西林克彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ20年前に出版されたものだが、去年話題になっていたので読んでみることに。
この中では、「わかったつもり」には「後から考えて不十分だというわかり方」という定義がされている。
この辺りではまだ「わかったつもり」が良くわからない。
読み進めていくと、いくつかの例題をもとに説明されていて、この「わかったつもり」を実感することが出来る。
なかなか気づかないが、これは読書に限らず、いろいろな場面で「わかったつもり」になっていることがあるなと反省する。
自分の経験や一般論がバイアスになり、勝手に解釈をしてしまう。
読書の場合、この解釈についても、整合性があれば「正しい」とは断定できないが「間違っていない -
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この本で1番伝えたいのは精読しろとかそういうことではなくて、文章を読むというのは常に「わかったつもり」との戦いなんだということだと思います。
私の中でよく「わかったつもり」を生むのは、メタ認知で、こういう話はこういう結論に行き着くだろうなと予測をしてしまう時に読み飛ばしをしたりするので、それが薄い理解や誤った理解につながっているなと痛感しました。
また個人的に国語教育の違和感についての話がものすごく腹落ちしました。
私もセンター試験の現代文に非常に苦労した思い出があって、文章を読む時の解釈は自由でいいと言われるのに、実際の問題は文中に書いていないことを想像として巡らせて出題者の解釈を答え -
Posted by ブクログ
ネタバレ誤読や「分かったつもり」読みがどういう仕組みで起きているのか、例文を用いて紹介してあったのは説得力があった。
なので仕組みは分かったのだが、対応法はとなると途端にぼやけたような。
結局具体的というか物理的対応というよりは、「こういう仕組みで起きているから気をつけましょうね」という精神的な話で終わってしまった印象がある。
読者を普段本を読んでいる人向けではなく、教育現場に実際いる方、特に国語教師の方をターゲットにしているのではないだろうか。
国語の指導書の指導例に強い憤りを感じさせる箇所があったので。
問題提起そのものは至極当然だと自分も思ったが。
ソフィア文庫なのでノウハウ本ではなくもっと専 -
Posted by ブクログ
どの言語かは関係なく、ヒトは文章を読む際に過去のパターンや記憶から多くを引用して、文字通りの意味をそのまま理解しながら読み進めていっているわけではない。そのため話の流れがこうなる、など推測も使いながら読むことで、考える努力を一番少なく、楽をしようとする方向に脳が働くのであろう。これは自分の場合、せっかちすぎて発話している人の話の展開を先読みしたり推測したりして、しかもそれが違ってることが結構あったりして、読書以外の面でも起きてしまっている。ほかにも漢字や英単語で似た文字と読み間違えてしまうことも多いと自覚している。そういった経験が万人に共通してるのか不明だが、本書で対策として提示されているのは
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知識は孤立したままでは使えるものにならない。
どうかすれば、それは簡単に抜け落ちてしまう。
システム化することで、知識は精緻化し、問を発見できるようになる。
本書の趣旨はだいたいこんな感じ。
私もたくさん本を読んできたが、読むだけで終わってしまうのはそういうことなんだろう、と思ってきた。
やっぱりそうか、と思いながら読んだ。
では、どう組織化するか。
本書ではあるカテゴリー全体を貫徹する基本的な性質を「共通性」とし、個々にしかあてはまらない性質を「個別特性」と分けて、セットで考えていくことを推奨する。
「共通性」がないと、対象を把握できないし、「個別特性」にも目を向けないと、「知っているつ -
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人は誰しも「知っているつもり」に自然となるものだろう。
現代において、ネットやAIが普及したことで、急速に誰もが知識を手軽に手に入るようになり、真偽も正否もわからずに吸収していく。それ自体には正解もないのだろう。歴史を振り返っても木版印刷然り、活版印刷然り、その時代によって情報の扱い方や吸収するものは変わってきた。
さて、私たちの多くは「知っているつもり」という状態になっていることだろう。学問とは繋がりであり、それは日常でも役に立つ。本著では「問いを投げること」を主張している。そして「知識の結びつき」についても触れている。
多様な学問、学術領域、業界、業種など、どのジャンルであれ、その分野にい -
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例えば、「じゃがいもは茎」「さつまいもは根」という断片的な知識で「知っているつもり」になっていないか。そんな警告をならす本。
知識量が増えるほどに、「疑問」が多く生まれる。知識が増えるほど「知らない」が増える。
三角形の面積を求めるとき、なぜ斜辺ではなく高さをかけるのか、など自分が知って使いこなしているはずの知識をひとつひとつ取り上げ、いかに知らないかをつきつけてくれる。
だが、どうしても「何故?」と考え、深く探求し、そして使える知識として定着するには、「必要性」に迫られないとなかなか難しいと思う。
日本人にとっての「英語」と同じで。必要性があり、すぐに使えないと困る環境にないから身 -
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とある方が、SNS上で紹介されていたのを見たことがキッカケで手に取りました。
ひと言で説明すると、
孤立した知識を「知ってるつもり」でいる人々に警鐘を鳴らし、「知っているつもり」では知識として応用が効かないよ、というお話。
知識を応用できるものにするためには、「個別特性」と「共通性」に焦点を絞って、「いろいろあるから=個別特性」のなかにも「共通性」があることを知れば、知識は有機的に繋がっていくよ、という例を幾つも紹介されています。
手を変え品を変え、ですが、著者の言いたいことは一貫して「知識は個別特性と共通性に着目して、有機的つながりを持たせよう」ということです(個人的には、ある意味 -
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直前に同様の書籍を読んでいたがため、色々つながりを見つけることができた。
知識=具体事象、知恵=抽象事項、知識モデル=構造、他の要因への構成要素の当て込み/「個別特性」「共通性」=抽象⇔具体の行き来、、、。
疑問の持ち方、事態も欲を言えば構造的にぶつけることができると、抜け漏れが無いし、その疑問を解消することに意味があるということが分かる。飛行機の機首の話は、恐らく通常に説明を受けたら出てこない文脈ではあるが、そのほかにもっと確認することはなかったのか、とは気になってしまう(それでもその知識システムを持っておく方が断然ベター)。
他の知識と関連しづらい、ということもあるが、そもそも体系立 -
Posted by ブクログ
「おそらく詰め込み教育の問題点というのは、取り入れたその知識のかたちというか質ではないかと思います。知識システムがしっかりしたかたちで多量に知識を保持していれば何の問題もないはずです。」
「また、『問題解決学習』は、子どもたちが自分で問題を見つけてそれの解決を図るというものですなら、子どもたちの学習意欲や活発な活動が保証されると見なされて、教育現場では多用されます。しかし、その領域に関する知識がかなりなければ、解決したい問題点など見つかるわけがありません。それに、こう考えてはどうだろうといった探索を導く仮説も、その領域の知識がかなりなければなりません」
本当に、その通り。
西林さんが言って -
Posted by ブクログ
<目次>
はじめに
第1章 「知ってるつもり」をなぜ問題にするのか
第2章 「共通性」と「個別特性」によるものごとの捉え方
第3章 孤立した知識への対応
第4章 知識システムと教育
第5章 知識システム構築に関する留意点
<内容>
言っていることはわかる。学んだり調べたりして、身につけた知識も、その分野の体系性から見たら「部分」でしかない。根本的な法則やルールを学んだり、理解をしていれば、違う視点や応用性の問題で、困惑したり間違った結論を導き出すことが少ない。そこで「知識システム」をどう伝えるか?の問題(これは自分の問題)という話だ。ただ第5章の終わりが今ひとつ解せない。