福澤諭吉のレビュー一覧
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福沢諭吉が語る、学ぶことの大切さと意味が詰め込まれた本。
「知っているけど読んだことない本」というのは山のようにあるが、この『学問のすすめ』もそうだった。
いきなり原文はハードルが高いので現代語訳からと思い本書を読んだが、とても読みやすい。齋藤孝さんの訳はもちろんだろうけど、そもそもの福沢諭吉の論自体が面白い。
学ぶということについても、「ただ学ぶのではなくて、役に立つことこそ学問だ」と言う。また、「西洋の学問なら何でもかんでも良いと思うな」とも語る。「自分の頭で考えて、自立して学び、それを行動に移しなさい」ということだろうと受け取った。
また福沢諭吉は本書で、「大きな目標を持って学べ」ということを言っている。
> われわれの仕事というのは、今日この世の中にいて、われわれの生きた証を残して、これを長く後世の子孫に伝えることにある。(p125)
>
今は社会の役に立とうという志よりも、自分の身を守るというか、自分と周りが無事に生きていければ多くは望まないというような雰囲気を社会から感じる。それも悪くないし、社会が生んだ空気感だと思うので、否定はしない。
しかし、私は福沢諭吉が語るような「熱く大きな志を持って働いて社会に何かを残していく」ことに魅力を感じる。私自身、社内で新規事業の立ち上げと運営を行っているが、まさにこうした気持ちで日々を過ごしている。一つ一つは小さくとも、それが大きな価値になっていずれ社会の役に立つように育てることに、自分の社会人人生を使っていきたいと思っている。
> 人間であることの分限を間違えずに世間を渡れば、他人にとがめられることもなく、天に罪せられることもない。これが人間の権理である。(p106)
>
福沢諭吉はこう言う。「他人や社会をどうのこうのと言うのではなく、自立した人間になって、社会の役に立つことをする」ということを言いたいのだと思う。
今の世の中は、学ぶことこそすれ、その目的は自身のためであることが多いと思う。社会の役に立てるためという気持ちではなく、自分という船が社会の海を上手く渡っていくための道具として学びがあるように感じる。しかし福沢諭吉が生きた時代は学者の存在は今よりも貴重であり、学ぶことが社会の役に立つことと結びついていたのだろう。現代と様子は違うが、その志の高さは参考にしたいところである。 -
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明治時代に書かれたとは思えないほど、現代に生きる自分にとってためになった。
特に、社会と国家と自分との関係性の一貫した理解と、そこへのコミットの仕方について、考えるきっかけになった。潜在的に自分に社会との一つ筋の通った関わり方がないと問題意識を抱いていたので、独立には二種類あって、ただ自分で自分を食わせるだけなら蟻でもできる、人間として社会と能動的に関わり、古人の知恵を使ってそこに何をaddできるか考えてこそ、というより知的かつ人間的な独立をしなければ、の部分がとても刺さった。
あと、人間のくせに人間を毛嫌いするのはよくない、というのも、厭世感のつよい自分には刺さった。 -
Posted by ブクログ
男女同権や仕事のやりがい、人権、統治国家と法律についてなど、現代に生きる私たちこそ読むべき本でした。
本書はビジネス書的な内容も多く、齋藤先生がとても読みやすく現代語に訳してくれているので、私でも読めました。
本書の中で、人とひとの繋がりやコミュニケーション、思いやりが大切だと書かれています。現代の多くのビジネス書と同じ結論を明治時代に生きた福澤諭吉も言っていたんですね。面白い。
でも、学問のすすめは明治時代当時からベストセラーだったはず。そして今の書籍でも同じことが言われ続けている。コミュニケーションや思いやりは我々日本人、もしかしたら人類みんなの永遠の課題なんでしょう。
私も思いやりのあるコミュニケーションを取れているのでしょうか? -
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ものすごく有名な作品であり有名な著者福沢諭吉だけど・・今までちゃんと読んだことがなかった「学問のすゝめ」。
まず福沢の人物像がとてもよい。臆することなくハッキリと言う。そこまではっきり言っちゃう?みたいなことも多々ww 「世の中で学問のない国民ほど哀れで憎むべきものはない」など。齋藤孝さんの現代語訳というのもよかった。とてもわかりやすい。
学問はたんなる知識で終わらせてはいけない。「普通の生活に役に立つ実学である」
