あらすじ
ふかえりはきっと特別な存在なんだ、と天吾はあらためて思った。ほかの少女たちと比べることなんてできない。彼女は間違いなくおれにとって、何らかの意味を持っている。それなのにどうしてもそのメッセージを読み解くことができない。……『空気さなぎ』、宗教集団さきがけ、リトル・ピープル、そして夜空に浮かぶ月。謎に満ちた「1Q84年の世界」を生きる天吾と青豆の運命は──。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
(青豆)
「さきがけ」での暴力とリトルピープルの存在を知る
天吾は幼少期に唯一心を開いた相手
(天吾)
爆売れする『空気さなぎ』
ふかえりはどこかへ姿を隠す
リトルピープルは文字にされたことで怒っている
Posted by ブクログ
面白いです。青豆パートと天吾パートが少しずつ繋がってきた。前編から変わらず青豆が好きだが何か嫌な予感がする。青豆に酷いことが起きませんように、、、
Posted by ブクログ
面白い。本当に面白い。ストーリー自体がそもそも面白いのに加えて青豆と天吾に感情移入しすぎて、これは私が出会うべくして出会った小説だと思った。私はこの物語に出会うために生まれてきて、この物語と出会わなければいけなかったのだと思った。それくらい私にぴったりとハマる、人生でも1.2を争う小説だった。以下、断片的な感想を述べるとする。
・「彼女はひとりぼっちで、情愛に飢えていた。生きていく目的や意味をどこに求めればいいのかわからないまま、つかみどころのない日々を送っていた。」←分かる。分かりすぎる。家庭環境に恵まれないとこういう思考になる。
・「環が相手の男に求めていたのは、理解と思いやりのようなものだった。それさえ示してくれたなら、また時間をかけて準備段階を作ってくれたなら、身体を与えること自体はそれほどの問題ではなかったはずなのに。」←分かる。身体を許すこと自体にあまり拒否感はないけど、それだけを求められていると感じると本当に虚しくなってしまうし、結局私たちのような境遇の人間が求めてるのは「理解と受容というなの深い愛」なのだと思う。
・「視野が広く、心が温かく、ユーモアの感覚もそなわっていた」環は理想の女友達すぎて、私もこんな友達が欲しい。羨ましい。
・話が通じない奴とはどれだけ話しても時間の無駄なんだよね。小学五年生でこれが分かってる天吾すごい。
・青豆も天吾も小学五年生を機に親との関係が変わっている。青豆は小5で両親のもとを離れ、母方の叔父の家に厄介になり、天吾は小5で家出を決意し、父親と日曜日に集金しない約束をした。2人とも小5。
・青豆も天吾もソフトボールや数学に打ち込むことで自らの不遇な境遇を忘れて現実逃避していたという共通点がある。
・天吾は父親を説得してくれた女教師の名前を思い出せない。一歳半の記憶の中の父親は自分の肉親ではないかと考える。
・天吾の日曜の集金しかり、青豆の質素な生活しかり、幼少期にそうした「ハンデ」を持って生きることは子供の心を深く傷つけ、人格形成に影響を及ぼす極めて最悪なこと。ハンデなんてあってはいけない。
・子供って「みんなと同じ普通の生活」がしたいんだよね。本当にわかる。みんなと同じがいいの。はみ出るのが嫌なの。変なはみ出方させないでほしい。
・青豆こそが天吾が小3・4で同じクラスになり手を握られた、証人会の子供の少女だったのか。そこで「大きな綺麗な目、薄い唇」の伏線回収がされるのか。見事。そして男をあの世に送り出すときに唱えたあの呪文?は少女が給食で唱えていたあの文言だったのか。
・青豆は「その人と一緒になれなくても誰かを心から深く愛するだけで救われる」みたいに言うけど私はそうは思えない。愛するだけじゃ幸せになれない、愛して愛されなければと思ってしまう。私はどちらかと言うと愛されたい。
・これは予想だけど、天吾の本当の両親は深田夫妻なのでは。ふかえりは妹なのでは。ふかえりの着ていたパジャマの匂いに母親の姿を求めるシーンで確信した。違うかな?
