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Posted by ブクログ
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中野 京子
(なかの きょうこ、生年不詳)は、日本の作家[1]、ドイツ文学者[2]、西洋文化史家、翻訳家[3]。北海道生まれ[4]。1979年、早稲田大学大学院修士課程修了[5][6]。オペラ、美術などについて多くのエッセイを執筆する。2007年に発表された『怖い絵』を端緒とする『怖い絵』シリーズが大ヒットとなる。新聞や雑誌に連載をもつほか、テレビの美術番組にも出演する[7][8]。早稲田大学講師[9][10]。『怖い絵』シリーズの刊行10周年を記念して2017年に開催された「怖い絵」展では、特別監修を務めた[11][12][13]。2021年9月に開催された「怖いクラシックコンサート」(東京文化会館)での解説[14]、2022年3月公演の舞台「怖い絵」の監修[15][16]、同年7月上映の「星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム」の監修・解説を担当した[17][18]。
「曲線ばかりの支配する画面の中で、違和感を与えるこの角ばった形、くっきりした黒は、クリムトの代表作『接吻』にも登場している。花咲く崖の近くで、とろけそうに接吻するふたりは、非現実的な衣装を身にまとっているのだが、その模様は女性は優しい色彩のやわらかな曲線、男性はきつい黒がメインの長方形の集まりだ。要するにクリムトは、男性という性をこの「形」で示したのである。 なんと露骨な! しかしそれは絢爛たる豪華さで中和される。平面的な画面に目も眩む金色の多用、流麗な装飾、美の爛漫によって、むき出しのエロスはヴェールをかけられ、溜め息を誘う。 ダナエ神話は、中世キリスト教において、「処女懐胎」の予型と見なされたことがあった。処女でありながら懐妊した聖母マリアに先立ち、ダナエもまた神の意思によって子を授かった純潔の女性と解釈されたのだ。 ところがルネサンス以降の画家たちは、先述したとおり、誰もそんなふうに彼女を描きたいとは思わなかった。もっともなことで、神とはいえゼウスは──絶対主義時代の王もかくやの──とんでもないドン・ファンなのだから、彼に関わった女性たちがみんな聖母になったら大変な数になってしまう。第一それでは畏れ多くて、ダナエを裸体にできないではないか。」
—『名画の謎 ギリシャ神話篇 (文春文庫)』中野 京子著
「 今しもヘラは、乳房に吸いつく赤子を振り切ろうとしている。左胸から った乳はスプリンクラーの水みたいに上空へ飛び散り、いくつもの星に変わってゆき、ついには天の川となる。「ミルクの道( Milky Way)」ないし「銀河( galaxy)」(ギリシャ語の乳〈 gala〉からきている)と呼ばれるのは、そのためだ。日本の、ほのかに哀しい七夕伝説とはずいぶん違う。それとも西洋の人々にとっては、ヘラの母乳もロマンティックなのだろうか? やや見えにくいが、乳は右の乳房からも噴き出し、真下へ向かっている。言い伝えによれば、それは地に滴って白百合となった。本来この絵はもっと縦長で、下部が何らかの理由で切り取られたことがわかっている。その切除部分に、おそらくは百合の花が描かれていたと思われる(白百合の無垢なイメージは、愛欲の女神ヴィーナスの憎むところとなり、彼女によって雌蕊の形はロバの男根に似せられてしまった由)。 ベッドの周りを、弓矢や網を持つ丸々太った可愛いクピド( =キューピッド)たちが飛びかう。矢はクピドが盲目的に放つ「恋の矢」を示すが、網はクピドのアトリビュートではない。ここではおそらく、ゼウスがヘラを「罠」にかけたことを表現しているのだろう。同じく、右下にいるクピドが締めている赤い帯も、本来はヘラのものだ。性的魅力を高めるための帯で、ヘラは不実な夫ゼウスの関心を惹くため、わざわざヴィーナス( =アプロディテ)からこれを借りたのだ(ちょっと涙ぐましい)。」
—『名画の謎 ギリシャ神話篇 (文春文庫)』中野 京子著
