梓澤要のレビュー一覧
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匿名
ネタバレ 購入済み徳川家康の2人めの側室お万の方と、その子で家康にとっては次男の結城秀康のお話。
秀康は双子で産まれたこともあり、家康からは名もつけてもらえない。
長男信康が織田信長に睨まれて自刃に追い込まれた後も次男ながら徳川跡目にはなれず、豊臣の養子に差し出されだが、秀吉に子が生まれると結城家に追いやられた。
関ヶ原の戦では結城の地で上杉景勝と直江兼続の抑えとさせられ、戦が終わると越前に転封。
都度父家康との相克が語られ…、父より早くに亡くなった。
結城秀康のことは名前以外知らなかったが、切ない人生だったのかもしれない。 -
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「阿弥陀聖」、空也の生涯を描いた小説。
「捨ててこそ」とタイトルにもあるように、空也は生涯にわたり、さまざまなものを捨てていく。
叡山の貴族に奉仕する仏教とも距離を取り、「市の聖」「阿弥陀聖」として、利他とすべての人の苦しみを救うことに身を捧げようとする。
現代人は「人を救う」ことに対し、ましてやすべての人を対象にすることを懐疑的になる傾向がある。
むろん、私自身もその一人だ。
それは作中に出てくる多くの人物が、彼に投げかける疑問の形で作品に取り込まれているような気がする。
空也が看病した行き倒れの女が回復し、自らの生を確かめるために情交を求めてくる場面がある。
(なんとなく、キリスト教 -
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歴史小説を多く書く梓澤要による小説。平安時代に「南無阿弥陀仏」と唱える念仏を広め市井で活躍した僧侶、空也の一生を描いている。仏教いいじゃんと思わせる内容だった。
以下ネタバレあり。
印象的なのは、信心深くない人も多い中で空也が地道に社会事業を営み、それを経て空也を慕う人が増えていったストーリー。社会事業というのは例えば井戸を掘ったり、遺体を荼毘に付したり、食糧を配って回ったりすること。仏教関連の経典の書写事業もしていた。そうして人々の困りごとに応えていくことで付いてくる人や喜捨として寄付してくれる人が増えて、より大きな事業を営みより多くの人の困りごとを解決することができるようになっていった。 -
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ネタバレわが背子が来むと語りし夜は過ぎぬ しゑやさらさらしこり来やめやも
(あの人が「来るよ」と約束したから、ずっと待っていたのに、夜はむなしく過ぎてしまった。もう金輪際、間違ってもやって来たりするもんですか。ええい、悔しいっ。どうしてくれよう。)
作者不詳のこの歌から作家の梓澤さんが紡いだ物語。
パッとしない冴えない年上の夫にすっぽかされ憤る妻、しかも夫が突然、金の無心をしてきます。
これはついに出世を考えてのことかしら、と妻は喜びますが、実は借金返済に困っている友人のためだったのです。
しかもあろうことか夫が別れ話を切り出してきました。
子どもも小さいし「別れない!」と妻は言いますが、よくよく考 -
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家康の次男にして、英傑の誉れが高く、激流の中に身を置き翻弄されながらも、颯爽と生き抜いた秀康(名はそれぞれ秀吉の「秀」と家康の「康」からという天下人二人の名の合成)の一代記。
小説の良し悪しのひとつは、如何に読者を、主人公に感情移入させられるかではなかろうか。
主人公と共に悩み、ともに泣き、ともに怒り、ともに笑い、そして主人公と共に喜ぶ。
さらに、作者の筆致によって、読者を魅了させる人物に描き切れるか。
その点、この作品はこれらの要求を十二分にまで満たしてくれており、秀康の波乱の生涯の一大叙事詩になっている。
側妾の腹に産まれ、双子ゆえ父家康から忌避された秀康。
彼は終生、父家康との距離感に悩 -
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高校の教科書に載っていた「空也像」の写真、唱えた念仏が阿弥陀仏になったという姿が衝撃的で、大人になってから何度か六波羅蜜寺にも行った。
市聖であることは何となく知っていたが、ここに描かれた空也は、もはやその呼び方では片付けてはいけない。
もちろんすべてが史実ではないだろうが、母への想い、身分を捨ててからの喜界坊や猪熊との出会いが根本にあったのだな…
この本を読んでいる間に、病に伏していた自分の母が亡くなり、読むのにとても時間がかかってしまったが、いつも空也様がお側に居たようで本当に救われる思いだった。
なむあみだぶつ ありがとうございました。 -
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仏教を庶民に広げ慕われた空也の生涯。宮家の出というのは一説なんですね。空也の人となりを想像する大きなポイントです。もし事実なら安泰を捨てて人のために生きる人生を選ぶという、神の使いとも言える所業と考えます。また、将門との絡みはフィクションとのこと。当世代なのでどこかで何らかの関わりがあったと見て自然だけど、小説の中でかなりのインパクトはありました。
クライマックスの大般若経供養会は盛大さが思い浮かぶ描写です。また、庶民とのささやかな絡みに一番心打たれました。
捨てることで穏やかになれる境地に少しでも近づけたらと思います。
空也像のある、六波羅蜜寺にお参りに行きます。 -
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琳派とは、俵屋宗達・本阿弥光悦を祖とし、やまと絵の様式を基盤としながら、デフォルメやトリミングといった斬新なアレンジにより、装飾性と意匠性に富んだ独自のスタイルを確立した流派を言う。その後、尾形光琳・酒井抱一・鈴木其一と受け継がれ、現代絵画にまで影響を与えている。
琳派は、狩野派や土佐派などの各流派のように師弟や親子関係で結ばれた訳ではなく、私淑による断続的な継承という特徴があり、また日本でのデザイナーの誕生でもあった。
本著は、その中の江戸琳派の祖・酒井抱一の弟子で、その事実上の後継者である鈴木其一の物語。彼は、琳派の末裔と位置づけられているが、近代に通じる都会的洗練化と理知的な装飾性が際