉は「一人ひとりの自立が必要である。それには学びが欠かせない。世の中で学問のない国民ほど哀れなものはない。愚かな民がひどい政府を生む」という。
現在の日本を見れば、耳が痛い話である。本を読むことだけが学問ではない。古事記を暗唱するべき人が、今の米の値段を知らないのであれば、実生活の学問に無知であると言える。政府と民は対等であり、幕府の時代には政府を「お上様」と称していたが、今は違う。人は平等な人権を持っている。愚かな政治を避けたいのであれば、今すぐに学問に励み、自分の才能や人間性を高め、政府と同等の地位に立つよう努めなければならない。そして、国同士もまた平等である。個人の独立があってこそ国家も独立する。独立の気概がないならば、国を思う気持ちもまた薄い。日本人の卑屈さは日本国の卑屈さである。権威に弱い者は国を売る。独立の気概がない者は、他者の権威を利用して悪事を働く。
天皇を人間と言い切り、大奥のシステムは罰だとも言っている。妾を持つのもよろしくないという。1番の問題は、政府に寄りかかることだという。
福沢諭吉がそのようなことを語っていたとは知らなかった。彼は今の日本の惨状を的確に言い当てている。福沢諭吉は、外国と比較して学術、経済、法律の三つにおいて劣位にあると指摘している。その原因は国民の無知無学にある。一国の文明は政府の力だけで発展するものではない。西洋諸国の歴史書を見ても、商業や工業において政府が発明したものなどは一つもない。蒸気機関、鉄道、アダム・スミスの経済法則は、中産階級の人々が力を発揮した結果である。文明を進展させるのは民間の人民であり、それを保護するのが政府の役割である。
勇気というものは単に読書から得られるものではない。読書は学問の技術であり、学問は物事を成すための手段に過ぎない。実際の経験がなければ、勇気は決して生まれない。人間にはそれぞれ身体があり、知恵があり、欲があり、両親があり、意思がある。この五つの要素は人間に不可欠な特性であり、自分の考えで他者を縛ってはいけない。
品格を高めることが大切である。学問の本来の趣旨は単に読書にあるのではなく、精神の働きにある。この働きを実践に移すには、物事を観察し、道理を推論して自分の意見を立てる。議論を通じて知見を交換し、本を書いて演説することで見識を高めるべきである。ただ知識を持っていても品格は高まらない。物事の様子を比較し、高みを目指し、自己満足に陥らないよう心掛けるべきである。後から来る者は、先人たちを超えるのが当然である。
「生まれて今まで自分は何事を成し遂げたか。今は何事を成しているのか。今後は何事を成すべきか」と自己点検を行い、するべきことにかかる時間を計算に入れる。今後の方針を立てるには、知性・徳・仕事の棚卸しが必要である。十分に疑い、じっくりと判断力を鍛えることが求められる。信じることに多くの虚偽がある一方で、疑うことには多くの真理が潜んでいる。
西洋文明は確かに我が国の文明を遥かに上回っているが、決して完璧な文明ではない。西洋の風俗を全て素晴らしいものとして信じるべきではない。西洋かぶれは良くない。福沢諭吉は「東西の人民、風俗を別にし、情意を異にし、数千百年の間にそれぞれの国土において成立した習慣は、たとえ利害が明らかであっても、そのまま彼に移し替えるべきではない」と述べている。日本の古来の習慣は大切にすべきであり、西洋の行儀について皮肉を言う福沢諭吉の姿勢には感心する。
言葉についてしっかりと学ぶべきである。日本語を巧みに使い、弁舌を磨く努力が必要だ。また、表情や外見を整え、一見しただけで人に不快感を与えないようにする。そして、交際を広げていくことが重要である。人間でありながら人間を毛嫌いするのは良くない。
齋藤孝の現代語訳は非常に読みやすい。以前読んだ本とは大きく異なる印象を受けるとともに、福沢諭吉の語り口は現代でも通用することに驚きを禁じ得ない。とにかく実学をしっかりと学ぶことが必要である。 -
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福沢諭吉の意見は非常に参考になり、多くの学びを得ることができました。
学問は、ただ知識を身につけるだけでなく、それを自分の仕事や働き方に活かし、社会に役立てていくことが重要だと感じました。
