梓澤要のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
梓澤さんの創造の泉は歴史の隙間を快い物語で満たしてくれる。「方丈記」が鴨長明の血肉になって動いている。読んでよかった。
関心があってもなくても、学校で習った「方丈記」を読んで鴨長明さんの経歴についてもおぼろげには知っている。有名な書き出しも。
「ゆく川の流れは絶えずして」、時代を映しながら自己と語り考える。読む人の流れも絶えずしてこの随筆は現代にいたる。
いや面白かった。
一応鴨長明という人の伝記の形なので、面白かったと言っては申し訳ないけれど。
鴨長明を通して語り掛ける伝記になっている。
名高い古典が、現代に生まれ変わったような不思議な親近感がわく。
方丈記に記されたように、京は飢饉災害地震大火、大型のつむじ風と矢継ぎ早に襲われ、鴨長明は直に苦しむ人たちの地獄を見た。
方丈記にはそれがつぶさに記されている。
じかに眼で見てこそ伝えられると書いている。
行動的でどこにでも駆け付けしっかりと見たうえで随筆に書き残した。
災害は、現代でも人災や天災の前の無力さを体験したので、余計に心に響いてくる。
当時も政治に抵抗して、テロも起きた。長屋王の変、橘奈良麻呂の変、ついに保元・平治の乱。
この中で鴨長明が、自分の心中に渦巻く大小の嵐に翻弄される様子が、梓澤さんの想像力でリアルに膨らんでいる。
下鴨神社の禰宜の家柄に生まれ父親に可愛がられ将来も約束されたものと思って育った。だが父は17歳で跡を継いで懸命に勤めた無理がたたったのか早逝し、母親もなくなっていた。
長明は子供の頃から社務を嫌って逃げ出しては糺の森に隠れていた。性質も内向的であったため、父亡き後周囲の評判も悪く跡を継ぐことができなかった、母方の祖母の家の跡継ぎになって神社から出されてしまう。
これが思い通りにならない人生の挫折の始まりで、婿入りした先でもなじめず、糺の森で一目見て心を惹かれた初恋の女に出会い、有頂天で通いつめて子供を授かったが、これも生まれてくることなく母子共になくなってしまった。
家にはいては居場所もなく、琵琶と歌の道で何とか名を上げようとした。
次第に認められ始めたが、位の低さから扱いは下級貴族の位置のままだった。それも禰宜の生まれだという誇りを傷つけられた。
後鳥羽院は熱狂的な歌人で、和歌集を編むために世間の歌好きに歌を詠ませて中から編集者を選んだ。それに入り、喜々としてまさに不眠不休で務めて帝に認められた。
帝もその熱意に応えようとしたのか、裏社の禰宜を紹介された。
就職先が見つかったそれも帝の勧めで、と周りはお祝いムードだったが「裏社」という扱いに喜ぶどころか、見下されたと感じ、失意のどん底に落ち、打ち込んだ「新古今集」の寄人という栄誉からも前後の見境なく逃げ出した。
どんなにか周りを見返したくて、寝る間も惜しんで歌を作ったことだろう、人一倍歌集編纂に勤め、やっと認められたというのに、姿をくらましたのだ。
自分はどこから見てもこの程度かと、もう嫌になってしまったのだ。
鴨長明という人は、常にやりたくないことからは逃げ続け、最後には出家した。
思うと、格式が高く人々から敬われ世話される育ちの良さ目線は、生涯変わらなかったのではないか。
逃げられるというのは、後ろで面倒を見てくれる、気に入らないながら実家があればこそ、と思うが、これは庶民の気持ちで、鴨長明は持ち合わせてなく必要でもなかったのだろう。
子供の頃、仕事を怠けて亡くなった父を失望させた。いつも静かな森で川のせせらぎや鳥の声を楽しんでいた。それで跡継ぎが務まると思ったのだろうか。思うにまかせないとして周りを恨んだ。
腹違いの兄は働き者だったから、その後も由緒正しい格式の高い下鴨神社は一族の物であり続けた。これは私見。
嫡男だからといって、和歌管弦にうつつを抜かし、打ち込んでいては社務は苦しかった。期待通りにこなすのは無理だっただろう。
こういった自分が招いたかのような挫折感が、大原から日野の庵に自らを追い込んで流れていったかようにも思える。
確かにこの世は人を待たない。望みは努力なしではわずかなものであっても叶わない、万一叶っても続かないのが常で、鴨長明はそれを無常観という形で受け入れるようになったのだろうか。
次第に世間というものを知っていった。知識も教養もあり理解は早かった。ただ自分との折り合いをつけるのは時間がかかった。
だが梓澤さんはそうは書いてない。あくまでも鴨長明の心に沿って、方丈の狭い庵の暮らしを見続けていく。筆は優しい。
鴨長明は琵琶の名手だった。琵琶を自らの手で作り愛用した。秘曲とされていた三曲を伝授されるまでになった。だが二曲は覚え三曲目にかかった時に師が遠く筑前に去り亡くなった。
ほとんで覚えていて認定されるだけだったが、それの伝授は叶わなかった。嘆きは深かった。
