小川原正道のレビュー一覧
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明治維新開国後、海外と対等に付き合うため、「信教の自由」を憲法に取り入れることは必須であった。
国が定める「信教の自由」は「政教分離」とも密接に関わる。
なぜなら。
「宗教」が排他的だから。
と見た。
ぶっちゃけて、既得権とか勢力拡大という利権をどう確保するかに汲汲としてた界隈の様子が透ける。
国家を現実的、科学的、実証的、現代的に運営しようとすれば、それは、宗教とは相容れない。
自らの真理と正義を最優先にする、特に一神教は、国家とギシギシせずにはいられない。過去、仏教は上手く国家とやってたし、そもそも日本国は天皇陛下が最強の祭司なのであって。
社会の論理とは違う、自治と権利を認めろよ、なんて、奈良以前から全然変わってないよなあと思う。
信教の自由を認めるなんて当たり前のことって、西洋の先人達が、宗教が違えば悪魔だから殺さないとダメだっていう、野蛮な理論を否定することから始まった訳でしょ。正当な宗教も、信仰の邪教もないよ。
残念ながら。宗教は過去からずーっと、数えきれない人民を虐殺して来ました。
科学的啓蒙から、隔離して参りました。
まあ、本音と建前のせめぎ合い。 -
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聖徳太子から渋沢栄一といった歴史上の人物の軌跡を地図をあわせて簡単に解説した一冊。人物ごとにその妻や娘などの大きく影響を与えた女性についても紹介している。
そこまでボリュームの大きい本ではないので各人物についてより詳しく知るなら別の書籍を読んだほうがいいだろう。
こうして地図上で辿った道や史跡などを見るとかなりの長距離を移動していたことがわかる。
いまでこそ電車や車があるのに同じ地域にとどまる人が大半だと思うが、徒歩や馬でここまで移動できたことは信じられないほど苦労が伴ったように思う。
また、度々女性についても紹介しつつ津田梅子の章で締められていて、なかなか焦点を当てられてこなかった女性を意図的に前面に出して解説している。
実際、教科書では名前すら出てこない女性も多い一方で、その女性たちによる偉業も多い。
本書のように女性に焦点を当てた歴史書が増えていくことを望む。 -
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福沢諭吉が、その生前から現代にいたるまで、どのように評価されてきたのかということをまとめている本です。
功利主義の立場に近しい福沢とその門下生たちに対して、同時代の人びとは「拝金宗」という批判を投げかけました。その後、帝国主義者となった徳富蘇峰などによって、福沢が国家をないがしろにしているという批判が強まり、小泉信三は福沢の愛国者としての側面を示して反論をおこなうなど、その評価をめぐって論戦がくりひろげられました。さらに、戦後の福沢研究をリードした丸山眞男は、福沢の思想のうちで個人主義と国家主義がせめぎあいつつも統合されていたことを明らかにしました。その一方で、服部之総や遠山茂樹などマルクス主義史学の立場から、福沢の限界を指摘する議論が一定の影響力をもつようになり、とりわけその「脱亜論」に対する厳しい批判がおこなわれてきました。
本書ではとりあげられていませんが、現代におけるマルクス主義の退潮にともなって、西部邁や坂本多加雄など右派の論客による福沢論も登場しており、福沢の思想の評価はいまもなお係争中といえるでしょう。 -
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「霊前にしばしの時をすわりおれば みみにうかびぬありし日の声」
その死に際して未亡人に贈られた今上天皇の弔歌である。
小泉信三。皇太子時代の今上天皇の東宮御教育常時参与であり、
慶応義塾長であり、マルクス主義批判者であり、経済学者である。
このうち、私が知っているのは東宮御教育常時参与であったこと
と、慶応義塾長だったことくらい。特に今上天皇に多大なる影響
を与えた人として興味を惹かれる人物である。
その小泉信三が、先の大戦中は戦意高揚に一役買い、塾生たちの
愛国心を煽っていたとは。平和を願ってやまない今上天皇の家庭
教師のような存在だったので、彼が戦中に展開した戦争肯定論は
いささか意外な気がした。
ただ、戦後はこの点を自ら反省しており、GHQの公職追放からも
辛くも逃れている。だからこそ、お妃選びにも係わり、戦後の
「新しい皇室」像に一役買ったのかもしれない。
「あとがき」も含め、200ページ足らずのページ数なので、かなり
駆け足の評伝になっているが、小泉信三という人物の概略を掴むに
はいいかもしれない。
福沢諭吉や吉田茂との関係などもあって、面白いことは面白いのだが、
個人的にはサブタイトルの「天皇の師として」の部分に期待して手に
したので、食い足りなさが残った。
平成も間もなく終わる。象徴天皇としてどうあるべきかを模索し続け
た今上天皇の姿を、小泉氏はどのように見たのかに興味があるが
即位さえも見届けず死去しているので私の叶わぬ思いだな。 -
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ネタバレ幕末から日露戦争まで、仏教・神道・キリスト教の各派の戦争「適応」「従属」から何を学ぶか。
近代日本というドラマを創造するさい、宗教はどのような役割を果たしたのだろうか。戦争という切り口からその歩みを丹念にスケッチしたのが小川原正道『近代日本の戦争と宗教』(講談社選書メチエ、2010年)である。
著者は、『大教院の研究』(慶應義塾大学出版会、2004年)や『西南戦争』(中公新書、2007年)で知られる近代日本の研究者。本書は「新書」以上「専門書」未満といる「メチエ」の一冊だが、なかなか本格的な労作だ。
タイトルの『近代日本の戦争と宗教』の通り、近代日本の歩みとは戦争の歴史にほかならない。そのために産業や社会、そして文化をすべて「動員」してきた歴史といってよい。そしてその全てに関わるのが「宗教」だ。戦争に注目すれば、戊辰戦争から太平洋戦争での破算にいたるまでトピックスは全て「戦争」であることは論を待たないであろう。
さて、本書が注目するのは近代日本「創業期」の明治時代だ。時代を戦前・戦後に区切っても、昭和・大正と明治が特異な点はいくつか存在する。それは対内戦争と体外戦争の両方を経験した時期ということだ。そこに宗教はどのようにかかわるのであろうか。
洋の東西を問わず、宗教は民衆と深い関係にある。近代国家は基本的には宗教への「収斂」を「国家」を否定するものとして退けるのが常であるが、有用である場合、その「化他」の側面と妥協する。
明治最初期の宗教史のインパクトとは何かといえば、廃仏毀釈であろう。「出家」は「在家」としての「国民国家」に不要だし、記紀神話とも中和しない。さまざまな思惑は、当事者に存在する。しかし、影響力の拡大としての「地位の確立」は、「国家の役に立つ」という眼差しへと収斂していく。
そうそう「地位の確立」といえば、思い出すのは、「世界における一等国」。宗教界においてもそのレースが始まるという次第だ(少し強調。
そもそも宗教は時代との交流で「育成」されるものであろうが、時代を撃つものでもある。その交流の経緯から、
「さて、どうするか」
再考させられる一冊である。先に言及したとおり著者は真面目に史料精査に基づく経緯の描写を描写する。その歩みを丁寧に追うことは、宗教「団体」がいかに国家と向き合ったのかをまざまざと見せてくれる。
ハナから協力や支援・迎合を全否定するわけでもないし、沈黙や逃避が善であるわけでもない。しかし、この経緯から何を学ぶのか……というのは考えさせられる。