作品一覧

  • 教養を深める 人間の「芯」のつくり方

    教養を深める 人間の「芯」のつくり方

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻880円 (税込)
    ●教養とは、人間がより人間らしくあるために必要な「知の営み」である――。 ●ファスト教養に陥らない「本物の学び」とは何か? ●リベラルアーツに向き合い続ける著者が、四人の識者と本気で考える。 近年、「たしかな教養を身につけたい」という風潮が広まり、書店でも「教養」をタイトルに冠する本が所狭しと並んでいる。なぜ現代において教養が必要とされるのだろうか。そもそも「リベラルアーツ」は何のために生まれたのか。神学者であり、東京女子大学学長としてリベラルアーツに向き合い続ける著者が、四人の識者と議論を交わし、その本質に迫る。
  • キリスト教ナショナリズム 不穏なアメリカの変貌

    キリスト教ナショナリズム 不穏なアメリカの変貌

    ビジネス・実用

    4.5
    1巻990円 (税込)
    米国を揺るがす「キリスト教ナショナリズム」とは何か? 「宗教化」するトランプ政治。米・イスラエルによるイラン攻撃……。 アメリカは、いま何に突き動かされているのか? 移民・女性・若者へと広がる予想外の浸透。 ヒンドゥー教徒やイスラム教徒までもが支持するという現実――。 宗教学の碩学・森本あんりと、現代アメリカ研究の第一人者・渡辺靖が、建国の理念から現代の混乱まで六章にわたり徹底討議。 神学とフィールドワークという異なる視点が鮮やかに交差し、従来の理解を更新する画期的なアメリカ論を提示する。 信仰・歴史・政治が交錯する大国の内側を読み解く、圧巻の対談! <目次> 第一章 キリスト教ナショナリズムとは何か 第二章 過激化するキリスト教ナショナリズム 第三章 世俗化する信仰とZ世代 第四章 リバタリアンとの共通点 第五章 イスラエルとの関係 第六章 リベラリズムという容れ物――民主主義の危機と再生
  • アジア神学講義 グローバル化するコンテクストの神学

    アジア神学講義 グローバル化するコンテクストの神学

    ビジネス・実用

    -
    1巻5,830円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 【内容紹介・目次・著者略歴】 神学に本質的な論題を問い直すアジア神学を、キリスト教二千年の歴史に新たに加えられたキリスト教神学の生ける伝統の証と捉えて、互いに隔たった伝統的神学と伝統批判的神学とを結ぶ一つの架橋の試み。文化・経済交流が進む東アジア圏の相互理解を考える上でも示唆に富む好著。 本書が取り上げるのは、アジア的な文化背景を自覚的な文脈としたキリスト教神学である。東アジアという儒漢文化圏に対象を絞り、韓国、台湾・日本・北朝鮮生まれの代表的神学者四人を取り上げて、共感的理解を目指すとともに必要な批判を加えて紹介する、わが国初のアジア神学入門であり、伝統的神学と伝統批判的神学とを結ぶ一つの架橋の試み。 【目次より】 目次 序章 1 なぜ「アジアの神学」か 2 「文脈化神学」の現在 3 授業の風景から 4 神学と伝統 5 神学と正統 第1章 アンドルー・パク 「罪」の補完概念としての「恨」 序 1 「恨」の概念 2 恨の構造類型 3 恨の晴らし 4 神学的折衝 結 第2章 C. S. ソン 「応報の神」へのアジア的批判 序 1 『第三の眼の神学』 2 『アジアの母胎からの神学』 3 『イエス 十字架につけられた民衆』 4 民衆の信仰と神学の任務 結 第 3 章 小山晃佑  対立と受容の背面構造 序 1 日本の神学と小山 2 『富士山とシナイ山』 3 対立と受容の背面構造 4 方法論的な反省 5 アジア神学の特殊性と普遍性 結 第4章 ジュン ・ユン ・リー  文脈化のもたらす新たな相克 序 1 三位一体論と神学の可能性 2 陰陽の哲学 3 陰陽の三一論的理解 4 アジア的な三位一体論 5 アジア的三一論とジェンダー理解 6 三一論的倫理 7 三位一体論のアジア性 結 結章 1 総括 2 文脈化の諸類型 3 宗教混淆と二重信仰 4 文脈化と歴史の重層性 引用文献一覧 あとがき ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。 森本 あんり 1956年生まれ。神学者。国際基督教大学教授。 国際基督教大学人文科学科卒業、東京神学大学大学院組織神学修士課程修了。プリンストン神学大学院博士課程修了(組織神学)、Ph.D。 著書に、『使徒信条』『ジョナサン・エドワーズ研究』『現代に語りかけるキリスト教』『アジア神学講義』『キリスト教でたどるアメリカ史』『アメリカ的理念の身体』『反知性主義』『宗教国家アメリカのふしぎな論理』『異端の時代』『不寛容論』など、 訳書に、H.ミューラー『福音主義神学概説』(共訳)G.デコスタ編『キリスト教は他宗教をどう考えるか』ジェフリー・S.サイカー編『キリスト教は同性愛を受け入れられるか』(監訳)エミール・ブルンナー『出会いとしての真理』(共訳)ピーター・L.バーガー『現代人はキリスト教を信じられるか』(共訳)J.P.バード『はじめてのジョナサン・エドワーズ』など多数ある。
  • アメリカ的理念の身体

