良書である。
『生物とは何か』という書名であるが、最終的に、哲学的な問いにつながっていく。
最終章のタイトルは、『そして「わたし」とは何か』である。
まさに、わたし自身の哲学的な関心・疑問に沿っている。
⚫︎第1章
トキソプラズマ原虫(真核単細胞生物)について。
ほぼすべての温血動物に感染可能。
全人類の3分の1は感染者と推定される。
感染者は、ドーパミンやテストステロンが増加し、リスクのある積極的行動をとる傾向がある。
⚫︎第2章
腸内細菌についての話。
植物のセルロース・ヘミセルロースなどは難分解性であり、草食動物でも自身では分解できないので、腸内細菌の作る酵素で分解される。
ウシ・ヤギなどの反芻動物(偶蹄目)は、腸内細菌を培養しながら、細菌そのものを殺菌・分解して、タンパク源とする。
ウマ・サイなどの反芻しない奇蹄目は、腸内細菌自体を栄養源にはできない。
腸内細菌との共生なしには、ヒトも動物も生きられない。
⚫︎第3章
腸内フローラの話。
腸から脳へのシグナルがある。
腸内フローラは、精神疾患や人格形成にまで関係している。
便移植により、体質や性格まで変わる。
⚫︎第4章
細胞内共生の話。
地球上のバイオマス炭素総量の82%が植物。
光合成という大発明のおかげ。
生命活動(化学反応)を駆動するエネルギーを、無尽蔵ともいえる太陽光から取り出す。
⚫︎第5章
ゲノム退縮の話。
宿主との共生の結果、宿主から供給されるものは、細菌自身で作る能力を失う。
遺伝子のわずかな突然変異だけで、共生菌化することも。
ゲノムが短いもののほうが早く複製が済むため、増殖速度が速くなる。
⚫︎第6章
ヒトゲノムの中に入り込んでいる多数のウイルス由来の遺伝子配列について。
(その大きな役割、そしてウイルス進化論)
⚫︎第7章
異なる起源のゲノムが、複数で混在したまま、"個体"を成すことについて。
ポテトとトマトを細胞融合させた、雑種植物「ポマト」は、両者の遺伝情報が同居(異質四倍体)。
パンコムギは異質六倍体、栽培イチゴは異質八倍体。
「地衣」という、複数種の菌と複数種の藻類が共生した「ミニ生態系」的な"個体"。
「接ぎ木」というキメラ、異なったゲノム情報を持つ細胞が"個体"の中で共存する。
⚫︎第8章
寄生者が宿主の行動を支配する「宿主操作」について。
ハリガネムシは、カマキリを入水自殺させる。
ハリガネムシのゲノムは、10%以上が、カマキリ由来、それを使って宿主を操っている。
カマキリの脳における遺伝子発現を操作するのではなく、自身のゲノムから作ったタンパク質により、宿主を操作している。
⚫︎最終章
「わたし」は、他者・外界・世界から、区切れるものなのか?という問い。
生物の持つ情報には、DNAによる「遺伝情報」と、脳細胞のネットワークからなる「脳情報」の二つがあるとする論がある。
固有の「脳情報」を持つということが、私たち人間が「個体」や「自我」を区別する基準となっている。
しかし、生物の大部分には、そのような「個体」は、存在していないだろう。
そして、生物の生存や自己複製には、例外なく何かの外部環境に依存している。
p.211 …形而下には、どこにも混じりけのない純粋な「わたし」など、そもそも存在しないのである。
p.212…形而上の世界でのみ、固有の『個体』そして「わたし」が存在できるのだ。
(しかし、例えば、腸内細菌が無意識に与える影響を加味すれば)
p.214 …それは疑いもなく、私たちの中枢神経系が、すなわち「脳情報」が、何者かの介入を受けた証拠である。そしてその事実は、私たちの形而上の『個体』でさえ、何者かの「意思」と一体化してしまうことを示唆している。
p.214 …どんな生き物にも、そして私たちの脳情報による『個体』にさえも、他から完全に独立した混じりけのない「わたし」などは存在していないかもしれない。
人間も生物である以上、腸内細菌をはじめとした生物的環境や生物サイクルから、逃れた存在ではない。
人間の思考というものも、その影響下で行われているものである。
本書の主張に、四畳半哲学者の視点から、さらにプラスするならば、形而上学的な「わたし」についても、「言語ゲーム」をはじめとした文化的・歴史的な関係性の積み重ねなくしては、思考することは不可能である、ということがある。
つまり私たちは、生物としても、思考する人間としても、「環境の積み重ね」から離れた、完全に自由な思索などは、元来、行えないのだ。
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生物的環境から「わたし」を切り分けることは出来ないだろう、というのが本書の主旨である。
それを読みながら考えていると、やはり、さらに根本的な疑問に突き当たる。
そもそも物理法則に従った物理運動が行われているだけの世界において、「生物」が誕生し、「意識」が生まれる必要性が、まったく無いとしか思えないのだ。
微生物が、人間の「心」に影響を与えることも不思議だが、それ以上に、
⚫︎身体という物質から、非物質である「心」が、なぜ、どうやって生まれるのか?
⚫︎逆に言えば、非物質である「心」が、なぜ、どうやって物質である身体を動かすのか?
という、「心身問題」が気になって仕方ない。
そして、あらゆる生物は、「自己を保存する」、少なくとも「増殖する」という方向性を持った運動をしている。
下等な微生物において、そこに「意思」と呼べるものはないだろうが、その運動にさえ、増殖するという方向性が明確にある。
この事実が、不思議で仕方ない。
著者は、生命を、
p.218 …生命の原理とは「情報の保存」と「情報の変革」という二つの相反するベクトルが相互に作用するサイクルの中で、「幸運」が蓄積されていくシステム…
と、定義している。
意味のない物理運動だけが起こるはずの宇宙で、なぜ、そのような「ベクトル」、つまり方向性を持った運動が起こり、それに勤しむ「意思」が生まれる必要があるのか?
これに、科学で答えることは難しい。
著者は、
p.218 もしこの世に、何かを発展・展開させていくために必要な理のようなものがあるとしたら…
と書いている。
おもしろい仮定(仮想・想像)である。
宇宙の成立と共に、もしくは、それより前に、そのような「普遍的な理」が存在する、なんてことがあるのだろうか?
人類が、答えにたどり着けるのか分からないが、とにかく、不思議なものである。