「古典地政学は「すべてを説明する理論」などではありません。国際社会を動かす要素は宗教、文化、その国の歴史、経済、人口構造、科学技術など、実に様々で、それらが複雑に交錯しています。地政学は、それを、「地理」を出発点とするひとつの切り口で考察する営みにすぎませんが、その知的実践の蓄積は、いまの世界を理解するうえでも、大いに役立つと考えているのです。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「では、なぜ地政学は「地理」に注目するのか? それは国家にとって地理が最も不変的な条件だからです。 教科書に書かれている「国家」の条件は3つあります。「一定の領土」「国民」「政府」です。 このうち、国民は移動できますし、政府は選挙やクーデターなどで、極端に言えば一夜のうちに変えることができます。しかし領土 =地理的条件はなかなか変わりません。日本が海に囲まれた島国であることは、万葉集、記紀の昔から、日本人に与えられた基本的条件なのです。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「そこで、国家が置かれている環境の中でも、変化の少ない「地理」が、戦略を考えるうえでの出発点とされてきたのです。 世界史の中でも卓越した戦術家だったナポレオン・ボナパルトは次のような言葉を残したと言われています。「地図を見せてみろ。あなたの国の対外戦略を当ててみせる」 軍事面においても、軍隊をどこに配置するか、兵站の拠点やルートをいかに確保するかなどを計画するうえで、地理的条件の把握は不可欠です。さらにいえば、気候や地質なども戦略を決定する要件のひとつとなります。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「また、人間の「ものの見方」に大きな影響を与える要素のひとつが「感情」です。地政学においては「恐怖」「支配欲」「自立心」「依存心(従属関係を受け入れる心性)」といった国民感情、指導者たちのメンタリティも重要な分析対象となります。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「ロシアを衝き動かす「恐怖」 これものちに詳しく論じますが、ランドパワーの代表ともいえるロシアを分析するうえで、重要なのは「恐怖」です。ロシアは広大な領土を持つ大国ですが、その戦略的態度を歴史的に分析していくと、そこに浮かび上がるのは、自国を侵略されることへの「恐怖」です。よく知られるように、ロシアは 13世紀から 250年近くにもわたって、モンゴル帝国に侵攻され、その支配を受けました。これを「タタールのくびき」と呼びます。 16世紀には近隣のスウェーデン、ポーランドにも攻められ、モスクワ陥落も経験しました。そして、ナポレオン率いるフランス、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツにも攻め込まれ、いずれもロシア本土での戦闘で甚大な被害を受けています。 これも陸続きの大国ゆえの悲劇といえるでしょう。そのために、ロシアは伝統的に、自国の周囲にバッファーゾーン(緩衝地帯)を設定しようとします。周囲に絶対にロシアに敵対しない、従属関係にある衛星国を配置し、敵国がいきなりロシア本体に攻め込めないようにする。旧ソ連時代の東欧諸国などはその典型といえるでしょう。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「 後でも触れますが、ロシア・ウクライナ戦争の原因のひとつに、こうしたロシアの「恐怖」に基づく世界観があることは間違いありません。独立を果たしたウクライナですが、ロシアは依然として、ウクライナを衛星国(バッファーゾーン)としておきたかった。ウクライナが NATOに入ってしまうと、ロシアは緩衝地域なしにいきなり敵国側と国境を接することになってしまうわけです。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「このように、地政学の考察の対象は、客観的な地理的条件 +「指導者たちの頭の中にある地図」だといってもいいでしょう。ここで難しいのは、「指導者たちの頭の中」が一種のブラックボックスだということです。プーチン大統領が何を考えているのかを客観的に明らかにすることは、誰にもできません。私が、「地政学は『学問』ではない」と考える所以のひとつです。しかし、本当には知ることのできない「指導者たちの頭の中」「国民感情」に、できうる限り近づき、モデル化することは、国際政治を考えるうえで、非常に重要な作業だと考えます。なぜなら、各国の政策担当者たちは、そうした作業を日々行っており、それに基づいてリアルな国際政治が動いているからです。それらの実践的な営みのひとつが「地政学」なのです。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「ここで、地政学のもうひとつの大前提について考えてみたいと思います。 それは「人は必ず争う」です。これをトマス・ホッブズは「万人の万人に対する闘争」と呼びました。 