阿満利麿のレビュー一覧

  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    日本人が「無宗教」を標榜するのは、「創唱宗教」に対して無関心なだけで、「自然宗教」は信奉していることが多い。そして、日本人が「創唱宗教」に関心を持たないのは、現実主義的な儒教の普及と、葬式仏教による死後への安心感によって生まれた日常主義(あるいは「浮き世」の観念)が、日常と緊張関係を持つ創唱仏教と相容れなかったためである。

    丸山の「日本の思想」と同じくらい勉強になる本だった。下手な歴史書よりも、こういう平凡な人々の歴史が知れる本が好きだ。
    それにしても、人の宗教観なんてものは、明治のゴタゴタのような、権力者が作った構造のもとで、いとも簡単に変わってしまうのだと思うと恐ろしい。

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    2024年10月02日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    大学に入る際に読まされたがあんまり内容を覚えていなかったので再読。
    宗教学や民俗学に興味を持ち始めた今現在読んだらとても面白かったし幾つかの発見もあったので本は読みたいと思ったタイミングで読むのが一番と再認識させられた。
    「創唱宗教」と「自然宗教」の違いや歴史を追っていくなかでそもそもこの括りを私たちの中で曖昧にしているからこそ祭や風習を楽しむのに「無宗教」という言葉を使うのではないかとこの本を読んで感じた。ただ、これらの宗教を雑に纏めてしまうことに対して仕方のないことなのかもしれないなとも思う。それは多くの物事に対して細かいところまで区別し主張するのにはそれに対するプライドやこだわりのような

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    2024年09月17日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    とても勉強になり、とても面白かったです。
    日本においての宗教や信仰について、私は知識不足であり、間違った考えをしていたように思います。
    現日本で言う「伝統」は、意外と歴史が浅いのかも、という疑問も私の中では生まれたりもしました。

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    2022年01月02日
  • 法然を読む 「選択本願念仏集」講義

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     結論から言うと、浄土宗のみならず真宗の方も読んでほしい。法然上人がお念仏一つといわれたことの勢いと強さを『選択本願念仏集』から読むというか感じる本。
     本の言葉そのままではないが、自分の言葉で書く。
     法然上人は、大悲(衆生を救うという仏の慈悲)は必ずあるはずだ、それは今自分にも届いているはずだ、どうしても三学による仏法を求め続けられない自分にも届くはずなんだと「信じて」多くのお経を読んでいかれる。そして「彼の佛願に順ずるが故に」にたどり着かれる。
     自分は、「信じる」話が好きではない。科学的ではないからだ。それはどうしても、その人が勝手に信じているだけではないかと思うのだ。それは自分が冷た

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    2021年12月19日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    卒業研究に向けてということで読みました。
    さまざまな事例をもとにした考察がどれも興味深く、論文執筆における「視点」づくりに役立ちました。
    特に、創唱宗教と自然宗教の区別は明快で、卒業研究でも大いに参照させていただきました。

    修士論文を書く上でまた読む機会があるかもしれません。

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    2020年01月19日
  • 選択本願念仏集 法然の教え

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    日々、なかなかと得心いかず、法然とか読んでる
    選択本願念仏集

    末世の現代、教えは残っても修行は失われ、悟りはない

    しかし、その名を唱える全てを浄土に迎えるとの阿弥陀如来の本願を頼み、念仏しなさい

    南無阿弥陀仏

    現世そのものが悟り、だから今のままでいい、ライフイズビューティフル!っていう本覚思想による堕落のなか、念仏という最も簡単で、本願にかなった実践を、ちゃんと浄土思想の経典のなかから発見した、異端の男ホーネン!!

    しかし、来世の浄土を約束する念仏は、現世利益を追求する近世以降、失われる

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    2018年11月24日
  • 選択本願念仏集 法然の教え

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    法然が、浄土三部経と中国僧・善導にひたすら依拠して、専修念仏の正当性をくりかえし説いている。それだけに現代語訳最末尾の訳注[訳者ノート]にある、「中国では、念仏は禅と兼用されるのが普通であり、善導のごとき、念仏一行を選択するということは大方の賛同を得ることができなかったようである。朝鮮においても事情は同じである。」というコメントが痛烈だ。しかしそれでも法然が専修念仏にこだわった事情は、巻末の訳者解説にわかりやすく述べられており納得がいく。本書は、全体に簡にして要を得たつくりの良書といえる。

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    2017年01月26日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    日本人の無宗教の由来を徹底的に掘り下げている。その中で、社会に無宗教(自然宗教)がもたらす安定性と危険性をえぐり出した力作である。最終章の沖縄の離島の信仰と真宗の信仰の事例は心打たれる「回心」論である。

    ・自然宗教は創唱宗教のように特別の教義や儀礼、布教師や宣教師はもたないが、年中行事という有力な教化手段を持っているといえるのであり、人々もそうした年中行事をくり返すことによって生活にアクセントをつけ、いつのまにか心の平安を手にすることができるのである。
    ・創唱宗教への恐怖心とは、厳密に言えば、それらの宗教の教えが怖いのではなく、その前提である人生を疑ったり否定せざるを得ない営みへのおそれとい

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    2016年07月21日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    20年前の本であり、また本という特性上、筆者の思想が多分に含まれているがそれでも日本の宗教の歴史を知る上では読む価値のある一冊。