    アメリカ的理念の身体

    ビジネス・実用

    -
    1巻7,315円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 【内容紹介・目次・著者略歴】 人権概念を史上初めて提唱した17世紀のピューリタン、ロジャー・ウィリアムズ。アメリカ独立以前の、ジョン・ロックより半世紀も早い出来事であったことは、わが国ではまったく知られていない。本書は、「寛容と良心」「政教分離」「信教の自由」という倫理学上の鍵概念をめぐる哲学的探求であると同時に、それらが初期アメリカ社会の歴史においてどのような実験と紆余曲折を経てきたかを尋ねる政治学的な探求である。まず中世スコラ学の良心論から歴史的系譜を辿り、近代の愚行権の神学的由来に触れた上で、現代社会が享受する自由がいずれも宗教的主張を淵源とすることを示し、自由主義の中核概念である寛容を批判的に検討する。次に、現代憲法論の争点ともなる政教分離に焦点を当て、その原型であるウィリアムズの思想と歴史的評価の変遷を考察、発展期の矛盾と逆説から生まれた歴史的な知恵を尋ねる。さらに、信教の自由の具体的な表現として、初期ハーヴァード大学に見るピューリタニズムの知性主義、反知性主義としての信仰復興運動、市場原理に動かされる20世紀の教会を論じ、現代アメリカ社会の実利志向や大統領選挙にも影響を及ぼし続ける思想構造を分析する。わが国で手薄なアメリカの宗教理解を深化させ、アメリカを内面から思想史的に探求した画期的業績。ますます多元化する現代社会において、異なる思想が平和裡に共存するためのモデルを提供して、現代リベラリズムにも一石を投じる。 【目次より】 序章 第一部 寛容論と良心論 第一章 中世的寛容論から見た初期アメリカ社会の政治と宗教 第二章 「誤れる良心」と「愚行権」 第三章 「誤れる良心」と「偽れる良心」をどう扱うか 現代寛容論への問いかけ 第四章 人はなぜ平等なのか 第二部 政教分離論 発展期の錯綜と現代の憲法理解 第五章 初期アメリカ社会における政教分離論の変容と成熟 第六章 ロジャー・ウィリアムズの孤独 第七章 さまよえる闘士 ロジャー・ウィリアムズ評価の変遷と今日の政教分離論 第八章 教会職と政治職 第三部 信教の自由論 プロテスタント的な自由競争原理の帰結 第九章 プロテスタント的な大学理念の創設 第一〇章 ジョナサン・エドワーズと「大覚醒」の研究史 第一一章 反知性主義の伝統と大衆リヴァイヴァリズム Harvardism, Yalism, Princetonismをぶっとばせ 第一二章 キリスト教の女性化と二〇世紀的反動としての男性化 結章 あとがき 註 引用文献一覧 ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。 森本 あんり 1956年生まれ。神学者。国際基督教大学教授。 国際基督教大学人文科学科卒業、東京神学大学大学院組織神学修士課程修了。プリンストン神学大学院博士課程修了(組織神学)、Ph.D。 著書に、『使徒信条』『ジョナサン・エドワーズ研究』『現代に語りかけるキリスト教』『アジア神学講義』『キリスト教でたどるアメリカ史』『アメリカ的理念の身体』『反知性主義』『宗教国家アメリカのふしぎな論理』『異端の時代』『不寛容論』など、 訳書に、H.ミューラー『福音主義神学概説』(共訳)G.デコスタ編『キリスト教は他宗教をどう考えるか』ジェフリー・S.サイカー編『キリスト教は同性愛を受け入れられるか』(監訳)エミール・ブルンナー『出会いとしての真理』(共訳)ピーター・L.バーガー『現代人はキリスト教を信じられるか』(共訳)J.P.バード『はじめてのジョナサン・エドワーズ』など多数ある。
  • 異端の時代 正統のかたちを求めて

    異端の時代

    ビジネス・実用

    4.5
    1巻990円 (税込)
    世界に蔓延するポピュリズム。はたしてそれは民主主義の異端なのか? 古代中世の神学史、丸山眞男らの議論を手がかりに、宗教・政治・文化に通底する「異端発生のメカニズム」を解き明かし、混迷する時代の深層に迫る。著者が十年来抱えたテーマがここに結実、「異端好みの日本人」に、現代の「正統」の所在を問いかける――
  • 陰謀論が世界を蝕む