「サルマキスも、失われた片割れの姿をヘルマプロディトスの中に見たのだろうか? そうではない。 ヘルマプロディトスはすでに、父である男名と母である女名を同時に持たされていた。それはあらかじめ定められた彼の宿命、すなわち男性の肉体を持って生まれてはきたが、女性性も内在していることを、また同性異性を問わず相手を魅了し、且つ魅了されることを暗示している。 十五歳という年齢も偶然ではない。この年頃の少年は、子ども時代を卒業しつつあるが未だ青年とは呼べず、姿形が美しいと容易に女性と見まごう。男として生きるか、女として生きるか、選べる最後の時であると同時に、男でありまた女でいられる、ぎりぎりの時だ。昼を残し夜を待つ黄昏時と同じ、妖しく美しい束の間の時。 そんな時に、ヘルマプロディトスは見知らぬ女から強引なアプローチを受け、処女のごとく恥じらって身を引く。それが相手の欲情にいっそう火を点けるとも知らず。」
—『名画の謎 ギリシャ神話篇 (文春文庫)』中野 京子著
「一方でまたヘルマプロディトスは、相手が女性だから嫌がった、とも考えられる。サルマキスを受け入れることで、自らの内に在る女性性が強化されることを怖れたのだ。であれば、男性からの求愛なら応じたかもしれない、まことの男となるために! ──この物語は、両性具有者がなぜ存在することになったかが主題だが、そんな中にも、明らかに男性側の女性嫌悪ないし女性恐怖が見てとれる。 男には、女の愛が時として「蔦のように」「蛇のように」からみつき巻きついて離れようとしないもの、と感じられるのだろう。蔦に覆われて立ち枯れた大樹や、蛇に絞め殺される動物のあがきに我が身を重ねて、精を吸い尽くされるかと怯え、窒息しそうと喘ぐのだろう。」
—『名画の謎 ギリシャ神話篇 (文春文庫)』中野 京子著
「 鯖だが、仏教行事では、餓鬼道に堕ちた亡者どもを供養するための食べ物とされ、今も各地に鯖を持つ僧像が残っている。桃は、周知のとおり古来から不老長寿の果物であり、邪気を祓うとされている。どちらも悪鬼除けには効果満点だったわけだ。」
—『名画の謎 ギリシャ神話篇 (文春文庫)』中野 京子著
「ピーテル・パウル・ルーベンス(一五七七 ~一六四〇)は、フランドル絵画の黄金期を築いた天才画家。彼が天から恵まれたものを数えるだけで、くらくらしてくる──容姿、健康、長命、良き伴侶(しかも二人)、古典の教養、数カ国語をあやつる語学の才、大工房を運営する才、外交官としての手腕、そしてもちろん並外れた画才。これで人格が円満にならねば不思議というもので、とうぜん誰からも敬愛され、富と名誉が雨霰と降ってきた。生前も死後も名声に揺るぎはない。絵に描いたような幸せで満ち足りた人生を送った、稀有な例といえる。」
—『名画の謎 ギリシャ神話篇 (文春文庫)』中野 京子著
「現代は「ナルシシズムの時代」とよく言われる。 少々気取った態度をとる者を、「ナルシストだ!」と揶揄する場合は別として、現代版ナルシシズムの概念は大まかに二つ考えられているようだ。 ひとつは──経済的に豊かになり、少子化で「蝶よ花よ」と育てられた若者が、幼児期の万能感を保持したまま、忍耐我慢を知らず、自分は特別の存在だと錯覚して傍に迷惑をかける、というもの。 しかしこれは、太古の昔からくり返されてきた「今どきの若者」批判にすぎない気もする。年長者から見ていかに腹立たしかろうと、若者は本来、生意気で自惚れ屋で恐れを知らず忍耐など持たないからこそ活力に満ちているのであり、そうでなくなってしまうことのほうが、よほど問題ではなかろうか。 もうひとつのナルシシズム論は──「個性」が何より大事と喧伝される消費社会において、「独自性」を持つ突出した人間にならねばとの強迫観念にとらわれ、自分を認めてくれない他者や社会へ不満と怒りを募らせてゆく、というもの。」
—『名画の謎 ギリシャ神話篇 (文春文庫)』中野 京子著
「フロイト説によれば、誇大妄想、監視妄想、幻聴、重度の鬱、統合失調症などは、どれも不健全なナルシシズムが産み出す病だという。しかも彼らはその頑固な自己愛によって、精神分析を困難にし、無意識に治療を拒むというのだからやっかいだ。ゆきつく先は、精神の死、また肉体の死があるばかり。」
—『名画の謎 ギリシャ神話篇 (文春文庫)』中野 京子著