また、「怨望」を抱くことはよくないという考えにも深く共感しました。自分がやるべきことを見極め、それを通じて文明を前進させるために行動する。単に家族を守ることにとどまらず、他人や社会全体に貢献できる人間でありたいと思います。
これまで、個人的に「自分や家族の幸せ」が最も大切だと考えていました。もちろん、それは基本であり大切なことですが、同時に、文明を進歩させ、世の中に貢献できる行動を取ることが重要だと気づきました。
そのためには、学問を通じて必要な知識を身につけることが不可欠であるという思いを新たにしました。 -
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日本国民に対して危機感を伝える本書。
特に国民の学問の程度を嘆いている。
あれこれ文句を言う前にまず勉強せよとのこと。
その人の職の苦労を知らずに主観で語るなと。
また、政府と国民の関係を良好に運ぶために我々がすべきことが書かれている。
結論を言ってしまうと、学問をし、知識や見聞を広め、一般常識や教養を身につけなさいとのことだ。
非現実的な例だったが、悪い政府に対しては自分とその子ども、さらにその先の子孫を通じて改善されるまで抗議しろと。彼の気概が感じられて良い。
そして、国民との約束を守る良い政府であるなら、素直に従い、面倒を起こさないことが平生だということだ。
これに関しては、良い政治を行い国民を正しい方向に導くならば、我々も従順な態度を示し政府に付き従うだろう。
しかし、官僚の不祥事が続く昨今では、我々は政府に対する不安を拭うことは到底出来ない。
不安という感情は人を懐疑的にさせる。この時の心理状態は非常に不安定で、そう易々とその政府が安全地帯と称した場所には怖くて動けない。
いや、道が分からないからなのかもしれない。
その時点で政府はまず国民を安心させることが先決であるように思う。
政府に対し、国民は全て批判し忌み嫌っているわけではない。そこは誤解しないで頂きたい。
だが、政府側の手段が判然とせず、不要な誤解を招き、導き方が強引なだけだと信じていいのか。
我々が危険地帯に位置し続けているならば、安全地帯までのプロセスを明確にし、示し導くのが筋ではないか。今のままでは国民は対岸に渡れぬまま犬死にするようなものだ。
前述していたのだが、政府に対して私観で語ってしまい申し訳ない。
だが、私の意見を言語化し表現するには必要なことだった。気分を害された方、ご了承願いたい。 -
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ネタバレ■ひとことで言うと?
慣習に囚われず、自分の信じたことを全力で成した人物
■キーポイント
・自立自活
- 自分のことは自分でする
- 極力人に頼らない生き方をする
・血に交わって赤くならない
- 自分の「軸」を持つ
・手段を選ばない
- やりたいことはいかなる手段を用いても成し遂げる
・「およそ人の志は、その身の成り行き次第によって大きくもなりまた小さくもなるもので、子供のときに何を言おうと何を行おうと、その言行が必ずしも生涯の保証になるものではない。ただ先天の遺伝、現在の教育に従って、根気よく努めて迷いのない者が勝ちを占めることでしょう。」 -
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名著。驚くほど発見がある。これが1800年代に書かれたとはとても信じられない。
この本で指摘されているような課題感は現代日本にそのまま当てはまる。
彼の思考が本質的だったと言うことと、日本人が本質的にはほぼ進歩していないと言うこと両方の意味がある。
この本を読みながら驚いたのは、現代でも議論されそうな論点について簡潔に合理的に答えを出していること。
・論破しようとする議論は不毛で、合意を目指す以外の目的の議論は意味がない
・文明の段階を野蛮、半開、文明に分け、半開(日本)の定義は「文化はあるが改善を知らない。真似は得意だが工夫を知らない。合理性がない」
・徳と智恵のちがい
など、
その先進性と鋭い思考は本当に天才だと思う。
日本人は大半が優秀だけど突出する人がいない、みたいなことを言われたりすることがあるが逆で、