    陰謀論が世界を蝕む

    ビジネス・実用

    -
    1巻330円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 (目次より) ●〔対談〕魔女裁判、赤狩り、Qアノン…… 「陰謀論大国アメリカ」のゆくえ 森本あんり×渡辺 靖 ●実証研究で読み解く 「正しい知識」は防波堤になるか? 秦 正樹 ●外交戦略としてのディスインフォメーション 影響力を増すサイバー空間 小谷 賢 ●米国HIV製造説、JFK暗殺CIA説から読み解くフェイクニュース作戦 世界を欺くロシア情報機関 保坂三四郎 ●〔対談〕それはカルトか、暴力団か、政党か? 歴史を刻む“謎”組織 中国の秘密結社とは 岡本隆司×安田峰俊 ●知識社会の「パンデミック」が高学歴層を襲う日 「下級国民の反乱」が世界を揺るがす 橘 玲
  • キリスト教でたどるアメリカ史

    キリスト教でたどるアメリカ史

    ビジネス・実用

    3.8
    1巻924円 (税込)
    合衆国の理念を形作ってきたキリスト教。アメリカ大陸の「発見」から現代の反知性主義に至るまで、宗教国家・アメリカの歩みを通覧する一冊。神学研究のトップランナーが記す、新しいアメリカ史。
  • 宗教が分断する世界

    宗教が分断する世界

    ビジネス・実用

    -
    1巻305円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 人々の進む道を示す教えでありながら、 多くの争いの元凶ともなってきた宗教。 グローバル化と情報化が加速度的に進む現在、信仰をめぐる状況もまた、大きく変わろうとしている――。 ●対談「正統なき異端の時代に」五木寛之×森本あんり ●「日本の『こころ教』とイスラーム『神の法』池内恵 ●「広がりを見せる『信仰なき』宗教」岡本亮輔 ●「『新・人間革命』完結にみる創価学会のゆくえ」佐藤優 ●「宗教ブックガイド2019」渡邊直樹 (敬称略)
  • シリーズ・企業トップが学ぶリベラルアーツ 宗教国家アメリカのふしぎな論理

    シリーズ・企業トップが学ぶリベラルアーツ 宗教国家アメリカのふしぎな論理

    ビジネス・実用

    4.2
    1巻814円 (税込)
    なぜ進化論を否定するのか? なぜ「大きな政府」を嫌うのか? なぜポピュリズムに染まるのか? あからさまな軍事覇権主義の背景は? 歴史をさかのぼり、かの国に根づいた奇妙な宗教性のありかたを読み解き、トランプ現象やポピュリズム蔓延の背景に鋭く迫る。ニュース解説では決して見えてこない、大国アメリカの深層。これがリベラルアーツの神髄だ!
  • ジョナサン・エドワーズ研究 アメリカ・ピューリタニズムの存在論と救済論

    ジョナサン・エドワーズ研究 アメリカ・ピューリタニズムの存在論と救済論

    ビジネス・実用

    -
    1巻9,405円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 【内容紹介・目次・著者略歴】 現代アメリカの思想的源泉である18世紀の思想家に光をあてた、初めての本格的研究。アメリカを代表する神学者、ピューリタニズムの精髄とされるジョナサン・エドワーズ。単に18世紀のピューリタン・アメリカでの役割だけでなく、根本的な人間性の変革のヴィジョンを提示しようとした神学者としてのエドワーズ像をとらえる。 【目次より】 序章 エドワーズの思想史的位置 第一章 傾向的存在論 一 存在論的慣性論の歴史 1 アリストテレス 2 トマス・アクィナス 3 トマス以降エドワーズの思想的周辺まで 二 エドワーズの傾向的存在論 1 初期エドワーズの思想的発展 2 傾向的存在論の展開 第二章 回心 注入の恩恵 一 「注入」と「照明」 1 カルヴァン 2 エイムズ 3 「助力」論争 4 エドワーズ 二 傾向性の変化としての回心 三 注入の諸相 1 注入と人間的準備 2 注入と内住 3 注入と可感性 第三章 回心 新しい内的原理 一 注入の賜物 1 新しい傾向性 2 「造られざる恵み」 3 内在的原理 二 テュレティーニにおける注入の賜物 三 エドワーズにおける注入の賜物 1 プロテスタント原理 2 カトリック実質 第四章 義認 神の賜物の冠 一 エドワーズにおける義認論の位置 二 アルミニウス主義の義認論 三 法廷的義認論 四 転嫁とその存在論的な基礎づけ 1 アダム論的転嫁(原罪論) 2 キリスト論的転嫁(義認論) 五 エドワーズ義認論の特質 1 信仰の能動性 2 神の先行的受容 3 義認に先立つ人間的善 4 「自らの賜物に冠を授け給う神」 第五章 義認 体系的比較 一 成義的注入論と宣義的転嫁論 1 義認論における「注入」 2 対立構造の前提 二 義認と聖化の救済論的秩序 1 プロテスタント的視点 2 カトリック的視点 三 「形相づけられた信仰」 1 術語の相違 2 文脈の相違 第六章 聖化 回心と義認の継続 一 再生と聖化 二 キリスト教的実践 三 堅忍の賜物 第七章 栄化 創造の究極目的 一 個人終末論 二 流出と還流 1 三位一体の神の傾向性 2 人間の神への参与 付論 エドワーズ的な「神化」の概念について 結章 エキュメニカルな救済論の構築にむけて あとがき 注 引用文献 ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。 森本 あんり 1956年生まれ。神学者。国際基督教大学教授。 国際基督教大学人文科学科卒業、東京神学大学大学院組織神学修士課程修了。プリンストン神学大学院博士課程修了(組織神学)、Ph.D。 著書に、『使徒信条』『ジョナサン・エドワーズ研究』『現代に語りかけるキリスト教』『アジア神学講義』『キリスト教でたどるアメリカ史』『アメリカ的理念の身体』『反知性主義』『宗教国家アメリカのふしぎな論理』『異端の時代』『不寛容論』など、 訳書に、H.ミューラー『福音主義神学概説』(共訳)G.デコスタ編『キリスト教は他宗教をどう考えるか』ジェフリー・S.サイカー編『キリスト教は同性愛を受け入れられるか』(監訳)エミール・ブルンナー『出会いとしての真理』(共訳)ピーター・L.バーガー『現代人はキリスト教を信じられるか』(共訳)J.P.バード『はじめてのジョナサン・エドワーズ』など多数ある。
  • 正義と悪意の境界線

