中澤務のレビュー一覧
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ソクラテスは、知者として高名なプロタゴラスに対して最大限の敬意を払い、持ち上げると見せて、彼の演説の中の、一見些細なことにも思える問題点を指摘する。はじめは余裕で応じていたプロタゴラスも、ソクラテスから次々と繰り出される質問に次第に追い詰められ、最後は自分の発言の誤りを認めざるを得なくなる。そんなプロタゴラスの様子と、ソクラテスの鮮やかなやり口に、昔見た米国のテレビドラマ「刑事コロンボ」が想い起こされた。プラトンの著作の中でも、読み物としての面白さが特に際立つ作品となっている。
「徳は生まれつき備わっているものではなく、教えられて身につくものである」というプロタゴラスの主張には、納得できる部分もあるように思う。だが「徳は知識である」というソクラテスの主張についてはどうか。作中のプロタゴラス同様、違和感を抱かざるをえない。だが知識でないなら、なぜ教えることができるのだろうか。
一方、プロタゴラスの主張に反対していたソクラテスも、プロタゴラスとの問答の末に、徳は知識であり、したがって教えられるものであることを証明する結果となってしまう。二人とも自己矛盾に陥った格好だ。
ソクラテスが言うように、議論のどこかに誤りがあるのか。あるとしたら、それはどこなのか。答えは読者に委ねられる。哲学するきっかけを読者に与えるという点でも、本書は優れた哲学入門書といえる。 -
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本書には以下の3篇が収められている。
1.「人生の短さについて」
2.「母ヘルウィアへのなぐさめ」
3.「心の安定について」
本書の訳者まえがきには、「セネカの人と思想にふれるための入門として編まれた」(p8)と書かれている。訳者の意図したとおり、本書を読む目的が、セネカを知るためであれば最適の書である。
だが、悩み事の解決策を求めているのなら、あまり役に立たないだろう。たとえば「人生の短さについて」悩んでいる人が本書を手に取ったとする。セネカは、閑暇を求めるべきであるといい、「閑暇な人といえるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ」(p66)としている。つまり、時間を浪費しないためには、過去の鉄人に学びなさいということである。ここからヒントは得られるかもしれないが、具体的な悩みを解決するためであれば、他書に当たった方が良策といえる。
古典は読みやすさが重要だ。本書の新訳は読みやすい。言葉選びといい、文章構成といい、読む流れを滞らせるものはない。さらに解説も優れている。解説は本編の後に置かれているが、解説を先に読んだほうが、本編が理解しやすいだろう。
解説は43ページの分量で、下記の4つのテーマで端的に書かれている。
1.セネカの生涯とその時代人生
2.セネカの生きたローマ社会
3.セネカとストア派の哲学
4.作品解説
カバーの裏には、「古代ローマの哲学者セネカが贈る”人生の処方箋”」と書いてある。しかし、一種の自己啓発書と捉えて、問題を解決するために読むのであれば得るものは少ない。ストア派哲学者・セネカを知るためであれば、得るものは大きいだろう。 -
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え、そんな感じて終わるの?と少し驚いた。
最後まで話をして帰ってよ。と。
これまでの理論は、確かに理屈として主要な筋は通している。
しかし、誤魔化されている気持ちになる。
事象を一般化して理屈にまとめた。そんな討論だった。
プロタゴラスの理論はなんだか幼稚で現実を知らない理想論のように私には聞こえる。
そんな部分がいくつもあったように感じる。
戦争はよいものだという短絡的判断なども、私には極論すぎて、なぜそんなとび方になるんだ?と無理矢理な感じがした。
時代のせいか?
物事の本質をとらまえようとする一方、色んなものをボロボロとこぼして進んでいく車。
なんとなくそんな印象を受けた。 -
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興味本位で哲学関連の本を手に取りました。
イデア論で知られるプラトンの一書で、愛を司るエロス神を様々な登場人物の口から賛美させるというもの。
ただ、結局は師であるソクラテスを称賛する形で締められており、愛を哲学するというには、潔さに欠ける構成だと感じてしまった。
西洋哲学の源流ともされる古代ギリシャ哲学ですが、ギリシャ神話を前提にしているために、その視点にとらわれるのは致し方の無いところで、「愛」に対する普遍的・本質的な解釈にまでは当然昇華しきれていないですが、それでも古代の制限された知識のなかでここまでの議論がなされていることは興味深いです。
なお、古代ギリシャと現代との社会通念の乖離が大きく、テーマ意外のところでも驚きがあって、ある意味で新鮮な感覚がありました。男色(少年愛)が通常とされる社会はなかなかにショックですが。 -
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わかったようなわからんような…「エロス」神についてソクラテスがいろんな人に語らせて、最後おいしいとこ持っていくみたいな感じ。
でもソクラテスのような「知」を愛する哲人には簡単にはなれないんだよ、っていう。
本書の裏表紙の紹介文では「なぜ男は女を求め、女は男を求めるのか?」とあるけど、実際には当時のギリシャの「少年愛」が主題。解説ではそれは男女の恋愛にも通じる、とはあったけど。この点を含めて訳者による解説は充実。訳も読みやすい。
「エロス神」と聞くと「ギリシャ神話劇場 神々と人々の日々」をつい思い出しちゃう…。自分は到底哲人の「て」にもなれませんわ。 -