    日本人の間で宗教が浸透しにくい理由の根本に振れることができる。

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    2016年03月27日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    日本人はなぜ無宗教なのか
    タイトルと著者の阿満利麿先生に仏教を教わったことのある自分としては、非常に内容が頭に入ってくる良書だと思いました。
    宗教を「自然宗教」と「創唱宗教」の二つに分けて考えることから始まり、「無宗教」というのはその二つの間に属するような、折衷案の言葉である。
    ムラ単位で存在していた排他的な自然宗教が仏教の広まりや、生活水準の向上などで、他のムラとのつながりが増えたり、現世を享楽的に生きていこうとする考えと結びついたりしながら、自然宗教が世俗化していった。
    自然宗教の世俗化とは、一例をあげるならば「葬式仏教」のようなものである。しかし仏教は本来、死者に対して葬儀を行い、お墓を

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    2013年03月20日
  • 歎異抄

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    親鸞の伝えたかった念仏という行為について、とても分かりやすく読むことができた。
    しかし、読んでいた時は何となく、その内容を理解していた気でいたが、こうしてレビューを書いてみようと思うとなかなか適切な言葉が浮かばない。

    ただ、一つだけ取り上げるならば以下の部分だろう。
    「念仏は大事だ、なぜならそれのみが私達凡夫にできる唯一の信心の行為なのだから。」ということが基本にある。そして、そこから生まれる様々な疑問に本書は答えてくれる。

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    2013年01月13日
  • 法然を読む 「選択本願念仏集」講義

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    少し難解であるが、法然の思想を遍く述べられている。日本の浄土教の根本の理解また浄土宗の理解を助けてくれる。

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    2012年03月04日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    彼の指摘している問題は、人々の宗教性の無自覚さに尽きる。どうせなら就活で自己分析をする時、こういう己の宗教性≒思考性を見つめ直すのも良いのかも。

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    2012年02月19日
  • 行動する仏教 ──法然・親鸞の教えを受けつぐ

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    2014年99冊目。(再読)

    「絶望」は「自己愛」から生まれる。
    自己主張が叶わないところに生まれる。
    完全に独立した自己「エゴ・セルフ」から、見えない繋がりも含めた無数の因・縁を感じる「エコ・セルフ」にシフトする必要があると説く。
    私たちは「凡夫」であるという謙虚さが、末世の時代でも絶望を乗り越える力を与えてくれる。
    ===================
    2012年12冊目。(2012年2月12日)

    絶望は自己愛から生まれる。
    その絶望を希望に転換する方法を説く。

    曰く、
    ■自らが「凡夫」であることを認める
    ■因縁果の無数の繋がりの中の自分を自覚し、独立した自我という考え方をなくす(

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    2014年10月28日
  • 行動する仏教 ──法然・親鸞の教えを受けつぐ

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    末世であるかのような日本・世界の現状。「絶望」と「無関心」が人の心を蝕んでいる。

    そのような中、法然・親鸞の教えを拠り所に、どのようなスタンスで現状と寄り添っていけばいいのか、過去の宗教家の足取りを踏まえ、言及し、凡夫である私たちに一定の心構えを示唆してくれているのが本書である。

    法然・親鸞の教えが如何に普遍性があるのか、そのことを論理的に教えてもらって、気持ちがすっきりとした。

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    2011年11月03日
  • 選択本願念仏集 法然の教え

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    聖人、法然上人の書いた本。お坊さん向けに書いた本じゃなく、九条兼実の要請で書いた本らしい。あと何十年か人生があるとして、のんびり古典を読んでいくのは楽しそうだと思う。

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    2011年10月30日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    ネタバレ

    日本人の無宗教観の理由を考える書。

    近代化の過程で、国家神道が宗教ではなく国家祭祀であるという名目の反面、宗教は心にとどめるもので社会性を持つ宗教(キリスト教など筆者は創唱宗教という)は「信教の自由」に反するとした。

    また、近代の国家神道をつくる過程で多くの神社の再編統合により縮小された結果人々の親しみのある神の多くは、国家の正統のものではないと見なされ、よき臣民たるには国家神道を尊重し、実質「無宗教」性が要請された。それが残っている。

    一方で筆者はムラ社会からの日常主義をこの無宗教性に作用したという。

    一神教などは時に国家権力と緊張をもたらすが、ムラ社会の日常主義は、日常生活に問題を

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    2012年04月25日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    現代の日本人はそもそも「宗教」というものへの理解が浅い。
    江戸時代までは日本人の多くは「無宗教」ではなかった。
    かつての日本人が信仰していた「宗教」とは。そして「無宗教」とはどういうことか。明治以後の何が日本人を「無宗教」にさせたのか(科学技術の発展ではない)

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    2011年04月08日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    歴史的経緯を踏まえて、日本人が「無宗教」を自称するに至った理由を探る本。
    無宗教というのは、元々はキリスト教の伝播を阻止しつつ、近代国家を作り上げるのに考え出された論法だったということです。

    前半部分は非常に優れていると思いますし、一読の価値がある本です。

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    2010年12月23日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    中学か高校んときに読んでおきたかった一冊。
    なぜ自分が日本人として、この無宗教観をもっているのかを教えてくれる本。

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    2010年11月28日