あらすじ
近代日本最大の啓蒙思想家・福澤諭吉の大ベストセラー『学問のすすめ』を、原書のリズムをいかしつつ、文語を口語に移した現代語訳。国家と個人の関係を見つめ、世のために働くことで自分自身も充実する生き方を示した彼の言葉は色あせない。時代情勢を的確に見極め、今すべきことを客観的に判断する力を身につけよう。
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Posted by ブクログ
有名な一文は学校で習ったから覚えてたけど、ちゃんと読んだのは初めて。昔の自己啓発書!意識高い系@明治時代!みたいな感じの内容で興味深かったし何これ意外に面白いじゃん、と思った。私たちが不平等って感じるのって命の平等とか権利の平等ではなくて、生まれながらに土地持ちとか、何もつけてないのに肌綺麗とか食べても太らないとかそういう事なんですけどー?って読んでて思ったけど、それは権利も命もすでに平等が当たり前である今だから言える事で、権利も命も平等じゃない時代があったんだなーと。。明治維新ってすごかったんだ。文学を通して歴史を学ぶって面白い。現代にも通じる生活、人としての在り方、日本の在り方、などなどいろんなことの基本、そして指針となる本。
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久々に読み直した。世の中の役に立つことを勉強しなさい。外国に無条件に憧れるんじゃなくて、いいところ悪いところ見極めなさい。法を守るのは義務。仇討ちとかしないで文句があればルールに則って訴えなさい。ただ生計をなすだけじゃだめだ、世の中に貢献しなさい。とかとか。
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啓蒙思想家であり、慶應義塾の創始者でもある福澤諭吉が、明治時代の初期、庶民に向けてこれからの時代を生きる心構えを、端的に力強く語りかける書。
大政奉還や西南戦争などの激動の時代と並行して発表された本書。
当時は、「これからどうなってしまうの?」という危機感とともに読まれていたのかなと思うけれど、2025年を生きる私が読むと、そうか、これが近代の思想の出発点だったのだな、と再認識する読書になった。
面白いなと思ったのが、「義務」を「分限」と、「権利」を「権理」と記した福澤の言葉遣い。
義務と権利って、どこか相反するイメージの使われ方、例えば「義務を果たして初めて権利が与えられる」という考え方に接する機会が、日常生活でもふとした瞬間に訪れる。
そのたびに、なんか違う……でも、何が違うのか、はっきり自分のなかで言葉にできない、というもどかしさでいっぱいになっていたけれど、福澤の考え方だと、
「人間の身体は、他人と離れて一個独立しており、自分自身でその身体を取り扱い、自分自身でその心を用い、自分で自分を支配して、するべき仕事をするようにできている。(中略)分限とは、自分もこの力を使い、他人もこの力を使いながら、お互いにその働きを妨害しないということである。このように、人間であることの分限を間違えずに世間を渡れば、他人にとがめられることもなく、天に罪せられることもない。これが人間の権理である。」
となる。
これだと、権利(権理)は人に自ずと備わっているものであって、義務(分限)とは、他者にもそのことを認めること、となる。
上下関係のもと、義務を果たした人に権利が与えられるのではなくて、お互いフラットな関係性にたったうえで、認め合うのが権利と義務。
利益と労働の取引じゃなくて、一人ひとりが可能性を自由に追求するための出発点なのだ思いました。
ここまで整理してみて、ようやくすっきり。
読んでよかったです。
次は『福翁自伝』にも挑戦してみたいと思いました。
Posted by ブクログ
びっくりするくらいあっという間に読み終わった本。
絶対に聞いたことがある本だが読んだことがない本でもあったため、読んでみた。
なぜ、学びを修めなければならないのか。
なぜ、賢くならなければならないのか。
日本国民(にっぽんこくみん)という民族が滅ばずに生きていくためには何が必要か。
闘うとはどういうことか。
このようなことが書かれていた。
本の活字から伝わる福沢先生の「このままじゃ日本はだめになる。どうにかせんといかん。」という熱い気概に圧倒された。
先の見えない時代に置かれていた人々に対する福澤先生の啓蒙は、我々にも当てはまることが多くあった。
勉強しないと。
