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日本初のイコン画家・山下りん その情熱と波瀾の生涯!
明治13年にロシアに留学しイコンを学ぶ。一途さゆえ周囲と衝突し芸術と信仰のはざまでもがきながら生きた女性を描く感動長編。
「絵師になりたき一念どうにも抑え難く」茨城県笠間を飛び出した15歳の山下りん。東京で工部美術学校に入学を果たし、西洋画の道を究めようと決意する。ロシヤ正教の宣教師ニコライに導かれ、明治13年、聖像画制作を学ぶため帝政ロシヤに渡るのだが――情熱に従って生きた日本初のイコン画家を描く圧巻長編。解説・酒井順子
※この電子書籍は2021年7月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版を底本としています。
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Posted by ブクログ
恥ずかしながら、イコンというものの存在を初めて知りました。
わたしは絵は描けませんが、これまで漠然と「絵を描くということは芸術」なのだと思っていたので、主人公が思うように絵を描かせてもらえず苦しんでいる間、そのように仕向ける指導者の想いはまったく理解できませんでした。しかし主人公が突然「信仰」を理解するシーンは、それまでの価値観が剥ぎ取られるような、それでいてすべてが腑に落ち、憎しみが削げ落ちて愛の光に包まれるような、インパクトのあるものでした。
読後半年以上経ちましたが、あの表現し難い衝撃のようなものは胸に残っています。
中途半端でなく信仰に生きることを貫く人の、凄みのようなものを感じました。
Posted by ブクログ
知らなかった。こんな女の人が日本にいたなんて。
朝井まかての本によく抱く感慨ではあるけれど、これは群を抜いていた。
前半は痛快だ。
ご一新直後の明治、「わたくしも開化致したく候」と書き置きを残して笠間から江戸まで歩き通す。連れ戻されても絵が描きたいという熱は冷めない。
東京ではできたばかりの芸術大学を試験だけでもと受けて合格し、ついには通うことになる。
やがて師を失い、友に誘われ教会に入り、ついにはそこからロシアへ留学する。
ロシアでの日々は読むこちらも苦しかった。冬の暗さや寒さ、押し込められたような空気がりんをますます追い詰める。彼女の姿は青ざめ彷徨う宗教画の登場人物そのものだ。
「聖像画は芸術であってはなりません」というオリガ姉の言葉は、りんだけでなく私にもショックだった。美術館でいわゆる宗教画を観てもなにも響いてこないと感じるのは、このあたりに理由があるような、と思い当たったからだ。
しかし一方で、知人の芸術家が言っていた言葉がよみがえる。「東南アジアとかインドの石窟寺院や遺跡のレリーフや仏像・神像の無名性に惹かれる。個性が没した先の個性に興味がある」という主旨だった。
若き頃のりんは、ロシアで学べると思った西欧画(ルネサンスのイタリア画)から遠ざけられて憤慨する。まずは型があってこそ、万人が見てその時々に彼・彼女らの心持ちを映すものであるべきで、そこに個人の思い入れや考えは邪魔である、という教えに気付けない。
いや、彼女には夢と希望があったのだ。華やかで生き生きした、美しい絵画を描きたかった。その技術をモノにしたかった。それを言葉もわからず押さえつけられては、誰だって反発するだろう。
この点ーーーなぜりんにじゅうぶんなロシア語教育を施してから発たせなかったのか、行きの船での仕打ちーーーについてはニコライ師の判断を疑う。
最近世界史の教科書的なものを読んでいるので、プロテスタント、カトリック、正教会の考え方の違いやそれらが引き起こした国同士のあれこれに深く納得がいった。ニコライ師の考え方が正教の考え方だとするなら、正教は日本人向きだ。「沈黙」の宣教師たちとの考え方・感じ方の違いの大きさに驚く。かねてから「人は生まれながらに罪を背負っている」という考え方がどうにも腑に落ちなかったのだが、正教はそうはとらえておらず、性善説だというのも視界が明るくなるようだった。落語の人間感に通ずるところがある。
歳を重ね、一度は放擲した聖像画に戻ってからのりんが、じわじわと信仰について、描くということについて腹落ちしていく過程が生々しい。
芸術とはなんだろう、と考え込まされる。
長生きしたりんが次々人を見送って、でも穏やかに郷里で暮らす姿にホッとする。ロシアという国の越し方にも思いを馳せた。地政的にも難しい国だ。
大河か朝ドラになってもおかしくない、波瀾万丈な山下りんの人生であった。
直後に読み始めた「猫の刻参り〜三島屋変調百物語」の冒頭、冨次郎がりんと同じようなことを言われるのでぶんぶん頷いてしまった。洋の東西を問わず、絵の習得の肝は同じらしい。
Posted by ブクログ
大河ドラマ、というよりは連続テレビ小説。
なんと激動の世の中を生きた画師であることよ。
生きるとはままならないなあ。
しゃあんめえ。
祈ることの尊さと描くことへの業がないまぜになって明治から大正、昭和という時代の荒波に揉まれている。こういう時代が有ったのだと、一口に語ることは簡単だけれど、社会の有り様というのはこうまでも変化してしまうものであるのだと驚愕する。
いま私が見ている景色、社会はほんの少し先にはまったく違ったものになっているかもしれない。
それでも生きていく。
醜かろうが、過去の己の無知に恥の念を覚えようが、圧倒的劣勢だろうが、誰かに嫌われようが。
しゃあんめえ、と唱えて、それでも歩いていく。
生きるとはそういうことかもしれない。
Posted by ブクログ
選んだ読みたい本が、思わぬところでシンクロしていたという興奮をくれた「白光」。ロシア正教のイコン画家・山下りんの生涯を描きます。
自分の心が求めるものに人生を捧げる覚悟を持ち、そのためならばまず行動という人間の山下りん。彼女の心にたぎる熱意が走りすぎて、多くの軋轢を生み出してしまう。そのことに気づくのは、失ってしまってから。
熱意があればこそ、りんを支えてくれる存在や手助けしてくれる存在もあるのですが、大きすぎる故に持て余されてしまうことも事実。安易ではあるけども、時代が違えば、彼女と周囲の人間の関係性も違ったものになっていたはず。
互いに尊敬し、互いの長所短所を慮り、終生の友人となれたはずではないでしょうか
。
りん自身が終生の道であると思い定めた画業。それが覚束なくなってから、これまでを振り返り、多くの人々との関わりに感謝することができたのは、我執からの解放のように思えて美しさもあるけども、悲しみもあるように思いました。
いつも今いる場所から離れた時に、そこにいることの意義を知る。それを手遅れと諦めずに、手遅れであろうとも、失敗であろうとも、経験から何かを得てきた得ることを諦めなかったから、物語終盤の透徹さにつながっていったのだろうと思います。
『グッドバイ』に続いての朝井まかて。
困難と不屈の女丈夫でした『白光』も。
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