    正義と悪意の境界線

    ビジネス・実用

    -
    1巻220円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 ●〔対談〕乱発するキャンセル 今必要な「謝罪」と「許し」 森本あんり 武田 徹 ●匿名性の鎧を纏った「正義の戦士」がゆく 住吉雅美 ●世界で燃え広がるキャンセル・カルチャー 日米の事例から考える現代版「私刑」の功と罪 ベンジャミン・クリッツァー ●キャンセル・カルチャーと欺瞞的「寛容」の時代に 逆説的「不寛容」のすすめ 河野有理
  • 魂の教育 よい本は時を超えて人を動かす

    魂の教育 よい本は時を超えて人を動かす

    小説・文芸

    4.7
    1巻3,190円 (税込)
    よい読書体験はよい人間形成につながると信じる.真っ暗な地下鉄の線路を歩いた昔日の彷徨から,自らの実存の問いと対峙した神学遍歴,半世紀後に届いた「魂の教育」を願う母の祈りまで――.ルネサンス期の幅広い人文主義的な教養主義の理想「ボナエ・リテラエ」を冠する『世界』連載で紡がれた,ある救済の物語.

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  • 反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―

    反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―

    ビジネス・実用

    4.3
    1巻1,925円 (税込)
    アメリカでは、なぜ反インテリの風潮が強いのか。なぜキリスト教が異様に盛んなのか。なぜビジネスマンが自己啓発に熱心なのか。なぜ政治が極端な道徳主義に走るのか。そのすべての謎を解く鍵は、米国のキリスト教が育んだ「反知性主義」にある。反知性主義の歴史を辿りながら、その恐るべきパワーと意外な効用を描く。※新潮選書版に掲載の図版の一部は、電子版には収録しておりません。
  • 不寛容論―アメリカが生んだ「共存」の哲学―(新潮選書)

    不寛容論―アメリカが生んだ「共存」の哲学―(新潮選書)

    ビジネス・実用

    4.1
    1巻1,980円 (税込)
    「わたしはあなたの意見に反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」――こんなユートピア的な寛容社会は本当に実現可能なのか。不寛容がまかり通る植民地時代のアメリカで、異なる価値観を持つ人びとが暮らす多様性社会を築いた偏屈なピューリタンの苦闘から、その「キレイごとぬきの政治倫理」を読み解く。