大半は愚鈍だか、たまに諭吉のような突出した人が現れる、そしてそう言う人に引き上げられることで日本は国体を保てており、大半の愚民はそれに流されるだけ。
今の日本の理解のため、本質的な文明のあり方についての理解を深めるため、100回読むべき。 -
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福澤諭吉が還暦を超えた頃に人生をざっくばらんに振り返った本。全体の20%は酒の話。
特に中盤で禁酒を誓った福澤が、友人に「キツい我慢はよくない」と唆され煙草を吸い始めた挙句に禁酒にも失敗し、ただの大酒飲み&ヘビースモーカーに成り下がった話は涙なしには読めなかった。
気難しそうな顔からは想像し難い、破天荒な人物像。しかし、男子高校生のような言動ばかり。
友人に「鯛だ」と言って河豚を食わせ、「お前は河豚を食った、もうすぐ死ぬ」とビビらせ横で爆笑してたり、神社の御神体をその辺の石ころにすり替え、それを知らず人が拝んでるのを見て爆笑してたり。
しかし勉強に対する熱意も凄まじい。
昼夜問わず蘭学書を読み続け、たまには枕で寝るかと思ったら、実は枕で寝たことがそもそもなく持っていない、と気づく程度に。
読んでいく中で、その継続する熱意には驚かされたが、現代での「勉強」とはかなり色が違うなと思うようになった。福澤がハマっていた幕末〜明治初期の『勉強』は、今まで日本で閉じた世界しか知らなかったところに降ってきた未知のものである。
これは今で言う『勉強』とは全く違い、掘れば掘るほど、進めば進むほど必ず知らないものが出てくるという、もはや『冒険』のようなもので、そりゃハマるわと思った。
今の「勉強」は全世界が可視化され、そこを生きていくための教養がベースなので、どんなに勉強しても「他の人も知っていること」の範疇を出ない。なのでワクワクしない。
大学研究以降の「他の人が知らないこと」に到達するまでがあまりに遠すぎて、現代に福澤のような人間を量産するのは難しい。
あと面白かったのは、欧米旅行に行った時にそこで見る科学知識の大半は既に書物で知ってきたので、もっぱら興味は社会構造や法律の理念などだったという話。こればかりは現地でないと分からない、ということが分かったのが収穫と述べているけど、まさにその通りだなと思う。
1冊を通して「知らない世界を知る、見る」ということは強烈な原動力になるんだなと思いつつ、今の世界で自分が見いだせる知らない世界はやはり人の中なんだろうなと思ったり。
現代語訳もかなりフランクな口語でされており、ざっくり読めて面白い本だった。
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Posted by ブクログ
福沢諭吉が65歳になって書いた自伝。若い頃は、無茶苦茶をしつつも一本筋の通った厳格さを備えていたことがわかる。当時の様子のわかる貴重で面白い一冊。
「「義士は本当に義士なのか。それとも不義士なのか」と議論が始まる。すると私は「どちらでもよろしい。義でも不義でも。君が義士と言えば、僕は不義士にする。君が不義士といえば、僕は義士にしてみせよう。さあ来い」」p110
「枕がない。どんなに捜してもない。これまで倉屋敷に一年ばかりいたが、いまだかつて枕をしたことがない。というのは、ほとんど昼夜の区別がない。日が暮れたからといって寝ようとは思わず、しきりに本を読んでいる。読書にくたびれ眠くなってくれば机の上に突っ伏して寝るか、あるいは床の間の床側を枕にして眠るかで、今まで布団を敷いて寝ることなど、ただの一度もしたことがない。その時に、なるほど枕がないはずだと初めて気が付きました」p111
「そもそも日本人が初めて蒸気船というものを見たのは1853年、航海を学び始めたのは1855年、その勉強がなって外国に船を乗り出そうとしたのが1859年、すなわち蒸気船を見てから足かけ7年目である」p153
「むかしナポレオンの乱でオランダの運命は断絶して、本国は言うまでもなくインド地方までことごとく取られてしまって、国旗を揚げる場所がなくなったように思われたが、世界中にわずか一ヶ所を残した。それはすなわち日本長崎の出島である」p194