あらすじ
犯人の好みにかなった女性が、手当たり次第に犠牲となる残虐で凄惨な殺人事件が続発。女子事務員募集の広告を見てとあるビルを訪ねた女性は殺され、石膏で固められた体の一部が発見された。その姉は拉致され、心臓を抉られ殺された。懸命に捜査をする素人探偵・畔柳博士と波越警部の元に青ひげと名乗る犯人から挑戦状が届く。そしてついに明智小五郎は犯人を追い詰める。その作戦とは――。
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Posted by ブクログ
明智小五郎の関わった事件を発生順に並べたシリーズです。
『蜘蛛男』事件は1928年6月16日〜11月4日の出来事です。明智小五郎は前の事件解決後に「シナから印度のほうに旅をしてもう三年になる」(孫悟空か!)ため、出番は終わりの方になったと辻褄が合うようです。
なお、明智小五郎不在の三年の間に日本は大正から昭和に代わっています。明智小五郎が日本にいないときに日本に重大な出来事あるよね。(江戸川乱歩が執筆どころでないのか)
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貸事務所に入った「稲垣」と名乗る美術商。だが読者には、仮名・稲垣の怪しい行動、そして彼の異常性、周到な犯罪の用意とが示される。
そのころ東京では異様な女性死体が相次ぎ見つかった。彫刻に塗り込められたバラバラの身体、水族館の水槽に投げ込まれた人魚のような死体。過去の事件をさらうと、行方不明の女性たちの中にも同一犯の可能性が考えられた。新聞は女性を狙い、無惨に殺し、死体を晒す「青ひげ」による犯罪者の恐怖と、警察の無為を責め立てる。
警視庁捜査課で警視庁随一の名探偵といわれる名物男の波越警部(褒め過ぎじゃない!?)は、無二の話し相手である犯罪学者で素人探偵の畔柳博士に協力を依頼する。
表題の「蜘蛛男」は、この物語の主人公である犯人が残忍酷薄で薄気味悪いことからの呼び名である。(女性を狙って殺すことから「青ひげ」とも呼ばれる。)
そして「副主人公は俊敏なる素人探偵」…と書いているので、明智小五郎だと思ったら、明智小五郎は前の事件解決後の外遊中のため、蜘蛛男の相手をするのは素人探偵の畔柳(くろやなぎ)友助博士だった。この畔柳博士、警察や法曹界からも信頼される民間犯罪学者だが、義足で人間嫌い、犯罪が起こらないときは引きこもりという人。助手には探偵に憧れる野崎青年がいる。
この物語が「明智小五郎事件簿」に収録されていなければ、この物語には明智は出てこず、江戸川乱歩は明智小五郎以外にも名探偵を作りたかったんだろうなあと考えてたところ。
さて。
「蜘蛛男」が次の犠牲者に選んだのは、大人気女優の富士洋子だった。そして畔柳博士に挑戦状までよこした。富士洋子を巡り、「蜘蛛男」と、警察・畔柳博士・助手野崎青年の出し抜き合いとなる。
読者に向けては「蜘蛛男」の狙いが明かされる。彼は生まれついての本物の悪党、本物の偏執的猟奇趣味の持ち主だった。好みの女性を選び、その死体を絢爛豪華なパノラマとして保存したいと思っているのだった。
ここの犯罪性、異様性、変態性、エロチックな雰囲気の迫力は、さすがの江戸川乱歩!
そしてついに明智小五郎が帰国し、捜査に参加するのだった。
※※※以下、ほぼネタバレしています※※※
この物語が「明智小五郎事件簿」に入っているということで犯人を察することができてしまいます。そうでなくても犯人は分かりやすいんですよ。
序盤の事件で犯人が「仮名・稲垣」だったころは犯罪に対してかなり実質的な準備をしているんです。身元を隠す、犯罪の形跡を隠す反面、自分の頭の良さを見せびらかす劇場性も、異様な人物でありながらも納得できるんです。
それが富士洋子を狙ってからは、鍵のかかった部屋に手紙を置くとか、追い詰められても消え失せるとか、なんというか魔術師っぽくなったところが不自然なんですよ。なんでこんな魔術師犯罪者になったんだを考えたらそりゃーあの人物が犯人だとしか考えられないわけで。しかしそうなると「挑戦状とか出したらどっちかが失敗するじゃん。この犯人何がしたいんだ?」と思えてしまう(-_-?
小説の形式としては雑誌連載だったので、毎回見せ場があるのはいいけれど、長編小説で読むと、不思議・取り逃がし・不思議・取り逃がし、繰り返すのでさすがに「また逃がしたのか!さっさと捕まえろ!」と思ってしまう。。
小説としては、女性を怖がらせ、死体を飾るような変態描写はかなりの迫力です。でもそれが探偵小説となると、魔術的なトリックがちょっとコミカルだったり、毎回逃げられて「捜査人のまぬけーー」となってしまうのがなんとも気の毒というか(^_^;) それをさっぴいても面白いんですけどね。
Posted by ブクログ
前半というよりも、3分の2ほど明智小五郎不在で進む作品だが、ほとんどの読者はそう読み進めぬうちに犯人の目星がつくと思う。
それから先はもはや答え合わせ、途中で真犯人が明らかにされてからは延々と真犯人の過ぎた自尊心と自己顕示欲を見せつけられるが、この得意気な顔が崩れるのだろうと思うと、その語り口の軽妙さも相まってスイスイと読み進められてしまう。
とはいえこれで解決かと思った矢先の女優富士洋子の愚かなる判断、現代に生きる我々からはあまりにも繊細で「女らしい女」であるが、何となくそこに乱歩の好みが見えるような気がしてならない……というか全編通して乱歩の描く女とはこんな風な気がするのは私の気のせいだろうか。
いずれにせよ全体的な雰囲気は江戸川乱歩がその筆名をあやかったというエドガー・ア・ランポーにひどく似ており、いわゆる謎解きを主軸とした作品ではなく、怪奇小説、いわば広義のミステリーに該当する作品であることは間違いがなく、これもまた乱歩の代表作といって差し支えないのではなかろうか。