小林哲夫の作品一覧
「小林哲夫」の「大学と生成AI」「改訂版 東大合格高校盛衰史~1949年~最新ランキング徹底解剖~」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
学歴社会…受験戦争に咲くあだ花の予備校。その歴史は明治時代「坂の上の雲」のころに遡るという。
東京出身アラフィフの自分にとっては「講師の代ゼミ、生徒の駿台、机の代ゼミ」。塾通いもせず現役合格だったが、地元が代々木に近く模試、参考書等から当時の雰囲気は体験として理解できる。
実際の授業は受けたことはないが、参考書では、英語の伊藤和夫、日本史の安藤達朗、古文の土屋博映の影響を自分は強く受けていると思う。
本書は予備校の攻防、盛衰を中心に述べつつ、予備校の果たした役割、文化を高ク評価する。知的好奇心の豊富な多感な時期、出会った講師の営業は大きい。決して受験のためのテクニックではない、学問の入り口。高校や大学と異なり組織の束縛、障壁の少ない予備校ならではの授業があった。
生徒を大教室に収容するいわば地上戦から現代はネット動画やYouTubeによる空中戦の時代。公的な教育の隙間を埋める予備校はカタチを変えつつも今後も生き残っていくだろう。
日本の教育史を予備校の視点から描く、類似の著作も少ないようであり、本書は大変な力作である。
Posted by ブクログ
1969年をピークとする高校紛争を記した一書。
当事者が体験をもとに記した安田講堂1968-1969と異なり、
資料や聞き取りが中心となるがその数は圧倒的であり、
それでいてよくまとまっている。
何者でもない自分と、何かを成し遂げたい自分という
高校生らしい情動の中で、
複雑な時代のうねりに飛び込んで行く学生と、
それに翻弄され、時に向き合う学校。
しかしその経緯・環境・主張から生まれるドラマは多様で、
それぞれに考えさせられるものがある。
個人的には、葛西工業高校や首里高校のエピソードは
他と境遇が異なり興味深かった。
巻末第七章で「高校紛争という史実」と題し、
この事実を埋没させるべきではないとする筆者の主張には
素直に同意させられた。
確かに高校生の主張は未熟で、
中身を伴わない受け売りも多かったのだろうと思うが、
紛争を通して生まれる学校と学生の関わり合いの中に
本質はあると感じた。
大変読みやすいので、ぜひ多くの方におすすめしたい。
Posted by ブクログ
本書の目的は,主に1969~70年に発生した高校紛争の原因や要求,その伝播や解決に至るまでの道を解明するとともに,その後高校はどう変わったのか,今日の高校教育制度にどんな影響を与えたのか,検討する点にある。二次文献に留まらず,通説を覆す証言や,当事者から提供された資料(機関誌,ビラ,職員会議議事録)に基づいて書かれているため,生徒と教師両方の立場から当時の苦悩と葛藤を生々しく伝えている点で,非常に興味深い。
ただ,私が本書を読もうと思った動機は,上述の理由だけではない。私自身は,「自由放任で,受験向けの教育に力を入れなくなった」(273頁)都立高で3年間を謳歌してきた。(おかげで,さらに1年の受験期間を要した。)だが,九州に赴任してみると,同じ公立高校でも全く異なる教育システムの存在にカルチャーショックを隠しきれない。ゼミ生と懇談すると,「なんで都立高には制服や朝課外(0時間目の授業)が無いの?」という話題になるが,「無いものは無い」という回答しか出しようがなく,客観的な説明力に欠けていた。そうした公立高校の教育や生活における地域差の源流を見出したかった点に,講読動機があった。(ちなみに,「制服自由化」の地域差・学校差は,90-97頁を参照。)
本書に対してはさまざまな切り口で評価できようが,以下,いま述べた自分の関心に沿ってのみ記しておく。各都道府県の公立進学校における紛争状況は,明らかに東高西低だった(143頁)。「校内集会・デモ」,「授業妨害・ハンスト」,「卒業式妨害」,「封鎖・占拠」,「警官導入・校内逮捕」という5つの主要な紛争事項は,札幌南(北海道),県立千葉(千葉),日比谷(東京)の各高校で全て発生していた。我が母校も,日本共産党系の原水爆禁止高校生連絡協議会(原高連)が発足したり(36頁),反戦高連の拠点だった生徒会室を,他の高校生解放戦線(ML派)に襲撃されて印刷機が奪われたり(168頁)と,この手のエピソードに事欠かない。これに対し,修猷館(福岡),佐賀西(佐賀),大分上野丘(大分),鶴丸(鹿児島)では,上記の紛争事項がほとんど発生していない。九州島内の高校紛争で大規模に取り扱われているのは,作家・村上龍が生徒として関わった佐世保北(長崎)だけである。
以上のような事実は明らかになったものの,これほどの地域差がなぜ発生したのかは十分解明されたわけではない。「自民党の支持基盤が強かった地域では,反体制運動はもってのほかであり,地元の高校,しかも名門校で紛争が起こったり,活動家が生まれたりするのは容認できなかった」(118頁)という見解も指摘されるが,おそらくそれだけではなかろう。同時代の大学紛争や労働運動との関係,さらに遡って旧制中学時代との連続性や,藩校をルーツとする建学の精神などに注目すると,もっといろいろな解釈が生まれるのではないかと,期待してやまない。
いずれにしても重要なのは,高校の生徒と教師が深く対立しなければならなかった時代の存在を,我々「若い世代」が認識しておくことである。現在の高校教育は,良かれ悪しかれ,この高校紛争の経験と影響を大きく受けているだけに。