中澤務のレビュー一覧
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ギリシャ時代、おとこたちは、寝そべって、酒を飲みながら、語り合う。そのスタイルは、優雅だ。
ソクラテスの以外にエロスについて語るのは、パイドロス、パウサニアス、エリュクシマコス、アリストパネス、アガトン、アルキビアデスの6人である。
フロイトのエロスは、生命を維持し、統合しようとする本能。これは、性的な欲望や自己保存本能、そして個々の要素を結合させてより大きな全体を形成しようとする「生の本能」全体を指している。そして、エロスの対をなすタナトスを概念化した。タナトスは、フロイトが晩年に提唱した「死の本能」。これは、生命が元あった無機物の状態へと回帰しようとする破壊的な本能である。フロイト -
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本編を読んでいるかぎりは、何か頭を上滑りしていくようで、あまりよく理解出来なかったのだけれど、翻訳者の丁寧な解説を読んではじめて、ああ、なるほどなと思った。
セネカ自身が言っているように、ストア派のいう賢人などはこの世に存在しないのだろう。勿論その賢人が持つとされる徳に満たされるような人物になろうとしているのだけれど、なれるかどうかではなくて、その過程のうちに死を迎えるのが大事なのだろう。
未来、ではなく現在に向き合うために、過去をつまり歴史の英知を学び、人類全体の幸福を追求しようとしたのがこのストア派なんだという解説をみて、他の本も読んでみたくなった。
確か、松井秀喜がストア派の本の帯で勧め -
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セネカの哲学から人間いかに生きるかを学ぶことができる本。
人は人から時間が欲しいと言われるとすぐに使ってしまう、そして自分の時間がなくなっていく、時間は目に見えないもので一見多く残されるように見えてしまうからであると言えるが、自分の時間を大切にし時間にけちであることも大事であると学ぶ。
また多忙であることにも注意が必要である。忙しいとは心が奪われている状態であり、自分に向き合えていない状態と言える、そして過去を振り返ることも嫌い、今を多忙に過ごしている人たちもいる。しっかりと自分自身に向き合い、多忙ではない閑暇な時間を作ることも生きる上で重要であると学ぶ。
時間の長さは時間で測ることができるも -
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人生は長いようで短く、短いようで長い。それは自分の時間を善く丁寧に生きれば、充分に充実した時間を得られるだろうと説く良書である。
セネカの死生観や哲学は現代でも活かされており、時代や国、文化を超えて問いかけと生き方を教えてくれる。
さて、人生は有限だ。だが、時間は無限のようにあるように体感してしまう。だから、時間を浪費してしまうのだろう。現代では時間を溶かすコンテンツはありふれている。これからもそれらは増え続けていくだろう。1日は24時間しかない。使える時間はもっと限られる。その中で、どう生きればいいのかわからないときは、自分の死をイメージして行動せよとセネカは説く。死を意識することで視点は大 -
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難解な哲学書なのだろうと勝手に決めつけていたが、ユーモア溢れるエンターテイメント性のある作品で驚いた。
本書を読んで一番の衝撃は、そこかもしれない。
偉大なる?ソクラテスたちが飲み会でどんな話をしていたのか…その様子を垣間見ることができるとう何とも興味深い作品。
エロスを賛美する、そもそもエロスとは何なのか、なぜ賛美に値するのかなどが知識人たちによって議論される。
こんな高度な知的な飲み会…あるかいな笑
いや、こんな宴に参加してみいものだ。
古代ギリシャの文化や風習を知ることもできて、非常に興味深かった。
少年愛が当たり前の世界…。時代によって、当たり前は全然違う。だから世の中の見え方も -
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時間は有限で、平等に与えられている。
それをどう使うかで、人生は変わってくる。
セネカが本書で語ることの1つに、「先のことばかり考えずに、今に集中して生きろ」ということがある。
まさにその通りだと思う。
未来に不安を抱くのは自然なこと。
だけど、不安を抱きすぎても、今が良くなることは少ないように思う。
それよりも、今できることを精一杯やり、楽しみ、充実した人生を心掛ける方が、未来は開けると信じている。
だからといって、日々気負いすぎても疲れてしまう。
自分を大事に、自分が良いと思うことに時間を使い、今を生きること。
それが、人生を短くも長くもするのだと思う。 -
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『ソクラテスの弁明』に引き続いてプラトンを読んだ。「哲学」と聞いて思い浮かぶようなお堅い文章とは対極にあるような平易で読みやすい文章だった。
「饗宴」とは酒を共に飲むいわば「飲み会」で、その名の通り非劇作家アガトンの開催する飲み会が舞台となる。饗宴の場に集まったパイドロス、パウサニアス、エリュクシマコス、アリストファネス、アガトンが順番に恋愛の神エロスの賛美を述べ、その後ソクラテスがアガトンとの対話やディオティマとの会話を語る形式でエロスについて述べる。このソクラテスの言葉で展開されるのがかの有名なイデア論である。
個人的には、少年愛についての諸々が気になった。古代ギリシア・ローマ世界で一般的 -
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ネタバレ古代ギリシャの饗宴(飲み会)でのオッサン達による戀バナ。
テーマはエロス(愛)古代ギリシャなので当然少年愛(パイデラスティア)エロさえも哲学なのだ。
成人した男性が少年と恋愛する事こそが最高の教育とか流石古代ギリシャレベル高すぎ。
今作ではソクラテス自身ではなくマンティネイアのディオディマ(多分腐女子)の言葉として語られている。
曰く戀とは、善きものと幸福への慾望である
エロスとは美しさと醜さ、良さと悪さの中間にあり、神と人間の間にある精霊である
エロスは既知の神ポロスと貧乏神ペニアの間に生まれた存在(マジで?)
肉體の美から精神の美、知識の美、美のイデアへと至るなどプラトン先生らしく -
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ネタバレ今までの対話編と違って、宴会で一人ずつが愛の神エロスについて話を披露するという形式。ソクラテスの話の内容も、今までのように論理的な対話形式でなく伝聞の話を延々語るというもので面食らった。しかし構成やストーリーとしてはいままでになく凝っていて面白いので、二重に面食らうことになってしまうのだ。ソクラテスの語るのは「エロスの奥義」という一見何ともうさんくさい話なのだが、中身はプラトンのイデア論につながる哲学的談義になっている(ただ、神話的・直感的な話が多い)。
美を求めるエロスとは人と神との中間である聖霊であり、美や良いものに欠けるがゆえにそれを激しく求めるという性質を持つ、というところから始まり、