「──ギリシャ神話には、花へ変身した者がおおぜいいる。 アポロンの章「恋人を死なせて」に書いた、アポロンの恋人ヒュアキントスはヒヤシンスになった。ヴィーナスの章「女の第六感」では、ヴィーナスの止めるのもきかず猪を追って突き殺されたアドニスがアネモネになった。他にも、ニンフのクリュティエはアポロンに片思いしてヒマワリに、アキレウスの武器を手に入れられず自殺したアヤクスはカーネーション(ないしアイリス)に、ニンフのスミラクスに失恋したクロクスはクロッカスに、スミラクスもサルトリイバラ(ないしイチイ)になった etc. だがおそらくこのナルキッソスが、花への変身譚ではもっともよく知られた例であろう。 水仙( Narcissus)という語は、「眠らせる」「麻痺させる」という意味を含む(ナルコレプシー〈 Narcolepsy =睡眠発作〉もここからきた)。茎葉には毒があり、痙攣や麻痺をおこす。強い香りは狂気を呼ぶと言われ、復讐の女神に捧げられた花とされる。ナルキッソス神話にふさわしい。 また泉は無意識の領域に属し、泉が像を映すこと、即ち鏡は、古来から強く死と結びつけられてきた。というのも、鏡に姿が映るのは、自己の一部が抜け出したためと考えられたからだ。「魂を奪われる」という感情が引き起こされるわけで、これは鏡以外に、肖像画でもカメラでも同じだ。ドッペルゲンガー(もうひとりの自分)に出会えば死ぬ、との言い伝えも同根だろう。 ナルキッソスは自分の鏡像をあまりに長く見つめすぎ、魂を抜かれたのである。」
—『名画の謎 ギリシャ神話篇 (文春文庫)』中野 京子著
「全人類ばかりか神々の運命まで、次から次へと紡いで測ってちょんぎってゆくとあらば、多忙すぎて自分の人生を味わう暇もなかろう。ワーカホリックの老嬢(?)たちは、壁のシミのごとく無視された。「忘れられた女ほど可哀そうな者はいない」という、ローランサンの詩が思い出される。 こんな女神たちだから、美術作品に取り上げられることも少ない。少ないけれど、しかしゴヤが、まるで悪夢のような名作〔※〕に仕立てた。このモイライがあればもう十分、というほどの。 ──色味を極力抑えた画面に、この世ならぬ風景が拡がっている。暗黄色の空は夕暮れなのか、嵐の前触れを告げるものか、判然としない。時間そのものが非在なのかもしれない。」
—『名画の謎 ギリシャ神話篇 (文春文庫)』中野 京子著
「 供の者たち同様、酩酊していたはずのバッカスの身体から、アルコール分がいっきょに消えうせた瞬間だ。「この人だ!」という直感。そして彼の若さが、一直線に行動へと走らせる。心の飛翔がピンク色のマントをひるがえし、沸き立たせる。恋に落ちるということの、何という美しさ! これほど美しく、これほどにも真摯なのだから、彼の恋が報われないなどということがあるのだろうか? だが娘はその勢いに圧倒され、逃れようとするかに身をよじる(おかげで顔かたちがはっきりせず、見る者の想像に委ねられた)。この動作を見る限り、どうやら彼女の方はバッカスの思いに共鳴したとはいえない。酒神の恋は空回りするのだろうか? 彼女の名はアリアドネ。クレタ島のミノス王の娘である。どうしてクレタから遠く離れたナクソス島にいたかといえば、そこには彼女自身の悲恋が絡んでいる。つまりバッカスが一目惚れした相手は、神々の多くが好む「乙女」ではなかった──」
—『名画の謎 ギリシャ神話篇 (文春文庫)』中野 京子著
「「美術」という。ここでも私は漢字二文字の意味を素直に受けとって、「ビジュツ」とは「美」を作り出す「術」であるととらえたい。「美」が何であるかはおくとして、ともかく、「術」すなわち、描いたり彫ったりする技術に長けていなければ、「美術」は成立しない。 今、描いたり彫ったりする技術と言った。 しかし、「美」を語る「術」というのもまた、「美術」だとは言えないだろうか。そして申すまでもなく、中野京子さんは「美」を語る素晴らしい「術」の持ち主であり、ゆえに中野さんは間違いなく「美術家」であると、美術家の私は理解している。」
—『名画の謎 ギリシャ神話篇 (文春文庫)』中野 京子著
「中野さんのスタンスは、これが正しい答えですと頭ごなしに教授するのとは対極にある。まずは美を楽しむための学究的な地固めをし、その基礎に立って読者の誰もが自分なりの答えを見いだせるようにと、一冊の本のなかに、美術について考えるヒントをちりばめる。 どんな絵画にも謎はある。しかしその謎への解答は、鑑賞者の想像力の中にだけある。百人寄れば百の想像力が働き、それぞれがそれぞれに自分の解答を引き出す。これが実現すれば、人の心の中はどれだけ豊かになることだろう。」
—『名画の謎 ギリシャ神話篇 (文春文庫)』中野 京子著
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