だが「新古今和歌集」に十首入選した。嬉しいことに敬愛する西行作の歌が九十四首入っていた、西行没後十五年たっていた。
詫び住まいで欝々と過ごしていた時、ふと思い立って秘曲を聞かせる宴を開くことを思いついた。管弦の名手を集め月を見ながら一夜限りの宴を開いた、これは人前で演奏すべきでないという掟に背いていた。
秘曲の最後3曲目は「啄木之音」だった。やっと陽の目を見せてやれた、と夢心地で心が満たされた。これで一つ、執心の元の歌は捨てられる、と思った。
禁を破ったのだがそれは生涯に残る思い出で、それを胸に日夜琵琶を奏した。
禁を犯した報いに琵琶を召し上げられた。しかし反面、帝に琵琶の腕が理解されたのだ。琵琶は代償なのだ、従わせることになれた暴君なのだ。
鎌倉に行ったのは、若い将軍実朝に歌を教えることになったからだった。しかし問答に勢いがあり天分もある将軍と渡り合う気力がなくなっていた。
その上鴨長明という歌詠みは「体裁と見栄ではないか」と返されてしまった。負けた。
ただ書く事だけが残った。
実朝は言った「あなたはまだ自分を出し切っていない」
これでさっぱりした。そして書こうと思った。
鴨長明はそれから「方丈記」をまとめ始めた。
歴史的には空白の多い生い立ちだけれど、創り書く苦しみに魅せられ、その喜びの中に梓澤さんという作者が二重写しのように浮かび上がる。豊かな想像力がつくりだしたこの一冊は心に長く残るようだ。
平安時代から鎌倉時代にかけて、生き抜いた人の思想が現代にも通じる読み応えのある作品になっている。
梓澤さんはまだ未読の作品が残っているのが嬉しい。 -
匿名
ネタバレ 購入済み徳川家康の2人めの側室お万の方と、その子で家康にとっては次男の結城秀康のお話。
秀康は双子で産まれたこともあり、家康からは名もつけてもらえない。
長男信康が織田信長に睨まれて自刃に追い込まれた後も次男ながら徳川跡目にはなれず、豊臣の養子に差し出されだが、秀吉に子が生まれると結城家に追いやられた。
関ヶ原の戦では結城の地で上杉景勝と直江兼続の抑えとさせられ、戦が終わると越前に転封。
都度父家康との相克が語られ…、父より早くに亡くなった。
結城秀康のことは名前以外知らなかったが、切ない人生だったのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
「阿弥陀聖」、空也の生涯を描いた小説。
「捨ててこそ」とタイトルにもあるように、空也は生涯にわたり、さまざまなものを捨てていく。
叡山の貴族に奉仕する仏教とも距離を取り、「市の聖」「阿弥陀聖」として、利他とすべての人の苦しみを救うことに身を捧げようとする。
現代人は「人を救う」ことに対し、ましてやすべての人を対象にすることを懐疑的になる傾向がある。
むろん、私自身もその一人だ。
それは作中に出てくる多くの人物が、彼に投げかける疑問の形で作品に取り込まれているような気がする。
空也が看病した行き倒れの女が回復し、自らの生を確かめるために情交を求めてくる場面がある。
(なんとなく、キリスト教の聖アントニウスへの誘惑を思い出さなくもない。)
戒律と利他との間で激しく動揺した末に、戒律を守ろうとすることさえ、我執であり我欲だと考え、女の魂を救うことを決意する。
仏教って、そこまで包容力があるものなのか?と衝撃を受けた場面だ。
僧侶さえも俗人と同じで、生きているうちに、様々な罪を重ねていく。
その罪を悔い、苦しむ中で、人の罪を許せるようになる
あれほど苦労を重ね、激しい修行までした空也が、自分を虐待した母への愛憎に気づき、執着を手放したのは晩年になってからだった。
本作ではそのような設定になっているのだが、最後の最後まで残ったものがそれだったというのは、なかなか重い話だ。 -
Posted by ブクログ
歴史小説を多く書く梓澤要による小説。平安時代に「南無阿弥陀仏」と唱える念仏を広め市井で活躍した僧侶、空也の一生を描いている。仏教いいじゃんと思わせる内容だった。
以下ネタバレあり。
印象的なのは、信心深くない人も多い中で空也が地道に社会事業を営み、それを経て空也を慕う人が増えていったストーリー。社会事業というのは例えば井戸を掘ったり、遺体を荼毘に付したり、食糧を配って回ったりすること。仏教関連の経典の書写事業もしていた。そうして人々の困りごとに応えていくことで付いてくる人や喜捨として寄付してくれる人が増えて、より大きな事業を営みより多くの人の困りごとを解決することができるようになっていった。
役に立つ「宗教」というのが新鮮だった。こと「宗教」という枠だと ただそれだけでありがたいものだと思わなくてはならないような気がしていたので、いや役に立ってこそ信頼されるんだというストーリーの流れが新しく、共感できた。そして現代の仏教はどうなっているんだろうと気になった。