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アガトンのコンテスト優勝を祝う宴席の場で、出席者がそれぞれ愛の神エロス(解説によればキューピッド)を賛美するお話。
構成が凝っていて、出席者アリストデモスが宴会の様子をアポロドロスに話し、アポロドロスは、その話を聞かせろ、とせがむグラウコンに一度話をしたので、お安い御用と今からもう一度その話を読者に対してする、という設定(でプラトンが創作している)。プラトンが哲学者になる前のお話だから口頭伝承の形にしてしたのだろうか。
いろんな説が出る中、最も有名なのは、古代、人類は男・女・アンドロギュノスの三種類があって、神の怒りを買って真っ二つにされた、失われた片割れを求めて人類は愛し合う、というもの。元の組合せ次第で愛する相手が同性だったり異性だったりする、という点をうまく説明できる点、昔から人気があるようで、高校生の時に社会の先生がこの話をしていた。
出色は、(ソクラテスが聞いた話として語る)ディオティマの話。異性間の愛を、現代の進化論(端的にはリチャード・ドーキンスの利己的な遺伝子)の萌芽を感じるような論調で語っていて、現代人にはもっとも腹落ちする内容ではないだろうか。
ほぼ直観から導き出される話だからこそ、訳者は(従来の貴婦人ではなく)巫女として設定したようだ。
当代人気政治家のアルキビアデスがソクラテスを口説いて失敗する、という話は塩野七生の「ギリシア人の物語2」でも登場するが、本作のラストでフルに読めたのは興味深かった。
主要登場人物
アポロドロス ソクラテスの弟子で、この物語の語り手。
アリストデモス ソクラテスの弟子で、饗宴の様子をアポロドロスに伝えた人。
ソクラテス アテネの哲学者。五三歳。
アガトン アテネの悲劇詩人。饗宴の主催者。三〇歳くらい。
パイドロス 弁論術に関心を寄せるアテネの若者。二〇代後半。
パウサニアス アガトンの恋人。おそらくソクラテスと同世代。
エリュクシマコス アテネの医師。パイドロスの恋人。三〇代前半。
アリストファネス アテネの喜劇詩人。三〇代なかば。
ディオティマ ソクラテスにエロスの道を伝授したマンティネイアの女性。
アルキビアデス アテネの政治家。三〇代なかば。 -
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ネタバレ光文社古典新訳文庫の訳のおかげなのか、プルタルコスやキケロよりだいぶ読みやすい。読みやすいけど、内容は哲学というより自己啓発的な内容でちょっと退屈でもあった。
「われわれは、短い人生を授かったのではない。われわれが、人生を短くしているのだ」という「人生の短さについて」はなかなか耳の痛い話だ。過去の哲人の英知により打ち立てられたものこそ(世俗の名誉と違って)永遠である、という部分はちょっとプラトンの「饗宴」を思い出した。多忙な仕事に追われることをやめ、そのような過去の英知を知り求める事が真の閑暇である、とセネカは言う。そうして永遠につながることができる、というのはなかなか美しいと思った。しかし、当時のセネカのような裕福なローマ人は奴隷がいるから生活のためにあくせく働く必要がなかったわけで、そこは考慮に入れる必要があるとは思うが…。
「薄くなった髪を、あちこちから前のほうに寄せ集めたりしている」という一文には、2000年前もそういうことしているんだなあとちょっと面白くなってしまった。 -
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所詮私は私でしかなく、子は私とは別のものでしかない、というのはしごく簡単な疑問である。しかし、この疑問を解決するのは実に 簡単で、我々がそもそも我々自身と思っている物ですら、子供から老年までに構成要素から外見まですっかり変わってしまっているのであり、 それをして同一であるとみなしているのである。また、これは心の状態(欲求、快楽、苦痛)にも同じことが言える。そして、 我々は(動物も含めて)上記と同様に、神のように永遠に同一性を保つというやり方ではなく、老いて消え去りながら、自分にに似た別の新しいものを 残していくというやり方で永遠の自身を確立させるているのである。これについては、ヒュームが極めて似通ったことを述べている。 曰く、我々は得てして想像が、つまり観念から観念への移行が滑らかに容易く行われる時、それらを混同してしまいがちである。そして、 やがてその錯覚を、つまり変化し続ける対象が同一なものであるということを確定させるために、様々な知覚・印象の持続的存在としての魂とか 自己という物を作り上げるのである。 更に、我々は太陽などの一般的にも不変である思われるような物よりも、より変化しやすい物に対して整合性を持たせる場合には、 対象間に共通の目的意識を見出すことがある。ここで、人性論ではテセウスの船が例に挙げられているが、人間の身体は正にこの論理に当てはめることで 同一視することができるのである。
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Twitterでたまたま見かけて手に取った。
古代ローマの哲学者の本なんて理解できるのか…と不安だったけど、とてもわかりやすい訳で驚くほどすんなり読めた!
表題作よりは「心の安定について」が一番面白く読めた。「人生の短さについて」は他の文章より例えの連続という感じで、読んでいて退屈なときもあった。
紀元1世紀のローマの人の例えが時代や国が違う自分にも共感できること、文章がしっかり残っていること、日本語訳ができていることなど、全てが新鮮で驚きの連続だった。
セネカ自体が大昔の人なのに、セネカが例え話に出す人物が紀元前5世紀…みたいな感じで、セネカの時代はどうやって過去の人物のことを勉強してたんだろうとか、どんな形でこの文章は残っているんだろう、原典はあるのか、とかいろんなことが気になった。
さすが今の時代にまで残っているだけあって、普遍的で理解しやすい考え方だと、ただただ感心した。