あらすじ
従来の仏教は、生きる上での「苦」の原因を、前世からの因縁や個人の心の奥底に巣食う強烈な自我に求めてきた。しかし、戦争で命を落としたり原発事故の被害に遭うことは、個人の過去や心のありように原因があるのだろうか。そうではなく、政治や社会構造に問題があるのではないか。ならばその苦の原因を取り除く行動を、いまや仏教は起こさなければならない。「すべての衆生を救わずにはいられない」という仏教徒の第一の使命に立ち返り、法然・親鸞によって確立された浄土仏教を受け継ぎながら、その教えの中味を現代的な形に作り変える。行動する仏教=エンゲイジド・ブッディズムの意欲作。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
2014年99冊目。(再読)
「絶望」は「自己愛」から生まれる。
自己主張が叶わないところに生まれる。
完全に独立した自己「エゴ・セルフ」から、見えない繋がりも含めた無数の因・縁を感じる「エコ・セルフ」にシフトする必要があると説く。
私たちは「凡夫」であるという謙虚さが、末世の時代でも絶望を乗り越える力を与えてくれる。
===================
2012年12冊目。(2012年2月12日)
絶望は自己愛から生まれる。
その絶望を希望に転換する方法を説く。
曰く、
■自らが「凡夫」であることを認める
■因縁果の無数の繋がりの中の自分を自覚し、独立した自我という考え方をなくす(滅私:「エゴ・セルフ」から「エコ・セルフ」からの転換)
■「念仏のみぞまこと」という立脚点を持つ
など。
仏教徒でない自分は最後の部分は吸収できないが、
最初の二つは元々持っていた価値観ととても近かった。
「絶対神」を持たないこともあってか、
仏教は「宗教」というよりも「哲学」に近い印象を受けた。
阿満さんの他の著作や、親鸞についての本も読んでみたくなりました。
Posted by ブクログ
末世であるかのような日本・世界の現状。「絶望」と「無関心」が人の心を蝕んでいる。
そのような中、法然・親鸞の教えを拠り所に、どのようなスタンスで現状と寄り添っていけばいいのか、過去の宗教家の足取りを踏まえ、言及し、凡夫である私たちに一定の心構えを示唆してくれているのが本書である。
法然・親鸞の教えが如何に普遍性があるのか、そのことを論理的に教えてもらって、気持ちがすっきりとした。