岡潔の作品一覧
「岡潔」の「【5冊 合本版】数学者・岡潔 名随筆」「春宵十話 新装版」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
私なりの「情緒」の解釈を書き残す。
岡潔の思想が、自身が元々考えていた「創作論」にかなり深く接続し、僭越ながら、似たような事を考えて言語化されている先人がいた事に驚愕かつ感涙でした。
不勉強でした。
知人から「好きそうだ」と薦めて頂き、その本(『春風夏雨』とは別)と、他にも岡潔の著作を三冊一気読みしました。
ーーー
「情緒」は、どのように身体に立ち上がるのか。
世界と身体の接触から、
知覚が立ち上がり、情緒となり、やがて記憶になる。
情報や知識が、身体を通過して経験になる。
経験が、知覚や感情や記憶と結びついて、地下水脈のように流れ続ける。
それを、情緒と呼ぶ。
そして、ある日、思いもよらない場所で遇う。
「情緒」が、世界を深く受け取る。
何十年も前の経験が、別の場所で、別の言葉や素材に触れて、
それまで自分の中にあったものが、別のものとおのずから遇うことで、突然ひとつに繋がる。
文中で引用されている、
道元の「正法眼蔵」にこんな言葉があります。
「心身を挙して色を看取し、心身を挙して音を聴取するに、
親しく会取すれども、鏡に影を映すが如くには非ず。
一方を明らむれば、一方は暗し」
「一個の不思量底を思量する」
「不思量底、如何が思量する」
「非思量」
「即是恁麼人、何愁恁麼事なるべし‥‥‥」
800年前の文章ですが、
自身の、知覚や認識についての考えに驚く程重なり、身震いしました。
時空を超えて、道元に遇う。
想像力と創造力を持って、
恁麼の側にい続けたい。
まだ名前のないものが現れてくる、その"ありよう"を感じ取ること。
この世界にある、まだ見ぬ美しい真理への衝動的な創作意欲を持ち、それを全身全霊で面白がること。
世界にひらいていたいと思う。
Posted by ブクログ
世界的超天才数学者・岡潔先生。
さすが数学者!と思う理知的な文章の中に、詩人のようにやわらかい表現で人間の本質をさらりと語る。
戦前・戦後を生き抜いた世界的な数学者は、
戦後の日本の在り方や教育に未来への不安を感じ本書は書かれた。
切なる思いで書かれた未来へのメッセージ。
かといって、
本書は悲観的でも危機感を煽るでもない。
よくそんな細かく覚えているなと驚くくらい、
人との出逢いや文学から学んだこと、
数学の研究を通して感じたこと、
自身の体験や思想が丁寧に描かれていている。
心で学び、掴んでこられた岡先生の悟り。
中でも、
創造の原点にある「発見の鋭い喜び」と、
真善美に対する「なつかしい」情操の話は、
私の心に強く響いた。
日本を憂いつつも希望を与えるメッセージ。
その功績のすごさを知れば知るほど
超インスピレーショナブルな数学者・岡潔先生。
情緒とは何ぞや?
人間とは何ぞや?
教育とは何ぞや?
数学とは何ぞや?
美とは何ぞや?
日本とは何ぞや?
そんなことを考えたことがある人に、
ぜひ出会っていただきたい一冊
Posted by ブクログ
岡潔さんの文章は平易なのに、何を言ってるのかよくわからない。
情緒はスミレを見ていいなあ、と思うこと、というのは何かわかるけど、どうやらそういう心持ちだけでなくもっと広い意味であるらしい。わからない。
ただ情緒の話をしているけれども文章そのものにべたついた感情の記述は全くない。喜怒哀楽の記載がない。親友が亡くなったときも、毎夏見舞って、ずっと夏休み中そばにいて、毎日布団を並べて学問の話をしたとあるが、亡くなったあとの描写はほぼなく、悲しかったとは書いてない。だけどものすごい喪失感だったんだろうということが伝わってくる。
書かれてあることはよくわからないけど、非常に澄んだ、美しいものに触れているというか、その思想に揺蕩っているような気持ちになる。多分無理やり構造を理解しようとしなくてよくて、それでいいんだと思う。
Posted by ブクログ
新潮文庫は、中身はいい本を出すのに、外濠というか脇というか、周辺部分が雑すぎるやろ。
まず帯文。
「すれ違いの雑談か、歴史に残る対話か。~」とあるが、表面的に見ても実際的に見てもすれ違い要素ゼロやろ。
不誠実じゃのう。
あと、背表紙の紹介文。なにが「主題は激しく転回する」だよ。ずっと同じことについて話してたろ。
茂木健一郎の文章も、間違ったことを書かないよう、理解できていないのを指摘されないよう、根っこで怯えてるのが透けてる。
こんな眠たい文章なら、ない方がましやろ。
二人の、経験に基づいた洞察及びそれらを互いに引き出し、相違点を超えて収束していく様は、対話の究極的な理想系のように映じた。
岡も小林も、世間から見れば「偏屈おじいちゃん」だろうが、それでも対話がこのようにうまく行ったのは根本で共通の価値観、日本人的性質を共有していたからだろう。
共有するとはこの場合、自分がその性質を持っていて、相手もその性質を持っていることを感じ取っているということだ。
人は会話する時、共通の関心事がないと窮する。
見ず知らずの人と一先ず天気の話をするのは、この理由によるだろう。
つまり二人は日本人的性質についてずっと話していたわけだ。
日本人的性質とは何か。
それは「もののあはれをしる」ということであるし、情緒を重んじるということである。
それは文学や美学に制限される理念ではなく、人間の本性を左右するものだ。
二人にはその実態が、人はどのようであるべきかが、直覚として見えていた。
この対話はそのことを確認するためにあったし、この直覚の輪郭を提示するためにあったと言えるだろう。
僕も、二人ほど明確に見えているとは言えないが、この対話を通して情緒性について幾らかの形を捉えられたような気がする。
Posted by ブクログ
大変愉しく面白い本だった。
ちょうどソーシャルワークの倫理綱領を勉強しているときに読んだ。
そのタイミングで読めたことも大変面白かった。
言語が違えども言っていることの本質を捉えながら、私たちは話すことができる。
なんとなく像は見える。目指すものは見える。設定ができる。ただそれを明確に捉えることはできない。それは像として設定することに意味があり、明確に指定することに意味がない。
人間は、非常に複雑で面白い。いや、この世の全ては非常に複雑で面白い。理想は掲げるものであり、理想を体現し創り出すことではない。ただ向かう方向を指す。
複雑で難解な問いがこんなに目の前にある。
難しければ難しいほど、面白い。それに挑むことは愉しいことである。それが理由で良いのかもしれない。だから私は「好き」なのかと。少し納得する理由をくれた。