佐藤卓己の作品一覧
「佐藤卓己」の「テレビ的教養 一億総博知化への系譜」「『キング』の時代 国民大衆雑誌の公共性」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
著者はこれまで数々の著書や論考で、「輿論(よろん)」と「世論(せろん)」の違いを重要な論点として論じてきた。「輿論」とは、一定の熟議を経て国民の間に形成される公的な意見(public opinion)であるのに対し、「世論」は世間の空気や感情に左右される大衆的な意見(popular sentiments)を指す。戦後、常用漢字で「輿」の使用が制限されたため、現在では両者を表記の上で区別することが難しくなっている。
今日の政治は、新聞やテレビなどが行う「世論調査」の数値に敏感に反応し、目まぐるしく変化する世論に政治が左右される「ファスト政治」の様相を呈している。本書は、こうした状況から脱するためには、世論を熟議に基づく輿論へと転換していく必要があると論じる。そのために必要なのが「あいまいさに耐える力」であり、著者が提唱する「ネガティヴ・リテラシー」である。本書の副題も「ネガティブ・リテラシーのすすめ」となっている。
情報が氾濫する現代を生きるための能力として、学校教育では「メディア・リテラシー」が重視され、情報の真偽を確かめるファクトチェックなども行われている。しかし著者は、そのような「情報を見極める能力」だけでは十分ではないと考える。むしろ、真偽をすぐには確定できない情報に対して、判断を急がず、いったん保留したり、読み流したりすることのできる「あいまいさに耐える力」が必要だというのである。SNSなどにあふれる情報にすぐ飛びつかず、その不確実性に耐えることこそ、輿論主義、ひいてはデモクラシーの土台になるという指摘である。
そして、そのための思考法として著者が取り上げるのが「耐性思考」である。これは教育心理学者・楠見孝氏のクリティカル・シンキングの考え方を踏まえ、相手の発言に耳を傾け、証拠や論理、感情を適切に捉えるとともに、自分自身の考えにも誤りや偏りがないかを振り返りながら考える姿勢である。
SNSが政治の動向にも大きな影響を与え、さらに生成AIの発達によって、真偽を容易には見分けられない画像や音声まで飛び交う時代になった。情報を「見抜く」だけでなく、「分からないものを分からないままにしておく」こともまた重要な能力なのではないか。本書は、情報にあふれ、判断を急がされがちな現在の私たちに、そんな一歩引いて考える姿勢の大切さを教えてくれる一冊である。
Posted by ブクログ
• 世論(セロン)と輿論(ヨロン)という使い分けは非常に明快であり、今までなぜ知らなかったのかというくらい腑に落ちた。世論とは、移ろいゆく国民感情の総和であり、輿論は理性的な熟議により形成される公論である。ルソーの一般意志と言う概念に近いのかもしれない。本書では、以下の通り、分類されているため、付記しておく。
輿論=Public Opinion→世論=Polular Sentiments
可算的な<デジタル>多数意見定義類似的な<アナログ>全体の気分
19世紀的・ブルジョア的公共性理念型20世紀的・ファシスト的公共性
活字メディアのコミュニケーションメディア電子メディアによるコントロール
理想的道義による合意=議会主義公共性情緒的参加による共感=決断主義
真偽を巡る公的関心(公論)判断基準美醜を巡る私的心情(私情)
名望家政治の正統性価値大衆民主主義の参加感覚
タテマエの言葉内容ホンネの肉声
佐藤氏は、輿論と世論の違いを時間耐性であるとも捉える。世論は移ろいやすいが、輿論は熟議によるものであるため、耐性がある。さらに、私の個人的な解釈であるが、熟議であるために、時間的かつ空間的な思慮の射程の広さも輿論と呼べるポイントであると考える。『大衆の反逆』においてオルテガは、大衆の時間的かつ空間的な意識の希薄さを取り上げていた。現代でも、大衆的な言説はあるが、私個人としても判断のポイントは、どれだけ長い時間の公共性を踏まえて考えられているかである。そうした意味で、敬愛する中島岳志氏の死者も含めた民主主義を志向すべきであり、それが即ち立憲主義であるという主張とも近いものがあるのではないかと思う。日々、コミュニケーションの中で、人間の認知能力の限界を超えて、どれだけ長い射程で物事を考えられるか、合意形成が図れるか、と言うポイントが重要であると感じる。歴史上、それは宗教の役目であったが、近代合理主義の世の中で、今一度人々に長く、広い射程で物事を考えさせるための議論の基盤はどこにあるのか、考える材料になる。
