あらすじ
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マチネ・ポエティクのひとりとして『1946 文学的考察』で文壇に登場して以来、文学、芸術を中心にして政治、社会、思想など多方面にわたる評論・創作活動に従事し、戦後日本を代表する知性ともいうべき加藤周一(1919~ )の、旧制高校時代から1979年までの主な活動を集成する。本著作集は、収録著作を精選し、あらたに「追記」「あとがき」による註を加えた、著者自身の編集になる。
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Posted by ブクログ
近代日本文学にかんする著者の論考を収録しています。著者が深く関心を寄せているのは、森鴎外、永井荷風、木下杢太郎、石川淳です。なかでも鴎外と杢太郎については、医学を修めるとともに文学の世界でも注目される仕事をおこなったという点で著者と共通の背景をもっており、余人をもって代えがたい議論が見られるように思います。また、芥川龍之介と川端康成についても、やや批判的な視点をふくみつつ、ある程度突っ込んだ考察が展開されています。
鴎外にかんして著者は、留学と官僚主義との関係については中野重治から、晩年の史伝三部作を鴎外文学の到達点とする見かたは石川淳から学んだと述べています。前者から著者が受け継いだのは、医学はひとつであるという学問の普遍性と、近代国家の建設という明治以降の日本の課題をみずからの人生そのものとして鴎外がその人生を送ったという見かたです。他方、後者を踏まえつつ著者が論じているのは、そのような人生を送った鴎外が、「生き得たかもしれない人生」として自己の人生を語ったのが、史伝三部作にほかならないという理解でした。
荷風については、その「個性」に著者は目を向けています。著者は、アウグスティヌスが浄土真宗をえらばず、親鸞がキリスト教をえらばなかったのは、彼らの生きた時代状況の問題であり、アウグスティヌスがキリスト教をえらび、親鸞が浄土真宗をえらんだのは、彼らの「個性」だったという例をあげて、時代と個性が人間の選択にどのようにかかわるのかということを説明します。そのうえで、荷風が父とその背後に控える近代日本の国家の時代状況に対してみずからの個性を示す方法は、「批評」ではなく「反抗」だったといい、そうした態度が彼の生活を支えていた現実に対するフェティッシュなかかわりかたを可能にしたと論じています。
杢太郎は、東京大学医学部で皮膚科を講じており、著者は学生としてその教えを受けていました。本書では、そのときの思い出を振り返りつつ、杢太郎にとって医学と文学がそれぞれどのような意味をもっていたのかという問題領域を切り開いています。