・青豆と天吾見てると本当に幼少期って大事だなとつくづく思う。青豆がどれだけ10歳以前の暗く惨めな時代の出来事を忘れようと努力しても、「どれほど遠いところに行こうと試みても結局はそこに戻ってきてしまう」という気持ちが本当に分かる。幼少期に植え付けられた言葉や行動や生活習慣やものの考え方ってどれだけ変えよう忘れようと試みても、成人してからも尾を引いてしまうものなんだよね。その呪いは断ち切るのが困難なのだよね。
・青豆が紛れ込んだ1Q84という世界は、まさか天吾が書いている小説の中の世界…?!
という今後のストーリー展開の予想を含めた感想。とにもかくも続きが気になり、さきがけの秘密が気になり、天吾と青豆がこれからどのようにして出会うのかが気になり、程よいボリューム感もありストーリーの重要度も高く満足感のある2冊目だった。続きが楽しみだ。
Posted by ブクログ
少しずつ青豆と天吾の世界が交わってきましたね。
環の話は少しエグかったですね。ちょっと泣いてしまいました。
天吾の言ってた母親が宗教の女の子って青豆だったということ、いづれ繋がるとは思っていましたが、ここで一つ繋がりました。
天吾もなかなか苦労してるよなぁ。けど、その分行動力もあるし、実際自分でお父さんから権利を勝ち取ったのはすごいです。自分の経験的にそんな事一回も言えなかったです。
流石に集金の様な事はなかったけど、やめてほしい事をやめてと言えるほど強い子供じゃなかったですね。
青豆って凄いハードボイルドだと思うんですよ。亡き友の為に復讐し、酒を飲み、欲を満たし、仕事をこなす。そして男らしさが良い意味でなく、女性としての強さと芯があり、そこに生き様を感じる、これはハードボイルドと言っても良いのではないかと思います。
現状の考察ですが、青豆は今現実の1984年を生きていない。天吾は過去を自由に書き変えれると言っている。(そのままの意味ではないだろうけど)
この中で1番の神は、そもそもこの物語の作者である村上春樹が創造の神になる。つまり現状では、まだどんな世界なのかまるでわからない。夢と言われてもおかしくないし、全てが天吾の作品であるというオチもある。個人的には後者の可能性が強いです。そこは、作品を読んで自分の考察が正しいか比べるとします。
Posted by ブクログ
老婦人と青豆の共通点
青豆と天吾のつながりが少しずつ少しずつ明らかになってきた。
新人作家のふかえりの感性
鋭く簡潔な彼女の返答
彼女にサハリン島の話を読む天吾
行方がわからなくなったふかえり
そして二つの月のなぞ。
何かこの先は踏み込んではいけないような
でも明らかにしたいような
そんな気持ちで読んでいる。
続編は手元にないから
手に入れなくては。
Posted by ブクログ
(全巻同じレビューを入れています)
・・・
なんだか本作、キャラの作り・彩りが他の作品より豊富かつ精緻であったと感じました。
・・・
一番感じたのは天吾。
天吾は、これまでの村上作品でいうところの「僕」に当たると思います。
たいてい「僕」は文筆・広告関連、或いは飲食関連を生業にしつつ、音楽好き・思想や文学をそらんじ、気怠く生きつつも(あるいは彼なりに模索をしつつ)女性と交わりつつ、そして世の中のフシギと対峙し、最終的に大団円を迎える、みたいな感じでした。そんな彼ですが、不思議とどういう背格好かとか、そういうのは記述がなかったんですよね。まあそれはそれで味がありました。自分を重ねて読むこともできました。
でも今回の天吾は家族構成、身体的特徴(柔道耳!)、大柄でスポーツも数学的センスも(実際は音楽センスも)あり、とにかく器用であることなど、非常に細かい設定であったと思います。よくも悪くも、自分を投影するキャラではなく、外から眺めるべき主人公でありました。
