あらすじ
江戸は神田の袋物屋・三島屋は風変わりな百物語で知られている。語り手一人に聞き手も一人。話はけっして外には漏らさない。聞き手を務める小旦那の富次郎は、従妹であるおちかのお産に備え、百物語をしばらく休むことに決めた。休止前最後に語り手となったのは、不可思議な様子の夫婦。語られたのは、かつて村を食い尽くした〈ひとでなし〉という化け物の話だった。どこから読んでも面白い! 宮部みゆき流の江戸怪談。
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Posted by ブクログ
賽子と虻
灯庵の口利きでやってきた
貧相な身なりの餅太郎が語り手
餅太郎の故郷には、博打の神様の六面様と虻の神様が鎮守として祀られている。
貧しい小作人の松一の娘おりんは餅太郎の姉。おりんは玉の輿にのり隣村の猪鼻屋に嫁ぐが、虻が憑いたともどされてきた。苦しむ姉を助けた餅太郎は神様の賭博場の里で暮らすことになる。
賽子のキリ次郎とのやりとりや、元の世界に戻るための餅太郎の活躍が面白い。
土鍋女房
色の黒いおとびが語り手。
一年前に亡くなった兄喜代丸は渡し船の船頭。ある日船に謎の土鍋が置いてあった。喜代丸はいい話の縁談を頑なに断っているのは、粂川の主に魅入られていたからだった。
よって件のごとし
おちかのお産に向けて三島屋の百物語はしばらく休むことに、また跡継ぎ若旦那の伊一郎が授業先から戻ることになり、最後に受け入れた語り手は、手首を紐でくくった老夫婦の慎吾と花代。
慎吾の里の池にあがった溺死体が村人をを襲い、その池はもう一つの異世界の村と繋がっている。
そこでは化け物が地の底から現れ、人に噛み付くと噛まれた人はひとでなしというゾンビ化してしまう。
Posted by ブクログ
三島屋変調百物語も8冊目、35~27話目を収録。
「賽子と虻」に「土鍋女房」はどちらもこの国に八百万の神さまがおられるからこその怪異譚。人間は神さまの気まぐれに翻弄されつつしたたかに生きる。一神教にはない土着信仰の味わいが十分に生かされていて、怖くて悲しいけど昔話的に良い物語だった。
そして表題作「よって件のごとし」はまさかのゾンビ譚かつマルチバースもの。アクションが冴えわたる活劇だったことにもびっくり。そういえば宮部みゆきはキングの信奉者でもあったねぇ。
まだ1/3過ぎたとこやのに、三島屋の流れにもなんとなく不穏な空気が立ち込めだした本作。百話まで読みたいねんけどなぁ…(次回作はとりあえず出版されている)
Posted by ブクログ
再読。これで37話を聞き終わったことになるそうだ。百物語まで続くのか、続けられるのか、シリーズ全体の行方も気になるし、1話1話のバリエーションとクオリティも気になる。ここまではいろんな話が聞けるという楽しさを存分に味わっている。どこが終着点かはわからないけれど、最後まで続いてほしいな。
Posted by ブクログ
面白い。怖くはないし、最後はゾンビものだったけど、読み続けたくなる面白さがある。人の温かさがある。最後の言葉だけど、繋がる縁はどんな困難でも繋がるって、繋がらないなら縁が無い。終わった後に言えることなのかもしれないけど、何となく分かる気がした。ちょっとやそっとのことじゃその人との縁はなくならない。
Posted by ブクログ
目次
・賽子(さいころ)と虻
・土鍋女房
・よって件のごとし
日本の神様って、あらゆるところに存在して、様々な姿かたちをしているのに、やることがどうにも人間臭い。
『賽子と虻』は、主人公たちの村で信仰している神・ろくめん様の、賽子賭博での大負けがそもそもの話の発端となる。
ろくめん様は、賭けの相手である虻の神を一緒に祀ることで負けをチャラにしてもらうのだが、巡り巡って主人公の餅太郎の姉が虻の神に祟られ、死に瀕する状態になる。
大好きな姉を救うため、餅太郎は姉の祟りを飲み込み、神様の賭博場で神様たちのお世話をすることになる。
この餅太郎が、読んでいると「幸福の王子」に思えてくる。
自分だって決して恵まれているわけじゃないのに、つい困っている人のために後先考えずに動いてしまうのだ。
いつの日か家族のもとに帰れることを夢見て、餅太郎は毎日を誠実に生きるのだけど、その終焉は突然で、しかも想像だにしなかった理由からだった。
この世界に戻ってきた餅太郎は結局家族と会うこともかなわず、燕の神様を助けたときに萎えてしまった足は今もよく動かせず、年よりよりも働きが悪い。
あんなにいい子の餅太郎の行く末がこれか、と思うと、神も仏もないような気がするけれど、結局神も仏も人間が信心しない限りは存在すらできないのだよという虚無感は作者の絶望なのだろうか。
『よって件のごとし』も、降ってわいた災厄に立ち向かい、生き延びることのできた話だけれど、結局災厄の原因もわからなければ、今後起こらない保証もないわけで、それは地震や火山の噴火のような自然災害であれ、原発事故のようなある意味人災のようなものであれ、今を生きる私たちにも突き付けられたナイフのようなもの。
3つの話はどれも長いスパンの物語で、その中で幸せだった時もあったのだろうけれど、どうにも終わり方がスッキリしない。
救われていない。
これが聞き手の富次郎の問題なのか、作者の問題なのかは今後を読んでいかないとわからないなあ。
Posted by ブクログ
・賽子と虻
賽子達が可愛かった
餅太郎は、姉の為、神様の為に犠牲になって、なのにめげずに一生懸命働いて、体不自由になってもなお、家族を助けに行かなかった事を悔いていて…そんなに自分を責めないで、是非編み込み草履作って三島屋さんに持ってきてほしいと思いました。
・よって件のごとし
花江がもし美人じゃなくても、みんなは助けに行ってたかな…ってちょっと思ってしまいました。
いや、助けに行きますよね。私とは違う。
私は行かないかもしれん。