西林克彦のレビュー一覧
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わからないよりもわかったつもり。例も踏まえて関心が大きかった。
文脈(スキーマ)による歪みは自らにも多くあると思う反面気付ききれていないであろうという怖さもある。
例として木下順二の戯曲『夕鶴』を用いた心理学実験があった。
つう(鶴)は、なぜ、与ひょうのもとへやって来て美しい布を織ったのでしょうか?
選択肢を用意すると、6割以上の学生が【恩返し】のためと回答。
しかし、『夕鶴』の本文中には「恩返し」という言葉や意図はどこにも書かれていない。
本文の記述に即して読むと、つうが布を織った本当の理由は、与ひょうと心を通わせ、楽しいひとときを過ごすため。
無意識に『鶴の恩返し』の文脈(スキーマ)を当てはめ、「これは鶴の恩返しの話」と一度納得すると精密に読み込もうとしなくなる。その結果、脳内の「知識」で文章を上書きしてしまう。腹落ちした。 -
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本書は2005年9月に刊行された光文社新書である。それから20年以上を経た現在も版を重ね(2026年6月に42刷)読み継がれている。消長の激しい新書の世界で、なぜ本書はこれほど長く読まれているのだろうか。
「わかりにくい」文章や話には、あれこれ説明しているのに、結局何について話しているのか掴みにくいという特徴がある。逆に「わかりやすい」文章や話は、冒頭で「これから~について話します」というように、読み手・聞き手に見通しを与えてくれる。このような見通しを与えるものが「文脈」であり、文脈が示されることで、読み手・聞き手は、それまでに持っている知識や経験を呼び起こしながら話を理解することができる。この、あらかじめ持っている知識の枠組みが「スキーマ」である。
ところが、ここに本書の面白い逆説がある。文脈の提示とスキーマの働きは理解を助けてくれる一方で、読みを非常に浅いものにしてしまうことがあるのだ。
読み手・聞き手は、「この話はこういうことだな」と思った瞬間、それ以上の探索をやめてしまう。「理解できた」「わかった」と思う。しかし、それは本当の意味での理解ではなく、「わかったつもり」なのかもしれない。
さらに文章や話が展開するにつれて、新たな文脈が生まれることもある。それに気づかず、最初に形成した文脈に引きずられてしまえば、文章全体を誤って理解することにもなる。
本書は、このように読解を妨げるさまざまな要因を具体的に示していく。そして、その「わかったつもり」が最も露呈する場面の一つとして、入学試験の国語の読解問題を取り上げる。自分では「これが正解だ」と思っていた解答が実際の正答と異なっていたとき、なぜ自分はそう答えたのか。その「違和感」の正体についての考察も興味深い。
本書が教えてくれるのは、単に「文章を正しく読む方法」ではない。むしろ、「わかった」と思ったその瞬間に、もう一度立ち止まってみることの大切さである。
文章を読む機会の多い人、そして何より「自分は文章をよく読めている」と思っている読書好きにこそ、一度読んでほしい一冊である。 -
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[BOOK]2026.1.25 わかったつもり読書開始
026年02月05日04:02全体に公開 みんなの日記26 view
あっ、忘れてたぁ、、、
でも結構いっぱい書いてるなぁ
NOTE向きかも、、、(^^♪
smile(^O^)
2026/1/25Sun
P1~P40までの考察
私はこの本を読みながら、著者の「読みが深まらないのは、わかったつもりになるからだ」にずっと疑問を呈していた。なぜかー私は大抵のことは、ひとは知らないことの方が多いと常々思っているからーだってその証拠として、チコちゃんの疑問の殆どに自分は解を持てていないのが、現実ではないか。
なので、大方、勉強させてもらおうという姿勢でものごとにあたるくせがついているので、私に「わかったつもり」は殆どなく、見聞きする大抵のことに必ず、一つや二つの疑問はある。なのでその都度回答を頂ける生成AIは私にはとても役立っている。今回のケースもまず、おもちゃの電話でネコたちが会話をする、摩訶不可思議な現象になぜ疑問を持たないかがまず不可思議だった。
あとは自分なりの解を持つということは、その事柄を他のひとにある程度噛み砕いた形で伝えられるかーつまりその事柄を「教える」レベルで伝えられるかということが、私のなかで一つの目安になっているということを発見できたこと。これほ自分のなかでは、この本に出会えた収穫だと思った。読みが深まるかどうかは別にして、ある事柄について他のひとに何らかの形(そのひとが理解を示せるようなレベル)にして伝達できなければ、その事柄は意味を為さないと深く認識できた。