Posted by ブクログ
AI時代に入り、人間とは何か、何を学ぶべきか、果たして学ぶ必要があるのかといったテーマが、我々に迫ってきている。ChatGPTに質問すれば答えてくれるため、学ぶことをChatGPTに任せるべきだという意見もある。ChatGPTをやらないヤツはバカと堀江貴文に言われて、ChatGPTを使うようになって、ChatGPTと生成AIの本を読み始めた。生成AIを駆使する落合陽一の著作を読み、さらにニーチェの『ツァラトゥストラ』を手にすると、永遠回帰というテーマが浮かび上がった。「神は死に、人間は超人となる」と説くニーチェの考えは、落合陽一のワークアズライフ、「好きなことで24時間働け」と共通点があると感じる。また、反復労働については、カミュの『シーシュポスの神話』における幸福を求める姿に感心した。加えて、コロナ禍の最中に途中まで読んでいたカミュの『ペスト』を最後まで読み切り、不条理な世界観を実感した。目に見えない敵と戦うには、五感を駆使して自己防衛に努めるべきである。
そういえば、学ぶことの重要性を強調した福沢諭吉の『学問のすすめ』があるので、まずは齋藤孝の現代語訳を手に取り、読んでみることにした。
『学問のすすめ』は、明治5(1872)年から9(1876)年にかけて、17編の小冊子として出版され、その後、明治13(1880)年に一冊に合本された。各編は約20万部、17編合わせて約400万部販売されたと伝えられ、まさにベストセラーであり、日本人の基盤を築いた作品である。実に150年前の作品だ。
齋藤孝の現代語訳は、わかりやすく読みやすい。福沢諭吉が「天は人のうえに人をつくらず、人の下に人をつくらず」と述べていたと考えがちだが、「と言われている」という注釈が加わることで、その意味合いは大きく変化する。つまり、福沢諭吉自身が言ったわけではないことを知る。
福沢諭吉は貧しい身分にあり、「門閥制度は親の仇である」と語っている。蘭学を学んだものの、江戸に出て外国人と接してもほとんど通じず、オランダ語が無駄であったと反省し、英語を学び始めた。福沢諭吉は、常に新しい知識を取り入れ、アメリカにも三度渡った。その中で、日本の遅れを痛感し、それを解決する策は学びしかないと覚悟する。それが本書に結実している。
福沢諭吉は「人は学ばなければ、智はない。智のない者は愚かな人間である」と述べる。したがって、学ぶことが不可欠であり、その学びは実学でなければならない。ただ難しいことを知り、わかりにくい昔の本を読む漢学者の中には、社会生活に適応できない者が少なくないのである。一生懸命に学ぶべきは、日常生活に役立つ実学である。文字を習い、手紙の書き方や帳簿の付け方、そろばんの練習や天秤の取り扱いなど、学ぶべきことは非常に多い。それぞれの学問では、実際の事実を押さえ、物事の性質を客観的に見極め、物事の道理を把握し、現在の目的を達成すべきである。このようにして、個人の独立が促され、家庭も独立し、国家の独立にもつながる。
廃藩置県によって武士制度が失われ、生まれつきの身分は自由となった。また、外国が日本を植民地にしようとしているときに、福沢諭吉は「一人ひとりの自立が必要である。それには学びが欠かせない。世の中で学問のない国民ほど哀れなものはない。愚かな民がひどい政府を生む」という。
現在の日本を見れば、耳が痛い話である。本を読むことだけが学問ではない。古事記を暗唱するべき人が、今の米の値段を知らないのであれば、実生活の学問に無知であると言える。政府と民は対等であり、幕府の時代には政府を「お上様」と称していたが、今は違う。人は平等な人権を持っている。愚かな政治を避けたいのであれば、今すぐに学問に励み、自分の才能や人間性を高め、政府と同等の地位に立つよう努めなければならない。そして、国同士もまた平等である。個人の独立があってこそ国家も独立する。独立の気概がないならば、国を思う気持ちもまた薄い。日本人の卑屈さは日本国の卑屈さである。権威に弱い者は国を売る。独立の気概がない者は、他者の権威を利用して悪事を働く。
天皇を人間と言い切り、大奥のシステムは罰だとも言っている。妾を持つのもよろしくないという。1番の問題は、政府に寄りかかることだという。
福沢諭吉がそのようなことを語っていたとは知らなかった。彼は今の日本の惨状を的確に言い当てている。福沢諭吉は、外国と比較して学術、経済、法律の三つにおいて劣位にあると指摘している。その原因は国民の無知無学にある。一国の文明は政府の力だけで発展するものではない。西洋諸国の歴史書を見ても、商業や工業において政府が発明したものなどは一つもない。蒸気機関、鉄道、アダム・スミスの経済法則は、中産階級の人々が力を発揮した結果である。文明を進展させるのは民間の人民であり、それを保護するのが政府の役割である。
