阿満利麿のレビュー一覧

  • 宗教は国家を超えられるか ──近代日本の検証

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    国家を相対化する試みを日本における宗教、思想、およびそれらの歴史を通して模索した本。国家の必要性を認めつつも、国家のために私たちは生まれてきたわけではない、と説く阿満氏。その記述は偏ることなく、誠実に考える姿が読む者にも伝わってきます。

    このような、ややもするとこのような本を政治イデオロギーの問題として片付けてしまいそうな、時代の趨勢っていったい何なんだろう。

    「他国が攻めてきたら・・・」

    ボクはこの質問に答えられない。もしかしたら、戦うしかないのかもしれない。しかし、ちょっと待てよとも言いたくなる。どうしようもないのかもしれないが、罪のない人々のことを思うと心苦しい。

    然し、日本とい

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    2010年08月02日
  • 仏教と日本人

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    [ 内容 ]
    水子地蔵、閻魔が死者を裁く地獄、妻帯する僧侶、神仏の併用、そしてお葬式…インドに発し中国を経て伝来した仏教は、わが国独特のすがたに変容し、定着した。
    こうして日本人の心情に深く根ざした仏教は、では、どのような民族的精神風土の上に受け容れられたのか。
    また、仏教とふれることで、日本人の宗教意識にどのような変化が生まれたのか。
    日本文化のはらむ「業」、その光と影を透徹した思惟で見定める一冊。

    [ 目次 ]
    第1章 地蔵の頭はなぜ丸い
    第2章 「地獄」はいつの間にか「極楽」に
    第3章 日本の僧侶はなぜ肉食妻帯なのか
    第4章 日本人に親しい仏たち
    第5章 神さま仏さま
    第6章 葬式仏教

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    2014年10月27日
  • 宗教は国家を超えられるか ──近代日本の検証

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    日本が近代国家となる過程で神道が国家宗教となった(他の宗教が弾圧されたあるいは神道に取り込まれていった)過程が良くわかる本.また,桜など数々の「伝統的・日本的価値観」が実はそう古いものではないことが説き明かされるのは非常に興味深い.近代天皇制の成立過程が良くわかる好著.

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    2009年10月04日
  • 宗教は国家を超えられるか ──近代日本の検証

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    光文社新書の「国歌と宗教」に比べ、現実の天皇制をちゃんと扱っている点で遥かに優れている。無論その分通史的な興味は失せているが、しかし「国家と宗教」の問題を扱う以上網羅的であるというのはそれだけ焦点のぼけたものでもあるだろう。とりわけ現実に天皇制や国歌、靖国などの問題が取りざたされる時に近代の天皇制について掘り下げ不足、というのは致命的である。そういう点でもこれは買い。推薦する。

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    2022年12月09日
  • 日本精神史 ――自然宗教の逆襲

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    もう少し八百万的なモノの話がメインになると思ったら、少し偏り(主張)が大きい本だった。でも興味深く読んだし、1つの軸からの考察として解りやすかった。

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    2025年05月01日
  • 『歎異抄』入門 無宗教からひもとく

    ネタバレ 購入済み

    『歎異抄』は難しい…と思う人に

    2024年10月読了。

    『原始仏教』『大乗仏教』と読んできて、ふと『歎異抄』の事が頭を過った。たまたま自分の
    母方が浄土真宗なのだが、浄土真宗は…と云うか、『歎異抄』と云う読み物が何やら≪ヌルヌルして掴み辛い鰻≫の様で、若い頃から何度も解説書を読むのだが一向に『腹落ち』してくれないのだ。
    こんな事を言うと信者の方からお叱りを受けそうだが、「ただひたすら『南無阿弥陀仏』と称えなさい」と言われても、それで『日々の暮らしの不安が明るくなる訳でも無し』、何と言うか≪やったぞ!!!≫感が起こらないのが、何とも腑に落ちなくて、さりとて坐禅やらお遍路三昧する様な気力も無く、我ながら「酷い凡夫だ…」と思いな

