沖縄が日本に復帰してから10年が経った1982年に出た本だ.
おそらく,その頃には内地では「戦後」なんてもうとっくに終わったこと,みたいな感覚が広がっていたんじゃないかと思う.
当時,僕は小学校3年生.「はだしのゲン」は読んでいたし,父から沖縄戦の話もぽつぽつ聞いてはいたけれど,それはあくまで「歴史」の話で,現実味は薄かった.戦争って,どこか遠くの世界の出来事で,半分フィクションみたいに感じていた.
2〜3年に一度,まだ祖父が生きていた頃に,父の兄弟や親戚を訪ねて沖縄に行く「ちょっと退屈な旅行」があった.58号線沿いの看板は英語だらけで,どこの家に行っても軍服姿の肖像画が飾られた仏壇があって,ひたすら手を合わせて回った.
今思えば,あのとき僕は「復帰後10年」の沖縄の空気を,生で感じ取っていたんだな,と思う.
この本は,沖縄の人たちの悲しみや怒りを声高に訴えるわけでもないし,感情を煽るような書き方もしていない.むしろ,裁判記録や新聞記事を淡々と並べているように見えるし,取材の踏み込みも控えめに感じた.
でも,ページを進めるうちに気づいた.あれは「踏み込まなかった」んじゃなくて,「踏み込めなかった」,いや,「踏み込む資格がない」と佐木隆三自身が痛感していたんじゃないかって.
慰めも,同情も,煽情もない.ただ淡々と,事実を置いていくだけ.だからこそ,かえって重たく響く.
その静けさが,僕の父や,親戚たちや,あるいは今も沖縄で生きている僕のいとこたちが,胸の奥に抱えているものと,静かに共鳴しているように感じた.
僕の父は1942年生まれ.物心つく前の記憶かも知れないけど,沖縄戦をまさに「ど真ん中」で経験している.伊江島が戦場になって,家族と一緒に辺野古へ逃れ,山原の山中で避難生活を送ったという.その話を,父はぽつぽつと語ってくれた.
「言葉狩り」に遭った話や,不発弾の爆発の話を,父はときどき笑い話のように語ってくれた.僕は子どもの頃,それをそのまま笑って聞いていたけど,大人になった今では思う.
そうでもしないと語れないくらい,本当は辛くて怖くて,心に深く残る体験だったんじゃないかって.
戦後,伊江島に戻ったあとも,不発弾の爆発は頻繁に起きていたらしい.危険と隣り合わせの日常.
それでも父は,自分の過去を声高に語ることはなかった.ただ,必要なときに,静かに伝えてくれた.
その言葉たちは,僕にとって何よりの「証言記録」になっている.
沖縄戦が「歴史」になり,語り手が減っていくなかで,家族から受け継いだリアルな記憶こそが,今の僕の軸になっている.
父は12人兄弟のうち,戦争で4人を失っている.2人は戦死,1人は病死,そして1人は伊江島で日本兵に殺された.
この本に書かれている史実は,僕にとってまったくの他人事ではない.
父自身も,戦後の栄養失調やマラリアで小学校の入学が1年遅れた.
伊江島では比較的裕福な家だった父の家ですら,そんな状態だったのだ.
土地を奪われ,耕す手段も奪われた人たちに,「自分の力で立ち上がれ」と言うのは,あまりに酷だ.
「基地の周りに金欲しさで群がってきたくせに文句を言うな」なんて言葉を聞くたびに,怒りというより,ただただ呆れるしかない.
人はどんな状況でも,生きる道を選ぶ.それを外からとやかく言う権利は,誰にもないはずだ.
「潔く自決」が美徳だった時代こそが,おかしかった.
そんな時代を賛美することは,人間に対する冒涜だし,国家への冒涜でもあると僕は思っている.
正直言うと,これまで僕は佐木隆三の作品を避けてきた.
「内地の人間に沖縄のことが書けるわけがない」って,ちょっと斜に構えた目で見ていた.
でも実際に読んでみてわかった.それこそが作者自身がもっとも痛感し,苦しんできたことなのではないか.
彼の筆は,僕のような「ヤマトに住む2世」よりもずっと真摯に,沖縄に向き合っていた.その誠実さが,行間からにじみ出ている.
遅ればせながら,これから彼の本を少しずつ読んでいこうと思う.