勇気というものは単に読書から得られるものではない。読書は学問の技術であり、学問は物事を成すための手段に過ぎない。実際の経験がなければ、勇気は決して生まれない。人間にはそれぞれ身体があり、知恵があり、欲があり、両親があり、意思がある。この五つの要素は人間に不可欠な特性であり、自分の考えで他者を縛ってはいけない。
品格を高めることが大切である。学問の本来の趣旨は単に読書にあるのではなく、精神の働きにある。この働きを実践に移すには、物事を観察し、道理を推論して自分の意見を立てる。議論を通じて知見を交換し、本を書いて演説することで見識を高めるべきである。ただ知識を持っていても品格は高まらない。物事の様子を比較し、高みを目指し、自己満足に陥らないよう心掛けるべきである。後から来る者は、先人たちを超えるのが当然である。
「生まれて今まで自分は何事を成し遂げたか。今は何事を成しているのか。今後は何事を成すべきか」と自己点検を行い、するべきことにかかる時間を計算に入れる。今後の方針を立てるには、知性・徳・仕事の棚卸しが必要である。十分に疑い、じっくりと判断力を鍛えることが求められる。信じることに多くの虚偽がある一方で、疑うことには多くの真理が潜んでいる。
西洋文明は確かに我が国の文明を遥かに上回っているが、決して完璧な文明ではない。西洋の風俗を全て素晴らしいものとして信じるべきではない。西洋かぶれは良くない。福沢諭吉は「東西の人民、風俗を別にし、情意を異にし、数千百年の間にそれぞれの国土において成立した習慣は、たとえ利害が明らかであっても、そのまま彼に移し替えるべきではない」と述べている。日本の古来の習慣は大切にすべきであり、西洋の行儀について皮肉を言う福沢諭吉の姿勢には感心する。
言葉についてしっかりと学ぶべきである。日本語を巧みに使い、弁舌を磨く努力が必要だ。また、表情や外見を整え、一見しただけで人に不快感を与えないようにする。そして、交際を広げていくことが重要である。人間でありながら人間を毛嫌いするのは良くない。
齋藤孝の現代語訳は非常に読みやすい。以前読んだ本とは大きく異なる印象を受けるとともに、福沢諭吉の語り口は現代でも通用することに驚きを禁じ得ない。とにかく実学をしっかりと学ぶことが必要である。
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福沢諭吉の意見は非常に参考になり、多くの学びを得ることができました。
学問は、ただ知識を身につけるだけでなく、それを自分の仕事や働き方に活かし、社会に役立てていくことが重要だと感じました。
また、「怨望」を抱くことはよくないという考えにも深く共感しました。自分がやるべきことを見極め、それを通じて文明を前進させるために行動する。単に家族を守ることにとどまらず、他人や社会全体に貢献できる人間でありたいと思います。
これまで、個人的に「自分や家族の幸せ」が最も大切だと考えていました。もちろん、それは基本であり大切なことですが、同時に、文明を進歩させ、世の中に貢献できる行動を取ることが重要だと気づきました。
そのためには、学問を通じて必要な知識を身につけることが不可欠であるという思いを新たにしました。
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なぜ学ばなければいけないのか。
途中難しい内容もあったが、モチベーションが上がる1冊だった。
はじめて読んだが、毎年一回は読みたい本になった。
自分にとって大事な一冊にしたい。
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昔から名著で、日本で有名な本を挙げたら必ず挙がるであろう名著の現代語訳版。
非常に読みやすく現代語訳してあるので、肩ひじ張らずに読めました。
現在でも十分通じる内容が、直截に書かれていて、読んでいてくどくない。
内容としては、勉強し、世間と積極的に交わりあらゆることに興味を持ち、それらを観察・推察して活きた学問を得ることの大切さを述べていました。
そのための心構え、世間の考え方なども述べていて単なる自己啓発本だけではなかったです。
昨今の不平不満あふれる世の中を見ていると再びこの本の価値観は必要なのだと感じさせられます。