    #タメになる #共感する #癒やされる

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    2024年10月11日
  • 『歎異抄』講義

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    親鸞の弟子、唯円が著したとされる歎異抄を、阿満さんが一つ一つ言葉を、用語を、ニュアンスを丁寧に、基本を繰り返しながら語りかけてくれます。信心では2つが大事。阿弥陀仏が凡夫のために創造した念仏を、私が阿弥陀仏の物語を理解した上で選択したその瞬間の他力本願を頼む信心と、念仏を唱えるたびに私のなかに少しずつ蓄積していく阿弥陀仏から賜る仏心というべき信心。生死の限界の中でも摂取不捨を感じながら仏の大事業へと向かって歩みゆけるという安心感。その歩みの中で宗教倫理を自然に実践して行けることのでの世代を超えた社会貢献。南無阿弥陀仏。NHKのドキュメンタリー、こころの時代、の阿満さんを思い越しながら読みました

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    2024年09月22日
  • 人はなぜ宗教を必要とするのか

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    人は生きてる限り仕事や恋愛、学業、それに親の介護や子育てなど何らか悩みを抱えながら生きている。それらに一切の悩みなく、全てが順調、経済的にも全く問題なし、というのはどこか石油でも掘り起こしたような遠い国の王族ぐらいであろう。そういった人たちでさえお金の使い道で悩んでいるかもしれないが。人は悩んだり困ったりした際に、カミサマ助けてと心の内で叫んだりする。日常では無宗教を公言しながらも「いざ」という時は「何か」に救いを求めてしまう人が大半だろう。世界の五代宗教と言えば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教だがそれ以外にも新興宗教と呼ばれるものが日本でも沢山生まれてきた。日本人の多く

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    2023年09月18日
  • 『歎異抄』入門 無宗教からひもとく

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    うちは浄土真宗。歎異抄はまだ読んだことはないけど。
    南無阿弥陀仏と称えはするけれどそれがどういうことなのかは、今一つピンときておらず。この本を読んでわかったのは、念仏とは「必ず救う。浄土に救う。だから安心して今しかない生を生きろ」という阿弥陀様からのメッセージだったのだなと。星4つなのは時々難しいなと思うところがあったからだけど、書物としては読むに値する本です。
    南無阿弥陀仏。

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    2023年08月20日
  • 歎異抄

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    現代語訳と解説のおかげで、興味を持って読めた。書かれている内容には、説得力があると感じた。当時、他の宗派から圧力があったとのことだが、他の宗派がどのように考えていたのか知りたくなった。

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    2023年08月10日
  • 『歎異抄』入門 無宗教からひもとく

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    歎異抄は築地本願寺で知った仏教であるが、この本のサブタイトルのように私も無宗教であるが故これからが始まりであると考えるています。

    法然の弟子である親鸞が教えた「南無阿弥陀」のについてそれが歎異抄のようだ。
    親鸞の教えを、間違った解釈をしたりアップデートする人たちが出るので、唯円が歎異抄として記した。
    異なることを歎くと言うものだと知りました。

    一人も漏らさないと言うものがあるようで、それは大変心強いものであり救いを頂きました。
    もっと歎異抄を勉強したいと思います。

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    2023年07月30日
  • 柳宗悦 ──美の菩薩

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    なぜ柳宗悦が民芸の方に足を向けたのか。その歴史がよくわかる。また同時に宗教の言葉がわかる。
    美しいとは。直感とは。自然とは。簡単にわかるのではなくて、頭をぐるぐるとさせるのにはもってこい。早く民芸館に行きたい。

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    2023年05月01日
  • 『歎異抄』入門 無宗教からひもとく

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    分かりやすく歎異抄を解説してくれている。

    人生を100年として、死んだら無になるという考え方ではあまりに寂しいとは同感だ。

    世の中では科学的根拠のない宗教とか輪廻転生、前世などはオカルトとして信憑性にかけるものとされているけれども、自分でもコントロール出来ない自我はどこから来ているのかもまた説明が出来ない。なぜ、人は苦しくなるほどの恋愛をするのか、自分を否定した人間にたいして心の底から沸々と沸き起こる怒りはどこから来るのか。このような宿業とは遺伝子の記憶か。説明出来ないことだらけなのに死んだら無になるのだから100年のうちになにか意味を見いださなければならないとあせるのもナンセンスだな、と

