広瀬和生のレビュー一覧
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同じネタでも噺家によって演出は異なる。どの師匠についたかにもよるし、噺家自身の感性・強み・工夫といったものが大きく影響してくる。人気でかかることの多い4つのネタ『芝浜』『富久』『紺屋高尾と幾代餅』『文七元結』について、おそらく日本でいちばん落語を聞いている著者が、源流にさかのぼり、実名を挙げながら、系統立てて解説する。
たとえば『芝浜』は〈よくできた女房が亭主を立ち直らせる美談として洗練させた〉という三木助が源流。談志は〈現代人としての感情を大胆に注入し、別次元の「感動のドラマ」に仕立てた〉。利口な役は大家におしつけ、亭主に惚れている可愛い女房へ変え、ダンナをだます罪悪感からの解放といったところに焦点を当てた。志ん朝の女房は賢しらに見えないよう、ダンナをじょうずに転がしつつ立てるところは立てる。〈真実を打ち明けて謝る女房に向かって、熊が「お手をあげなすって」と返す〉ダンナもやはりかわいい。〈亭主の素直さ〉に特徴がある圓楽のテイストは「現代的なホームドラマ」。寄席の爆笑王・権太楼の特徴は、やはりコテコテな感情演出。女性の演じ方がうまいといえばさん喬だと思うが、なるほど最後の女房がすんごい長尺に。談志の流れにある立川流の3人もそれぞれおもしろい。談春は〈軽妙なやりとりと談春特有の「泣き節」とが交差するラブラブ夫婦の物語〉に。志らくは談志の「可愛くてバカな女房」の流れをさらに突き詰めた。談笑の演出が、自分としてはすごいと思う。「私が嘘をついてました、ごめんなさい」と謝る女房に「オレ、これ知ってたよ」と返す勝五郎。嘘をつきつづけて辛いのは、女房だけじゃなく、勝五郎のほうもとする新展開には、うなるばかりだ。ネタばらしはしないが、少々ひねりを加えたオチも見事。実際聞いたときも、おーっとなった。
『芝浜』だけで、しかもだいぶつまんでコレなんだから、あとの3つ(数え方では4つ)も推して知るべし。2人や3人比較をすることはあっても、これだけ深く、かつ網羅的にこのテーマで書けるといえば、著者を措いてはないだろう。もちろんこれを楽しめるのは、ある程度落語に親しみがある層だとは思うし、こうした本が出版できるということはいよいよ落語「ブーム」もただの流行現象ではなくなったということかもしれない。
個人的には立川流の現代的な演出が好きだ。談志の型をそのまま受け継ぐのではなく、談春・志らく・談笑といった弟子がそれぞれに自分の工夫を盛り込んでいるのが、本書でも読みどころの一つとなった。落語を聞いて読んで楽しく、また読んでから聞くのもおもしろい。中級編からの、最高の落語案内だと思う。 -
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三遊亭兼好の「落語とは業の否定」というのが白眉。
芝浜にすれば、「金を使い続ける、酒を飲み続ける」というのが業だろうと。
それを止めるなんてのは、業の否定じゃあなかろうか、という提起。
なるほど・・・。談志ファンの自分も唸ります。
ただ、芝浜は落語の中では異端ですよね。(広瀬氏も文中で語っています)
業をどう捉えるかという話で。
業=人間の悪、ではなく業=人間のダメなところ、と家元は捉えていたのではないかと。
すなわち、談志は人間を優しく捉えていたのではないか、とのこと。
・・・なるほど。
さすが、現役の落語家。
落語を感覚的に捉えて実感とともに論理的に分析する。
オススメです。 -
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『なぜ「小三治」の落語は面白いのか?』(2014年、講談社単行本、2016年に+α文庫化)を改題、増補改訂した文庫本。
文庫本と比べ、単行本は文字が大きいのが魅力だった。文庫本は文字が小さくなるものの、増補され、情報も新しくなり充実した内容にアップデートされている。書き下ろしの第1章「小三治から見た近代落語史」もわかりやすい。近代落語史にしては短く、23ページ分しかないが、ポイントを押さえ端的に書かれている。著者の力量を感じた。