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渋沢栄一の論語と算盤に続いて、前の1万円札だった、福沢諭吉の学問のすすめを読みたくなった。
学問のすすめという言葉はずっと知っていたけど、実際に読んだことはなかった。冒頭に翻訳者もそのように言っている。
本の概要だが、国を頼りにしているばっかりではなく、民の気風を改革し、国を自ら盛り上げることが大事だとと書いてあった。では、どうやって気風を高めることができるのだろうか。それが学問である。福沢諭吉は学問をただの机上の学びだけでなく、アウトプットが大事と言っていた。
さて、本で自分が面白いなと思ったところを紹介しよう。私は「この仕事で飯を食っている」という表現がなぜか嫌いだった。言語化できないが下品な感じがして嫌いだった。第9章のよりレベルの高い学問では、「衣食住だけ守る量では蟻と同じ、社会にいかに貢献するかが仕事というもの」と福沢諭吉は記している。また、別の章では当たり前のことができるできないと言ったレベルで議論するのはすごくレベルが低く、常に全体上を比べて前進することが品格につながるとあった。
自分が考えていた「この仕事で飯を食っている」という表現の気持ち悪さはまさにこのことである。最低限のレベルの仕事を誇らしく、言っているのが気持ち悪いなと思った。
2つ目に面白かったのは第15編の判断力の鍛え方。明治初期には西洋諸国が素晴らしいと疑いもなく思い込んでいる人が多かったらしい。判断力を養うのは学問であり、疑うことで進歩がある。確かにその通りで現状が不便だなあと思わなかったら、より良い社会は作れないのでそのとおりだと思った。
福沢諭吉の皮肉も面白くて西洋人が素晴らしくて、日本の文化が素晴らしくないって思い込んでいる人が。もし、日本と西洋の文化が逆だったらという想定で皮肉を言っていた。例えばちり紙文化について。「もし西洋の人がちり紙を使っていたら、衛生的にも進んでいると言っただろうし、日本にハンカチ文化があれば日本人は野蛮だから同じ布を何回も洗って使い回してすごく汚い。西洋はすごく進んでいるなぁ」と言っただろうと皮肉が書いてあった。めっちゃ面白かった。
この本の主題ではないが、福沢諭吉の1万円札が使われたのが1984年から2024年40年にわたって作られた。その40年の間に国から民へ移ったものといえば、鉄道、郵便局、高速道路などがある。まさに学問のすすめに書いてあった、国を頼りにするという姿勢からの民が頑張るといった心持ちの変化をしていった40年だったと思う。福沢諭吉が1万円札になった。メッセージというのは、こういうところからも感じることができるのではないだろうか…
では、渋沢栄一が1万円札になった。この令和の時代は一体どういうメッセージがあるのだろうか?それも考えてみてみたいと思った。
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お札が変わるということで、タイトルと著者は知っていたものの、内容を知らなかったので読んでみた。
最高の自己啓発本。特に独立の部分については、サラリーマンとして考えさせられるものがあり、起業や副業が当たり前になった世の中で、あらためて個としての独立が必要と感じた。サラリーマンとして生活しているだけではアリと一緒。強烈。
中学生高校生ぐらいで読みたかった。
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多くの人はタイトルこそ知っているが中身を読んだことはなく、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」なんていう1番最初のフレーズだけを知っている。何ならその次の文をついでに覚えて「そうじゃないんだよ」とマウントを取ろうとする。この本を全編読むと福沢はそう言った人々をばっさり切り捨てていることがよくわかる。
平易な文章ながら力強い。明治初期に書かれている本なのに不思議と古臭さが全くなく、現代にも通じるものばかりな事にひたすら驚く。お世辞抜きでそこら辺の自己啓発本読み漁るくらいならこれ1冊熟読した方がいい。
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日本国民に対して危機感を伝える本書。
特に国民の学問の程度を嘆いている。
あれこれ文句を言う前にまず勉強せよとのこと。
