あらすじ
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マチネ・ポエティクのひとりとして『1946 文学的考察』で文壇に登場して以来、文学、芸術を中心にして政治、社会、思想など多方面にわたる評論・創作活動に従事し、戦後日本を代表する知性ともいうべき加藤周一(1919~ )の、旧制高校時代から1979年までの主な活動を集成する。本著作集は、収録著作を精選し、あらたに「追記」「あとがき」による註を加えた、著者自身の編集になる。
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Posted by ブクログ
『日本文学史序説』の後半部分にあたる、元禄時代から戦後までを収録しています。
著者の議論の中心をなす枠組みは、仏教や儒教などの「外来イデオロギー」が、日本の「土着的世界観」によって変質を被った経緯を分析することであり、「文学」というかたちをとって表現された「思想」を解明することだといってよいでしょう。その意味で、月報の丸山眞男が指摘しているように、津田左右吉の『文学に現はれたる我が国民思想の研究』とかさなる問題をあつかっています。ただし、これも丸山が指摘しているように、津田の書が「文学」を題材として日本の「思想」を解明することをめざしたのに対し、本作は「思想」までそのうちにふくむような日本の「文学」の特質を解明することをめざしています。
しかし、おなじ月報において近世文学研究者の中村幸彦が批判しているように、上巻と比較して下巻における著者の考察は、やや散漫な印象をまぬかれがたいようにも感じられます。中村は、近世文学の研究が各ジャンルごとに分断されており、「横切りの名手」である著者をもってしても、そうした状況をくつがえすのは困難だったと見ているようです。まずは各ジャンルの研究において、著者が日本文学史の全体において試みたような「文学」として表現された「思想」を明らかにする努力がなされたうえで、それらを包括的に論じるような視座を築いていくことが求められているように感じます。
他方、近代の文学にかんしては、近世とは逆の問題が生じているように思われます。すなわち、西洋に由来する「思想」とその変容がかなり明確に把握できるがゆえに、かえって個々の作品のふくみもつ多様な魅力に著者の筆がおよんでいないという問題です。この点では、前田愛をはじめ近代文学の研究者たちによって、著者のような見かたを乗り越える研究上の進展がもたらされたことが認められてよいと考えます。
Posted by ブクログ
第4巻日本文学史序説上のあとがきにて
下巻のボリュームへの記載があり躊躇して
いたが、あとがきまで含めて582頁、
なんとか読み終えることができた。
それにしても、上下巻の重厚感!
まさしく日本文学史を網羅している。
どこぞで聞いたことがあるけれど
内容は知らない有名人物(および有名なんだ
ろうけれど歴史に疎い私が知らない人物)
が目白押し。たとえば新井白石。
”その文章は、一般に、人物の風態を述べず、
光景を描かず、会話を直接話法で導入せず、
素より心理の内面に立ち入らず、ただ特定の
状況における人物の言動のみを、ほとんど評価を
交えずに記録する。”とある。
伊達政宗の風貌の描写が素晴らしかった。
また、歴史の授業の中でなんとなく
聞いたことがあるような無いような話だが
”侍が戦っていた時に、「武士道」はなかった。
侍がもはや戦う必要がなくなってはじめて、
「武士道」は生まれたのである。”
このころは元禄時代であり、一般的に言う
町人文化の時代であるが、武士道に触れた
「葉隠」も心中物の「曾根崎心中」も
元禄文化という背景では根っこが同じというのが
面白い。また、この手の心中物は、いろいろな
バリエーションで多数書かれたものらしいが、
民衆の興味をひく定型を維持して展開して
いるところが、今でいうところの
「転生したら…」的なアニメと一緒なのかも
といぶかってみたりした。
松尾芭蕉についても一人旅をしながら俳句を
詠んだ風流爺さんなイメージだったのに
実はその当時でもそれなりに俳諧人として
成功していて、お弟子さんを伴い、地方のパトロン
宅を転々としながらの旅だったと知りびっくり。
本居宣長は名前くらいしか覚えていなかった
のだが、古事記から漢意を排して、大和心の根源
を突き止めるため復元を試みたそうだ。具体的には
古代日本語に近い仕方で読み下そうとした。
てにをはの用法、カナの清濁、助字の訓などに
検討を加えた、文献学だったとか。
そんな人とは知らなかった。歴史は深く知らないと
だめだね。
同様に福沢諭吉の文章は、彼が少年の時に学んで
意識的に捨てようとした漢学と、青年の時に
採用して意識的に自己同定しようとした洋学とを、
双方踏まえて成りえた文章だという。
そんな背景知らないから、福沢諭吉ー「学問ノススメ」
な発想しかないのが、私の知識の貧相さ。
終始、私にとっては難しい文学論だったけれど
終盤宮沢賢治の項目で、「春と修羅」「山羊の歌」
に掲載された詩が掲載されていた。
馴染みのある文体に少し緊張がほぐれる。
ただ、やはり上巻から一貫して
日本語および日本文学は美しい。
まだまだ私はその1%もシラナイ。
まだまだ読むべき古典がたくさんある。