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流言蜚語、風評、誤報、陰謀論、情報宣伝……。現代史に登場した数々のメディア流言の「真実」を見極め、それぞれの影響を再検証するメディア論。ポスト真実のデジタル情報化時代に求められる、「バックミラーをのぞきながら前進する」メディア史的思考とは何か。「あいまい情報」のメディア・リテラシーがいまここに。
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Posted by ブクログ
久しぶりにメディア史関連の本を読んだ気がするが、随所で目からうろこが落ちる思いをし、非常に面白かった。「流言」という素材は、社会史やメディア史ではちょいちょい扱われているものであるが、そうした流言研究史をきちんと批判的に摂取し、新たな分析を加えている。 構成は全9章プラス「はじめに」と「おわりにか...続きを読むえて」。1章から9章までそれぞれ具体的な「流言」が扱われている。簡単に紹介しておくと、第1章が有名な火星人襲来の話。第2章は、関東大震災時の流言。第3章が「キャッスル事件」、第4章が二・二六事件、第5章が「造言飛語」、第6章が従軍慰安婦問題などから「歴史のメディア化」が論じられ、第7章は(反体制ではなく)半体制のメディア、第8章が原子マグロの話し、そして第9章が「ヒトラー神話」の戦後史と続く。 メディア史的思考こそ、メディア・リテラシー涵養にとって最重要という著者の主張は、これらメディア史的思考実践によって裏付けられていると言えよう。
メディア流言を単に批判するのではなく、ニュースはそもそも曖昧なものであり、その中で思考を停止せずに、最善の行動を考えることがメディア・リテラシーとして重要、という最後に示されている考えは、新鮮で興味深いものでした。
最近の流言のメディアまで扱っているので参考になる。特にヒットラーをめぐる日本での関連性の事件についてはいままで扱っている本がなかったのでめずらしい。 惜しむらくはメディア・リテラシーとの関連とフェイクニュース対策の欠点などももっと書いてほしかった。 さらに戦中のマスコミのフェイクの問題をもっと詳...続きを読む細に書いてくれることでフェイクニュースの参考文献として役立ったと思われる。
学者、ってカンジ。たまに哲学入ってる。私にはレベル高すぎだが、ところどころ心に響いた。最後、ヒトラー神話はメディア流言(この言葉は正しくないと著者は言ってる)とは外れてないか?と思いつつ読んでいたら、突然、キレイに締めくくられた。我が闘争を禁書にしようとしたこともあるドイツ、現在では全文がウェブ上で...続きを読むも読める。「表現の自由」は市民的公共性の理想型に依拠している。ナチズムに関しては「許すことができない」「自由を守り抜かねばならない」といったディシプリンの話法が多用されるが、もともとこれはファシストの語り口ではなかったか。必要なのはファシストの話法によらないファシズムの語りであり、ファシストの裏返しでない非ファシズム的解釈(難しいでしょ?) 「ポスト真実」の時代に問われるのは、私たち自身の姿勢。誰もが情報の発信者になる現代は誰もがメディア流言の作り手になりかねない。 「日本人論っていうジャンル自体非科学的」「新聞が官報と化すに連れ、3流紙やデマ流言に人が群がりやすくなる」「戦時中大本営の言いなりだった新聞は、次の新たな情報戦ではGHQの言いなりとなる」「GHQのラジオ番組『真相はかうだ』は、同じラジオ局がどの口をして…(by宮本百合子)と思うほど戦時中とガラリと主張を変えた」
佐藤卓己氏の史実資料を基にしたメディアと流言の歴史。 メディアと流言が切っても切れない関係にあったことが多くの事例を通して示されている。 かなりマニアックな事例が多く理解するために一定の知識が必要になるだろう。 やや揚げ足取りになるが、「パニック」に関する定義がないまま、いくつかの「パニッ...続きを読むク」が語られている箇所がある。そのため、個人のパニックと社会的なパニックの違いが明確でなく、佐藤氏の主張がくみ取れない箇所がある。
メディアはどうあるべきか、「何をどのように伝えたのか」から考える。 フェイクニュースは、SNSが発展したから生まれたのではない。SNSがすべての悪の権化ではない。とかく新しいもの=悪者にしたがる自分を反省した。史料の引用も多く、簡単には読み進められなかったが、筆者の言わんとするところは明確に説明さ...続きを読むれている。 新聞やラジオ・TVなどのマス・メディアが「正しい」と思うから、事実でないことが報道されているのに神経をとがらせてしまう。知識があれば、誤った情報に飛び付かない、それは間違いだ。皆が望むものを報道してしまうマス・メディアの一面という視点は、今まで自分の中になかったので、特に新聞に関して、事実を伝えるだけでなく、望むもの/望まれるものを伝えるという性格について考えていきたい。知識がある人こそ、「知りたい」という思いから、トンデモ情報を入手していくということも、改めて指摘されればその通りである。そして、AIによって「真実」のみしか流通しない社会になってしまえば、逃げ場がなくなるという恐怖も感じる。 メディア流言はあるものという前提で、あいまいな情報に耐えながら、それでも何が信じられるのかを情報の受信者でもあり発信者でもある一人ひとりが考えていかなくてはならない。でも、変わったのは、そこではない。量やスピードが変わったのであって、本質は変わっていないのだ。
トランプが最初じゃないよね。という話。面白かった。まとめるのはやめておく。やると悪酔いしそうだから。
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流言のメディア史
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佐藤卓己
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