藤沢令夫の作品一覧
「藤沢令夫」の「ソポクレス オイディプス王」「国家」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「藤沢令夫」の「ソポクレス オイディプス王」「国家」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
Posted by ブクログ
フロイトのエディプス・コンプレックスから原点であるソフォクレスの『オイディプス王』をずっと読みたいと思いながらも後回しにしていたが、日本の近代小説において、フロイトのエディプス・コンプレックスのテーマ受容が進んでいるのではないかと最近思ったために手を伸ばしたが、ギリシア古典の中でも短く、読みやすく、もっと早く読めばよかったと思う。
実際、フロイトや他の文学の参考とする意味でも、原著を知れたことは後学のためになったと思うが、それ以上にソフォクレスとしての『オイディプス王』単体での魅力も大きかった。父殺し、母親に対する姦通というオイディプスの二つの罪は悲劇として完成していた上、真相が徐々に明らかになっていく、スピーディな展開はまるで推理小説のように引き込まれた。
印象的だったのは、そうした悲劇をもたらしたのが、「アポロンの信託」ということであって、オイディプスはアポロンが告げる悲劇的な運命からどうしようもなく逃れることのできない存在である。しかも、人々はオイディプスを含めて、基本的にアポロンの信託に対しては尊重しよう、敬意を払おうとする意志を感じるし、この点を踏まえると一層信託はその非情さを際立たせている。オイディプスに課せられた酷い運命を、このように最初から最後までアポロンが決定づけていると思うと、まずアポロンという神のあり方から学び直さねばならないと思った。
今回をきっかけに、ソフォクレスの他作品や、ギリシア悲劇など他にも読んでみようと思った。『オイディプス王』の続きを描いている『コロノスのオイディプス』は、精神分析学者フロムもフロイト批判をした際に扱った題材であるし、また『アンティゴネー』も『オイディプス王』に引けを取らずに有名であるので、オイディプスの続編を描くこの二作は是非今後読んでみたいと思う。
Posted by ブクログ
ソクラテスがパイドロスに、初めに「恋」について、次に「弁論術」について語る。2つのテーマが並存しているようにみえるが、巻末の開設によると、実は「より深いところで「哲学(ピロソピアー)という単一の主題によって貫ぬかれていることを指し示している」。
わたしには恋の部分の方がわかりやすかった。弁論術については、わかった部分とわからない部分が半々くらい。
何といっても面白いのは、p132で、話すということについては十分論議が尽くされたとして、「ものを書く」というテーマに移る箇所だ。ソクラテスは「むかしの人たちから伝わる物語り」として、エジプトのナウクラティス地方の話をする。テウトという神が「この文字というものを学べば、エジプト人たちの知恵はたかまり、もの覚えはよくなるでしょう。私の発見したのは、記憶と知恵の秘訣なのですから」というと、タモスは「人々がこの文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には、忘れっぽい性質が植えつけられることだろうから。彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからである。(略)ほんとうは何も知らないでいながら、見かけだけはひじょうな博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代りに知者であるといううぬぼれだけが発達するため、つき合いにくい人間となるだろう」。
いやもうこれ、何でも検索して頭使わなくなった今の人間を予言しているというか、そういう意味で私たちは退化していると言えるなと思った。
Posted by ブクログ
■ 要 約
・荒廃しているテバイの国、神託によれば、その理由は先王ライオス殺しの罪人がこの国に居るためであり、これを罰することが必要との事
・先王ライオス亡き後、スフィンクスからテバイを救い、新たな王となった英雄オイディプス王は、国を救うため真実を明らかにしていくが、実はオイディプスこそが先王ライオスの子にして、ライオス殺しの犯人であり、母であるイオカステを妻として子を儲けていた事を知る。
・真実を知ったイオカステは自らの命を断ち、絶望したオイディプス王は自分の両目を潰して家臣らに自らを罰するよう願う。
■ 核心テーマ
→人間は自己について正しく認識しようとするが、その自己認識は時に決定的に誤り得るものであり、それゆえ悲劇に陥る場合がある。
■ 先に読んだプラトンの『国家』と比較して
『国家』では、正しく知る事により段階的に認識が向上し、最終的に善のイデアを観得する事で、正しい判断と幸福に至るとされる。
しかし、オイディプスは、真実を求め知を愛する人間であったが、自らの出自や親殺しの行為といった最も重要な自己の事柄について、決定的に誤認をしていた。しかも、これはオイディプスの置かれた状況においては、正しく認識することが極めて難しいものであった。
この事は、正しく知る事により、やがて善のイデアに到達できるというプラトン的世界観に対し、人間の自己認識というものは、方法が正しくてもなお、対象や条件によっては決定的に認識を誤り得る不確実なものである可能性を示唆するものではないかと思う。
また、プラトン的哲人像では、知を愛し、真実を知ろうとする行為は、人間を善=幸福に導くとされる。しかし、『オイディプス王』においては、真実の探究により明らかになった内容が、自らの存在の破滅をもたらすものであった。重要なのは、オイディプス王が誤った認識に止まる事なく、むしろ真実に辿り着いたという事である。この作品は、真実を認識することが必ずしも善や幸福に繋がるものではないという問題を提示し、この点でプラトン的前提と緊張関係にある。
→次は同じくソポクレスのアンティゴネーを、引き続きプラトンの国家と比較して読んでいきたい。
Posted by ブクログ
『国家』は、ソクラテスと対話相手との哲学的問答により、『正義とは何か』を主題として論を進める対話篇であり、その過程において理想の国家像とイデア論に基づく認識論が考察される。そして、正義を実現するには、善のイデアを認識した哲人による統治が必要であるとの結論に至る。(哲人が単に優れているからではなく、善のイデアを認識しない限り、そもそも正義を正しく認識すること自体が不可能であるという認識論的前提から導かれる結論である。)
ここでいう哲人とは、有名な洞窟の比喩で表されるように、低い認識(洞窟に映る影を見ている状態)から真の認識(洞窟の外に出てイデアを認識する状態)へと段階的に向上し、最終的に善のイデアを観得することで、何が正義かの基準を真に理解した者である。
本書は、このイデア論に基づく認識論によって、正義と政治の絶対的基準を確定することを目的としており、現実政治の具体的な制度設計を提示するものではない。この基準の提示により、現実の政治制度や価値観を批判的に評価する視座が与えられると同時に、その成立条件の厳しさから、理想国家の実現や完全に正しい政治的判断の達成が現実において極めて困難であることが、理論の帰結として必然的に導かれる。
→次は同じ古代ギリシアの有名な悲劇である、ソポクレースのオイディプス王とアンティゴネーを読んでみようと思う。特に、アンティゴネーは神の法と人間の法の対立(=どちらも正義を主張)の話であるので、プラトンの正義と比較しながら読むと面白いのではないかと思う。