その人の職の苦労を知らずに主観で語るなと。
また、政府と国民の関係を良好に運ぶために我々がすべきことが書かれている。
結論を言ってしまうと、学問をし、知識や見聞を広め、一般常識や教養を身につけなさいとのことだ。
非現実的な例だったが、悪い政府に対しては自分とその子ども、さらにその先の子孫を通じて改善されるまで抗議しろと。彼の気概が感じられて良い。
そして、国民との約束を守る良い政府であるなら、素直に従い、面倒を起こさないことが平生だということだ。
これに関しては、良い政治を行い国民を正しい方向に導くならば、我々も従順な態度を示し政府に付き従うだろう。
しかし、官僚の不祥事が続く昨今では、我々は政府に対する不安を拭うことは到底出来ない。
不安という感情は人を懐疑的にさせる。この時の心理状態は非常に不安定で、そう易々とその政府が安全地帯と称した場所には怖くて動けない。
いや、道が分からないからなのかもしれない。
その時点で政府はまず国民を安心させることが先決であるように思う。
政府に対し、国民は全て批判し忌み嫌っているわけではない。そこは誤解しないで頂きたい。
だが、政府側の手段が判然とせず、不要な誤解を招き、導き方が強引なだけだと信じていいのか。
我々が危険地帯に癒着し続けているならば、安全地帯までのプロセスを明確にし、示し導くのが筋ではないか。今のままでは国民は対岸に渡れぬまま犬死にするようなものだ。
前述していたのだが、政府に対して私観で語ってしまい申し訳ない。
だが、私の意見を言語化し表現するには必要なことだった。気分を害された方、ご了承願いたい。
Posted by ブクログ
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という名句は、実は本書の的を得ていない。されど、この句が広く知れ渡ったせいで、本書自体がさも平等を謳うものとして認知されているに違いない。本書の極め付けは、封建制から解放された、ぼーっと生きている庶民に実学のすゝめを説いたことにあろう。学問とは決して机上の空論ではない。(文中に、漢学者などとして批判される)商人は大商人へ、農家は大農家になるべく、知的、実践的研鑽することを指すのである。
Posted by ブクログ
学問とは何か…
古事記を暗誦してても米の値段を知らない…
中国の史書に詳しくても商売のやり方を知らない…
実生活も学問であって、実際の経済も学問、世の中の流れを察知するのも学問である。
この前半の数行に記された一文が…
いまの自分に一番響く文章でした。
Posted by ブクログ
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」
「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」
人は同等であり、学び続けることで人のためになり富の分配をしなさい、という風に受け取れる。
一度きりの人生、学ぶことで普通の日常を少し変えたいと思わせてくれる。
Posted by ブクログ
学問で重要なのは、それを実際に生かすことである。実際に行かせない学問は、学問でないのに等しい
妬みは百害あって、一利なし
人間最大の災いは怨望であって、その原因は窮なのだから、言論の自由は邪魔してはいけないし、行動の自由は妨げてはいけない
人望とは、実際の力量で得られるものでは元よりないし、また財産が多くあるからといって得られるものでもない。ただ、その人の活発な知性の働きと、正直な心と言う徳を持って、次第に獲得していくものなのだ
Posted by ブクログ
社会人になってから、歴史に名を残す著作、ちゃんと内容を知っておかねばと思って読んだ一冊。国家と国民の本来あるべき関係、納税の意義など、近代国家とは、がとてもわかりやすく説明されている。さすがは諭吉さん。でも、実際には理想どおりにいかないんだよなあ…。と、思いつつ、政治家の皆さん、国民の皆さん、この本読んで一回原点に立ち返りませんか、と言いたくなった。
現代語訳なのでわりとすんなり読めた。
Posted by ブクログ
「難しい仕事をする人を地位の重い人といい、簡単な仕事をする人を地位の軽い人という。およそ心を働かせてする仕事は難しく、手足を使う力仕事は簡単である。だから、医者・学者・政府の役人、また大きい商売をする商人、たくさんの使用人を使う大きな農家などは、地位が重く、重要な人と言える。」(p.10より引用)