P41~P66夜読書積重ね_読みにおける文脈の働き
P67~P104正倉院の宝物とシルクロード -
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非常によい本。全ての人に読んでほしい一冊。
勉強について、自分なりのコツとして蓄えてきたものが見事に言語化されていてカタルシスを得た(知識を関連させて覚える、公式は覚えないなど)。
一方で自分の認識の及んでない内容もあった(苦手意識を持つのは自分の限界を知るのが怖いから、応用問題が解ける=その補助知識を知っている、より深く疑問を持ってわからないことを探すくらいがよい勉強法、など)。
本当に、塾や予備校に通わせたり、よくわからん教育改革に公金をつぎ込む前にこの本を広めた方がよっぽどよいと思う。
まずは家庭教師で担当している生徒に貸し出すことにする。 -
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非常に面白かった。学校の勉強は普通の勉強には役に立たないと思ってるなんてもったいないよ、から始まり、国語数学理科等を通して、学ぶ時にどういうように考えればいいのか、を提示してくれている。
国語 何かを覚えるには無闇に暗記するよりも、理由を考えながら覚えれば簡単に覚えられると精緻化リハーサルを実践させ紹介
数学 問題が解けることには知識が必要 応用問題を解くためには、そのための補助知識が必要。これを応用力が必要、とか意味わかんないことを原因だと思ってしまうと、対処できなくなっちゃうけど、結局は知識がないだけ。
あと、計算問題とかも、最初の導入と考えかたは広がっていくのでそれを合わせなきゃいけない。例えば、かけ算は単に何倍になるか、だけではない。それを他の考えにも適応できるようにするために、もっと応用が効く広い考え方にかけ算というものを学びなおさないといけない。ということを述べられている。
そして、公式を覚えることなんかよりも、どうしてそうなるのかということを考えながら、問題を解けるようになれば、自分で解き方をその場で思い出せるし、いろんな公式を覚える手間とそれをどの場面で当てはめればいいのか混乱するリスクを減らせる。
あと、分からないことがないと良くない。わからないことに注目すれば、学びが深まるということが、国語の詩の読み取りを例に挙げて解説されている。なるほどなぁー、と感心させられる。すべての文字の意味がわかる詩しでも、著者はどこにいるか?季節がいつか
というようなわかないことを注目し始めると、途端に詩の読み取りが深まる。
酒井先生は俺にシャドーイングって本当に効果あるの?どうして?どういう研究があるの?
とかやってみて効果あったからある、という知っている部分を離れて、知らない部分に焦点を当ててくれたことによって、自分の学びはこうも深まってきているのだなぁと感心したりした。 -
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つまるところは、一読しただけではダメだということなんだろうな。実用書にしても小説にしても何にしても、一読して感じた、あるいはこう理解したあるいは理解できなかったのはなぜなのか、今一度あるいは何度でも読むことが、それこそ「行間を読む」ことなのかもしれないな。
学生時代、現代国語は得意だった記憶があるけれど、あれはつまり、読解力が優れていたというよりも、整合性を見つけることが得意だったということなのかもしれない。
なので、この本は再読しないとな…
2026/08/12 09:18再読
2回目だったが、まだ「わかったつもり」のような気がする読後感… -
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自分の読解力にいまいち自身がもてずに幾歳月。ひとが立派な感想や意見を言っているのを聞くと自分の読み解きの甘さ、浅薄さに意気消沈してしまう。一方で、何か申請手続きとかするとき、他人はけっこうミスするものだなと思ったりもする。自分はというと、ちゃんと説明を読んでそのとおりにやれば大して複雑なものでもないと思うことがしばしば。まあ、そんなふうに読解力に対するコンプレックスや「何で?」と思っていることがあるもんでこの本を読んでみた。