他にも「苑望」や「名分」「権理」など知っておきたい言葉もたくさんあった。
とにかく理解を深め実践できるまで、みっちりと読み尽くしたい。現在2周読んだけど。
若い人にも、私はむしろ社会人など大人にこそ読んでほしい作品だと思った。 -
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非常に良かった。
これほどページを折り曲げたのは初めて。
学ぶにしても、世の中の役に立つ実学でないと意味がないと言う話があった。その通りかもしれない。自分の仕事に精を出すのはいいが、それが何の役に立つのか整理することで、やることは絞られそうだし、仕事が楽しくもなるだろう。
生きてるだけなら、他の人に迷惑をかけていないだけで、蟻以下である。と言うのも、なかなか厳しい言葉だと思ったが、未来に何かを残すという意味ではそうなのだろう。そう考えると、後世に何かを残すと言うのは、あってしかるべき考え方なんだろうと改めて感じた。
疑うことの大切さについても納得するものがあった。特に現代は情報の量が増えている上AIも発達してる。情報を使うのは人間の責任であり、疑うことの必要性重要性については、今だからこそ、より重要な観点だなぁと感じた。
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ドラッガーもこの本読んだのでは、と思わせるほど、現代のマーケティングの考え方や、ビジネスを進めるうえでの気概といったものの本質を示した名著。
一万円札のインパクトが大きいことから、内容もさぞかし高尚なもので読みにくいのかと思いきや、とてもわかりやすく、びっくりするほど辛辣な記述が多かった。
齋藤孝氏の現代語訳がわかりやすいというのもある。
以下は刺さった内容。
156ページ
人間の見識、品格を高めるためには、物事の様子を比較して、上を目指し、決して自己満足しないようにすること。
183ページ
ただ流れに任せて生きているだけで、かつて自分自身の有様を反省したことがない。生まれて今まで自分は何事をなしたか、今は何事をなしているのか、今後は何事をなすべきか、と、自身の点検をしなかったことによる。
215ページ
他人の仕事を見て物足りないなと思えば、自分でその仕事を引き受けて、試しにやってみるのがよい。-中略- 違った世界の仕事であっても、その働きを比較することができれば、大きな間違いはないだろう。
235ページ
見た目の印象も大事。人の表情は家で言えば玄関のようなもの。人と付き合おうとして表情を和らげるのに気を遣おうともせず、ことさらに渋い顔をするのは、戸の入り口に骸骨をぶら下げて、門前に棺桶を置いているようなものだ。 -
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実はこれまで読んだことがなく、偉人の書いた本というのを読みたいと思って読んだ。
学ぶ事の重要性を説き、皆が学んで国を良くしていこうではないか、という内容。勿論昔の本なので、本の中で言及されるような事例は当時の時代に沿って書かれている。しかし、個人の自立と国の発展というのは現代社会のキャリア形成においても通じるところがあると思って熱中して読めた。
天は人の上に人をつくらず…という有名な冒頭から始まるが、これは地位や役職に関わらず、学ぶかどうかで差がつくのだという主張につながっている。
学ぶことは単なる知識ではなく、生活や仕事に実践できる実学にすべきであり、個人個人がこれに取り組む事で国力(=現代でいう企業価値)の向上に繋がるというもの。
こういった国力の向上を継続的に繋げるためには、そのための仕組みづくりが必要で、国ではなく民間がすべきだ、ということもセットで主張されている。
自身にとってもかなり共感できる内容で、会社で働く上でも、一人一人が学ぶ事を支援できるような制度など、それに類する仕組みがある会社というのが自分の理想かとも思った -
Posted by ブクログ
そう言えば「学問のすすめ」をきちんと読んだことがなかった。
冒頭の「天は人の上に~」のフレーズは知っていても、どういう内容なのかまでは、そういえば理解していなかった。
約150年前に書かれた福澤諭吉の名著であるが、こういうきっかけがないと手に取らないだろう。
一念発起して、斎藤孝氏による現代語訳版を購入してみた。
読み終わっての感想としては、150年前の人々の課題と、現代の我々の課題とが、あまり変わっていないことに驚かされてしまった。
明治期の近代化に邁進していた時代と、戦後80年で、経済が停滞した平成期を乗り切り、新しい令和の時代とで、共通項があるとはとても思えない。