この主張がどうも癪に障る。わたし自身はここで言う「重い人」に該当するものの、手足を使う力仕事を簡単だと主張する福澤の語り口があまり気に食わない。
福澤の主張の9割は正しいと感じたし、愚痴っぽい主張も正直共感できた。ただ、出版物という公の場所で主張するにしては、軽度に過激な学問至上主義者で、学問から遠い場所にいると思われる人たちのことをうっすら馬鹿にしている感じを隠しきれておらず、Z世代の私としては、彼の主張は棘があるなと感じた。
まぁ日本を世界に通用させるような強い独立国家にさせるには、これくらいの愛国心と向上心が必要だなとは思う。
Posted by ブクログ
学問のすすめ。”学ぶか学ばないかで差が生まれる”と学ぶことの大切さを述べ、”ひどい政府は愚かな民が作る”と民である一人が考える(学ぶ)必要があると述べる。さらにそれが熱量のある文体で書かれている。学ぶこと・考える事の大切さについて考える熱量を与えてくれると思う
Posted by ブクログ
日本を代表する近代の書籍なのに読んだことが無かった。慶應義塾大学の創設者でもあり、現・一万円札の顔となっている福澤諭吉氏による、今でいうところの自己啓発本である。原書は漢文体(?)で書かれているそうで、現代語訳はありがたい。
言わずと知れた、明治維新の時代である。福澤氏は、当時の日本国民に独立せよ、そのためには自らの判断力をつける必要がある、判断できるようになるには学問を積むしかない、と説いている。
興味深いのは、西洋文化を真似するだけではだめだ、その背景を理解して見習うべきところだけを取り入れよ、と言っているところ。
学問をするというのは、論文を読んで自分が納得するだけでは不十分で、それをアウトプットできなければいけないという旨のことが書いてある。耳に痛く厳しいお言葉であるが、本書を一冊通して読むと、「全くその通り、ごもっとも」と思える。
当時の日本人に対して、どの職業であれ現状に甘んじていてはだめだ、もっと外に出ていろいろな人と交流して意識を高めていこう、と鼓舞している。内容はまったく古臭くなく、現在でも十分通用する。
一回読んでおくといいと思われる。
Posted by ブクログ
やはり現代人に文語体はハードルが高いです。このような現代語訳が出てくれることは大変有意義だと思います。
しかし、新書で売り出されて「ビジネス書」としての側面を打ち出されるのはなんだか複雑な気分もします。そういう自分も新書でなければ手に取らなかったと思いますが。
福澤諭吉の視点は、いまの時代を生きる自分から見ると、法律を守ること、他国から独立を守った強い日本国であることを重視する”保守的”な考え方や、学問をすることで財産や地位を得るという”新自由主義”的な考え方が見られるなと思いました。その一方で、政府と国民が対等であることを強調し、不満があれば正当な手段で政府に抗議することを勧めてもいます。
そういった意味でバランス感覚に優れた人物であったのだろうな、と思いました。
・天は人の上に人を造らず、天は人の下に人を造らず。しかし現実には格差がある。この差は学ぶか学ばないかにある。だから学問をしよう。
・学問といってもただ本を読んで覚えるのではなく、実生活、実際の経済、現実の世の中の流れも学問である。
・ただし、現実に格差があるからといって、差別してはいけない。差があっても各々の基本的人権は守られるべきである。
・学問は政府だけのものではない。民が学問をすることで、官に頼ってへりくだる必要もなくなり、横暴な政府が生まれることを防ぐ。そして、政府に対して不満があるのなら、法律を外れない範囲で、しっかりと抗議をするべき。
2024/05/05再読。
・あらゆる感情の中で「ねたみ」は最悪のもの。それを防ぐためには、自由を与えて、財産も社会的地位もそれぞれが自分で獲得できるようにしておくのが良い。
―他人の幸福と自分の不幸を比較して、自分に不足があれば、それを改善して満足するという方法をとらずに、かえって他人を不幸におとしいれて、それによって自分と他人を同じ状態にしようとする。『論語』に「これを悪んではその死を欲す」という言葉があるが、まさにこのことだ。このような者の不平を満足させようとすれば、世間一般の幸福が減るだけであって、何の得にもならない。
・「保護」と「指図」の範囲は一致させなければならない。指図が行き届かないところに保護を与えてはいけない。ただし、個人の道徳心からくる保護をとがめるべきではない。
・たまに人生の棚卸しをしよう。この10年、何をして何を得てきたか?