この大前提については、様々な批判がなされてきました。人間は集団行動をする動物であり、闘争ではなく、協調、協力関係を重視すべきではないか、というものです。これを現代風にいえば、リアリズムとリベラリズムの対立ということができるでしょう。 ごく簡単にいえば、リアリズムは衝突モデルです。人間は自分の利益の最大化をはかるが、それは集団になると抑制されるどころか、いっそう顕著になる、と考えます。国際社会における激しいナショナリズムの高揚、隣国との衝突、国内政治における分断、格差問題などは、こうした見方を裏付けます。地政学は、このリアリズムのモデルと親和性があります。リアリズムの考え方では、軍事力、経済力などの「力」を持つものが世界を動かす、ということになります。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「カウティリヤはその外交政策を「六計」としてまとめています。 すなわち「和平」「戦争」「静止」「進軍」「依投」「二重政策」の6つです。「静止」とは静観、つまり自分からは動かず、様子を見ること。「進軍」とは、敵と衝突することなく、兵を進めること。「依投」とは、他の国に支援を求めることで、これも立派な戦略のひとつに数えています。「二重政策」とは、和平と戦いを、情勢に応じて使い分けることで、まさにマキャベリズムの先駆といえます。 もうひとつ重要なのは、カウティリヤが「永遠の友はいない」と述べていることです。先に示した「外交マンダラ」は地理的な条件に基づく基本認識ですが、不変のものではなく、状況に応じて、敵との和平もあれば、同盟の組み換えもありうるという、リアルな認識がそこにはあります。 19世紀のイギリスで外相・首相などを歴任し、「パックス・ブリタニカ」(大英帝国による平和)を築き上げたヘンリー・ジョン・テンプル・パーマストン( 1784- 1865)に、「英国にとって永遠の同盟も、永遠の敵もいない。あるのは永遠の国益のみだ」という言葉がありますが、これもカウティリヤの「世界観」に重なり合います。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「またベルリン大学は世界で最初に地理学の講座を開いた大学で、フンボルトと並んで、「近代地理学の父」と称されるカール・リッター( 1779- 1859)が初代の教授を務めました。 このように地理学において世界をリードしたプロイセンですが、 1864年に第二次シュレースヴィヒ =ホルシュタイン戦争でデンマークを、 1866年に普墺戦争でオーストリアを、そして 1871年に普仏戦争でフランスを破ると、一躍ヨーロッパ大陸の最強国となります。その勝利に貢献したのが、地理学の知見を活かした作戦の立案や鉄道輸送による兵站でした。 1891年、アルフレート・フォン・シュリーフェン( 1833- 1913)は参謀総長に就任すると、地理学を科学的学問として参謀本部に導入することを決定します。これを機に、ヨーロッパ中で、地理の知識が安全保障や国家戦略のベースのひとつとして位置づけられるようになり、「近代地政学」誕生の気運が高まります。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「次に中国をみてみましょう。中国も典型的なランドパワー国家です。これまで中国が本格的に海の外へ乗り出す姿勢をみせたのは、モンゴル帝国による元寇と、明の時代に行った鄭和の大航海など、数えるほどしかありません。最近の研究では、いわゆる元寇も、中国伝統のスタイルである朝貢外交を日本に打診したところ、鎌倉幕府が使者を殺すなどの強硬姿勢を示したために起きた、という説が唱えられています。それほど、海への進出には慎重なのが中国です。 そんな中国が近年、南シナ海、東シナ海で侵略的行為をくり返し、一帯一路構想では「帯 =陸路」とともに「路 =海路」への進出も掲げています。さらには台湾進攻の懸念も高まっています。中国に何が起きているのでしょうか。 中華人民共和国が建国されて 70年あまりが経ちますが、いま中国は長い歴史を振り返っても稀有な状態にあります。それは、陸での主な国境紛争が解決していることです。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「この予測はスパイクマンが唱えた「内海の法則」に基づくものでした。それは「国が対外進出する際には、自国の周辺の内海を支配しようとする」というものです。たとえばアメリカは世界の海に進出する前に、メキシコ湾、カリブ海から、イギリス、フランス、スペインなどを排除し、自国の「内海」としました。同様に、古代ローマは通商国家カルタゴを潰して地中海を握り、イギリスはイギリス海峡から北海、そしてマルタ島を支配下に置くことで地中海を押さえます。そしてこれらの「内海」を拠点として、世界帝国になっていったのです。太平洋戦争において、この「アジアの地中海」に進出したのは日本でした。戦後は入れ替わるようにして、アメリカがこの地域に強い影響を及ぼしています。