菅野仁のレビュー一覧
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もうじき小学生になる息子。
小学校という修羅の国で(笑)
きっと、いろいろな壁にぶつかる。
いつか頼られたときに
思い出せたらと思い、再読した一冊。
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⚪︎ 「全部わかってくれる友だち」は幻想
自分を100%受け入れてくれる人が
どこかにいる、という期待は
人間関係を苦しくすることがある。
人は、どんなに親しくなっても他者。
その前提に立って、
少しずつ信頼をつくっていく。
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⚪︎ 「みんな仲良く」ではなく、併存するという考え方
大切なのは
気が合うかどうかより、
気が合わない人とも同じ場にいられること。
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⚪︎ 「やり過ごす」も成熟した関係
ニーチェの言葉。
「愛 -
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人で関わり方を、改めて考えさせられる本です。
他社承認されたい、同時に他者が脅威に感じる。
そのような思いは、学校が以前は小さな村の情報の源泉のようになっていたからかもしれない。
その場にいない人の悪口を言うスケープゴート悪口。
これは、共通の敵?を作って信頼を確かめ合う行為らしい。
人への妬み、ルサンチマンの感情を認識して抑えること。
気に入らない人とも、並存する、並存性を身につけるのが大事。
挫折を経験しない人はいない、現実を理解して、その挫折の苦味を噛み締める。
理想と現実を理解し、苦味を楽しめるのが大人。
言葉を正しく使う、ウザい、ムカつく、のような感情を雑に発露する言葉だと -
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本書から、世の中の「当たり前」が
もしかしたら「当たり前ではない?」と
一歩引いて考える大切さを学んだ。
著者は「学校でみんな仲良く」は昔のこと、
現代ではむしろ同調圧力に苦しむ人も
いるという。
また、学校では教えてくれない事として、
気の合わない人とも並存しなければならない事、
君にはこうゆう限界があるという事
(無限の可能性があるというメッセージが強すぎる)
を挙げている。
子供に夢を持たせるのも大事だが、
将来挫けそうになった時に逆境を
乗り越える力も必要。
家庭内で教えられることは
教えていかなければいけないなと強く思った☺︎
【印象に残った箇所】
殺し、盗みは人としてよくな -
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人と人とのつながり方について考える本。
学生時代に出会いたかったと思いつつも、職場にも生かせると思ったり。
ついつい、親しさと敵対の2項対立で考えがだなと反省。
以下メモ
・現在は誰とも付き合わず一人で生きることができるからこそ、人とつながることがより複雑で難しい。
・人とのつながり方
①つながりによって、利得や利益を得たい。目的がつながりの外にある。
②つながることそのものが目的=交流
・人間の幸せのひとつ大きな柱が、親しい人・心から安心できる人と交流したい、ということ。だから一人は寂しいと感じる。
・幸福の本質
①自己充実(自己実現)
②他者との「交流」/他者からの承認
・「他者 -
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友達100人できるかな(フィーリング共有関係)では「みんな仲良くしなくては」と苦しくなる。
お互いに守るべき範囲を決めて関係を成立させる(ルール関係)だと仲が良くても良くなくても、とりあえずお互いが平和に共存できる。
この2つは重なるようだけれど原理的には区別して考えなくてはならない。ルール関係とフィーリング共有関係を区別して使い分けできるようになることが、「大人になる」こと。
⭐︎傷つけ合わず共存することが大事。
ルサンチマン(恨み・反感・嫉妬)に陥るのが人間の常だが、負の感情からどう脱却するか「ニーチェ」
やり過ごす
⭐︎適切な距離は人によって違う。学校空間の中で濃密な関係を求めすぎな -
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サブタイトルは「人と人の〈つながり〉を考える」で、まさにこれと合致した内容になっている。昨日の夜から読み始めて、今日には読み終えてしまったので、文量も少ないうえに非常に読みやすい本だ。本書は2008年に出版された著書で、当時のいじめ問題を見かねて対人関係の基本を描いたようだ。本書で強調されているのは「並存性」というものであり、協調し親しく接することと敵対し排除することの中間を目指すように提言してある。対人関係に重きを置く人や、悩みを抱える人は、一度読んでみると参考になるのではないかと思った。発言がすべて的確だし、内向にも外向にも非常に役に立つスタンスを学べる。しかし難しいのは、真に攻撃的な人が
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ネタバレ有無を言わさぬ関係のみが上下関係ではなく、上下関係は必要なものである。この認識に立って、親密性と信頼感に基づく上下関係へ転換する必要がある。
感情的で主観的な人柄志向だけでなく、事実に基づき客観的な事柄志向も必要であるが、学校現場では人柄志向に偏重している。
管理教育と自由主義教育の間をいくような教育論が必要とされる。
学校はルーティンの場であり、座学を含めた連続性に耐えうる身体性を保つ能力(欲望の統御の作法)を養う場である。
知識よりも体験重視の学習は、知識の軽視であり、学校の非日常感を強調し、教員の属人的なプロデュース能力に依存してしまう。
主体性の尊重と規制や制限はバランスをとるのが難し