とはいえ役に立ちたい、役に立たせたい、というのも我欲だから、それが本質ではなく、ただその人の因縁のままにすべきことをする、というのができることなのかなあと思った -
Posted by ブクログ
ネタバレわが背子が来むと語りし夜は過ぎぬ しゑやさらさらしこり来やめやも
(あの人が「来るよ」と約束したから、ずっと待っていたのに、夜はむなしく過ぎてしまった。もう金輪際、間違ってもやって来たりするもんですか。ええい、悔しいっ。どうしてくれよう。)
作者不詳のこの歌から作家の梓澤さんが紡いだ物語。
パッとしない冴えない年上の夫にすっぽかされ憤る妻、しかも夫が突然、金の無心をしてきます。
これはついに出世を考えてのことかしら、と妻は喜びますが、実は借金返済に困っている友人のためだったのです。
しかもあろうことか夫が別れ話を切り出してきました。
子どもも小さいし「別れない!」と妻は言いますが、よくよく考えたら宮に出仕し第二の人生もいいかもしれないと思い始めます。
夫の家を訪ねると、別れ話はなかったことにしてくれと夫が言います。
栄転の話があり、一緒に行ってくれないかと言うのです。
妻は「嫌よ!」と断りますが、夫が思いがけないことを言い出しました。
それなら隣家の娘に頼むと。
隣家の娘は十六で、どうやら夫に好意を抱いているようなのです。
それにかっとなった妻。
思わず「あなたには、わたしという、れっきとした妻がおります。出羽へはわたしが、ご一緒いたしますから」
しゑやさらさら、しゑやさらさら…。
ええい、こんちくしょうっ。
なんだっていまさら、また、こんな男と…。
なんとも微笑ましい話です。
しゑやさらさら と思いつつ、この妻はきっとチャキチャキと新しい赴任地で家庭を整えていくのでしょう。
他にも、単身赴任中に遊女と同棲してしまい、大伴家持にさりげなく諭される下級官人の話『紅はかくこそ』、家持の弟、書持(ふみもち)の不器用な恋『弟』、風流男(みやびお)の歌のやり取りが楽しい『おその風流男』等々、万葉の世界へ誘われる短編が六編。
三十一文字へ込めた想いを幾重にも読み取る、推し量る、想像する。
そんな和歌の文化が日本人の言わなくても察する、空気を読むという能力を鍛えていったのかもしれません。
万葉の歌から物語を想像するのも楽しいと思わせてくれる本でした。 -
Posted by ブクログ
家康の次男にして、英傑の誉れが高く、激流の中に身を置き翻弄されながらも、颯爽と生き抜いた秀康(名はそれぞれ秀吉の「秀」と家康の「康」からという天下人二人の名の合成)の一代記。
小説の良し悪しのひとつは、如何に読者を、主人公に感情移入させられるかではなかろうか。
主人公と共に悩み、ともに泣き、ともに怒り、ともに笑い、そして主人公と共に喜ぶ。
さらに、作者の筆致によって、読者を魅了させる人物に描き切れるか。
その点、この作品はこれらの要求を十二分にまで満たしてくれており、秀康の波乱の生涯の一大叙事詩になっている。
側妾の腹に産まれ、双子ゆえ父家康から忌避された秀康。
彼は終生、父家康との距離感に悩み苦しむ。家康もまた、秀康の宰相としての器量の大きさに瞠目し、妬み、畏れ、それゆえ懐柔の策略さえもする。
自分探しに思い惑う秀康を、母のお万はひたすら強い愛で支え続ける。
幾多の試練を乗り越えた末の秀康の享年が、38歳だったことに、驚きをもって、書を閉じた。
最近、○○ロスなることばが流行っているが、この作品の読後に秀康ロスとなる読者もいるのでは。 -
Posted by ブクログ
高校の教科書に載っていた「空也像」の写真、唱えた念仏が阿弥陀仏になったという姿が衝撃的で、大人になってから何度か六波羅蜜寺にも行った。
市聖であることは何となく知っていたが、ここに描かれた空也は、もはやその呼び方では片付けてはいけない。
もちろんすべてが史実ではないだろうが、母への想い、身分を捨ててからの喜界坊や猪熊との出会いが根本にあったのだな…
この本を読んでいる間に、病に伏していた自分の母が亡くなり、読むのにとても時間がかかってしまったが、いつも空也様がお側に居たようで本当に救われる思いだった。
なむあみだぶつ ありがとうございました。 -
Posted by ブクログ
仏教を庶民に広げ慕われた空也の生涯。宮家の出というのは一説なんですね。空也の人となりを想像する大きなポイントです。もし事実なら安泰を捨てて人のために生きる人生を選ぶという、神の使いとも言える所業と考えます。また、将門との絡みはフィクションとのこと。当世代なのでどこかで何らかの関わりがあったと見て自然だけど、小説の中でかなりのインパクトはありました。
クライマックスの大般若経供養会は盛大さが思い浮かぶ描写です。また、庶民とのささやかな絡みに一番心打たれました。
捨てることで穏やかになれる境地に少しでも近づけたらと思います。
空也像のある、六波羅蜜寺にお参りに行きます。