単行本では第1章だった「小三治インタビュー」は、本書では第3章に移動している。核となっているのは、単行本と同様、第2章の「小三治落語」の演目である。単行本が発行されたのは、2014年。その後、CD「昭和・平成 小三治ばなし 20枚組BOX」や「朝日名人会 ライブシリーズ」などが出たので、ディスクガイドとしての情報は古くなっていた。今回はそれらの音源もカバーされ、実用性が増した。
巻末に演目索引と、参考音源および参考映像リストも付いた。講談社学術文庫にふさわしい内容になった。単行本を持っていても、買う価値が十分ある。
あとがきに書いてあったが、小三治も+α文庫版を持ち歩いて参考にしていたという(p288)。小三治も本書の出来の良さを認めていたということだ。このエピソードからも、著者の落語を見る目は確かだということがわかる。 -
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志ん朝が亡くなった2001年から2019年まで、約20年の東京落語界の動きを記した記録である。本書を読めば、この間の落語界の流れをつかむことができる。
どのイベントで、どのような演目が演じられたかが書かれている部分は読み物としては面白味はないが、資料としての価値は高い。所々に著者の考察や評論が加わっているが、そういう部分は読み物として面白い。なかでもやはり、談志について書かれた文章が一番面白い。
広瀬氏のこれまでの本に書かれてきたことが、リライトされている部分もある。談志の項は、『談志の十八番』 (光文社、2013年)にも書かれていたし、小三治の項は『なぜ「小三治」の落語は面白いのか?』 (講談社、2014年)にも書かれていた。だから、まとめ本のような感じもある。
本書のような本を評価するのは難しい。「タイガー&ドラゴン」ブーム、「談志の死」、「昭和元禄落語心中」ブームなど落語界のおおまかな流れは知っていた。本書は、詳細に書いてある。約20年間の東京の落語界の動きを詳細に把握することに何か意味があるのかと問われると答えに窮する。やはりマニア向けということになるのだろう。
御伽衆からでなくても、昭和の名人からでも、もっと長いスパンであれば、落語史として学術的な価値があった。約20年で、落語史と呼ぶにはスパンが短い気がする。広瀬氏は書く力量はあるので、長い落語史をいつか書いてほしいものだ。 -
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『#「落語家」という生き方』
ほぼ日書評 Day316
内容的には軽めのものだが、この手の芸能本は読むのに時間がかかる。今回であれば落語の噺のタイトルが出てきて、馴染みのないネタであれば都度Googleさんのお世話になる。下手したらYouTubeだ。
一般書で、カントやヘーゲルと言われて、それをその場で読んでみるてことは、普通ないから、それに比べると回り道する時間がかかるということだ。
内容としては2015年の本で、ちょうど本書に登場する師匠方をけっこう聴きに行ってた時期で、個人的には非常にはまった。
その中でも最後の三遊亭白鳥師匠、自分の高座を録音して「ウケたところを探すんじゃない、ウケなかったところを削っていくんです。そうやって落語って短くなって、良い作品になるんですよね」、「僕、最初に座布団丸めたりこねたりしたのも、なんで皆、座布団使わないんだろうと、まずそれを思いましたよ(…)なんで高座を転がらないんだろう、こんなに広いのに、とかね」、蓋し、天才である。
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広瀬和生さんといえば、ヘヴィメタル雑誌の「BURRN!」の編集長というイメージが強いです。
私は中学から高校にかけて同誌を愛読しており、大変お世話になりました。
恐らく、私のような「BURRN!」愛読者は、「広瀬さんが言うなら」と全幅の信頼を寄せているはず。
だから、「すべては志ん朝の死から始まった」と、耳慣れない持論を展開されても、「なるほど、そうか」とすんなりと受け入れてしまいます。
実際そうなのでしょう。
少し長いですが、ここはポイントだと思われるので、引用します。
