阿満利麿のレビュー一覧
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国家を相対化する試みを日本における宗教、思想、およびそれらの歴史を通して模索した本。国家の必要性を認めつつも、国家のために私たちは生まれてきたわけではない、と説く阿満氏。その記述は偏ることなく、誠実に考える姿が読む者にも伝わってきます。
このような、ややもするとこのような本を政治イデオロギーの問題として片付けてしまいそうな、時代の趨勢っていったい何なんだろう。
「他国が攻めてきたら・・・」
ボクはこの質問に答えられない。もしかしたら、戦うしかないのかもしれない。しかし、ちょっと待てよとも言いたくなる。どうしようもないのかもしれないが、罪のない人々のことを思うと心苦しい。
然し、日本とい -
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[ 内容 ]
水子地蔵、閻魔が死者を裁く地獄、妻帯する僧侶、神仏の併用、そしてお葬式…インドに発し中国を経て伝来した仏教は、わが国独特のすがたに変容し、定着した。
こうして日本人の心情に深く根ざした仏教は、では、どのような民族的精神風土の上に受け容れられたのか。
また、仏教とふれることで、日本人の宗教意識にどのような変化が生まれたのか。
日本文化のはらむ「業」、その光と影を透徹した思惟で見定める一冊。
[ 目次 ]
第1章 地蔵の頭はなぜ丸い
第2章 「地獄」はいつの間にか「極楽」に
第3章 日本の僧侶はなぜ肉食妻帯なのか
第4章 日本人に親しい仏たち
第5章 神さま仏さま
第6章 葬式仏教 -
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宗教学者の阿満利麿が法然や親鸞の浄土仏教についてやさしく解説したものである。とくに法然の南無阿弥陀仏の専修念仏や他力本願(本書でこの言葉は使っていない)の思想を親鸞がどのように引き継ぎ深めたかを分析している。
親鸞の凄まじい生涯を貫いた信仰の形成・実践過程を繙く価値ある一冊であった。
「はじめに」で、人は誰でも普段の考えではどうしようもない手に余る問題を抱えている。その解決に正面から向かう場合には「宗教」という「物語」(新しい説明とか意味付け)が必要になる。死を恐れるのも断末魔への恐怖や肉体的苦痛よりも自己が死ぬという事実を納得する「物語」が見えないからである。死をふくめてさまざまな限界状況 -
ネタバレ 購入済み
『歎異抄』は難しい…と思う人に
2024年10月読了。
『原始仏教』『大乗仏教』と読んできて、ふと『歎異抄』の事が頭を過った。たまたま自分の
母方が浄土真宗なのだが、浄土真宗は…と云うか、『歎異抄』と云う読み物が何やら≪ヌルヌルして掴み辛い鰻≫の様で、若い頃から何度も解説書を読むのだが一向に『腹落ち』してくれないのだ。
こんな事を言うと信者の方からお叱りを受けそうだが、「ただひたすら『南無阿弥陀仏』と称えなさい」と言われても、それで『日々の暮らしの不安が明るくなる訳でも無し』、何と言うか≪やったぞ!!!≫感が起こらないのが、何とも腑に落ちなくて、さりとて坐禅やらお遍路三昧する様な気力も無く、我ながら「酷い凡夫だ…」と思いな -
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親鸞の弟子、唯円が著したとされる歎異抄を、阿満さんが一つ一つ言葉を、用語を、ニュアンスを丁寧に、基本を繰り返しながら語りかけてくれます。信心では2つが大事。阿弥陀仏が凡夫のために創造した念仏を、私が阿弥陀仏の物語を理解した上で選択したその瞬間の他力本願を頼む信心と、念仏を唱えるたびに私のなかに少しずつ蓄積していく阿弥陀仏から賜る仏心というべき信心。生死の限界の中でも摂取不捨を感じながら仏の大事業へと向かって歩みゆけるという安心感。その歩みの中で宗教倫理を自然に実践して行けることのでの世代を超えた社会貢献。南無阿弥陀仏。NHKのドキュメンタリー、こころの時代、の阿満さんを思い越しながら読みました
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人は生きてる限り仕事や恋愛、学業、それに親の介護や子育てなど何らか悩みを抱えながら生きている。それらに一切の悩みなく、全てが順調、経済的にも全く問題なし、というのはどこか石油でも掘り起こしたような遠い国の王族ぐらいであろう。そういった人たちでさえお金の使い道で悩んでいるかもしれないが。人は悩んだり困ったりした際に、カミサマ助けてと心の内で叫んだりする。日常では無宗教を公言しながらも「いざ」という時は「何か」に救いを求めてしまう人が大半だろう。世界の五代宗教と言えば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教だがそれ以外にも新興宗教と呼ばれるものが日本でも沢山生まれてきた。日本人の多く
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分かりやすく歎異抄を解説してくれている。
人生を100年として、死んだら無になるという考え方ではあまりに寂しいとは同感だ。
世の中では科学的根拠のない宗教とか輪廻転生、前世などはオカルトとして信憑性にかけるものとされているけれども、自分でもコントロール出来ない自我はどこから来ているのかもまた説明が出来ない。なぜ、人は苦しくなるほどの恋愛をするのか、自分を否定した人間にたいして心の底から沸々と沸き起こる怒りはどこから来るのか。このような宿業とは遺伝子の記憶か。説明出来ないことだらけなのに死んだら無になるのだから100年のうちになにか意味を見いださなければならないとあせるのもナンセンスだな、と -
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唯円「 歎異抄 」
阿満利麿 の現代語訳と解説がわかりやすい。宿業についての解説は 悪人正機説の疑問を解決してくれる
全体を読んで 気付いたのは、歎異抄は 大衆向けの啓蒙書というより、法然 や 親鸞 のカリスマ性をベースにして「ここに書かれたことは 時代が変化しても 変えるな」という弟子への行動規範書であるように思った
吉本隆明「最後の親鸞」のような破壊的インパクトはないが、念仏、浄土、宿業について 思想的偏りもなく、平易な文章で書かれており、大衆でも理解し実践できる内容になっている
10章 歎異抄の要
念仏には、無義をもて義とす
*念仏に対する行者の態度を言っている
*無義=自 -
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日本人は無宗教、この言葉に多少の後ろめたさと違和感を感じていたが、本書を読んでこういう感情がすっきり整理できた。自分は無宗教だという人は、キリスト教やイスラム教のような「創唱宗教」ではなく、「八百万の神々」「山岳や巨石、大樹への畏怖の念」「お天道様が見ている」といった観念を基盤とした「自然宗教」の信仰者なのだ。一方、明治維新後の政策で国家統一のために天皇を神とし、神道と融合した「新宗教を考案」し、それまでの自然宗教を捨て去ろうとしたことが、現代の宗教を意識しない状況を作り出したと言え、こういった背景を理解できたことで、外国人の質問にも答えられそう。