・・・
もう1人の主人公青豆はややラフな作りこみで、彼女の家族の話は余り描かれず、むしろ柳屋敷の女主人やタマルなど、遊び友達の中野あゆみなど、周囲の際立ったキャラとともに物語を彩り深いものにしていたと思います。
もう1人、やはり出色のキャラは牛河でしょう。本作で一番印象深いトリックスター(という程ではない!?)だったかと。実は司法試験合格者とか医者の家の子だとか。こういうのは初めて読んだときに記憶に残りませんでした。
でも彼のこと、他の作品でどっかで読んだ気がしたけどどこで見たんだろうと、気になって仕方なく、googleで検索したら『ねじまき鳥クロニクル』 (1994)で出ていました。そうそう、「僕」の元を離れた奥様の兄の綿谷ノボルの秘書としてでした。
・・・
その他、ふかえりの育ての親の戎野先生、編集者の小松など、かなりエッジのたったキャラが自然な形でそのポジションを占めていたと思います。
あと、17歳で文学賞を受賞したふかえり、あれは綿矢りささんが高校生で芥川賞を受賞したことの影響じゃないかとか、さきがけ・あけぼのってのもオウムの影響じゃないかとか、諸々想像させるところがありましたね。
・・・
もう一つ。終わり近くまで殆ど考えませんでしたが、タイトルについて。
本タイトル、もちろんかのディストピア小説の『1984』を承けたものでありますが、本作は「9」「Q」になっており、一種のパラレルワールドへ迷い込んだという設定です。実際にはパラレルではないとの説明がありましたが。
で、天吾と青豆は会えそうで会えないすれ違いを、結構延々と、最後の最後まで繰り返すのですが、最終巻の第三巻に至ってまだ会えないところで、私気づきました。
そう、この物語は年末までに終わらねばならない。なぜならば、タイトルがそうだから。85年を跨がないように、タイトルが84年となっている。
実は第一巻は4-6月、第二巻`は7-9月、第三巻は10-12月とサブタイトルが振られています。そしてキチンをけりをつけるべく、収束していったことに感心した次第です。
上手く表現できませんが、何というか、タイトルの制約を内容に反映させた?ような作りが面白いと思いました。
・・・
ということで村上作品でした。いやー長かった。10日間弱、読むのにかかりました。
ところで、私の初めて読んだ村上作品は『ノルウェイの森』(1987)でした。そして帯には『究極の純愛』とか何とか書いてあったと記憶します。
そこから20年を経て上梓された本作、これもまた『究極の純愛』と呼んでも良い作品であったと思います。
堪能致しました。
Posted by ブクログ
少しずつ物語が進んできた
天吾が書く物語が1q84の世界っぽい
月が二つある時点で
青豆がいる世界は既にそっち側なのか
警察と銃撃戦の事件
警官の装備が朝見たものと変わっていたのは
過去の出来事が変わっていっていったのは
タクシー降りる直前
あの瞬間にそっち側の世界に行ったっぽい
マダムに依頼された最初の仕事の時点にはまだ「さきがけ」は存在してなかったのか?
リトルピープルはなんなのか?
ふかえりはどこにいったのか?
ちょっと面白くなってきたので続き読むことにした。
Posted by ブクログ
約10年ぶりの再読。やはり面白い。
そして性的な描写が多い。青豆はさきがけに近づいていく。天ごはふかえりを通してリトルピープルに近づいている。青豆とてんごは幼い頃時を共にした仲。運命が絡み合いそうで合わない。
何かが何かの伏線になっているようでなっていないようで、しかし、自分でもこうするだろうなという感情移入ができるところが村上春樹のすごいところ。