「志ん朝は、『昭和の名人』が体現した『古典落語の美学』を理想的な形で継承する、唯一無二の存在だった。それがなくなったということは、落語が『昭和の名人』との連続性を失うことを意味する。
談志は『昭和の名人』をリアルタイムで知り、彼らの落語をこよなく愛しながらも、その呪縛からの脱却を図り、それは21世紀の落語界にとっての重要な道標となっていた。
だが、志ん朝の死によって、彼が体現した『上手い落語』が消えてしまうことの重大さに、談志は愕然としたのではないだろうか。(中略)
志ん朝没後、それまでどおり『昭和の名人』の呪縛からの脱却は続けながらも、志ん朝の持っていた『昭和の名人』との連続性をも体現するという、完全に矛盾する行為に邁進することで、談志はより高い次元で落語を表現するようになり、全盛期を迎えた。」
自分は20年来の「談志フリーク」で、談志のCDや著作をかなり集めていますが、広瀬さんのように考えたことは一度もありませんでした。
鋭い見立てと思います。
おっと、本書の本題はそこではありません。
本書は、「志ん朝後」に世に出てきた21世紀の落語家のガイド本です。
何と言っても、ほぼ毎日、寄席やホールなどどこかしらで落語を聴いている広瀬さん。
今、聴くべき落語家を実に詳しく紹介してくれていて、参考になります。
ぼくは恥ずかしながら、本書に登場する落語家の噺をほとんど聴いたことがありません(生で聴いたのは柳家喬太郎と春風亭昇太くらい)。
そして、どうやら、今の落語界はキャラクター揃いで、なかなかすごいことになっているらしい。
いつまでも志ん朝や談志ではないのかもしれません。
本書を参考に、「21世紀落語」に開眼してみようかな。 -
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落語界において落語の今を活字化してくれる広瀬和生さんの存在は大きいですね。
今回は「桂米團治×柳家花緑」「桃月庵白酒×春風亭一之輔」「春風亭百栄×三遊亭兼好」「柳亭こみち×三遊亭粋歌」の4つの対談。
印象に残ったところをメモしとくと・・・
・米朝が落語とは何かという問に「おじいちゃんが孫に聴かせるおとぎ話」と答えたそうだ。業の肯定とかイリュージョンというよりはわかりやすかもしれない。
・花緑が弟子の教育に頭を痛めていて、師匠の墓参りに行きたいと思っても、それを弟子たちに「行け」と命令すると恐怖政治になるのでしたくない。でも行くような気持ちにはなってもらいたい どうすればいいのかと悩んでるというのが少し首をかしげるとこがあるけど、神経質な感じが彼の個性なのかもしれない。
・白酒の「はい、これ言ったらウケま~す、これ言ったらウケま~す、」みたいな感じでしゃべるのと、そうじゃないしゃべり方というのは明らかに違う。で、あんまり一言一句まで正確に入れちゃうと、それに陥りやすい。」それでなるべく決めないで話すそうだ。
兼好も「流れ作業みたいな感じで、「はいウケた、はいウケた・・・」みたいな感じてやってるときは、楽しくないですよね。「すげぇ予定調和で今しゃべってんな、っていうときはすぐ忘れるようにしてる。ウケたときのほうが逆に忘れるっていうか」
ウケたものは忘れるようにしているというのがスゴイ。
・兼好は最初落語自体にあまり興味がなかったようで、高座を聞いて、こんなにつまらないのにお金になるならラクだと入ったというのがおかしい。元手がいらない仕事。原材料費はいらないし、運搬も在庫も発生しないのでラクな仕事というのも一般の仕事をした人ならでは。
・こみちさんは二人の子持ちで、「「今日はこれくらいで、安パイで行こう」っていう風になっては絶対ダメなんだよね。これが恐ろしいです。お客さんは安パイの私を聞きにきているわけではないから。台詞とか間違えても闘っていてほしいと思うだろうし、だから闘うんですけど日々いっぱいいっぱいだし」って落語で闘ってるという表現をしているのはここだけでした。 -
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「BURRN!」編集長として音楽評論の世界に携わってきた著者が、落語評論家としてのみずからのアティチュードをまとめた一冊。
