西部邁の作品一覧
「西部邁」の「大衆への反逆」「エコノミストの犯罪 「失われた10年」を招いたのは誰か」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
- 作者をフォローする
- フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
「西部邁」の「大衆への反逆」「エコノミストの犯罪 「失われた10年」を招いたのは誰か」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
ビジネス・実用
小説・文芸
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
小説・文芸
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
小説・文芸
Posted by ブクログ
東京裁判で唯一被告人全員無罪を主張したパール判事の判決文について2人の思想家が吟味し、対話する。本書は単なる法律論にとどまらず、パール判事の法律観や思想を読み解きつつ、どのように教訓とすべきかというメッセージを提示している。
まず、そもそもの法律論的な観点から言えば、そもそも東京裁判は事象が行われた後に制定した法で裁く、という意味で無効であるというものである。(読む前の私も含め、知らない人も多いのではないかと思うが)A級、B級、C級戦犯という言葉は、何に対しての罪であるか、という意味であり、序列があるわけではない。それぞれ「a.平和に対する罪、b.(通例の)戦争犯罪、c.人道に対する罪」となっている。一方、「平和に対する罪」、「人道に対する罪」は、ドイツ降伏後に新たに設けられた罪であることが法律論として問題となる。その行為をなした時、犯罪とされていなかった行為を事後に作られた法律(事後法)で処罰するのは本来、禁じられている。しかしながら、東京裁判のための「極東国際軍事裁判所条例」でも、そのまま使われたものであり、東京裁判が「裁判」の名を冠しながらも、極めて政治色の強いものであるという点はまず第一の論点となる。
通常の東京裁判に関する本であれば、ここで終わるのであろうが、本書では、まさにこの政治性を見抜き、その上で「被告人無罪」(≠日本無罪)と主張し、自身の絶対平和主義やコスモポリタニズムを表明したパール判決文の政治性や思想性を深堀するものである。
まず、パールのバックグラウンドとして、インドでの法学者としての経験がある。その際の、パールのテーマは長子相続法の研究であるが、その際のパールの狙いは「法は真理の表れであり、と言う認識」と「法は社会的存在であるという慣習法的認識」によってインドの法体系を確立させようというものであった。パール判事は、そうした背景から判決文においても、法の背景にあるような社会的な側面や価値観の部分を存分に記載している。
その後、本書はパール判決文の話から、平和主義やヒューマニズムに対しての吟味へ移り、最終的には保守思想家としてパール判決をどうみなすか、という論点へ移行するのであるが、そこまでで中島氏の発言が印象に残ったので、こちらに残しておく。
P86(世界人権宣言の文言が抽象的で、綺麗事にしかなっていない点について)
しかし、にもかかわらず私はきれいごとを認めなければならないと思っています。お互い人間じゃないか、お互い好き勝手に殺し合うようなことはしない、お互いの尊厳を傷つけあわない、そういう相互了解としてのヒューマニズムは認めます。しかし、話が具体レベルまで煮詰まると、ましてや戦争が起こるか起こらないかと言うところまで状況が過熱化してくると、ヒューマニズムの直接的な王用ではどうしようもなくなってしまうのです。
P103
四つの徳の間の矛盾、対立、平衡、(平衡のための歴史の)叡智を問うと言う保守思想のエッセンスを前提にして考えると、このガンディーの言う、怯懦よりも暴力を取るしかないと言う主張は、彼が法哲学上の問題とか価値観の問題について、層綿密に考えたわけでもないとみなすしかないのです。さらに、それ以上に私の言いたいのは、こういうことです。やっぱりガンディーにせよ、パールにせよ、ご都合主義で引用しては何の意味もない。そうではなく、臆病よりも力を取るべし、と彼が言ったことを自分ならばどう受け止めるか、いかに考えるか、とくに所与の状況の中でどのように実践するか、そうした思考のための重大なきっかけを与えてくれていることこそが彼らの存在の重要なところなんです。だから、ガンディーもパールも面白いのであって、それについて考えることを放棄した日本の保守派とはいったい何なのか。
P126
規範や観念は実現可能性だけに意味があるのではありません。人間はどうやっても不完全な存在ですから、世界は永遠に不完全なままです。しかし、不完全であることを認識するためにも、メタレベルにおいては普遍というものを想起せざるを得ないわけです。(中略)戦中に「大東亜共栄圏の実現」を叫び、戦後に「非武装」や「絶対平和」の実現を叫んだ多くの日本人にも言えることです。メタレベルの議論を、安易にベタな現実に直結してはならない。人間は常に不完全で、限界を持った存在で、そのことをメタレベルの嗜好によって反省的にとらえることが重要なのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
思想はもちろんのこと、培われた環境、思考法、引いてくる言説。全く異なる、いや世間的にはむしろ真逆からのアプローチであるにも関わらず、なんと斎藤幸平の「人新世の資本論」とさらに宮台真司と結論をほぼ同じにしている。
これはいつか訪れるであろうユートピアを夢想するものの共通概念。全く難解なことではない。手の届くところにいる者達との生活を基盤にした共同体もちろんそれは家族でもある、それを守り抜くこと。つまりは愛という結論。
四半世紀も前の朝まで生テレビの時に展開してい、そして全く中心がブレていない言論の集大成と、終章のモノローグによりその言説すべての真意と活力の奥底が垣間見えた。
もちろんその主張に全面的には賛成できない。いやむしろ国家の尊厳などを全面に押し出した思想には抗う立場だ。
しかし声を上げることを恐れずその熱狂と充足に満たされた人生には羨望を感じざるを得ない。
凄まじい書であることは確かだ。
Posted by ブクログ
2018年初頭に入水自殺した60年安保世代のセンチメンタルジャーニー。同時代のブント同志諸氏への追悼文。
一読した印象で強く感じたのは、著者が60年安保闘争に関わったのは東大入学直ぐの教養部時代であり、本郷のブント中心部とのズレがあり、教養部手握の必要性から行動左翼的に運動に関わっている。このあたりは、本郷のブント中心部が前歴に武装共産党時代の精神を引き継ぐものとしての自己確立と趣きを異にしており、それが著者の後年の思想展開(保守派)に繋がっていると考えている。
更には、自己確立の末の他者を巻き込んでの入水自殺という自己処理の曖昧さに繋がっている。
しかしながら、著者の人間把握は本書で秀逸なまでに書き込まれており、間違い無く時代を代表する論客であったと思っている。青春時代の行動については赤裸々に自己体験を語っていて、駒場時代のボルシェビーキー選挙の票の誤魔化しなど現代の暗部に通じるメカニズムを熟知している。半批判しながら敬愛の念を込めて!