そう考えると、「学問のすすめ」に書かれていることは、時代を超えた人々の普遍的な課題なのかもしれない。
タイトルが全てを物語っているのだが、結局「学問をきちんと修得しなさい」ということに尽きる。
ついつい、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」が有名過ぎて、「学問のすすめ」を「人間に身分の差はない」という話かと勘違いしてしまいがちであるが、実は主題は全く違う。
(それこそタイトルが「学問のすすめ」なのだから、気付きそうなものなのだが)
福澤諭吉が本当に伝えたかったことは、その後の部分だ。
人間は確かに生まれながらにして平等なのだが、現実には「賢い人と愚かな人」「豊かな人と貧しい人」の差が生まれてしまっている。
その差はなぜ生まれるのか。
それは「学問をしたか、しないか」であると断言しているのだ。
確かに中学高校で「学問のすすめ」を習った気がするが、こういう話だったという記憶がない。
冒頭の「天は人の上に~」を暗記させるよりも、よほど大事なことを言っているのだから、そちらの方をきちんと学ばせるべきだ。
「学問のすすめ」は、明治期の大ベストセラーだそうだが、なんと当時約340万部(17編合算)という驚異的な発行部数だそうだ。
当時の人口や、識字率&読書人口を考慮すると、これは異常な数字だ。
それだけ、当時の庶民に大きな影響を与えたのは間違いない。
近代化を目指す日本国家の国力増強のためにも、庶民レベルでも学問の大切さを感じ取ったのだろうと思う。
今、令和の時代になって、学ぶことの大切さが再注目されている。
これだけ変化の激しい時代において、過去に勉強した遺産だけで生き残ろうと思うのは、都合がよ過ぎる話だ。
過去に体験したことがない事象がドンドン起こりえる中で、それらの課題にどうやって向き合うのか。
リベラルアーツを学ぶことが見直されている。
職業訓練とは違う意味で、一見すぐに役に立つ訳ではなさそうな「教養」を改めて身に付けろということだ。
これは、本当にその通りだと思う。
哲学や倫理観、美意識こそが、未知の課題に対してはすごく重要になってくる。
複雑に絡み合った物事を、単純には解決できない今の時代、その複雑なパズルをどうやって解くのか。
解法は決して一つではなく、おそらく関係者の利害を考慮した「最適解」を出すことが精一杯になるはずだ。
その最適解を、どうやってステークホルダー(利害関係者)たちを巻き込んで、納得させ、解決のために進めていくのか。
少なくとも日々鍛錬していない人には、これら高度な課題を解くことができないだろうと思う。
「学んだか、学ばなかったか。それだけの差である」
人事の仕事をしていると、この言葉の重みをヒシヒシと感じてしまう。
かつては何も考えずに会社に勤めさえすれば、終身雇用で守ってもらえた。
しかしこれからは、完全に「100%自己責任の時代」だ 。
過去の成功体験に固執し、学ぶことを放棄した人は、どれだけ社歴が長く経験を積んでいたとしても、環境の変化についていくことはできないだろう。
逆に、常に新しい知識を吸収し、アップデートし続ける人は、150年前の明治期だろうが、令和の現代だろうが、どんな時代でも必要とされる人になる。
「学問のすすめ」こそ、普遍的な真理と言えると思う。
福澤諭吉が強調している点は、単なる知識の詰め込みではないところが特徴的だ。
日常生活やビジネスに役立つ「実学」こそ大事であるという点 。
難しい古典を読み解くことよりも、読み書き、計算、地理、歴史、そして経済の仕組みを学ぶことを重要視している。
現代風に言えば、「ポータブルスキル」や「ITリテラシー」「生成AIの活用能力」に相当すると思う。
これからの時代、ホワイトカラーの仕事がAIに代替されるのは間違いない。
単純な事務作業やルーティンワークは、今すぐでもAIが担うことは可能だ。
そんな時代に、我々に求められる「実学」とは、得られた情報を分析し、自分なりの知見としてまとめ、行動に移す力のことだ。
「ITが苦手だから」という言い訳は、もはや通用しない。
自らデジタルツールを使いこなし、業務を効率化させ、余った時間でさらに新しいことを学んだり、ビジネスを作り出したりする。
この「学びのループ」を回せる人だけが、生き残ることができるはずなのだ。
本書のキーワードの一つが「独立自尊」という言葉だ。
一人ひとりが自立し、自分の足で立つこと。
それができて初めて、国家も自立できるのだと、説いている。
私自身、組織開発の仕事を長く経験しているのだが、「自走する組織」を作ることが本当に難しいと思っている。
各人が前向きになるだけでは駄目で、そこから一歩進んで、組織としての自走を実現しなければいけない。