ユーザーレビュー

  • キリスト教ナショナリズム 不穏なアメリカの変貌

    Posted by ブクログ

    アメリカの人口のうち60%がキリスト教徒で、40%がプロテスタント、そのうちの60%が福音派。
    グローバル化、リベラルな風潮、リベラルな公教育への不満・不信から、穏健なキリスト教徒の主流派が減り福音派が増えてきた。その中にキリスト教ナショナリズムという過激な動きが出てきた。NAR(New Apostolic Reformation)新使徒的改革運動といわれるクリスチャン右派だ。20世紀には神の祝福が直接現世の成功につながることを約束する繁栄の福音が主流だったが、21世紀になって個人の繫栄ではなく国家のキリスト教化が課題となる。救済されるべきは個人ではなく国家なのだ。キリスト教ナショナリズムは国家がキリスト教を根幹としているので他宗教は認めないという立場だ。
    もともとアメリカは、権力と結びついたヨーロッパのキリスト教への反発から、独立当初から政教分離を基本理念としてきた。そのためにかえって信教の自由によりキリスト教の重みが増し、自由に発展することができたのだ。
    1878年のモルモン教重婚禁止判決、1963年の学校での朝の祈唱への憲法違反判決などもあり、政教分離がはっきり意識づけられリベラルな風潮が進んできた。
    1980年代から福音派が政治的関与を深めていったのは、反宗教としての共産主義がある。さらに経済的な圧迫や治安の原因、そして白人キリスト教徒の国としてのアメリカ性を脅かすものとして移民を捉えているから。
    また、宗教へまで口を出す北部の連邦政府への南部の不満もある。福音派は南部に多い。
    多数の教徒を抱える福音派の集会は、大駐車場を備えた会場でロックコンサートなども行われるビックエンターメントになっている。
    大学はほとんどリベラル一色で、それに反発して、チャーリー・カークは保守的政治団体ターニング・ポイントUSAを作ったが、去年暗殺されてしまった。
    一般にも、リベラル疲れと言われるようになり、保守的な古きアメリカの良き夫、良き家庭が求めれると、保守=キリスト教となってしまう。
    既に成功を得た移民たちもアメリカ人になり切りたいので福音派を支持し、新しく移民が入ってくることに反対する。
    Z世代と言われる若者たちは、SNSなどにより多様な価値観へ目を向け、世俗が進んでいる。
    このあと、リバタリアンやピーター・ティールの加速主義などとキリスト教ナショナリズムとの共通点や差異、イスラエル問題を述べている。ユダヤ人が選ばれた民なのは聖書に書いてある通りで、終末の後ユダヤ人たちはキリスト教に改宗するとか。こんなふうに、福音派の人々は聖書の言葉を前後のかかわりなど無視で一部分だけ切り取って、自分の都合のいいように解釈する。主流派の人々は聖書を全体を通してよく読んでいるが、福音派の人々は聖書を読んでいないのだ。
    リバタリアンや加速主義者たちは成功した自分たちは神から選ばれた者たちで価値ある自分たちだけが助かればいいのだという呆れた利己主義者たちである。火星への移住とか核シェルターとか、選ばれた者のためである。
    著者の森本あんりは、キリスト教は衰退してると言い、市民宗教を取り戻すべきという。トランプやNARなどにはないものだ。経済的に成功した神に選ばれ祝福されているというのではなく、自分たちも罪に塗れていて、相手の罪だけを指弾することはできないというのが市民宗教。

    リベラル派にしろ、キリスト教ナショナリズムにしろ、とにかく極端に振り切れてしまうのがアメリカなのかなあ。いや日本以外どこもそうなのかもしれない。大統領選挙の時なども、民主党支持か共和党支持かをはっきりさせないと地域に居づらいというからなあ。八百万の神がいて、多様な価値観を認める日本は特殊か。それを大事にしたいけどなあ。

    0
    2026年09月27日
  • 異端の時代 正統のかたちを求めて

    Posted by ブクログ

    ものすごく面白かったです⁉️
    言葉遣いがしっかりされていて、話題性も豊富で、説明文も都度都度納得させられる物ばかりでした。
    新書で薄っぺらなので、当然物足りない部分も表出してしまいますが、それを上回る納得感は得られると思います‼️
    発起するきっかけを提供してくれる本であると思います⁉️
    他の作品が楽しみです‼️

    0
    2026年04月16日
  • 魂の教育 よい本は時を超えて人を動かす

    Posted by ブクログ

    著者の40歳くらいまでの自叙伝が、読書や神学と共に語られていて、とても面白い内容です。特に進学に馴染みがない私にとっては、私自身の仏教の信仰を問う良いきっかけになりました

    0
    2026年03月12日
  • 反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―

    Posted by ブクログ

    ものすごくおもしろかった!キリスト教に国だとは知っていただけど伝統的なキリスト教観とは全く違う、ということがよくわかった。なんでトランプみたいな人が支持されるんだろうと思ってたけどこりゃ納得。
    ユーモアと皮肉のある分かりやすい文体もステキ。

    0
    2026年03月09日
  • 異端の時代 正統のかたちを求めて

    Posted by ブクログ

    森本 あんり
    (もりもと あんり、1956年10月19日[1] - )は、日本の神学者、牧師[2]、国際基督教大学名誉教授。2022年4月1日より東京女子大学・第17代目学長[3][4]。神奈川県生まれ[2]。父親は画家・グラフィックデザイナー[5]。1975年東京都立小石川高等学校卒業[6]、1979年国際基督教大学教養学部人文科学科卒業[7]。1982年東京神学大学大学院組織神学修士課程修了[7]。1982 - 1986年日本基督教団松山城東教会牧師[7]。1991年アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国プリンストン神学大学院博士課程修了(組織神学)、Ph.D[7]。1991年国際基督教大学牧師、1997年同凖教授、2001年教授、2012年-2020年[4]同大学学務副学長[7]。2022年4月1日より東京女子大学・第17代目学長(任期は4年間)[3][4]。