また、世論調査の功罪についても、明解であった。小泉政権以降、世論調査が一種の政治の成果のバロメーターとみなされた。民主党政権におけるマニフェストという概念の打ち出し、そして現在まで続くバラマキ政策等、極めて政治が輿論ではなく世論を重視するようになってしまった政治風土の変節は憂慮するべき事態であろう。皆、可処分所得が減っていって辛いのはよくわかるが、人口減少社会の中で日本が誇る国民皆保険や社会保障、治安、さまざまな社会的共通資本をどのように後世の残すか、真剣に議論すべきであろう。それは、世論だけを見ていては絶対に達成し得ない。また、海外を見れば、トランプ政権は完全に政治をマーケティングに換えてしまったと感じる。これまでも、そうしたきらいはあったものの、大統領自身がタテマエを言うことを辞めてしまった節がある。もとより、大統領制を持つアメリカ政治は、世論をターゲットにすることも重要であったが、政治をマーケティング化することは、まさにトクヴィルの慧眼による警鐘であった「多数者の圧政」を助長するものになってしまう。民主主義は少数派に対する寛容や配慮を欠いた瞬間に、大衆主義に成り下がる。そうした政治態度そのものをトランプは破壊していることに自覚的なのかわからないが、一市民としては憂慮する。
• ニュースの遅延報酬と即時報酬
ウィルバー・シュラムは、人々がニュースに求める期待を「快楽原理による即時報酬」と「現実原理による遅延報酬」に分ける。スポーツや娯楽、スキャンダル等の読んで面白い記事は即時的な快楽をもたらすニュースである。一方、政治、経済、文化関連に記事は時に退屈である。しかしながら、こうした味気ないニュースこそ、人々を日常の現実に向き合わせ、やがて現実世界での成功に導く。より良き社会への発展には、この遅延報酬のニュースが必要不可欠である。遅延報酬と言う概念は、まさに教育に当てはまる。高い知性は退屈な学習訓練なくしては生まれることはない。現在は、YouTubeやSNSのビジネスモデルとしてアテンションエコノミーと呼ばれる時代となったが、まさにアテンションを稼ぐことそのものが自己目的化されたメディアにおいて、情報はすべて快楽原理によって提供されていると考える。特にSNSの時代だからこそ、この二分法は心に留めておきたい。
• あいまいさに耐えること能力
ネガティブリテラシーとは、あいまいな情報を受け取った時に、あいまいなまま留め置き、その不確実性に耐える力である。より具体的には、SNS等の情報を必要以上に読み込まず、書き込まないだけの忍耐力である。二分法の判断を得意とするのはデジタルなAIである。人間は、人間だからこそ、判断しないという宙ぶらりんな状態に耐えて、やり過ごすという知的態度を取る耐性思考を今こそ追求すべきであろう。なお、こうした言説を内田樹氏は、「知的肺活量」とも呼んでいる。わからない文章や概念を読んだとき、学んだ時に、わからないながらに判断を保留しながら、読み進める様をゴールの見えない潜水に例える。潜水するためには肺活量が必要であり、こうした曖昧さ、わからなさに耐え抜くことを一つの知性のバロメータとして捉えている。
Posted by ブクログ
この本を読んでいる間に参議院の選挙がありました。選挙期間中、そして選挙結果に覚える心のざわめきと本書の描く昭和になる前後から日中戦争、太平洋戦争に突入までの社会の空気がなにかシンクロしているようで非常に強い読書体験になりました。トマ・ピケティ「21世紀の資本」を読んだ時、戦争が社会格差を解消するイベントである、という指摘に動揺したを覚えています。本書を読んで戦争だけでなく軍隊も階層格差を平準化を可能にする装置として存在していたのだと感じました。第一章の始めに記載された松本清張「紙の塵ー回想的自叙伝」の「ここにくれば、社会的な地位も、貧富も、年齢の差も全く帳消しである。みんなが同じレベルだ」という言葉が象徴する持たざるものの能力発揮が主人公の鈴木庫三の希望であったのだ、と思います。自身の圧倒的な勤勉さによる努力による人生デザインは陸軍内では陸大出身者「天保銭組」に対する対抗心、出版界においては既得権を持つ人々への指導として一貫しているのでした。平等に対する信念が社会主義的なものに近づいていきましたが、本人は全くそこには無自覚な純粋さ…組織の外では反発され、組織の中では浮いてしまう、そんな人物に光を当てた著者の長年の研究に尊敬を感じます。(増補版あとがきは研究活動のバックヤードとして必読です!)鈴木庫三が「国防国家」のために目指した「教育国家」が戦争の勝利を必要としなかったという結語も心に刺さります。そしてそれが現代の問題であることも。それにしてもメディアの戦争責任回避策としての歴史の改竄問題も極めて考えさせられるテーマでした。リアル、フェイクはデジタル時代に生まれたわけではないのです。
Posted by ブクログ
久しぶりにメディア史関連の本を読んだ気がするが、随所で目からうろこが落ちる思いをし、非常に面白かった。「流言」という素材は、社会史やメディア史ではちょいちょい扱われているものであるが、そうした流言研究史をきちんと批判的に摂取し、新たな分析を加えている。
構成は全9章プラス「はじめに」と「おわりにかえて」。1章から9章までそれぞれ具体的な「流言」が扱われている。簡単に紹介しておくと、第1章が有名な火星人襲来の話。第2章は、関東大震災時の流言。第3章が「キャッスル事件」、第4章が二・二六事件、第5章が「造言飛語」、第6章が従軍慰安婦問題などから「歴史のメディア化」が論じられ、第7章は(反体制ではなく)半体制のメディア、第8章が原子マグロの話し、そして第9章が「ヒトラー神話」の戦後史と続く。
メディア史的思考こそ、メディア・リテラシー涵養にとって最重要という著者の主張は、これらメディア史的思考実践によって裏付けられていると言えよう。