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    2023年04月12日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    日本人は無宗教だとはよく聞くが、それはよく考えてみればありえない言説だということを、分かりやすく説明している。
    宗教学では、宗教が「創唱宗教」と「自然宗教」に分かれるのかということにも議論があるらしいが、創唱宗教と自然宗教の違いについてイメージを掴むにはもってこいな1冊だと思った。

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    2022年01月22日
  • 歎異抄

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    唯円「 歎異抄 」

    阿満利麿 の現代語訳と解説がわかりやすい。宿業についての解説は 悪人正機説の疑問を解決してくれる

    全体を読んで 気付いたのは、歎異抄は 大衆向けの啓蒙書というより、法然 や 親鸞 のカリスマ性をベースにして「ここに書かれたことは 時代が変化しても 変えるな」という弟子への行動規範書であるように思った

    吉本隆明「最後の親鸞」のような破壊的インパクトはないが、念仏、浄土、宿業について 思想的偏りもなく、平易な文章で書かれており、大衆でも理解し実践できる内容になっている


    10章 歎異抄の要 
    念仏には、無義をもて義とす
    *念仏に対する行者の態度を言っている
    *無義=自

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    2021年11月02日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    日本人は無宗教といいながら、信仰を持つことは大切だと考えている人が多い!この矛盾の意味が的確に説明されている。自然宗教を信じているから。日本の仏教・神道の歴史に始まり。明治以降の天皇崇拝などの分析が興味深い。葬式仏教の良い点。江戸時代の儒学者が仏教を馬鹿にしたのは葬式仏教だからではない!目が開かれることが多かった。

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    2021年04月03日
  • 日本精神史 ――自然宗教の逆襲

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    日本人の精神・気質において美徳でもあるが悪弊となっている諦めの早さ・事なかれ主義・無責任などを形成するうえでベースとなっている自然宗教(「無宗教」的なもの)。これを克服するために創唱宗教・普遍宗教という自ら信仰を選び取っていく宗教、仏教においては浄土宗・真宗にある専修念仏のような自分存在を見つめ直し「凡夫」と自覚することで自意識過剰でない主体性の確立が望まれる。

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    2019年01月04日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    日本人は無宗教、この言葉に多少の後ろめたさと違和感を感じていたが、本書を読んでこういう感情がすっきり整理できた。自分は無宗教だという人は、キリスト教やイスラム教のような「創唱宗教」ではなく、「八百万の神々」「山岳や巨石、大樹への畏怖の念」「お天道様が見ている」といった観念を基盤とした「自然宗教」の信仰者なのだ。一方、明治維新後の政策で国家統一のために天皇を神とし、神道と融合した「新宗教を考案」し、それまでの自然宗教を捨て去ろうとしたことが、現代の宗教を意識しない状況を作り出したと言え、こういった背景を理解できたことで、外国人の質問にも答えられそう。

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    2017年09月10日
  • 日本人はなぜ無宗教なのか

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    日本人は無宗教ではなく「自然宗教」の信者である。しかし、明治政府による「天皇崇拝」や「日常主義」の考えが自然宗教を慣習に貶め、日本人の宗教観を痩せ細らせているという。前半部は特に実感に重ね合わせながら読み進められる。

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    2013年05月05日
  • 人はなぜ宗教を必要とするのか

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    本の題名と内容は一致していない。
    第四章あたりで、宗教を必要としないで「納得」していく人もいる、という結論が出ているし、「なぜ宗教を必要とするのか」は中心的な議題ではなさそうと感じた。

    五章六章は、「どのようにすれば宗教と出会えるか」について。

    「はじめに」で書いてあるけれど
    ムラの消失や「自然宗教」の衰弱の中で、「無宗教」ではやっていけない。そんな中でどのような道を選ぶか、その一つの選択肢としての宗教の紹介
    というのがこの本の内容かと。
    (ほかの選択肢として、「無神論」、「無協会派」、「道」、文学、老荘思想、哲学などがあげてある)
    (「このような、宗教の代わりになる文化が発達したところで

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    2013年01月19日