梓澤要のレビュー一覧
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琳派とは、俵屋宗達・本阿弥光悦を祖とし、やまと絵の様式を基盤としながら、デフォルメやトリミングといった斬新なアレンジにより、装飾性と意匠性に富んだ独自のスタイルを確立した流派を言う。その後、尾形光琳・酒井抱一・鈴木其一と受け継がれ、現代絵画にまで影響を与えている。
琳派は、狩野派や土佐派などの各流派のように師弟や親子関係で結ばれた訳ではなく、私淑による断続的な継承という特徴があり、また日本でのデザイナーの誕生でもあった。
本著は、その中の江戸琳派の祖・酒井抱一の弟子で、その事実上の後継者である鈴木其一の物語。彼は、琳派の末裔と位置づけられているが、近代に通じる都会的洗練化と理知的な装飾性が際立ち、近代日本画の先駆的な絵師だとも言われている。
前半は酒井抱一がメインで、後半では鈴木其一が抱一の影響から如何に脱皮していくかが描かれている。
また周囲には、江戸末期の谷文晁、葛飾北斎、歌川広重、河鍋暁斎、伊藤若冲などがキラ星の如く現れ、直接・間接に鈴木其一に影響を与えていく様は豪華絢爛という他はない。
ただ鈴木其一の代表作である「朝顔図屏風」が何故かアメリカ・メトロポリタン美術館の所蔵というのが残念である。
今年(2018年)は酒井抱一没後190年、鈴木其一没後160年で、折しも山種美術館で「琳派展」が開催されている。是非行かなくては・・・。
(2018年5月12日~7月8日) -
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ネタバレ鎌倉時代の僧・明恵上人と高山寺にまつわる逸話を並べた小説。上人の入寂後、他の弟子たちにせがまれて、長く上人に仕えてきた従者・イサの視点から、上人の半生の出来事―耳切り事件、天竺行きの断念、高山寺の開山から整備、承久の乱等々―を語る歴史小説の“はず”。
明恵上人という人は、達観した超能力者のようでありながら、ときに過集中で子どものような行動に走る。「現代ならADHD傾向でとても苦労するタイプだな」という印象を抱いた。
先に「歴史小説の“はず”」と書いたのは以下の2点から。
小説で語られる逸話や絵画・彫刻は、この小説を読む前から幾らか知っていたが、名僧にまつわる逸話というのは、どうにも史実かどうか怪しい。こういうものでも、作家の外側に客観的にある素材ならば歴史小説と言えるのだろうか。と気になって著者のプロフィールに当たれば「本格派の歴史作家として評価される」(本書カバー裏にある著者略歴)だったり、「主に女性を中心に据えた時代小説を執筆」(Wikipediaの記事「梓澤要」)だったりと、一定していない。これは歴史小説でなくて時代小説だったかもしれない。
語り手・イサによる一人称視点の小説だが、このイサが知りすぎているように思う。明恵上人の見た夢については「夢記」という文書が現代まで伝わっているとはいえ、他人の見た夢を事細かに語る同時代の第三者というのが不自然に見えた。また、イサは、猟師の子として生まれ、8歳のときに親に捨てられて以来、上人に仕えるも出家はせず、上人の身辺の世話と薬草園の管理を主な仕事として37年を過ごしてきた寺男。当時の社会情勢(上皇の皇女が誰それで、その母御が誰それで、その方の実家が○○家で、そこでは何年にこういうことがあって…)を語る箇所も多いのだが、語り手・イサがそんなことを熟知するキャラクターに見えない点もひっかかった。
こんなことにひっかかる私は、もしかしたら歴史小説の読者には向いていないのかもしれない。 -
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鴨長明と聞くと、卑屈で意地っ張りという像を浮かべる。
確かにこの小説でも、自分にとって気に入らないことからは目を逸らし、最終的に方丈の庵に籠ってしまう、そんな面倒くさい人が描かれているのだが……。
一方で、平安から世が移り変わる中で、長明が出会った人々もまた、荒んでいたのではないかと思う。
「狂うてこそじゃ。狂うてこそ、本物になれる」
後鳥羽院の言葉に示されるように、長明の眼は、それがたとえ、尊敬する師であっても、愛しい息子であっても、権謀術数によって力を得るという、人の忌まわしさ、浅ましさを見抜いてしまう。
だからこそ、長明は誰にも寄り添えず、また大事にされることもない。
歌を詠み、琵琶を奏でる、忘我の時間だけが癒しを与えてくれる。
その中で実朝に対しては、共感の意を感じ取るのだが、ハリネズミよろしく「わたしの何を見抜いたというのか」と近付き傷付け合い、また背を向けることになる。
だけども、最後まで狂わなかったのではないか。
世の人が言う、狂人とは違った意味で、彼は世を見つめ、見出し、絶望し、でも望みを捨てきれなかったように思う。
何かを遺すとは、そういうことではないだろうか。 -
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ネタバレTさんのおすすめ。
大伴家持、おおとものやかもち、という読み方ぐらいは知っているが、
はてさてどこの誰だったか。
万葉集を編纂した歌人らしく。
歌、特に恋の歌を中心に物語が紡がれる。
任官先の越中の女に夢中になった男。
京の妻が乗り込んできたが、
女の方は本気だったのか、気紛れだったのか。
通ってくるのが面倒になったから別れてくれと夫に言われた妻は、
一旦分かった、と言いながら、
結局、任官先についていくと言い出す。
和歌は全く分からないが、お話としてはまあ面白かった。
ただ、短編どうしの時系列が前後するので、
もともと大伴家持やその時代の知識がない自分としては、
歴史の流れについていけなかった。 -
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稀代の仏師運慶の生涯を描く時代小説。
醜い顔に生まれついた彼は、美しさに焦がれた。父の康慶に連れられ、玉眼を見た長岳寺。そして初めて己ひとりの手で仕上げた円成寺の大日如来を皮切りに、彼の仏師としての人生が始まる。
彼を通りすぎる数々の女性、源氏と平氏の争い、朝廷と源氏の駆け引きの渦の中で彼は、奈良仏師の集団を一流に引き上げて行く。
運慶の描かれ方に好みが分かれるかな、と思います。
仕事一途な男…それは反対に仕事だけを見つめ続け伴侶や子どもを置き去りにして行く男、というステレオタイプの男性像が投影されているなと感じました。
しかし、数少ない史料や現存する仏像などから運慶の生涯の物語を組み立てたことに、敬意を表します。
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本日始まる大河ドラマに間に合った!というのは、どうでもういいが
この本は少ない直虎の史実に、歴史的事実を組み合わせて、
小説というより歴史をたどるような感じだったので、
そこを、どうドラマ化してあるのか、「大河」が興味深い。
つまり、枠組みは理解したので、フィクション仕立てがカギ。
という話も私事で、どうでもいいか。
時代がどうあれ
長年生きてきて思うのは「自分は自分であること」ほど難しいものはないということ。
甘えているわけではないが、自信がぐらつくことの多さ。
ことの決断、実行、対処。
すんなり出来たためしがないこと。
これでよかったかの、反省・後悔、多々。
ただ、事実が厳然とあるのだから、それを受け止めないでは前に進めない。
それが孤独で厳しい現実なのである。