    「その背景には、増大する所得格差や教育格差、グローバル化による低賃金競争の圧力、中国の台頭によるアメリカの相対的地位の低下、移民の大量流入と福祉支出の増加などが挙げられている。かつてアメリカは開かれた機会の国であった。自由と繁栄を求めて努力すれば、誰もが報われる社会であった。しかし今、「子どもは親よりもよい暮らしができるか」と尋ねられると、四人のうち三人が「そんな自信はない」と答えるのである。人びとは、「アメリカン・ドリーム」がただの夢にすぎなかったことに気づき始めている。  前世紀末から緩やかに進行してきたこの変化を、うすうす感じ取っていた人もいる。だがそういう人も、これまでのリベラルな常識が妨げになり、表立って移民排斥や保護主義の声を上げることはできないでいた。トランプは、政治環境の変化に戸惑っていた人びとの屈折した本心を読み取り、それを小気味よく代弁してくれたのである。イスラム教徒排斥発言で物議を醸した際には、彼の人気は陰るどころかさらに高まった。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「もともとアメリカ人は、自力でのし上がってきた人物を好む。世襲のカネやコネによらず、自分の才覚で成功をつかんだ人が、自分で稼いだ資金を使って自由に発言し行動するのは、正しいことで美徳なのである。この価値意識は、「成り上がり者」や「にわか成金」を冷たい目で見る日本やヨーロッパとは少し異なるところである。メディアへの対応を心得たトランプは、一般大衆がそのような大舞台の立役者を待望していることを肌感覚で悟っていた。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「 要するに、「異端であることの代償が小さくなった」のである(ナイム三二五頁)。人びとは正統である必要を感じず、正統であろうと努力することもない。「みんな違ってみんないい」のであって、正統であろうとする努力こそ、自分や周囲に抑圧をもたらす根本悪なのである。多様性を認める社会は、たしかに多くの人にとって居心地のよい社会かもしれない。だが、それぞれが「自分ファースト」の小集団に閉じこもり、既存の体制や組織が疑問に付され、公共機関や司法制度に当然のものとして前提されてきた正統性が失われることは、どこまで社会の健全性と両立するのだろうか。貨幣制度が人びとの信認の上に成立しているように、政治制度も民の信なくして立つことはできない。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「発足当初から見通しが不透明だったこの試みはしかし、六〇年代を通しての努力でも救い出されることがなかった。元来日本の天皇制や国体には、聖書にあたるような教典もなく、教義にあたるような信条もなく、教会にあたるような組織もない。正統の枠付けをするものがなければ、逆に異端を審問し異端として定義づける手続きも成立しようがないわけである。キリスト教史から入手した諸概念を参照枠組みに用いることの問題点もはじめから意識されており、後述するように中国古典や江戸儒学における漢語としての用語法も検討してはいたが、分析が進むにつれてこの制約はいっそう明らかになった。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「何事も聖書へ立ち返って確認すれば解決できる、とする素朴な聖書主義は、すでにこの順序からして成り立たないことが明らかである。プロテスタンティズムは、「聖書と伝統」を啓示の二源泉とみなすカトリック教会に対し、「伝統」を否定して「聖書のみ」を旗印に掲げた。しかし、プロテスタントにも伝統はある。プロテスタントはそれに従って聖書を読んでいるにすぎない。  もう少し言うと、聖書という「書物」を重視し、そこに書かれた文字を「読む」という作業を重視すること自体が、近代の偏見である。それ以前の長い歴史を生きた大多数のキリスト教徒からすれば、聖書は「読む」ものではなく「聞く」ものであった。聖書は、コーランのごとく「朗唱されたもの」、つまり教会で識字者が読み上げるのを聞くものだったのである。そして、それを読む者は、個人の立場ではなく自分の属する集団の精神においてそれを読む。そこには、意識されていようといまいと、伝統の仲介がある。そのような仲介なしに、まったく独りで聖書という書物に向き合い、その文字を読むだけで信仰に至った、という人は稀である。「信仰は聞くことによる」(「ローマ人への手紙」一〇章一七節)。人は、聖書から直接に信仰を得るのではなく、他者との出会いを通して、つまり何らかの伝統を介して信仰を得るのである。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「教会は、権威のないところに新たな権威を創出することはできない。すでに存在している権威を追認することができるだけである。優れた彫刻家は、素材の中にあらかじめ完成像が隠れているのを見て、それを彫り出してゆくと言われる。同じように、教会は何もないところに自分で正典を作り出したのではなく、すでに人びとの間で承認されている正典の権威に基づいて、それを形にしただけである。  キリスト教自体も、はじめは特異な新興宗教集団として出発した。ユダヤ教の指導者たちは、不安な面持ちでこの新奇な宗教の興隆を見つめていたに相違ない。あるとき、最高法院の議員たちがいきり立って議論をしていると、ガマリエルという律法学者が立ち上がり、次のように語って同胞を諭した。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「キリスト教を「外来」宗教と見る日本では、アメリカやヨーロッパをキリスト教の「本場」と見なす傾向がある。だが、歴史を振り返れば明らかなように、キリスト教はそれらの地域においても「外来」の宗教であった。序章や第一章で見たように、キリスト教はアメリカでは極度に「アメリカ化」し、国家や文化との見分けがつかないほどに「土着化」してしまっている。同じことは、ヨーロッパのキリスト教についても言うことができるし、近現代だけでなく中世や古代にも言うことができる。ハルナックの講義は、そのような変質がすでにキリスト教の揺籃期であるギリシア時代に起きていた、ということを示した点で、人びとに大きな衝撃を与えることになった。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「カトリック教会のカテキズム(入門者用解説書)では、聖書への信仰ですら、教会の権威がなければ成り立たない、とされている。まず教会を信じなさい、その上で、教会が(つまり聖職者が)解説してくれるままに聖書を信じなさい、ということである。聖書の権威は教会の権威に依存し、その意味は教会が解釈する通りに解釈すべきなのである。  「万人祭司制」を唱えるプロテスタントは、このようなカトリック的な権威体系を嫌うが、すでに述べたとおり、プロテスタントにもプロテスタントなりの聖書解釈の伝統が備わっており、教会ではほぼそれに沿って聖書が読まれている。「聖書のみ」という彼らの聖書理解そのものが、プロテスタント的な伝統に準拠したものだし、宗教改革者たちも教会を「聖なる恵みの施与施設」( Heilsanstalt)と位置づけていたので、構造的にもこの点はさほど異なるわけではない。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    森本あんり『異端の時代』を読み終えた。なかなか示唆に富む本だ。考える糧になる。正統の定義。「どこでも、いつでも、誰にでも、信じられてきたこと」という定義。これはある意味、日本の野党、リベラルな学者に対する痛烈な批判にもなっている。