ここで著者は、落語の本質を「同時代の観客の前で演者が語る芸能」としたうえで、評論家とは「ツウの客」「最も良い客」であろうとすることで「演者」と「客」の中間に位置する「媒介」として、客の側に語りかける者、いわば「水先案内人」のうような存在であるとする。それゆえ入門者に対しては、歴史でもあらすじでもなく、まず同時代の「誰を聴けばいいか」という情報を提供することこそが評論家の役割ということになる。そしてこうした立場から生まれたのが、著者の『この落語家を聴け!』(2008年、集英社文庫)である。ここでも、最後に特別付録として「『落語家』『この一席』私的ランキング2010」が収められており、本編と付録とで一応は(というのは、本人がこれは「落語ファンとしての2010年の総括であって「決して『お薦めの落語家』のガイドではない」とわざわざ断っているので)「理論と実践」のような構成がとられている。
「なぜ知っている噺を何度聞いても面白いのか?」「『ネタバレ』で問題無し」「マクラの意味」など、落語初級者にとって興味をそそられる内容もすくなくない。 -
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著者が、私こそが落語評論家であると表明した一冊である。談志ではないので、そうとは直接は書いていない。一歩手前でとどまっているが、ほぼそう書いているのと同じである。
今では著者の紹介に、落語評論家と自ら書いている広瀬氏だが、本書の発行された2011年の次点では、落語評論家とは書いていない。
本書では落語評論家について論じ、結論として、「通の客が、落語界の魅力を客全般に対し発信することができる人間だけが必要とされる落語評論家である」としている。言わんとしていることは、まさに自分こそが、落語評論家と名乗るのにふさわしい存在であるということだ。
たしかに、広瀬氏は落語評論家である。異論はない。ただ、落語評論家に対しての苦言は、具体的に誰に対して言っているのか書かれていないのが気になる。2008年以降、落語評論を語っている本は、談志を除いては広瀬氏だけしか出していないのではないか。ここまで書くのなら、反論を恐れずに名前を挙げるべきではなかったか。特定の人なのか、あるいは落語評論家すべてなのか。おそらくは後者なのだろう。それならば、いまの落語評論家はすべてダメと書けばいい。論敵を具体的に挙げない評論は、片手落ち感がある。
広瀬氏は、このあと、2013年に発行された『談志の十八番: 必聴! 名演・名盤ガイド』 (光文社新書)からは、著者の紹介に落語評論家と書いている。
落語評論に興味があれば、読む価値がある。 -
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週刊ポストに2017年8月から2021年9月まで連載したコラム「落語の目利き」に加筆・修正を加えてセレクトした単行本。若手が元気なプチ落語ブームから一転してのコロナ禍、そして復興へと向かった激動の4年間をリアルタイムで切り取った記録である。(p5、p325を編集)
単行本では、見開きの2ページで1本分の記事となっている。週刊誌でリアルタイムで読む分には良いが、一冊の本としてまとまると、物足りなさを感じる。分量が決まっているので、深みや広がりがないせいだろう。文章は評論ではなく、レポートといったほうが適切だ。
文章の型は下記のような具合で、大体同じだ。
20XX年○月○日に開催された「○○」を観た。
一席目は「○○」。
二席目は「○○」。
効きごたえのある名演だった。
もちろん、演目の紹介の後には解説もあるが、レポート色が強く出ている。演目が新作落語ならあらすじを書いたり、古典落語だったら噺家がどのようにアレンジしたかだったりである。たとえば、「通常は○○でサゲるが、この口演では○○」や、「談志系と同じで○○」、といった具合である。
断っておくが、連載を型にはめて書くのは悪いことではない。一般的に行われていることで、それについて批判する気はない。ただ、そのように書かれているということを伝えたかっただけだ。
本書は、コロナ禍の状況も描いており、記録としては貴重なものになるだろう。ただ、読み物としては、面白味は少ない。広瀬氏のほかの著作に比べても、満足度は低かった。
すべての回に、三遊亭兼好のイラストが載っている。文章に関連したイラストとコメントで、プロ並みのうまさであった。