読めば読解力がつくのかと思えば……さにあらず。でも、読み解くってこういうことなんだなとつかめた気もした。要はやっぱり丁寧に読むことに尽きるんだなと。文章って構築されているもので、丁寧に読めばそれを読み解くことはそれほど大変なことじゃないような気がした。読解できないということは、適当に読んでいたり大切なところを読み飛ばしていたり、勝手に補ったり思い込んでしまっているように思う。あと、読み解くには自分のなかにそもそも関連する知識などが備わっていることも影響するだろう。
と考えると、速読なんかもついつい頼りたくなるけど、ああいうのってよく効率的に斜めに読むみたいなことがいわれると思うんだけど、それでは読解できてないのではないかという気もした。
後半で国語教育に対する提言というか苦言的なことも述べられているんだけど、自分としてはむしろ、現状の国語の問題文もよくできているなと思った。著者の苦言としては、本来は文章読解はそれぞれの解釈でいいはずなのに一つの回答を選択しないといけないということが学生たちを惑わせているというもので、「『最も適切なものを選べ』という設問は避けるべきであろうと思います。それに代わるものとして、『次のような解釈があるとする。このうち可能なものはどれか。可能でないものはどれか』といった設問形式がよいのではないかと私は考えるのですが」(p.207)と著者はいうのだが、理想的な万全な表現としてはそうかもしれないけど、自分としては、「そうか! 正しいものじゃなくて、適切なものを選べと問われていたな」というので十分腑に落ちた。ここでは自分が正しいと思ったものでなくて、前後の文章から読み取れるなかだけで適切なものを探せばいいということなんだなと。それでなくても、正直なんで他人がそんなに現国の試験に文句を言うのかがわからなかったんだよね。自分としてはそれこそ現国なんて斜め読みで正答できちゃうような印象だったので。
ともかくこの本からは、スキルとしての小器用な読解力を身に着けるのでなく、読解というものを考える視点を養われたように思う。読解っていわば謎解きのようなものでそれはそれで非常に面白い作業だなあと思った。 -
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説明が解りやすかった。
例題をやると大体著者の予想通りになっているのは癪だけどね!
「物足りない読み」はともかく「間違った読み」は中高生の間に体験しといた方が良いんじゃないかと思った。
この本を丸っと授業でやっても良い位じゃないかなぁ。
短い文でも「間違った読み」をして他人に噛みつく人がいる事を考えると、そういう人の為にも中高生位でしっかり経験しておいた方が良いと思う。
後、文章だけの問題じゃないし。
他人の言動も勝手な文脈で読んで勘違いするからね~。
国語テスト問題については、私は学生の間気にした事なかったな。
自分がどう読むかはテストとは又別の問題だと思ってたから。 -
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西林昭一氏の『わかったつもり』を読み、大きな衝撃を受けました。普段、いかに自分が「わかったつもり」になって、文章の表面だけを滑っていたのかを思い知らされたからです。
本書を読んで特に心に刻まれたのは、以下のポイントです。
• 「つながり」を意識する: 部分と部分の関連性を捉えて初めて、真の理解への入り口に立てること。
• 文脈は「使いこなす」もの: 文脈をただ追うのではなく、読み解くためのツールとして主体的に使う視点。
• 自分の「思い込み」を疑う: 文章の構造だけでなく、自分の中にある「スキーマ(既成概念)」が理解を歪めてしまう怖さ。
• 「わかる」のアップデート: 新しい意味を発見し続けることで、理解の解像度はどこまでも上げられること。
• 解釈を捨てる勇気: 「話の筋が通っているから正しい」と過信せず、矛盾が見つかったらこれまでの理解をゼロベースで疑う潔さ。
「整合性がある=正しい」ではないという指摘は、特に大きな学びでした。これからは、立ち止まることを恐れず、より深い「わかる」を目指して読書に向き合いたいと思います。 -
Posted by ブクログ
これは本や文章を読む際以外にも当てはまると思う。日常生活での対話においても、わかったつもりが現実を見えなくしたり、相手を自分のレッテルや枠にはめてしまうことにつながるのだろう。だからこそ、細部や常識との違いに着目することや驕り高ぶらず常に疑う意識が大事なのだろう。ただ、意識だと難しい部分も多いだろうから、それを習慣化するか、話の際に確認作業を行って入れるみたいなシステム化することが大事なのかもしれない。
著者はおそらく読み飛ばしや雰囲気で流すことが誤読に繋がると言いたいのだろうし、それが一理あるのは理解可能。ただし、人間は毎日膨大な情報処理を行なっているから、簡略化していくのはある意味合理的なのだろうし、そこで起きるエラーに注目したって感じかなと。