    森本あんり『異端の時代』に厳格な教義を守るものしか受け入れないのが「異端」で、それによって異端は自ら滅んでいくみたいなことが書いてあったのを最近よく思い返す。「正統」が続くのはその間口が広くてユルいから、ということらしい(それはおかしい、と言い出す人が異端として分離していく)

    「ついでに触れておくと、パウロも同じように挑発的な発言をすることがある。原始教会の中には、キリスト教とその母胎であったユダヤ教との区別ができず、キリスト教徒になるためにはまずユダヤ教徒にならねばならない、と考える人びとがいた。律法の定めにより、ユダヤ教徒になるためには割礼が必須である。パウロはそういう論者たちに我慢がならず、そこまで固執するなら「あなたがたの 動者どもは、自ら不具になるがよかろう」と言い放っている(「ガラテヤ人への手紙」五章一二節)。もちろん、パウロも実際に去勢を奨励しているわけではない。割礼と去勢はまったく異なる行為だが、割礼を極端に誇張して、その有無を問うことの愚かさを批判しているだけである。だからこれも文字通りに読んではいけない。聖書は、そこそこいい加減に読むに限る。それが正しい読み方なのである。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「教義の制定は、法律の制定に似ている。法律も、ある日いきなり定められるのではなく、その法律によって規定されるべき事態がまず存在し、それを後追いするかたちで制定される。もちろん、制定に際しては現実のすべてが容認されるわけではなく、容認されることとされないこととの区分けがなされ、適法と不適法の線引きが行われる。それでも、そこで正しいと認定されたことは、法律ができたから忽然と正しくなったわけではなく、法律ができる前から正しかったのであり、その正しさが法律によって追認された、というにすぎない。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「なお、カトリック的な「事効論」は、プロテスタント神学では別の意味に解されて批判の対象となった。カトリック的な文脈では、洗礼というサクラメントは神の恵みそのものの力によって有効となる、ということを意味していた。だから「施与者の状態にかかわりなく」作用する、と言ったのである。ところがプロテスタント側は、これを「受領者の信仰なしに」作用する、という意味に解釈した。信仰がなくても作用するなら、それは魔術と大差ないことになる。カトリック神学は、聖遺物のように信仰をモノへと凝縮させて扱う「物化論」に長けているが、「事効論」もプロテスタントには同じ傾向を示す危険な教えに見えたのである。両者に共通した理解をあえてすくい取るならば、信仰は洗礼の「根拠」ではないが「条件」である、というあたりだろうか。  こうして見ると、秘跡論の重要性がよく理解できる。中世カトリシズムからプロテスタンティズムに至る系譜を、この視点から通観することができるからである。そして、おそらくこれは教会の改革だけの話ではないだろう。改革も、時代を制する大きな流れになると、その中に本流と傍流ができる。正統であり続けるためには、そこでも主観的な熱情と制度的な安定性との全体的なバランスを維持した両足歩行で進まなければならないのである。この点は、現代ポピュリズムの問題にも通じているので、終章でもう一段深めて論ずることとしたい。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「アナーキズムの命ずるところに従えば、人間はみな勇気ある芸術家であるべきであって、法則とか限定などには一顧も与えるべきではないという。しかし芸術家でありながら法則や限定を顧慮しないことは要するに不可能である。芸術とは限定である。絵の本質は額縁にある。キリンを描く時は、ぜひとも首を長く描かねばならぬ。もし勇気ある芸術家の特権を行使して、首の短いキリンを描くのは自由だと主張するならば、つまりはキリンを描く自由がないことを発見するだろう(チェスタトン六二頁)。  自由は、あるものに本来的に備わっている法則に従うことによって得られる、ということである。制約なしに自由はない。自由になろうと思う者は、みずからに限定を引き受けねばならない。規則を破り、束縛を逃れれば自由になる、と考えるのは中学生までである。無限定で無定形の自由に実質を与え、具体的で手に取ることのできる現実となすのは、その外周を囲う何ものかなのである。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「正統にみる自由と制約の弁証法は、法制史の分野でもつとに指摘されてきた。