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「さらにいえば、一帯一路での中国の戦略も、あまり賢明とは思えません。たとえばスリランカでは、中国の融資を受けてハンバントタ港を建設したものの、高金利で返済のめどが立たなくなると、中国国営企業に 99年間、運営権を引き渡さざるを得なくなりました。同様にモンゴル、ラオス、キルギス、タジキスタン、パキスタン、モルディブ、モンテネグロ、ジブチといった国々が、中国に対する債務リスクに見舞われています。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「ここで、「世界観」のところで紹介した『孫子』「地形篇」を思い出してください。孫武は、四方に開けて、進むのが容易な地形を「通」と名付けました。まさに京都は「通」です。敵味方どちらにも移動が容易なのですが、それだけに守るのは難しい。日本史を振り返っても、京都に立てこもって勝利を収めたケースはほとんどありません。源頼朝や徳川家康が幕府を置く場所として京都を選ばなかったのも、南北朝の争いや応仁の乱のような京都を巡る争いにいつまでも決着がつかなかったのも、ひとつには攻めやすく守りにくい京都という町の地政学的特質が大きかった、と考えられます。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「20世紀に入ると、イギリスにとって最大の強敵、ドイツが台頭します。 1871年、プロイセンが盟主となり、連邦諸国を統一したドイツ帝国は、急速に重工業化が進み、なかでも鉄鋼、化学、鉄道などの重化学工業の分野に強みを発揮します。特にイギリスが危機感を抱いたのは、ドイツの科学力でした。 19世紀も後半になると、イギリスの大学で行われている多くの授業で、ドイツ語のテキストが使われるようになってきます。さらにいえば、イギリスを支えてきた工作機械などの工業インフラがどんどんドイツ製になっていく。これはまずい、なんとしてもドイツを潰さなくては、というのが、イギリスの至上命題となるわけです。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「そのなかにあって、 1946年2月 22日、モスクワから米国務省に、約 8000語にも及ぶ長文の電報が届きます。その主旨は、「ソ連の共産主義は、歴史的に見ても拡張に向かう傾向がある。その動きはすでに始まっていて、とても止められるものではない」というように、ソ連の侵略性を指摘する衝撃的なものだったのです。この電文の筆者こそ、のちに「封じ込め」の理論家として著名になる外交官のジョージ・ケナン( 1904- 2005)でした。これによって、ケナンは、アメリカがリードする戦後体制において、ソ連との対決は不可避だと指摘したのです。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「今の時点では、アメリカにあって中国にないものは、科学技術や金融力をはじめ、いろいろ挙げられますが、その最大のもののひとつが同盟力でしょう。たとえば、いざ戦争となったとき、実際に中国の側に立って戦ってくれそうな国といえば、カンボジアか北朝鮮くらいしか思い浮かびません。 そこで欧州では NATO、アジアではクアッド(日米豪印)などの連携が重要になってくるのですが、トランプ政権の場合に問題だったのは、大統領本人が同盟の論理をよく理解できていないので、たとえばドイツや日本などの協力が必要だ、というと、じゃあ脅し付けて言うことを聞かせればいい、となってしまうことでした。つまり、せっかくの同盟力を、ユニラテラリズム的な古いやり方で動かそうとしてしまったわけです。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「ランドパワーの大国である中国にとって、最大の関心事は「陸続きの対抗勢力から攻められないこと」です。これは過去も現在も変わりはありません。 過去の歴史を振り返っても、中国の王朝が滅びる、もしくは衰退するときは、周辺の異民族からの侵攻などが見られるように、ランドパワーの最大の敵は隣接するランドパワーなのです。周辺地域からの防衛に力を注いでいるうちに、内政が荒廃し、国内でも大規模な反乱が生じるというのが、中国史上、繰り返し見られるパターンでした。 しかし、第 2章でも述べたように、中国共産党政権は建国後 70年かけて、陸上での国境紛争のほとんどを解決しました。そのために、中国は史上例がないほど「陸の脅威」から解放された状態にあるといえます。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著
「しかし、中国の海洋進出が必ず軍事的手法を取るとは限りません。一帯一路にみられるように、投資や援助などを通じて、経済的・外交的に関係を強化していくという、英米に代表されるシーパワー的な戦略も採用しています。台湾に対しても同様に、軍事的圧力の強化と同時に、経済的・政治的な関係深化を狙う政策がこれからも取られるでしょう。」
—『世界最強の地政学 (文春新書)』奥山 真司著