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名前だけならみんな一度は聞いたことがあるはずの学門のすすめ。やっぱり原文だと堅苦しいし、わからない言い回しもあってハードルが高かった。齋藤孝先生の本はすーっと頭に入ってきて読みやすい。たまたま実家にあったから読んでみたけど、何十年も昔から大切なことは変わってないんだなって思った。
学び続けること、その学んだことを使って新たな価値を生み出すことが求められている。平々凡々な私に新たな価値なんて大それたもの、見出せる気はしないけれど。
最近また本を読むようになって、新しい知識を得るって楽しいことなんだってことを再確認できたから、まずは自己満足でも好奇心に身をまかせて知識を増やしていきたいな。
Posted by ブクログ
・およそ世の中の物事は、進歩しない者は必ず退歩する。退歩しない者は、必ず進歩する。進歩も退歩もなく、そのままのところに留まる物はありえないのが理屈である。
・天の正しい道理にしたがうのは、人たる物の仕事である。
・信じることには偽りが多く、疑うことには真理が多い。
・今日、世間のありさまを見ると、傲慢無礼で嫌われている人がいる。人に勝つことばかり考えて嫌われている人がいる。相手に多くを求めすぎて嫌われる人がいる。人の悪口を いって嫌われている人がいる。どれもみな、他人と自分とを比較する基準を誤っているの だ。自分の高尚な考えを基準にして、これを他人の働きと照らし合わせる。 自分勝手な理想像を基準にし、それで人に嫌われる原因を作って、最後には自分から他人を避けるよう になり、孤独で苦しい状態におちいるのだ。ここで言っておこう、次代の若者たちよ、他人の仕事を見て物足りないなあ、と思えば、 自分でその仕事を引き受けて、試しにやってみるのがよい。他人の商売を見て、下手だなあ、と思えば、自分でその商売を試してみるのがよい。 隣の家がだらしない生活をしてい ると思えば、自分はしっかりと生活してみよ。他人が書いた本を批判したかったら、自分 でも筆をとって本を書いてみよ。 学者を評しようとするなら、学者となれ。医者を評しようとするなら、医者となれ。
Posted by ブクログ
やや偏った思想なときもある。でも時には言い切ってこそ世に出す意見。自信もなく文句をたれるだけならそれこそ愚か者ということかな。とりあえず自分の人生やからって人に悪影響を及ぼすような生き方はやめることにします。信念をもった正しい大人になりたいです。
※追記 2024年2月21日
普段の生活も整ってない人間が、社会での生活を整わせられるわけがない。環境を変えたい、影響を与えられる人になりたい、ならまずは自分自身がひとりで立てる堅実さと強さを持たなくてはならない。
Posted by ブクログ
心に残ったのはこんな話。
心だけ高潔で、行動に移さない人は、
現実を嘆くしかない状態に陥りがち、
禅の僧侶みたいなことをしてないで、
失敗を恐れず、色々やってみて初めて、
自分なりの正解に辿り着くのだ、みたいな話。
Posted by ブクログ
国のため、だれかのためって
思いにくい現代なのかもしれないけれど、
それって周りに回って自分のためにもなるし
大切な考え方だなって思った。
半分も理解することは
できていないかもしれないけれど
とても読みやすかった!