前章でわれわれが中世秘跡論について参照した堀米庸三は、封建制成立の以前も以後も、自由がそれを護る力による制約と不可分であったことを強調している。社会における自由は、個人の自由の限定なしには存立し得ず、秩序による拘束なしには保護され得ない。そのような制約を受けない自由とは、いわゆる「鳥の自由」( Vogelfrei)、すなわち法を犯して共同体の法的庇護を失った犯罪者が狼のように森を彷徨う、という意味での自由に他ならない。彼に出会う者は誰でも彼を殺す権利と義務があり、その屍は埋葬されることなく鳥の 食に供される、という自由である(堀米一九七六年:二八六頁)。そんな自由を欲しがる人は多くないだろう。中世的な意味における自由は、あくまでも保護者への依存を条件としており、その力と制約の中でしか存在しないのである。だから堀米は、「自由はつねにネガティヴにしか規定されえない」と明言する(同三一四頁)。これは、アナテマによる正統の否定的な定義と同じ表示形式である。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「それでも、人は正統と異端という秩序の記憶に生きる。だから現代世界は、始まった時にはすでに失われていた。人は、あらかじめ疎外されており、安住すべき故郷を追われた存在として自分を意識する。はじめから見たこともない神話的過去へのノスタルジーを植え付けられ、どこかに調和ある世界の回復を希求し続けるのである。  個々の精神は儚く、異端もまた一人では存在し得ない。チェスタトンが嘆いたように、異端の「私化」は二〇世紀冒頭の英国でも見られたことだが、この現象はアメリカでは「個人主義の宗教化」という形態ですでにそれ以前から深く進行していた。本章のはじめに引用したジェイムズは、その典型的な体現者である。以下にジェイムズのこの直系の系譜を り、エマソンとソローという「個人主義的宗教の元祖」と言うべき二人の人物に焦点をあてて、それが現代の趨勢となった経緯を確認しよう。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「政治家ばかりではない。学校の教師、地域の管理者、大学の行政部。相手は何でもよい。自分より上の立場にある者に対しては、どんな非合理な批難をぶつけてもよい、と考えられている。先崎によると、権威の喪失は現代社会の特質だが、かつて聖職とみなされていた職業や地位には、今なお「権威の残り香」がつきまとっている(同七三頁)。それを嗅ぎつけると、まるで動物的な反感のスイッチが入ったように、批判者たちは正統意識に酔いしれながら容赦のない全否定を浴びせかけるようになるのである。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「 「ポピュリズム」を定義するのは難しい。ポピュリストには右も左もあり、保守派も進歩派もあり、国粋主義者もいれば社会主義者もいて、どのような定義をするにしても、それらすべてを一つの定義のもとに包摂することはできないからである。そして、まさにこの点にポピュリズムの固有な特徴がある。ジョージア大学の政治学者カス・ミュデによると、ポピュリズムにはそもそもイデオロギー的な理念の厚みが存在しない。従来のイデオロギーは、全体主義にせよ共産主義にせよ、政治や経済から文化や芸術まで、社会全体のあるべき姿を描き出そうとしたものである。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

    「常識的な抑制や均衡に対するこうした反発は、しばしば反知性主義と一体になって表現される。どちらも、既成の権力や体制派のエリートに対する大衆の反感を梃子にした勢力だからである。そのためポピュリストは、服装から言葉遣いに至るまで、あくまでも自分が専門家集団の外部に立つアマチュアであることを強調する。序章で見たとおり、プロの政治家はみな腐敗した権力構造の虜で既得権益を守ろうとするが、素朴な民衆はいつも されて搾取される被害者だ、そして自分こそそういう民衆全体の利益代表者だ、という設定である。」

    —『異端の時代-正統のかたちを求めて (岩波新書)』森本 あんり著

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    2026年01月19日

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