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法然が膨大な行の体系の中から選び取った「南無阿弥陀仏」の一行は、不条理や不安が生み出す絶望から人々を自由にする唯一の言葉だった。主著『選択本願念仏集』をテキストとして、その信念と意義を読み解く。
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Posted by ブクログ
結論から言うと、浄土宗のみならず真宗の方も読んでほしい。法然上人がお念仏一つといわれたことの勢いと強さを『選択本願念仏集』から読むというか感じる本。 本の言葉そのままではないが、自分の言葉で書く。 法然上人は、大悲(衆生を救うという仏の慈悲)は必ずあるはずだ、それは今自分にも届いているはずだ、...続きを読むどうしても三学による仏法を求め続けられない自分にも届くはずなんだと「信じて」多くのお経を読んでいかれる。そして「彼の佛願に順ずるが故に」にたどり着かれる。 自分は、「信じる」話が好きではない。科学的ではないからだ。それはどうしても、その人が勝手に信じているだけではないかと思うのだ。それは自分が冷たい人間であり、どうしてもそういう考えだからどうしようもない。信じられたらどんなにいいか。 なのでこの本での法然上人のたどり着かれた答えは、箇条書きにしたら非常に納得がいかない者なのである。しかし、阿満氏の解説を一緒に読んでいくと、そんな気持ちが起こらないのだ。不思議だけれども。原文を読んで、法然上人の強い思いと力強さに呆然とするばかりなのだ。なんとすごい本だ。 歎異抄第二条で、親鸞聖人は唯円坊にこういう。 ”たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。” 自分はご本人たちに会ったことはない。でもこの本を通して法然上人の書かれたものに触れることで、今一度この第二条が鮮やかに思い起こされる。本当のことはわからない。でも、そういう心があるかもしれない。疑いいっぱいの自分の心にも流れてくる「信じる」心。 このお二人のことを一緒に思うことが大事であると改めて気がつかせられた。法然上人がいなかったら、親鸞聖人もお念仏に合わず、さらに今自分が浄土真宗の教えに触れることもないんだ。自分のような心持ちの人間でも感ずるものしかない本。是非たくさんの人に読んでもらいたい。すごい。
少し難解であるが、法然の思想を遍く述べられている。日本の浄土教の根本の理解また浄土宗の理解を助けてくれる。
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