各人が歯車のパーツになったとしても、それらが有機的に嚙み合って、小さな力で大きなアウトプットを出せるようになることが理想だ。
そんな組織としての力を目指しているのだが、まだまだ道半ば。
組織の歯車であったとしても、指示を待つだけの歯車ではいけない。
依存し合うのではなく、自立した個人が、共通の目的のために協力し合う。
そうした「独立自尊」の個人(歯車)の集合体こそが、どんな困難な状況にも対応できる強いチームになると思うのだ。
社内でDX推進を行っているが、まさにデジタル化こそ主体性が問われる事象だと思う。
自分たちの仕事を少しでも良くするために、DXをどう活用するのか。
いくら便利なツールがあったとしても、主体性がなければ、宝の持ち腐れになってしまう。
真の変革を起こすためにも、主体的に学び続け、改善し続ける組織が必要だ。
最近は「リスキリング」や「アンラーニング」なども、一般的な言葉になった。
中高年でも、新しい環境に合わせて自分のスキルを磨き直すことが求められている。
それは決して、苦労して無理して獲得するスキルではないはずだ。
むしろ、新しい知識を楽しんで得ることの方が大事。
何歳になっても、今まで知らなかった世界を知ることは、最高の喜びのはずである。
自身の精神のためにも、楽しく学ぶことは、非常に重要な資質だと思う。
世界が益々複雑になり、未来を予測することは本当に難しい。
AIに仕事を奪われるかもしれないし、会社がなくなるかもしれない。
そんな不安に飲み込まれないために、自分の頭で考え、判断し、行動するための知恵を持つこと。
それこそが、福澤諭吉が問いかける「学問のすすめ」の本質なのだと思う。
自分自身を戒めながら、学び続ける人生を歩みたいと思っている。
(2025/8/26火) -
Posted by ブクログ
有名な一文は学校で習ったから覚えてたけど、ちゃんと読んだのは初めて。昔の自己啓発書!意識高い系@明治時代!みたいな感じの内容で興味深かったし何これ意外に面白いじゃん、と思った。私たちが不平等って感じるのって命の平等とか権利の平等ではなくて、生まれながらに土地持ちとか、何もつけてないのに肌綺麗とか食べても太らないとかそういう事なんですけどー?って読んでて思ったけど、それは権利も命もすでに平等が当たり前である今だから言える事で、権利も命も平等じゃない時代があったんだなーと。。明治維新ってすごかったんだ。文学を通して歴史を学ぶって面白い。現代にも通じる生活、人としての在り方、日本の在り方、などなどいろんなことの基本、そして指針となる本。
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Posted by ブクログ
啓蒙思想家であり、慶應義塾の創始者でもある福澤諭吉が、明治時代の初期、庶民に向けてこれからの時代を生きる心構えを、端的に力強く語りかける書。
大政奉還や西南戦争などの激動の時代と並行して発表された本書。
当時は、「これからどうなってしまうの?」という危機感とともに読まれていたのかなと思うけれど、2025年を生きる私が読むと、そうか、これが近代の思想の出発点だったのだな、と再認識する読書になった。
面白いなと思ったのが、「義務」を「分限」と、「権利」を「権理」と記した福澤の言葉遣い。
義務と権利って、どこか相反するイメージの使われ方、例えば「義務を果たして初めて権利が与えられる」という考え方に接する機会が、日常生活でもふとした瞬間に訪れる。
そのたびに、なんか違う……でも、何が違うのか、はっきり自分のなかで言葉にできない、というもどかしさでいっぱいになっていたけれど、福澤の考え方だと、
「人間の身体は、他人と離れて一個独立しており、自分自身でその身体を取り扱い、自分自身でその心を用い、自分で自分を支配して、するべき仕事をするようにできている。(中略)分限とは、自分もこの力を使い、他人もこの力を使いながら、お互いにその働きを妨害しないということである。このように、人間であることの分限を間違えずに世間を渡れば、他人にとがめられることもなく、天に罪せられることもない。これが人間の権理である。」
となる。
これだと、権利(権理)は人に自ずと備わっているものであって、義務(分限)とは、他者にもそのことを認めること、となる。
上下関係のもと、義務を果たした人に権利が与えられるのではなくて、お互いフラットな関係性にたったうえで、認め合うのが権利と義務。
利益と労働の取引じゃなくて、一人ひとりが可能性を自由に追求するための出発点なのだ思いました。
ここまで整理してみて、ようやくすっきり。
読んでよかったです。
次は『福翁自伝』にも挑戦してみたいと思いました。